『INTER::FACE 知能機械犯罪公訴部 ペルソナ』

 1月10日封切の作品です。封切から2週間弱の水曜日の18時30分からの回を池袋のサンシャインに行く道路沿いの映画館で観て来ました。2020年に『映像研には手を出すな!』を観るために初めて行って以来の場所です。この館に足を運んだ理由は、都内ではこの館しか上映館がないからです。

 この作品は続いて…

『INTER::FACE 知能機械犯罪公訴部 名前のない詩』1月24日封切
『INTER::FACE 知能機械犯罪公訴部 faith』2月7日封切

の二作が発表される三部作の第一作で、私が観に行った日が上映終了前日で、その後はこの館でも上映が第二作に切り替わるということを当日現地でスタッフから聞きました。これらの三部作が期間を重複して上映される方が観客動員を伸ばせそうな気が何となくしますが、他作の上映の都合なのかそうしたことは実現しなかったようです。また、当初は1日2回の上映が為されていたとのことでしたが、当日は既に1日1回になっていました。翌々日封切の第二作も同じ上映回数パターンを踏襲する予定とのことでした。

 上映館数の実情を見るまでもなく、マイナーな作品だと思います。出演者の中でも私が知っているのは、最近(最初分からなかったほどにメイクがガッツリの)『どうする家康』の上杉景勝や同じくドラマ『さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート〜』のアツいけど冴えないオッサン役でガッツリ記憶に残っている津田寛治しかいません。

 それでも私がこの作品を観に行ってみようと思い立ったのは、この作品のテーマがAIが今より少々社会に普及浸透した微妙に近い「近未来」を舞台にしている物語であることが理由です。「舞台にした」どころかモロにAIが社会に浸透したことで起こり得る問題、より具体的に言うなら、AIに人格を認め法的責任さえ追求し得るようになった社会での物語を描いているという点です。

 登場人物も設定も三部作全部で一緒です。さらに言うと、私は当時全く認識していなかったように思いますが、この三部作とさらに登場人物と設定を同じくした『センターライン』というタイトルの第0作が2019年4月に発表されています。勿論監督も原作も同じ人物です。この作品はインディペンデント映画としては大評判だったようで、国内外で多数の受賞を果たしています。内容は「平成39年(2027年です。)の日本を舞台に車の自動運転AIが起こすはずのない正面衝突事故を起こし、そのAIを過失致死で起訴する」という話です。

 実はその時点で劇中の時代背景的にAIの責任を問うという発想は存在しないのに、主人公の新人検事が自分の出世欲(というよりも自分の行きたい部署に異動になる目的)からAIを起訴するとんでもない行動に出たということのようです。ところが実際に起訴してみると、AIが故意に事故を起こしていたこと、つまり、AIが殺人を企てたことがAIの裁判上の供述で判明し、さらに物語が展開する…という話だったようです。

 この『センターライン』はDVD化されていず、U-NEXTの配信でだけ見られる状態になっているため、私は観ておらず、上のような記述はすべてネット上の断片的な記事からの推測で書いています。この「暴挙(?)」に打って出た女性新米検事がちょっとだけ新米ではなくなり、AIを起訴する法整備もされた社会が今回の続編三部作の世界と言うことなのです。ですので、『センターライン』の結末を私は知りませんが、少なくともAIに何らかの責を見出した故の法整備が為され、続編の世界観が成立したのであろうと思われます。(中世の動物裁判では動物が裁判に掛けられていますから、同様の発想でAIを裁判にかけることにも類例が全くない訳ではないとは一応言えそうです。)そして、主人公の新米女性検事が元の部署(交通事件を扱う部署)から新設のAIの犯した事件を扱う部署に異動する所から今回の物語は始まります。

 シアターに入ってみると、私以外に約20人の観客が居ました。上映期間や認知度などを総合的に鑑みると、それなりの動員のように考えられなくもありません。2人連れの観客は5組ほどいて、男女、女性同士、男性同士のいずれもいました。2人連れ客の年齢層はバラバラで、男女2人連れの2組は若者同士と中高年同士だったように記憶しますが、その他3組は分散が激しく私の記憶も定かではありません。全体で見ると女性客の方がやや多く、男性は私を入れて7、8人だったように思えます。男性の単独客はやや高齢側に偏っていて、30代から40代が2人ぐらいだったように思えます。女性の単独客の方は男性とは偏りが真逆で、20代ぐらいの若い女性も数人いて、全体に30代ぐらいまでの観客が半分くらいを占めていたように思えます。なぜこうした偏りになるのかとか、これらの観客はどのような動機から観に来ているのかが想像しにくい観客構成です。

 映画が始まりいきなり気づいたのは、主人公についての私の勘違いです。この作品のサムネイルに登場する人物二人は驚きと共に机の上の何かを見つめている表情をしているのですが、席に掛けてみている一人に後ろから抱きついて覗き込んでいるもう一人と言う構図です。この後ろの方の人物は髪型や表情から女性と明らかなのですが、前の方の掛けている人物を私は男性だとずっと思いこんでいました。ところが、この前の方の人物が新米検事の女性だったのです。髪もボブよりももっと短い髪型で、よく言えばボーイッシュですが、前作『センターライン』のロングバージョンのPVを見ると、自動運転AIに特設のカメラでジロジロ身体を見られた挙句に、「胸部の発達が乏しい」(だったと思います)と評されているぐらいの体型です。主人公が女性の新米検事だとは知っていましたが、サムネイルに主人公が映っているとするなら、後ろの方の(後で庶務担当の中年女性と劇中で分かる)人物ぐらいに思っていたのでした。

 PVなどで観ると、『センターライン』でこの主人公の新米検事は確かに同じ髪型、同じスーツ姿なのですが、その予備知識がない時点で本作のサムネを観ると、女性には見えないのです。

 そうした主人公がAIの事務官をバッジとして胸につけて、AIの起こした事件の捜査に当たります。このAIの事務官も含め、劇中には(多分前作には登場しなかったであろう)「デジタルツイン」という存在が登場します。それは使用者の思考や言動のパターンを読み取り、コピー学習しつつ成長するAIということです。(デジタル上の双子という意味で「デジタルツイン」です。)

 劇中で事件を起こすのもこのデジタルツインで、Vtuberの女性が自殺した後に彼女のアカウントから検察に自分を誹謗中傷した数人のリストが届き、その調査を行なったら、それらの人物達が自殺したVtuberのデジタルツインを名誉棄損で訴えて来ます。その名誉棄損事件を本来主人公は担当しただけですが、被疑者であるデジタルツイン(自分に合ったファッションを選定するための着せ替えアプリです。)に尋問すると、デジタルツインは「私は殺された」と言い出し、新米検事は本来の担当の仕事をそっちのけで、被疑者の殺害事件の成立可否を追求することに没頭していきます。

 なかなか面白い展開であるのは、このVtuberは顔出しで配信をしており、一旦顔を出さないように転向しましたが、着せ替えアプリでは自分の体型のみならず顔まで登録し、着せ替えアプリそのものの中の「デジタルツイン」が彼女の分身となって行きます。そしてオリジナルの人物がバルーンを膨らませるための(つまり、声を変える目的のものではないため酸素を全く含んでいない)ヘリウムガスを吸引して死亡して、アプリの設定により、デジタルツインにVtuberアカウントの投稿権限が委譲されると、着せ替えアプリのデジタルツインがVtuberの本人として投稿を開始するのです。

 調べて行くと、デジタルツインがバルーン用のヘリウムガスを「ナナゾン(という劇中の巨大ショッピング・サイト)」で購入し、Vtuber本人にはボイスチェンジャーよりもヘリウムガスの方が声の変化がよくできるという情報を提供して、ヘリウムガスを吸うように促しているという事実が炙り出されて行きます。

 裁判に至る中で、デジタルツインはオリジナルが例の数人から容姿について誹謗中傷を受け、美容整形手術を検討するほどに思い詰めていたものの、デジタルツインの方は元々オリジナルから与えられた容姿で美を追求する着せ替えアプリだったため、その容姿を否定しようと考え始めたオリジナルを許すことができず、殺害に至ったようだと分かってくるのです。そして、オリジナルがそのような行動をとったのは誹謗中傷してきた数人のせいですから、オリジナルをオリジナルの死後引き継いだ存在となったデジタルツインは「私(デジタルツインが主張する自分という意味の「私」です)は彼らに殺された」という主張を始めたのでした。

 新米検事の法解釈の立てつけは、デジタルツインをオリジナルと別人格と捉え、オリジナルが自死を考えていなかったならデジタルツインは殺人罪、オリジナルが自殺を自ら考えていてデジタルツインがヘリウムガスを発注してお膳立てをしたと認められればデジタルツインは自殺幇助罪、オリジナルが自殺を企図して自らヘリウムガスを発注したならデジタルツインは無罪となるというものでした。そこで新米検事はデジタルツインがヘリウムガスを発注したことを証明し、死後の動画配信もオリジナルがその時点では生きているかに装って行なったことを証明するなどして、殺人罪の立件を目指したのでした。

 結果はこの裁判自体が棄却され、案件は新米検事から取り上げられ、他の検事が元々の誹謗中傷の罪でデジタルツインを裁く話のふりだしから担当するということに落ち着きます。AIを罪に問い、それが立証されるとどうなるのかが(『センターライン』では既に描かれているのかもしれませんが)分からないままに終わってしまって、腰砕け感が少なくとも私には否めないように思えました。しかし、AIを罪に問うという思考実験を、ローカルにDLによって移送されたAIを被告席において実際の裁判劇の形で見せる、類例のない世界観を提示することには成功している物語かと思えます。

 前作が自動運転AI、本作では着せ替えアプリなど、AIが(関係企業の株価を見るとそのように無理矢理仕立て上げられている感もあるものの)今流行の生成AIでチャットを行なうようなスマートさではなく、もっと私達の身近に入り込んでいるAIに法的人格を認めている設定がリアルな面白さを作り出しています。ただ、そのようなAIをタブレットやモニタに映し出して裁判で尋問したりする展開は、流石にやり過ぎな滑稽さを感じさせなくもありません。

 先述の通り鑑賞していない『センターライン』では自動運転AIが本来起こすはずのない正面衝突の事故が扱われているようです。よく知られたトロッコ問題のような状況が発生して人を轢死させた場合のAI裁判はどういう結論に物語を持っていくのかなどに関心が非常に湧きますが、多分、そうした泥沼にハマる物語展開にはなっていないのではないかと推察します。同様に本作でもデジタルツインに絡む問題にはもっと掘り下げる余地があったように思えます。(大体にして起訴の結果、有罪判決になった場合、懲役や罰金刑をどういう形でAIに課することに劇中で設定されているのかを私はまだ知りません。極刑なら単純にAIの存在消去でしょうが、すべてが極刑になるのでは量刑が成立していないことになってしまいます。)

 例えば有名な映画『トランセンデンス』はやや荒唐無稽な展開ながら、超リアルなデジタルツイン(という用語で表現はされていませんが)の物語です。そのデジタルツインの人格やオリジナルの死後の研究結果の著作権などの権利関係、また法的に認められていない新開発の医療技術の実践など、さまざまな事象が孕む問題に踏み込もうとはしています。まだ観ぬ『センターライン』や本作では、『攻殻機動隊』よりもずっと手前、『ブレードランナー』にも至らず、『2001年宇宙の旅』にも至っていない超近未来の日常を扱っているのですから、『トランセンデンス』よりももっと身近で泥臭い具体的なAI人格の問題を掘り下げてもらえればよかったのにと考えてしまいます。

 前作『センターライン』はネット上に熱狂的な高評価が幾つも見つけられます。確かに低予算ながらAIの人格を人間社会でどう位置づけるかに踏み込んだコンセプトは評価されるべきですし、(『センターライン』は67分、本作は77分という)短い尺ながら思考実験の世界を具体的な取り調べ室や法廷の場に位置づけてみた演出の妙、さらに各場面の効果的なカメラ・アングルなどには多くの見所があります。

 それでも、『攻殻機動隊』のゴーストや義体にまつわる人々の認識やその背景にある倫理観についての掘りの深さを知ってしまっているが故に、私には少々味気なく感じる作品ではあります。あまり行かない池袋に、第二作・第三作を観に足を運ばねばとは思っています。DVDは出るなら買いですが、前作も出ていない以上、かなり見込み薄なのかと思っています。

追記
 終映後、ロビーっぽい狭い場所に出ると、数人の客に取り囲まれて談笑している女性が視界に入りました。最初はマスクをしていて分かり難かったですが、話の途中で客から「一緒に写真を撮らせてほしい」と頼まれてマスクを外した顔を見ると、前作でAIに「胸部が乏しい」と評された主演女優でした。私は全く知らない女優でサインを貰うパンフもない作品でしたので、特に接することなく帰途につきました。