『平成ジレンマ』

東中野の小さな映画館の朝一の回はかなり混んでいて、殆ど満席でした。封切二週目。この映画の話題性の高さが分かります。今後も幾つかの映画館で上映の予定ということでしたが、確かに広く見られるべき映画だと、職業的にも納得せざるを得ません。

戸塚ヨットスクールの戸塚校長の出所後を追ったドキュメンタリーです。1980年に訓練生が訓練中に死亡。1982年にさらにもう一人が訓練中に死亡。そして同年、奄美大島の夏季合宿からの帰途のフェリーから訓練から逃れようとして訓練生二名が海に飛び込み、行方不明になる。行き過ぎた体罰が原因であるとされ、戸塚校長と12人のコーチが逮捕されます。これが所謂「戸塚ヨットスクール事件」で、結果的に、校長は6年間の実刑判決に処せられてしまいます。

大まかなことの経緯は当時学生だった私も知っていましたし、この事件をきっかけに、「体罰」の意義が議論になり、私が在学中の学校でも、宿題をいつもしないままに不貞腐れているような学生を平手打ちにする程度には存在した体罰が消えて行くことになったと覚えています。

劇中にも登場する当時の戸塚ヨットスクールの体罰の画像は確かに暴力的で、殴る蹴るが日常的に行なわれていたものと思いますし、校長を始めとするコーチ陣は、それを教育と疑わなかったからこそ、撮影を許していたのだと思います。当時の私も、今の私も、その画像を見て、確かに行きすぎを感じます。しかしながら、私は無条件の体罰反対派ではありません。それは学生当時も、企業組織の中で組織人を育てる場面が頻出する仕事をする今も変わりません。

この映画を見るまで、戸塚ヨットスクールが(勿論、横浜の戸塚にあるとは思っていませんでしたが)どこにあるのかさえ知らず、戸塚校長が国際ヨットレースで驚異的な記録を打ちたてたスポーツマンであったことも知らないでいました。映画を見て、パンフレットを読んで分かったことが幾つもあります。その驚異的な大会優勝の翌年、戸塚ヨットスクールはオリンピックで通用するようなヨットマンを育てるべく設立され、全盛期には100人を超える訓練生が集まったということです。

オリンピックで通用するようなヨットマンと言う所が世間の評価からすっぽ抜けていることは重要です。非力な人間の命など簡単に奪ってしまう海と言う環境に向き合い、その中で、記録を打ちたてられるような強靭な人間を育てることが、どれほど困難で、どれほど集中的かつ激烈な育成プログラムを要請するか、組織人育成の企画を立てる立場から、容易に想像できます。

一人の不登校小学生が訓練生の中にいて、そのような戸塚ヨットスクールの教育を経て、学校に通えるようになったと噂が立ち、不登校児や情緒障害児が全国から集まるようになった所から、歯車が狂い始め、結局、そのような児童を手に余してしまった親や施設の“お救い小屋”に戸塚ヨットスクールは変容していきました。しかし、基本的な教育姿勢は変わらずに在ったということが、事件につながってしまったように思われてなりません。

劇中、子供の扱いに行き詰まり、戸塚ヨットスクールの門を叩く親は多く、以前の多数派だった不良は減り、今は不登校児やニートが多数派です。自傷傾向のある子は預からないと言うポリシーを、困り果てた母親への同情によって曲げてリストカット常習犯の17歳の肥満少女を預かると、入校三日目に屋上から飛び降り自殺をしてしまいます。その親は世間体の問題なのか、たった三日しかいなかった学校で葬儀を上げてくれと依頼して、自分ものうのうと葬儀に参列しています。

訓練生をまとめる立場を勤められるようになり、資格取得などの目標にも着実に進むようになったと認められていた訓練生は突如逃亡し、引き戻されて、再入校後、再度逃亡して、弁護士の元に走ります。弁護士はチームを作り、戸塚ヨットスクールから逃げてきた訓練生たちを支援し、戸塚ヨットスクールの子供たちに対する暴力を訴える準備をしていると電話で語っています。しかし、現状の“暴力”と言うのは、戸塚校長の考える体罰では全くなく、頭を小突いたり、「ちゃんとやれ」と言う怒号であったりする程度です。企業の就職面接で少々厳しいことを言われると、ネットにすぐ「圧迫面接を受けた」と書き込まずにはいられない学生を見るようですが、その主張をクライアントの要望として真に受ける弁護士も弁護士と思えてなりません。

戸塚校長は、出所後、学校を再開し、年に70回もの講演を依頼され、参加している多くの学校関係者にも、「(自分も事件後止めている)体罰は本当にやめてよかったものなのか」と問い続けています。そして、劇中に登場する学校関係者は、戸塚校長の主張に意義を見出している様子でした。

「体罰は相手が進歩するための恥を抱かせるためのもの」、「体罰は進歩を目的とした有形力の行使だ」とする戸塚校長の言葉には重みがありますが、慎重な吟味が必要とは思います。しかし、内田樹の『下流志向』にもある通り、学んだ結果、自分がどのように変わり得るかは、学ぶ前の人間が評価・判断し得ないものであることは確かです。相手が社会的にどうしても「進歩」しなくてはならない状態であるにも関わらず、その「進歩」の必要性やプロセスを受け入れようとしない時にはどうすればいいのか。この疑問に教育や育成に向き合う者なら誰しもぶつかったことはあるのではないかと思います。そして、その一つの答えが「体罰」であったとしても、私は全く驚きませんし、その有効性も或る程度信じ得ます。

戸塚校長が言うように「うち(戸塚ヨットスクール)があるということは、他では治らん子が現実にいると言うこと」なのであり、現実にそこに我が子を連れてくる親が引きも切らず存在する。その状態を解決することなしに、戸塚ヨットスクールを批判してもなんの解決にもならないのは事実です。

就職難に喘いでいると言う大卒就活学生が、見なかったことにしている中小零細求人企業の現場には、優秀な人材が殆ど集まらないことを私は知っています。「創業当初のソニーや松下よりもうちは余程ましだ。こいつらを幹部としてやっていける人間にしてくれ」と社長が依頼してくる若手人材は、重責からは逃げ、仕事を厭い、ロクに本も読まないような人間だったりすることが多々あります。

それでもその幹部育成の方法を仕事として考える私に、「なんで、そんな仕事を引き受けるのか」、「素地が駄目なら、何をやっても無駄だ」と言う、人材育成のプロとして書籍を出している人々もいます。その声に対する答えはずっと用意できないでいましたが、この映画そのものがまさにその答えであると理解しました。DVDは間違いなく「買い」です。そして自分で見るよりも、仕事の関係者に貸すことが多くなるのではないかと思います。