『川の底からこんにちは』

ゴールデン・ウィークの夕方からしか仕事のない祝日、午前中に始まる回を渋谷の駅から遠い映画館で見てきました。怪作にして快作と言った感じでしょうか。楽しめました。

ヒロインは、北関東の田舎から高校卒業後、先輩と駆け落ちして上京して、程なく捨てられ、上京後5年間に、(多分その先輩も入れて)合計5人の男と交際しては捨てられ、5つの職場を転々とした派遣OLです。自称「中の下のオンナ」で、何もかもが自分にただ降りかかってくるだけのような人生を、「しょうがないですよねぇ」とそのたびに呟きながら送っています。当然、そんなストレスは溜まり、溜まると腸内洗浄に訪れます。

休みの日は、5人目の(劇中、後に彼女を一旦捨てる)男とデートをしたりして過ごしますが、この男は職場の課長で、バツイチで子持ち。その女の子を連れて、言葉少なに三人で動物園に行ったりします。男はヘラヘラとしていて、かっこうよさげに振る舞おうとしてから回りし、主人公からも娘からも見透かされています。編み物が趣味の、一言で言うと女々しい(性差別的表現かもしれませんが)男です。くだらない製品の開発の責任を負わされて職場にいずらくなった彼は、彼女に相談もなく、会社を辞め、大好きな編み物セットを持って、かってに彼女の実家に着いてきます。

大体にして、この映画に出てくる男は主人公の父を除いて、全員、女々しいか、愚鈍か無計画かのいずれかに常に当てはまる連中です。その主人公の父は北関東の田舎で川底から獲るしじみをパック詰めして販売する小さな水産会社を経営している社長です。この社長が癌で余命僅かになり、主人公が渋々実家に戻り会社を継ぐ所から、話は大きく展開します。主人公の性格は変わらず、「中の下のオンナ」の自認も変わりませんが、降りかかってくるものが、半端じゃありません。パーティションもカーテンもない「着替え場」で平気でシミーズ姿になって作業着に着替えるおばちゃんがたの排他の態度と視線。傾く経営。主人公が駆け落ちした男がもともと交際していた同級生と東京に駆け落ちする元課長。元課長が置いていった幼女。毎日便所の下に溜まり、畑に撒かれなくては溢れ出そうになる肥。どんどん弱っていく父。「もっと相談してくれよ」と格好つけて言う癖に、いざ相談すると「そんなことを聞かれても困る」と言い出す、酔うと猥談しか言わない叔父。主人公はぶち切れ、「中の下なんだから、頑張るしかない」と一心不乱に何事にも体当たりでぶつかっていくようになります。

娘をおいて蒸発した元課長とは、本人が居ないのに「結婚する!うん。結婚する」と自分の父と残された彼の娘を前に決意します。元課長も叔父も、「持つよ、持つよ」と言いながら着いてくるだけの肥バケツを持ってズカズカと毎朝畑に歩み入り、肥を柄杓で撒き、そこに大きく実ったスイカを採ってきて食べます。強烈なおばちゃんがたの前でも、朝礼でぶち切れ、逆に味方に付けてしまいます。朝礼で歌う呆けた社歌を自ら書き換え、「倒せ、政府」などと歌の中で連呼し、パックにはおばちゃんと元課長の娘の写真を載せ、大型POPもスーパーに提供し、売上を80%も伸ばします。その姿が、所謂バリキャリ系OLではなく、如何にもダメダメ人間の必死さ全開の様子で描かれます。

「中の下なんだから!頑張るしかないじゃないですかぁ!」と何度も逆上して叫ぶほどの必死さです。養女となった元課長の娘を幼稚園に送り出す際にも、「アンタも、どうせたいした人間じゃないんだから、頑張れ。いっちょやってこい。よし!」などと言い聞かせているぐらいです。爽快です。ここまで必死に人生を送ることができれば、自分が幸せかどうかとか、満たされているかどうかとか、自己実現できているかどうかなど、全く眼中になくなることでしょう。総てが降って迫ってくる人生。それに体当たりでぶつかって解決するかどうかも関係なく、ただただ次に向かって進む人生。見応えがあります。

体当たりでぶつかるだけなら、主人公が派遣OL時代でも同じだったかもしれません。しかし、ぶち切れてからの彼女は、体当たりで降りかかってきた事象にぶつかるのではなくて、降りかかってくる周囲の人間の認識や感情に体当たりでぶつかっていっています。それが多分、彼女の父にも、おばちゃんがたにも、養女にまでも、彼女が輝いて見える理由ではないかと思われます。(多分、この人々だけが他の登場人物と違って、ありのままに生きている人々です。)

私がこの映画で好きな登場人物は、仕事柄関心が湧く主人公の父です。シジミが取れる川の畔(ほとり)を車いすを押してくれる主人公に向かって、「お父さんが死んだら、骨を川に撒いてくれ。シジミの栄養になるだろう。大きいシジミが獲れるぞぉ。そうしたら、一儲けして、おまえは可愛いワンピースでも買ったらいい。似合うからな」などと言い出す父。彼の事業者としての日常は常に川の底のシジミと共にあることが分かり、儲けたらその金で何かを買うという経営者の典型的な発想が分かり、父として娘を気遣っていることが分かる、総てを言い尽くした明言だと思いました。逆ギレし、開き直り、突っ走っていく娘の言動を見聞きして、その彼が「あいつ格好良くなったなぁ」と感嘆し、満足げな表情を見せ、それから程なく息を引き取ることになります。素晴らしい先代経営者の姿だと思いました。

商売柄、社員や幹部の動機付けを考える延長線上の作業で、「幸せ」の定義やら実感やらに話が至ることがありますが、私はそれを面倒に感じています。私の人生観や幸福感も、今回の映画の主人公のものに近く、事実上、「そんなこと考えたって仕方ない」であり、「そんなことを考える暇があったら、何かやるべきことをやった方が良い」です。魅惑的な「中の下の疾走人生」。かなり共感できました。当然、DVDは買いです。