『ルックバック』

 6月28日の封切から封切からほぼまるまる2ヶ月を経た月曜日の夜8時55分の回を、一体いつぶりが分からないぐらいに久しぶりなバルト9で観てきました。(調べてみると2023年11月の『ドミノ』ぶりのように見えます。)

 1日4回の上映が行なわれていて、その3回目です。尺が58分しかない短編で一律1700円の金額になっています。タイパだけを見るなら、一般客にも非常に低いものとなっていますが、本来割引が利くはずのシニア層の私にはさらにそのタイパが悪くなっていることになります。

 新宿ではバルト9だけになっていましたが、都内ではまだ各所でギリギリ踏ん張っている感じで、都内の上映館は26館あると映画.comには書かれています。(ざっと眺めると23区外が10ヶ所近くありますので、意外に23区内の上映館は維持できていない感じかもしれません。)ただ、封切直後のこの作品の人気は尋常ではなく、バルト9での上映回数は1日10回前後あったように記憶しています。それぐらいの大人気作品です。

 私がこの作品の存在に気付いたのはその封切直前で、どちらかというと、唐突にその存在が近日上映予定作品の何かのリストに発現したといった感じに思えました。またその映画紹介のサムネイル画像が独特の画質です。全く詳細情報のない『君たちはどう生きるか』などもその情報の無さ故に話題になりましたが、そういった独自感ではなく、絵そのもののタッチや構図がかなり独自なのです。

 このタッチの独自さは、イラストを自分で描く楽しみのない私には技術的に何が違うか全くわからず説明できないのですが、後にパンフレットを読んで、多分この点に関わる部分らしき説明を見つけ、素人ながらなるほどと納得したのでした。構図の方は少女二人の並んだ顔のドアップです。それもこちらを見ているのではなく、何か下方をワクワクしながら見つめているような歓喜の表情のドアップで、タッチの独自さと相俟って、非常に印象に残ります。

 そしてこの少女たちの顔をよくよく見ていると、どこかで見たことのある作者のものであると分かり、頭の中を色々と検索し、それが『チェンソーマン』のものであると気づきました。イラストのサムネイルを見つめて数分の間のことですが、とても長く感じられました。私も連載中の第一シリーズはそれなりに読み込んでいたのですが、同作者の新作が毎週の『週刊少年ジャンプ』で目立った告知もないままに始まっていたのかと疑い、すぐにこの作品を映画.comでクリックしました。そこにあった説明は以下の通りです。

「「チェンソーマン」で知られる人気漫画家・藤本タツキが、2021年に「ジャンプ+」で発表した読み切り漫画「ルックバック」を劇場アニメ化。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」や「君たちはどう生きるか」などさまざまな話題のアニメに携わってきた、アニメーション監督でアニメーターの押山清高が、監督・脚本・キャラクターデザインを手がけ、ひたむきに漫画づくりを続ける2人の少女の姿を描く青春ストーリー。

学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメイトからも称賛されている小学4年生の藤野。そんなある日、先生から、同学年の不登校の生徒・京本の描いた4コマ漫画を新聞に載せたいと告げられる。自分の才能に自信を抱く藤野と、引きこもりで学校にも来られない京本。正反対な2人の少女は、漫画へのひたむきな思いでつながっていく。しかし、ある時、すべてを打ち砕く出来事が起こる。

ドラマ「不適切にもほどがある!」や映画「四月になれば彼女は」「ひとりぼっちじゃない」などで活躍する河合優実が藤野役、映画「あつい胸さわぎ」「カムイのうた」などで主演を務めた吉田美月喜が京本役を担当し、それぞれ声優に初挑戦した。」

 画像記憶ができない私にしては『チェンソーマン』の作者が合っていただけで及第点だと思いますが、全く知らない話でした。同じく『チェンソーマン』第一シリーズ好きの娘に話したところ、娘は既にこの物語の存在を知っているどころか、一巻完結のコミックまで持っていて貸してくれました。娘にとってはどうも佳作といった評価のようで、特にノリよく薦められた訳ではありませんが、私はこれが動いたらどんな風になるのだろうかとコミックの淡々と進む物語から映画を想像し、そして、それが1時間に満たない作品として完結する様子を想像してみて、観に行こうと決めたのでした。

 映画館のロビーに着くと、人気(ひとけ)はあまりませんでした。上映が終わったシアターから2度ほど人が吐き出されてきて、ロビーが降りるエレベータ待ちで、瞬間的にやや混んだ場面はあるものの、これから観る側と思しき人々はパラパラとしか存在しませんでした。それでもこの作品の人気が窺われますが、ロビーのほぼど真ん中のイーゼルに置かれた数枚の大型ポスターのうちの1枚がこの作品のもので、作者のサインが入っていました。パンフを買い求めると、過去最高額ではないかと思われる1500円のやたらに堅い厚紙の装丁の盛りだくさんの内容のものでした。自分の分と娘の分を買いました。

 さらにシアターに入ろうとすると、入口で鑑賞特典らしい紙製のブックカバーをくれました。シアターには40人ぐらいの観客がいました。男女比はほぼ半々か、やや男性が多いぐらい。年齢層が非常に偏っており、20代で9割近くではないかと思われます。男女カップル客も多く、10組近くはいたと思います。それ以外の観客は主に20代男女の単独客と言うことになりますが、200席以上のシアターでなかなか珍しい観客構成の風景でした。

 後から読んでみてパンフやネットのレビューにも書かれていることに気付きましたが、イラスト素人の私でも期待と疑問を同時に持つ「この物語がカラーで動くとどうなるんだろう」の気持ちは多くの観客動員の動機になっていたようで、それが見事に結実して、まるでコミックの物語に命を吹き込んだかの如くに思えます。そして、それがどうもこの作品の最大の魅力になっているように私には思えます。

 パンフには原作者の藤本タツキと監督・脚本・キャラクターデザインの三役をこなしこの作品のすべてを事実上作ったも同然のアニメーターの押山清高の「特別対談」が5ページに渡って書かれています。『チェンソーマン』第一シリーズ連載中にこの作品を創った藤本タツキが漫画家になって行くプロセスで抱いた呵責や引け目、挫折や諦念、含羞などを物凄い熱量で丸ごと吐き出した結果完成した作品ということがよく分かります。そしてその熱量に応えねばと、また押山清高が物凄い熱量でアニメ化に挑んだことが分かります。

 先述の独自のタッチについては以下のように書かれています。

「なぜアニメが均一な線が多いのかというと、大人数で作るため、設計図に落とし込まないといけないから。しかも動かしやすく、色も塗りやすいように。漫画は一つのコマを一枚の絵として一人の絵描きが描けますが、アニメは数千の絵描きが描くので、ルールを決めないと絵の品質が保てない。でも『ルックバック』は敢えて均一な記号にしないという指針にしています。原作を見ても、藤本先生が一コマ一コマ、絵柄を探りながら描かれている印象を受けましたし」

と語っているのは押山清高です。さらに、劇中の背景画についてもタネを明かしています。

「アニメの背景美術は漫画の背景とは違いますが、京本が背景美術を志すこともあり、マンガ的な要素は取り入れたいと考えていました。背景美術は絵具やデジタルで描かれますが、線画のような実線を入れず、色を重ねて作っていくことが一般的です。そこに敢えてマンガのように線を入れたり、かけ網のようなタッチで陰影をつけたりして、マンガの背景の要素を取り入れました。さすがに全部は難しいので、塩梅を探りつつも『ルックバック』ならではの背景美術を作って行きましたね」

 それに対して、原作者の藤本タツキは…

「押山監督の仕事で驚いたのは、やはり『ルックバック』が動いたときですね。自分が原作を描いたのに、自分の絵より上手いのが悔しかった(笑)。それ以外にも「自分はこんなことできなかった」という仕掛けがいっぱいありました。例えば藤野が京本の部屋の前に来たとき、4コマを落とした床のタイルの色が、一枚一枚きちんと違うんですよ。そこに「うわぁ」と。街へのお出かけで、藤野に引っ張られる京本の腕の勢いあるパースもそうです。僕もパースを崩したくなるときがありますが、失敗が怖くてなかなかできません」

などと押山清高の創作の熱量に驚嘆しています。この作品は原作に忠実で、全く物語の説明がありません。登場人物も非常に言葉少なで、物語を「絵」から読み取る必要があります。おまけに尺が短いので、スクリーンを凝視していると、イラスト素人、美術素人の私でも、このパンフに書かれている上のようなポイントに何となく上映時から気付くことができました。

 絵は必ずしも精密ではありませんし、今風でもない気がします。描かれる人物の手の指には、かなりアップになる場面があるにも拘らず、爪も関節もありません。瞳も感情の昂ぶりに潤んだ時のアップは、最早丸い瞳に光が映った白い抜きの部分があるようなものではありません。寧ろ、昔のセルロイドの少女人形を思い出すような格子縞を幾重にも重ねたような状態になっています。

 原作でも執拗なまでに描かれる登場人物達が机に向かって作画している場面は、動きもほんの僅かに机に向かっている様子が、季節や時間のバリエーションでこれでもかというぐらいに(パンフに拠れば、原作よりも遥かに多く)美しい風景イラストとして挿入されまくっています。声優の感想や多くのレビューに登場する、この作品随一の場面は京本に褒められて舞い上がり、家への帰途に雨の中を踊るように駆けて行く藤野の場面です。これも原作のイメージを全く壊すことなく動画として観る者の心に刺さるぐらいに藤野の喜びと、一旦諦めた絵の道に再びのめり込んでいく情熱を、これ以上ないぐらいの自然さで表現しています。

 この藤野の変な走りは間違いなくこの作品の代表場面です。しかし、私が一番好きな場面は他にあります。雪国で育った私は、何をやるにも雪が障害となり、登下校は勿論、どこに出掛けるにも雪を掻かねばならず、出掛けるには防寒具を身につけなくてはならず、常に雪のない地域に比べて、何をやるにも負荷が余計にかかる生活を知っています。

 中学生になって「まるで描き終わる感じがしない」45ページの作品『メタルパレード』を一年かけて二人で描き上げ、その入賞結果が書かれた『少年ジャンプ』らしき漫画雑誌を見るために、二人が夢中になって雪の悪路をコンビニ向かい、ハアハア言いながら入店し一冊の雑誌を息を飲んでページをめくる場面があります。具体的に同じシチュエーションの体験はありませんが、雪まみれの封筒の雪を払ってドキドキしながら湿った紙を破って出した合格通知や賞状など、思い起こせる興奮が幾つもあります。その何倍もの大きさの期待に震える二人、喜びに破裂しそうな二人、そんな映像が私はとても共感できました。

 例えば、ネット、特にSNSなどでイラストにせよ、歌唱にせよ、ダンスにせよ、演奏にせよ、幾らでも上には上が見つかり、挫折したり、早々にその道を諦めたりすることはパンフの「特別対談」でも原作者と監督が語っています。しかし、劇中の主人公二人にはそういったことがほとんどありません。ただ黙々と掘り下げればいくらでも掘り下げられる無限の美の世界に突き進んでいくだけです。原作者の藤本タツキが「絵というものは成果がそのまま形になるので、実力差が見えやすいと思っています」と語っていますが、主人公達も、競争もなければ卑下も挫折もなく、只々絵を描き、創作することに没頭して行きます。そんな彼女たちの没頭の幸せが東北の自然に囲まれた環境で余計に引き立つのです。

 彼女達がポーズ集を食い入るように見つめ、風景などの画集を開いては目を輝かせている様子が、インターネットもない時代の地方の書店や図書館で、教えられた「シュールレアリズム」の画家の画集を開いた際の衝撃を覚えていたり、地方の公民館に遠征に来た劇団四季の『走れメロス』を観て高熱を出して寝込んだりした私には、とてもよく分かるつもりです。

 原作『ルックバック』を知り、その物語の秀逸さをコミックで知った者なら、誰しもが拘りに拘りを重ねた美しい動く『ルックバック』の世界に魅入ってしまうことと思います。DVDが出たら間違いなく買いです。

追記:
 この作品上映前のトレーラーはアニメ系の作品だらけでした。少々気になるのはバンドや音楽を皆でやろうというテーマを含むものが、『きみの色』、『劇場版 BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』、『映画 ギヴン 海へ』と3作品もあったことです。娘のお奨めのコミックで『ふつうの軽音部』を楽しく読んでいますが、ここでもまた音楽もので、世の中の何かのトレンドが若者をそのような方向に突き動かしているのかもしれないと感じました。個人的には折角の世界に冠たる部活文化のある日本なので、音楽以外の事象にも多感な時期の人々が嵌り込んでいくことが望ましいと思っています。

追記2:
 久々のバルト9は5Sレベルが著しく低くなっていて、トイレは個室にゴミがあちこちに落ちていたり、エスカレータは目に細かなゴミが詰まっているような状態でした。設備は凄いのに薄汚さは昭和末期の場末の映画館という感じで、或る意味、レトロ感の演出なのかとよく解釈することにしました。