『蛇のひと』

新宿の明治通り沿いの映画館のレイトショーで見てきました。レイトショーで一日一回、それも一週間しか上映されない中で見てきました。好きな女優の永作博美が主演で、WOWWOWの好評だったドラマをそのまま映画で上映すると言うので、見逃すまいと思っていました。

『ぴあ』の映画紹介欄には、「親切心からかけた言葉が周囲を少しずつ不幸にしてしまう男を描く。人間の持つ不可解さを浮き彫りにする、サスペンスタッチの人間ドラマ」とありますが、映画を最後まで見ると、この紹介文が色々な意味で正確ではないことが分かります。

老舗企業の有能な課長である、「男」が失踪してしまった後に、彼の部下(営業アシスタント)のお局的OLの永作博美が彼の消息を尋ね回る中で、彼に対する認識がぐらぐらと揺れ動く様を描いた映画です。

上司の部長の自殺と何者かによる一億円横領と同時に発生する「男」の失踪は、自ずと彼の有能性の本質を暴いていく展開につながります。なぜ暴かねばならなくなるかも、ストーリー設定が練り込んであります。プロパー社員が多い老舗企業の組織で、「男」は「外様」と称される中途入社者なので、彼の過去を知る者が社内にほぼ皆無です。おまけに、子供時代に家族を失って、「アラフォー」になって尚独身で、天涯孤独の状態なので、社外にも彼を知る人間がなかなか見つかりません。

尋ね歩いて永作博美演じるOLが辿り着くのは、「相手が喜ぶ言葉を発する」と言う能力の高さに人生ごと押し潰されそうになった人間の半生でした。「男」は、高名な義太夫の“御師匠”の妾の子として生まれ、晴れて御師匠の子供として引き取られ、弟子になります。すると、能力が発揮され、兄弟子であり御師匠の実子をあっさり凌駕して、結果的に、打ちひしがれたその兄弟子によって一門ほぼ全員が刺殺される悲劇を引き起こします。

練り上げられた古典芸能の修業をあっさり凌駕し、簡単に「道を究める」ことができてしまう程のずば抜けた才能が、出自故に称賛を浴びるものではなく、周囲の人々を例外なく不幸にするだけの悪魔の能力として「男」にのしかかったことが、異様な存在感を持って登場する板尾創路演じる一門唯一の生存者の口から語られます。

それ以降の人生において、「男」は、その優れた能力を活かして何者かになることを拒み続け、目立たず、人に関与しない人生を歩んできたことが分かります。それでも、彼の能力は彼の言動の中に半自動的に、半反射的に溢れ出てきます。その特殊能力によって営業成績を目覚ましく伸ばす一方で、彼に接する人々は、彼の言葉の中にその場だけの夢や安心を見出し、道を踏み外していきます。板尾創路のセリフによれば、「男」はこのような自分の人生に十二分なほどに自覚的です。ですので「親切心から言葉をかけた」のでもありませんし、「不可解な人間」性も結末に至ると微塵も残りません。

この映画を見て、知られている筈の人間の評価を尋ね歩くストーリー展開が、私は結構好きであることを自覚しました。古くは、小樽の街で「売女」と呼ばれた女性が自分が好きになった男に自分の過去を暴かせるように仕向ける『恋人たちの時刻』や、もう少々新しく、悪魔が自分との契約を破った男に自分が何者かを思い出させようとする『エンゼル・ハート』など、色々と好きな作品を並べられます。

とてつもなく秀でた能力を持って苦悩する「男」の姿が結晶の如く最後に浮かび上がり、彼が永作博美演じるOLによって救済されると言うストーリーが一本明確に存在すること。さらに、その過程で、誰しもが自分の中に潜む偽善と付き合って生きている自覚をOLの目線で観客につきつけること。「人間評価尋ね歩きムービー」の中でも、『蛇のひと』が秀逸なのは、この構成の妙味だと思います。

こんな機微の解釈を前提とした構成が成立し得るのは、出演者の優れた演技力があってのことだと思います。最近映画館で集めたチラシ情報だけでも『脇役物語』、『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』など見たい映画が目白押しの永作博美は勿論、この「男」も板尾創路も、その他の脇を固める俳優陣も、なかなかの曲者ぞろいです。『nude』で注目した主人公の親友役、『腑抜けども…』の主人公の妹役の若手女優が、ここでもまた、「男」の友人の若妻として、まき散らされた不幸を体現する名演技を見せてくれます。

この「男」を演じた西島秀俊を意識したのはこの映画が初めてですが、私がここ数年に見た中でかなり好きな作品の『眠り姫』、『ゼロの焦点』の中でさえ、不可解な言動を探られる男の役を務めています。納得です。DVD化に多少怪しさを感じる作品ですが、出たら速攻買いです。