『スオミの話をしよう』

 9月半ばの封切から既に1ヶ月半以上が経って、未だにそれなりの数の館で上映されていて、新宿でもマルチプレックス3館と歌舞伎町の高単価映画館の合計4館で上映されている状態です。それでも息切れ感はそれなりで、これら4館のすべてで1日1回の上映になっています。11月の初旬の3連休前の金曜日。バルト9以外の3館は午前中から午後早めの時間帯で、バルト9は最近私自身があまり行っていない深夜帯の25時50分のスタートでした。8月に『ルックバック』を観に来てはいますが、大分足が遠のき気味のバルト9の久々の深夜時間に映画を観るのも良いかと思いたち、ロビーに深夜1時少々に到着しました。

 チケットを買おうとモニタを見たら、1時15分時点で観客は私一人でした。チケットの種別を選ぼうとしたら、シニアはなく、「高校生(18歳以上)」、「ファーストデー(18歳以上)」、「障害者(18歳以上)」と(特に最後の分類はもう少々丁寧な表現だったとは思いますが)いった感じの三分類でした。深夜の時間帯なので全部18歳以上というのは一応理解できますが、分類がよく分かりません。

 私の理解では18歳以上の高校生は少数派で、早く誕生日が来ている三年生か、浪人したとか留年したとか言う状況など、いずれにしても来館者全体の中で、かなり珍しい人々であろうと思われます。その分類が3つのうちの1つというのもよく分かりませんが、もっと分からないのは「ファーストデー」です。何の初日のことを言っているのか全く分かりませんが、わざわざスタッフを呼んで聞くのも(、近くにはペチャクチャ私語で盛り上がっている女性スタッフ二名がチケットカウンター奥にいるだけだったので、呼び出すのも)面倒で、高校生でもなく、色々とガタは来ていますが一応公的には障害者ではないはずなので、イミフな「ファーストデー(18歳以上)」の1300円のチケットを購入しました。

 私がこの映画を観ようと思い立ったのは、主に二つの理由です。一つは最近あまり大作的な映画(≒ヒット作と目される映画)を観ていないということがあり、たまには長く上映が続く人気作を観てみようと思ったことがあります。マイナーな東京界隈でしかなかなか観られない映画を意識的に選んでいるつもりではありますが、たまには多くの人に支持される作品を観る価値があるのも否めません。(直近で観た作品『Cloud クラウド』やその少々前に観た『愛に乱暴』もインディーズ・レベルの作品ではありませんが、それでも社会全体における認知度が本作に比べて全く劣っています。)

 もう一つの理由は、そうした大作系の映画作品の今見られる選択肢の中で、長澤まさみ主演の作品であったことです。長澤まさみは先日『四月になれば彼女は』を観て以来ですが、それがあまりに不発で、かなり不本意にさえ感じるぐらいの作品だったので、やはりコメディエンヌで本領発揮の長澤まさみを観てみるのも悪くないだろうという考えの結果です。

 深夜のバルト9は、先日の『ルックバック』の来館時に比べて、多少マシな感じには思えましたが、それでもトイレも汚れが散見され、ロビー床には踏まれて潰れたポップコーンがぽつぽつと散乱し、5S状況はこうした商業施設の水準を考える時、到底及第点に至っていないように思えました。パンフを買おうとグッズ・コーナーに行きましたが、深夜時間帯とは言え、スタッフは存在せず、窪んだコーナーから出て辺りを見回しても元々殆ど誰も見当たらない中で、手透きのスタッフは見当たらず、どうしようかと考えていると、一人、シアター側の方から歩いてきたので、グッズ売場の方に私が向かう素振りを見せ、カウンター方向を指さして見せました。

 スタッフは私を認識して何か言うでもなく微かに頷きましたが、どこかに歩き去ってしまいました。20秒ぐらいして「どうなるのだろうか」と思っていると、先程のスタッフとは別のスタッフがコーナーの入口に現われて、私に顔を向けたので、私が「『スオミの話をしよう』のパンフが欲しいのですが」と伝えると、初めて口を開いたそのスタッフは、「分かりました」と去って行きました。さらにコーナー入口に現れたスタッフは「お待たせしました」などと一言もいうでもなく、明らかにこのコーナーの担当と言う動きでカウンターの裏側に回り、何を言うでもなく、「ほら、何をして欲しいのか言いなさいよ」と言わんばかりの表情で私を見つめました。私が欲しいものは既に2番目のスタッフに伝えたはずですが、全く引き継がれていないようでした。

 余程「また言わないといけないんですか」と言ってやろうかと0.5秒ぐらい考えましたが、上映時間も迫って来ているので、「『スオミの話をしよう』のパンフをください」と言ってお終いにしました。購入プロセスが終わってもそのスタッフは「ありがとうございます」一言も言わない態度で、単にカウンターから出て足早に何処かへ消え去りました。まるで日本ではないような世界標準の接客態度だと感じます。

 上映時間ギリギリにシアターに入ると、3人の観客が居ました。1人は20代の女性で、残り2人は各々30代・50代に見える男性でした。全員単独客です。その後、上映開始直前ぐらいの段階で暗闇のシアターの最前列に20代と思しきカップルが加わりました。このカップルは上映中に頻繁に交互にシアターから出ていき、また戻ってくるというのを繰り返していましたが、それを見越して最前列に陣取ったように思えます。あまりよく見ることのない変わった鑑賞行動でした。

 観終ってすぐの感想は、面白くない訳ではないのですが、まるでウェハースの食感のような、軽く薄く終わって長持ちしない感じでした。そのように思える大きな原因の一つは、やはり、早い段階からトリックが分かってしまうことです。

 誘拐は最も割に合わない犯罪と聞いたことがあります。そしてその成功率の低さ故に、多くの誘拐をモチーフにした映画作品は、本当の誘拐に終わらず、狂言誘拐の話に展開しやすいように思います。途中からストックホルム症候群や単に偏屈な性格などから、人質が誘拐犯側に付くような展開などもありますが、多くの場合、端っから狂言誘拐の設定が殆どのように感じます。有名どころでは、洋画では『ファーゴ』などがありますし、邦画では『g@me.』などがあります。誘拐モノの作品では概ね狂言を疑うべきというのが鉄板であるかのようです。

 例外があるとしたら、実話に基づいた作品群で、特に読解力が低い観客が多い洋画ではその傾向が強いように感じます。例えば、実話をもとにした『ゲティ家の身代金』などは本物の誘拐劇です。同じく実話をもとにした『ハイネケン誘拐の代償』も誘拐そのものは狂言でも何でもなく本物の誘拐ですが、人質にされた老獪で傲慢なハイネケンが誘拐犯たちを翻弄しまくる様が見物の作品です。

 今回の『スオミの話をしよう』も狂言感が話の冒頭から漂っていて、西島秀俊演じるスオミの元夫の刑事が名推理を披露する前から、ほぼスオミ自身が行なっている狂言であろうことが分かってしまいます。スオミは映画.comの紹介文に…

「三谷幸喜が「記憶にございません!」以来5年ぶりに手がけた映画監督・脚本作品。長澤まさみを主演に迎え、突然失踪した女性と、彼女について語り出す5人の男たちを描いたミステリーコメディ。

豪邸に暮らす著名な詩人・寒川の新妻・スオミが行方不明となった。豪邸を訪れた刑事の草野はスオミの元夫で、すぐにでも捜査を開始すべきだと主張するが、寒川は「大ごとにしたくない」と、その提案を拒否する。やがて、スオミを知る男たちが次々と屋敷にやってくる。誰が一番スオミを愛していたのか、誰が一番スオミに愛されていたのか。安否をそっちのけでスオミについて熱く語り合う男たち。しかし、男たちの口から語られるスオミはそれぞれがまったく違う性格の女性で……。」

と書かれた通り、付き合う相手の求める女性像を敏感に察知してそれを演じることに長けた女性で、その事実が5人の元夫や現夫たちによって明らかになればなるほど、犯人としてスオミ以外に考えられそうになくなってくるのです。

 また、長澤まさみのコメディエンヌぶりもそれなりには面白く観られますが、イマイチ感は否めません。私が直近で長澤まさみを劇場で観たのは先述の通り、『四月になれば彼女は』です。歪んだ恋愛観に踊らされて周囲を振り回すはた迷惑なメンヘラ獣医の役でした。長澤まさみ自身の問題と言うよりも、物語と役の設定の問題が大きいように思えますが、完全な不発作品でした。

 恋愛モノでコメディタッチでなくても長澤まさみの魅力が光る作品はそれなりに見つかります。私が劇場で観た中では『嘘を愛する女』がエロスも最大値で見開かれた彼女の瞳の映像には吸い込まれるかの想いがしました。そのような作品に比べる時、私の中では、『四月になれば彼女は』は、『MOTHER』の浮浪者と並び、長澤まさみがしっくりこない作品です。多分、長澤まさみにはか弱く他者に依存して生きている女性や精神的に病んでいる女性などのタイプが、外見や声の張り、パーツの大きな顔などから合っていないのではないかと思えてなりません。

 実際に長澤まさみを仕事柄何度も見たことがあるという人物を知っていますが、その人物によると、長澤まさみはほっそりした美人でオーラが物凄い…との話でしたが、私にはシルエット的にもどうしても骨太ガッチリ体型に見えます。そのイメージからもやはり線の細い女性や精神的に弱い女性がどうも似合わないように感じるのです。

 例えば『ホリック xxxHOLiC』の吉岡里帆の女郎蜘蛛は、彼女の細身ながらバストもガッチリある体型をスケスケのボンデージ系の衣装で包み、ポールダンサーにマンツーマンの「セクシー所作指導」を受けての演技を加えた結果、やたらにエロく感じられます。仮に長澤まさみが同じ役を同様にこなしたとしてあのエロスが滲み出るかと聞かれたら、私にはとてもそう思えないのです。一つの根拠は長澤まさみが出演したアンダーアーマーのCMです。

 娘が教えてくれた「アンダーアーマー」のCMでフラッシュダンスの代表的なダンスシーンをより獰猛にしたような振りで銭湯で踊り狂う長澤まさみは、そのCMのコンセプト設定から非常に強く印象に残ります。その姿はスポーツ系のビキニショーツと言った出で立ちで、明らかに体のラインがばっちり出ていますし、足を大きく広げたり、所謂悩殺ポーズも取るのですが、どうも今一つエロさが感じられません。明るく健康的なのです。

 ですので、やはり私にはコメディエンヌの彼女が一番しっくりくるように思えます。最近亡くなった西田敏行に広瀬アリスはコメディエンヌの道を進んで大成するよう助言されたとのネットの記事で読んだように記憶しますが、私が考える映画女優でコメディエンヌ評価の高い人物をパッと上げたら、この2人はトップ5には確実に入ってそうに思えます。(もう一人挙げるなら、先述の吉岡里帆です。)

 本作は映画.comでは前述の通りミステリーコメディとカテゴライズされていますが、ミステリーの部分はかなり有触れていて大枠では想定内の展開しかしません。コメディの要素はというと、どちらかというと5人の元・現夫たちのドタバタがメインであって、スオミ自身がガッツリとコメディエンヌを演じている場面は非常に限られています。さらに、劇中の設定上、5人の男達はスオミにメロメロと言うことになっていますが、どうもスオミがこれらの男達が一様にメロメロになるほどのエロさも漂わせていないため、ただただ、愚かな男達が我が儘な女に振り回されている感じにしか見えないのです。

 そうしたドタバタもコメディーとして観ろと言われれば、一応頷けますが、中盤ぐらいからどうも馬鹿な男の集団の右往左往をただ延々と魅せられているような感覚に苛まれる気分になります。どうせ翻弄されるのなら、イタダキ女子とか、小悪魔とか、パパ活女子とか、美魔女とか、後妻業の女とか、それっぽい女性にどハマリして抜けられなくなり、溺れて欲しいように思えます。

 長澤まさみは女子中学生から二役で一つのテーブルに並んでそのケバイ母親役をしたり、八面六臂の大活躍ですが、その(母親役を除く)どれもが全部同じ女性の演じた姿として繋がって見えないのです。劇中では長澤まさみ演じるスオミは騙そうと思って男達を弄んでいるのではなく、愛されたから愛し返す上で、求められる女性像を無意識のうちに別人格レベルで演じることができてしまう女性として設定されています。籠絡し騙し弄ぶ意図がない分、何か明確な意志がなくぼんやりとしたキャラの輪郭を作ってしまっているような気がします。

 長澤まさみが八面六臂・七変化の活躍で意図的に周囲の人々を狡猾に騙し、相手のみならず世の中を出し抜き続ける物語があります。『コンフィデンスマンJP』シリーズです。特にコンパクトにエピソードがまとまったテレビシリーズの方は、そうした長澤まさみの魅力が全開の作品だと思います。その『コンフィデンスマンJP』シリーズと比べる時、本作は明らかに精彩を欠くのです。

 一人の女性を巡って男達が集まって愛を競い合う衝撃の物語が一つ存在します。私がかなり気に入っている『愛を語れば変態ですか』です。テレビを殆ど観ない私は『ケータイ刑事 銭形』シリーズも知らず、この作品で怪優黒川芽以を初めて知りました。『愛を語れば変態ですか』の感想で私は以下のように書いています。

「 舞台作品が原作と分かって関心が湧き、さらに…
『とある郊外の住宅街で、一組の幸せそうな夫婦がカレー屋の開店を明日に控えて準備に追われていた。そこへ、集まってくる男共の多くは、妻あさこの不倫相手だった。平凡な主婦の顔を持ちながら男たちを惑わすあさこは、世界を救うために驚愕の行動に打って出る』と言ったストーリー解説を読むと、さらに関心が高まりました。
(中略)
 圧巻は、タイトルのままのセリフに至るまでの場面です。二人目の犠牲者の後、河原の土手の上をランニングする運動部系の三人の男めがけて、あさこが土手を再び『うぉぉぉぉ』と駆け上がり、抱きつこうとすると、するりと躱され、土手の反対側斜面にあさこは転がり落ちてしまいます。飛びつかれそうになった一人が、斜面を下りて倒れているあさこを介抱しようとすると、突如あさこがキスを迫ってきます。男は柔道の投げ技のような感じで、あさこを突き放します。そして、『なんなんだ。変態!』とあさこを詰ります。
 すると、あさこは不敵に笑いながら立ち上がり、『こんなご時世。愛を語れば変態ですか』とドスの効いた声で言うのでした。そこには、映画冒頭の髪をポニーテイルに結わえ、エプロン姿のはにかみ甘えた若妻の気配は全く残っていません。寧ろ、オニババか悪鬼と言ったオーラが放射されています。その男に組み付き、抱きついた状態で、男の膝を折り、ねっとりしたキスを決めます。」

 この作品は男達が集まってドタバタと一人の女性との関係性について主張し合い、罵り合い、揉め続ける構図が本作と一見似ていますが、決定的に異なる点が二つあります。一つは黒川芽以演じる主婦の夫が一人混じっているのに対して他の男達は全員同時並行の不倫相手なのです。そして黒川芽以はスオミと違い失踪することがありません。ずっと男達に向き合い、諍いの渦中にいます。その中で、上述のような強烈で意表を衝いた行動に何等の躊躇いもなく憑かれたように猛進するのです。

 本作ではエンディングに往年のテレビショーのような「ヘルシンキ」の街の素晴らしさを歌い上げるレビューのシーンが用意され、歌姫も務められる長澤まさみの魅力を最後に盛りつけていますが、寧ろ本編の話からずれた取って付けたようなおまけのエンディングに感じられます。それに比して『愛を語れば変態ですか』は基本コンセプトをぐいぐい推し出して、驚愕のエンディングに至るのです。どちらが面白いかは語るまでもないでしょう。

 男優たちの惨めったらしいドタバタを喜劇の中心に起き、長澤まさみのコメディエンヌぶりをフルに発揮させなかったところにこの作品の大きな構造的敗因があるように思えてなりません。それでも一応面白く楽しめる作品であるのは間違いありません。DVDはギリギリ買いという感じかと思います。

追記:
 私がシアターに入ってきた際から既にシアターの中心ぐらいの位置に陣取っていた単独客の若い女性は、終映後明るくなったシアターの最後列から荷物をモタモタまとめてから階段を降り始めた私が、目線を投げた際に初めて目を覚ますまで、ぐっすり寝入っていたようでした。シアターから出てくる私は彼女を除いて最後でしたが、私が出てから数分を経て漸くシアターから出てきました。
 降りるエレベーターで隣り合わせになった彼女の持ち物は、大分くたびれたバックパック、さらに小型のポーチ2個と紙袋。ロングスカートは大分皺くちゃで、上半身を辛うじて覆う革のジャケットも(元々そういうファッション・デザインであるのかもしれませんが)やや雨のシミか汚れのムラが見えました。多くの荷物があるのに、折り畳み傘を差してバルト9を出て、明治通りと甲州街道の交差点から伊勢丹方向に歩いて深夜の暗がりに消えて行きました。
 電車の始発待ちだったのかもしれませんが、まだ1時間余りを潰さねばならないはずです。バルト9の深夜時間帯ではホームレス一歩手前に見える男性や背広が大分くたびれた会社員風の男性などが映画そっちのけで寝入っているのを見たことがありますが、20代前半に見える女性が終映と共に眠い目をこすりながらようやく目を覚ます様を私は初めて見ました。
 因みに同時間帯に上映していたのは『キングダム』の最新作です。こちらの方が上映時間はやや長く、より長い睡眠ができそうに思えますが、多分、アクションが多くうるさくて眠れない作品と判断されたのではないかと推量しました。タイパや安眠度合いで考えると、カプセル・ホテルやネット・カフェなどの方がまだマシな選択肢に私には思えますが、そのような選択肢をなぜか彼女は採用しなかったようです。