『桃色のジャンヌ・ダルク』

渋谷ラブホテル街に程近い映画館のレイトショーで見てきました。毎晩そうしているのかどうか分りませんが、上映前に監督が出てきて挨拶とパンフレット購入のお願いをして去っていきました。日曜日の晩。それほど人はいません。

映画は増山麗奈と言う画家兼パフォーマーのドキュメンタリーです。この人物を映画で初めて知りましたが、桃色ゲリラと呼ばれる反戦デモなどを行なうアート集団を結成して活動している人です。雑誌『ロス・ジェネ』の編集委員でもあります。「戦争よりエロス」がその主張のコアの部分で、母乳を使ってペインティングを行なう母乳アートや、観客に向かって母乳を飛ばす母乳パフォーマンスを行なう、二児の母にして、ライターの夫を持つ主婦と言う触れ込みです。

留学時代にイラク戦争が始まり、唯一神の宗教を信じる人々の白黒つけずには置けない考え方や、その結果の、相手側に対する全否定的な考え方が、そこここで感じられ、嫌気がさした時期が、私にはあります。その時に、空爆で爆弾の代わりに、AVの中古ソフトや、テレビゲームの中古ソフト、エロ雑誌の古本などをばら撒いて、白黒つける殺し合いなどどうでも良くなるような展開を催させてはどうかと、よく言っていました。「戦争よりエロス」の言葉を『ぴあ』で見て、そのような留学時代の考えを思い出したのが、この映画を見に行った動機です。

その観点で見る限り、完全にハズレです。エロスの価値の強調により、戦争の馬鹿らしさが描かれるのかと思いきや、そんなことは全くなく、彼女のパフォーマンス中の大声を張り上げた主張は、モロに「戦争はんたぁ?い」系です。どこにエロスがあるのかと思えば、彼女自身がピンクのビキニに身を包んでいるということのようです。(パレオがついていてもそう言えばビキニはビキニなのかと理解しましたが、今時の露出の多いビキニではありません。)単純に女性の好みとか、エロスの感性の相違によるのかもしれませんが、映像で見る範疇で彼女の言動でエロスを感じる点はほぼ皆無でした。

この肩透かしから始まって、どうも、DVDなどで再度見る必要を全く感じさせないほどに、色々な点において合点が行かない映画です。

中でも、彼女の主張が平凡すぎることが一番の気になる点に思えます。母として女として戦争に反対と言うのも、勿論理解はできますし、私も戦争には行きたいと思いません。しかし、敵が攻めてきたらどうするのかと言うことや、実際の戦争の場面に行って、「戦争はよくない」と言って敵が納得するのかとか、シンプルな反戦の主張には、色々と湧いてくる疑問があります。現実に、各国正規軍にもゲリラ兵にも、母であろう女性が存在することはあるでしょう。母や女性だから戦わないことが自然だとは思えません。

まして、彼女の原発反対のパフォーマンスなどは、東京で電気を普通に消費していて、東電に対して説得力が半減ではないのかとか、では代替電力はどうしろと言うことを言っているのかとか、これまた色々と考えてしまいます。私も広瀬隆の愛読者なので、原発の危険性に関する主張はそれなりには認識しています。原発が望ましい存在とは思っていません。しかし、ただ反対だというだけではなく、ではどうするかと言うことがセットにならねばいけないのではないかと思います。

この辺は、どうも本人も認識しているようで、パンフレットで「難しいことは分りませんが、必死に生きてきました」と述べています。彼女の半生らしき再現ドラマも映画中に組み込まれていますので、彼女が辛かったことなども一応はリストアップされています。

拒食症になったこと、一浪して入った芸大生活の中でのめり込んだアングラ芝居を母に否定されたこと、在日韓国人男性と同棲して暴力を振るわれ続けたこと、ちんどん屋(劇中でそのように言われています)の男性と結婚して一児を設けるも、イラクに同行したジャーナリストと恋に落ち、不倫関係となったことや幼い娘に嘘をつき続けることに悩んだこと、イラク渡航をきっかけとして、防衛省から監視されていたことなど、辛いことは色々挙げられます。

しかし、恋愛の修羅場など、それほど珍しいことではありませんし、不倫関係を続ける人も、世情などを見ていれば、今更それほど珍しい背徳でもありません。防衛省の監視で特に実害があった訳でもなさそうです。生活情報が捕捉されているというのなら、今時、クレジットカードもスイカも使えません。「そうだから、難しいことは分らないが、取り敢えず主張します」というのが、どうも合点が行かない最大のポイントです。

反戦芸術は、私も好きなものが多々あります。絵画で言うなら、「ゲルニカ」やダリのいくつかの作品は文句なく好きな名画です。芝居でも、映画でも戦争の悲惨さを描いたものは多々あります。つい最近も、ずっと見ようと思ってみていなかった『プライベート・ライアン』を見ました。後味が悪く、戦争が犠牲にするものの大きさが否応なく分ります。そして、これらの作品は、シンプルに言葉で「戦争はんたぁ?い」などと叫んだりはしません。だからこそ、心に刺さるのではないかとも思われてきます。(劇中に登場するゼロ次元でさえ、私の子供時代のおぼろげな記憶では、それほどに反戦と言う言葉での主張をしていなかったように思います。)

彼女が反戦に目覚めたきっかけは、9・11の映像であったと言います。私が知っている女性で、9・11の映像を見て、「このまま普通に生きていてはいけない」と思って、婚約者と別れて仕事に励むようになったという人物がいます。NHKの「映像の世紀」などの番組を見るだけでも、いやと言うほどリアルな虐殺の映像が登場します。しかし、なぜか、それを見て一念発起して婚約者と別れた人の話は聞いたことがありません。

有史以来、戦争を含む殺戮が起きなかった年はほんの数年と言う文章を読んだこともあります。そうであるなら、9・11でさえ、今更の人類史の一幕でしかなく、そこで亡くなった人も、ケタで言うなら、それほど大きいものではありません。命に軽重がないのであれば、余計のこと、9・11以外の戦争や虐殺で日々なくなっている膨大な方々がかすんでしまっているように思えてなりません。大国が絡まなくても世界各国で大殺戮は起きています。だから価値がないと言う訳ではありませんが、「アメリカの馬鹿」、「自衛隊の馬鹿」と路上で叫ぶより、多少なりともより効果が高い方法論はありそうですし、そこでそれを追求せずに、「難しいことは分らない」で済ませるのは、“爆発的なエネルギーがある”と折角評されているのに勿体無いように思えるのです。

映画のタイトルは誰がつけたのか分りませんが、ジャンヌ・ダルクはフランス国家のために自ら剣をとり、少なからぬイギリス兵を殺害したのではないかと思われます。増山麗奈さんは、ジャンヌ・ダルクには「戦争はよくない」と思わないのだろうかと訝しく思いました。神の命を受け、後に聖女になったジャンヌ・ダルクの方でも、この映画に名前が使われるのは不本意であるかもしれません。

エロスばっちりな反戦映画を挙げろと言われたら、私は『花井さちこの華麗な生涯』の方が断然お勧めです。