『トルソ』

「『トルソ』を見に行く」と言うと、プロモーションで主演のアンジェリーナ・ジョリーが来日したため、知名度が急に上がった洋モノスパイアクション映画『ソルト』を見に行くものと、周囲の人々からよく勘違いされました。そんなこんなの『ソルト』人気の中、全国でたった一カ所、渋谷のラブホテル街に近い映画館のレイトショーで毎日一回しか上映されない『トルソ』を見てきました。

映画館に着くと、ロビーはごった返していて、満員電車並みの混雑でした。これほどの人気かと驚いていると、9割以上の人々のお目当ては、「佐々木昭一郎というジャンル」と言うテーマの下、隣のスクリーンで週替わりレイトショーで上映されている映画(今週は『夢の島少女』という映画)の方と分かり安堵しました。

劇中に登場するトルソとは、空気を吹き込むタイプのビニール製(ほぼ)等身大人形です。辞書で「トルソー」を引くと「頭および手足のない裸身の彫像」と書かれています。見かけ上、真っ白の石膏を思わせる質感まで有した空気人形で、男性性器もついています。ギリシャ時代の彫像同様に、性器は体躯に比してやや貧弱なぐらいのサイズで勃起もしていません。そのままの形の風船のようなものかと思いきや、ストーリー中盤、空気をパンパンに入れるシーンで、性器が勃起した状態にもなることが分かりました。(勃起した性器の形状は、他のパーツと異なり、リアルなものではなく、先端が丸くなっている単なる円柱です。)

この物理的特徴だけで見ると、大人のおもちゃの範疇ですが、34歳の人づきあいも悪く化粧っ気も男っ気もないOLのトルソの扱いは、顔も四肢もないのに寧ろ縫いぐるみに対するそれのようです。居てほしい時にだけ、クローゼットの中から登場し、食べることもしなければ、文句を言うこともなく、勝手に部屋を歩き回ることもなければ、暴力をふるうことも、浮気することもない。顔と四肢がないトルソは、或る面、女性の理想の交際相手の象徴です。一緒に入浴して丁寧に恋人のごとく洗われています。

圧巻は主人公が人気のない浜辺にトルソを連れてレンタカーでドライブに行き、キチンと海水パンツを履かせたトルソと水遊びをし、砂浜ではトルソを人間にするように砂に半分ほど埋めてくつろぎ楽しむシーンです。見ようによっては精神に異常を来たした状況の描写になってしまう所を、そこまでの華やいだ処のない日常描写の続く主人公が、のびやかで生き生きとして見えるのは、主人公を演じている女優さんの卓抜した演技力と、ドキュメンタリーフィルムの撮影を長く手掛けてきた監督の映像構成の技の産物のように思えます。

物語の前半。一人暮らしのOLである主人公の生活が描かれます。帰宅すると料理を始めます。誰が同居している訳でもないので、無造作に服を着替えます。誰に食べさせるのでもないのに、料理は丁寧に作りこんでいく姿が描かれます。主人公の趣味はパッチワークです。明るくもない部屋でチクチクと針を進め鮮やかな色の作品を地道に作ります。主人公は何かと言えば、氷あずきを作っては食べます。あずき缶を空け、いちいち氷削り器で氷を掻き、小さな器にちゃんと盛ってはスプーンで掬って、特に美味しそうでもなく、機械的に食べます。そして、喫茶店にも、ベッドにも雑誌のアエラを持ち込んで、ページをめくります。

同居する男性の居る女性の生活風景を描く映画の場面は多数あります。勿論、それ以外に、同居する何者かがいる女性の生活を描く映画の場面も多々あります。しかし、大人の女性の一人暮らしの無言の日常風景を、これほどリアルで自然に描いた映画は殆ど記憶にありません。無言なので、主人公の次の行動の予想がつきません。料理中に突如窓に向かって駆け出すのは、雨でも降って来て洗濯ものをベランダから収容するのかと思いきや、ベランダの鉢植えにあるハーブを一摘み、ベストなタイミングで鍋に入れるためであったりします。料理中に既にくつろいで椅子に掛け、ワインを飲んでいるのかと思いきや、いきなり立ち上がって鍋を覗き込み、飲み残しのワインを鍋に流しいれます。

監視カメラの画像とは明らかに違います。私はそのサイトを見たことがありませんが、インターネットレディと呼ばれる女性達が、自分の部屋に監視カメラをつけて日常生活をネットに晒すことで収入を得る仕組みがありますが、そのような映像とは全く異なります。確実に映画としての鑑賞に耐えてあまりある美しさでの、敢えて言うなら、物語的ステレオタイプでは交際相手か配偶者がいて恋愛感情が物語の大部分を占めても不思議のない立場・年齢の女性の一人の日常が描かれています。

主人公は今時携帯電話を持っていません。女友達も特に存在せず、(父親が母と自分を置いて蒸発し、母が再婚して異父妹ができて(さらに義父に性的な何らかのハラスメントを受けてから))距離を置いている実家の母とも連絡を取りません。職場の女性達が「週に一回はないと」と血道を上げる合コンにも参加せず、東横線沿線らしき風景の中、家路を急ぎます。職場ではコンタクトをしていますが、帰途に就く前に職場のトイレで同僚が化粧をバリバリに決め直している横で、コンタクトをはずし、堅物っぽいメガネを斜めにかけて、地味な服のまま会社を出て、華やいだ青山の街を後にします。およそ、密な人間関係というものが前半に登場しません。

後半に入り、甘えてくる異父妹を実は憎からず思っていることが言動から滲み出てきます。この異父妹は、主人公の「好きなものをどんどん持って行ってしまう」存在であると主人公は言っていて、現に異父妹を妊娠させた相手は、主人公のかつての交際相手です。それでも、転がり込んできた異父妹を気遣う言動が随所に現れ始めます。職場の同僚とも、それなりには会話をしており、疎まれた存在ではないことが見えてきます。一人で行ったバーで初めて会った男性に、道端で抱きすくめられ、ラブホテルにまで行き、セックス寸前までいくこともあります。前半で淡々とした孤独の生活が描かれたが故に、主人公の人間関係の在り方とそれに向き合う主人公の心情が、後半で絶妙なコントラストで表現されているように思えます。

ここまでなら、「おひとり様マーケット」の代表選手事例のようです。しかし、異父妹の仕事を捨て子供を産み育てる決断を下す姿などを見つめる中で、主人公はトルソを刺殺して返り血を浴びる妄想まで乗り越えて、結果的に合コンに参加する生活へと突き進んで映画は終わります。派手に面白いポイントは全くありません。ストーリーの明確な変化点もありません。けれども、人生の分岐点の年齢に立つ女性の生態が、含蓄の大きい象徴的な画像の連続で描かれている所が、強烈な魅力です。

私が好きな『女殺油地獄』の主演女優が、主人公の同僚の役で登場したりするなど、(異父妹は(私は好みのタイプの顔やスタイルではないので、特に注目と言うことでもありませんが)『罪とか罰とか』に頻出していた主人公の妄想の産物のアイドルです)見どころは主人公の生態以外にもあります。DVDが出るなら絶対に買いです。