『第9地区』

ゴールデン・ウィーク中の夜の回を新宿のピカデリーで見てきました。今までに見たこともないような混み具合で、最前列から4列目の、通路に面した列の席ぐらいしか確保できませんでした。

結論から言うと、この映画は、今年まだ、5月頭の段階ながら、かなり高い確率で今年一番の大好き作品になりそうな、自分の中での大ヒット作品でした。DVDはもちろん買いです。

この映画を見に行こうと思ってから、ずいぶん経ってから見に行くことになりました。その間、何人かの方から前評判を聞いていました。曰く、「ガンダム世代には、キュンと来るものがある」、「グロいシーンが多く、食事直前直後には見ないほうがいい」などなどです。

(リアルタイムでファーストガンダムは見ていますが)何かの定義上、自分がガンダム世代ではないせいかもしれませんが、特にキュンと来ることは何もありませんでした。異星人が開発したモビルスーツ型の兵器は、ガンダムというよりも、むしろ、マクロスのバルキリーかダグラムかという感じでしたし、特に、この兵器の存在が、ストーリー展開上、大きな要素ではありません。

グロいシーンは確かにありましたが、それほど強烈なものではありません。主人公が異星人化していくプロセスで、指の爪がはがれおちたりする場面なども、望まぬメタモルフォーゼの恐怖感ばっちりで、名作の『ザ・フライ』のそのような場面に酷似していますが、『ザ・フライ』のそれほど、変容が克明に描かれているわけではないので、それほど気にはなりません。

また、兵士たちが、荒んで怒った状態の異星人に暴行を受け、腕がちぎれたりする場面があったりもしますが、これも、ことさらその場面をアップにしたりするような描写ではありません。これであれば、『プライベート・ライアン』や『ハンバーガー・ヒル』(SFですが、『スターシップ・トゥルーパーズ』)などの戦争映画のほうが、上を行っているように思います。異星人の特殊な銃に撃たれて、瞬時に液化して兵士が死んでしまうような場面が多数出てきますが、これも、ゆるゆると液化していく訳ではないので、特にそれほどのグロさがありません。

或る意味、分かり切ったことですが、この映画の魅力は、歴史上繰り返されてきた人間(特に、西欧文化圏の人類(と一応言いたいようには思いますが))の愚行が、異星人を相手にしたことで、これでもかというぐらいにデフォルメされて、描写されていることです。

描かれている愚行の最大のものは、人種差別でしょう。舞台はアパルトヘイトで歴史上悪名高かった南アフリカ共和国。異星人達の収容エリア内での生活のありようなどを見ていると、その姿をあの国でのかつての黒人の姿にそのまま置き替えて成立する様子が誰の目にも明らかに作られているように思えます。支配者の被支配者に対する横暴と無理解も、執拗に描かれます。特に主人公が支配者側の上層の人間であるのに、薬物を浴びた結果、DNAレベルで、異星人側、つまり被支配者層の側に変容していくというプロットが、まさにこのポイントの描写のために存在するかの如くです。さらに、政府の情報操作や官僚主義など、ことが悪い方向に運ぶさまを見ていて、それが不自然に感じられないほどに、絶妙なプロットによって描写されていきます。

特に、主人公の設定は練りこまれています。官僚組織の中で、成功確率の低い(つまり、担当する者の組織人生命上の汚点となるリスクの高い)プロジェクトのリーダーに抜擢される主人公。そのプロジェクトは、異星人達から、表向き同意書を取り付けて移住させることで、立ち退き交渉の舞台裏に存在する理不尽や横暴に自ら手を染めていく主人公。また、混乱回避の名目で軍を介入させなくては完遂ができないことを知っている主人公。感染後は自分が貢献してきた組織から、生体解剖前提の実験台・研究材料として命を狙われる主人公。このような主人公であるのに、そのキャラクターは小市民的で、卑屈で、口数は多く、ヘラヘラとその場をやり過ごすことで事なきを得続けようとするような設定になっています。

一歩間違えれば、深刻すぎるほどの場面や、気分が悪くなるほどの背信や打算の場面が、続々と登場しますが、それがぎりぎり、(場合によっては)笑えるぐらいに受け流しながら見られるのは、偏にこの主人公のキャラ設定によるもののように思えます。

小役人がちょっとしたきっかけから自分の組織に追い詰められるというストーリー構造だけで言うと、私の中での最高傑作は『未来世紀ブラジル』です。しかし、そこに異星人SFの要素を絶妙にブレンドし、さらに、今はやりの素人撮影記録映画的タッチのPOV型映像でリアルにそれをまとめ、さらに、人種差別や、社会格差、メディア・コントロール、さらにはカニバリズムまで、きれいにこの短さの映画の中に詰め込んで、ぶれることのないドラマとして仕上げることに成功した傑作です。