『ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない』

新宿では、都合のいい時間に上映していず、有楽町の初めて行く映画館で見てきました。夕方遅めの回です。出先で思い立ったのに、二週間に一遍の発行になってから主な街の地図が載っていない(ように探し物の下手な私には見えます)『ぴあ』では住所しか分からず、地番まで探し当てても尚、なかなか見つからない映画館でした。映画のポスターは一階のパチンコ店の入口の脇に密やかに掲げられているだけです。入ってみると、やたらに荘厳なトイレが印象的な施設でした。封切3週目ぐらいだと思いますが、観客はまばらでした。

ブラック会社とは何であるのかが、開始から僅かで4条件ほど示されるのですが、やはり、その定義がなんとも気になります。

それは、一つには、劇中に登場する黒井システム株式会社が、あまりブラック会社には思えないと言うことが大きいでしょう。確かに、組織構成員はお世辞にも上等といえるような人々ではないように見えますが、危機的状況になるときちんと協力していますし、ソフト完成の暁の皆の連帯感は尋常ではなく、羨ましく思う世の会社員もそれなりにいるのではないかと思えます。また、顧客にも迷惑を掛けるどころか、顧客の無理難題に近い短納期要求に見事に対応しつくしています。敢えて言うと、労基法をそれなりに無視しているところが反社会的ですが、それが非常に特別なレベルの程にも見えません。

もう一つの理由は、そもそも、会社、特に中小企業・零細企業の圧倒的多数はオーナー経営者の私物の域を出ないものと私は認識しているので、組織構成員の立場からの認識による「ブラック」さなど、もともと余り意味を持たないものと私が考えているからであると思います。上場公開企業などの雇われ経営者と異なり、オーナー経営者は会社の持ち主であると同時に舵取りも自由な立場です。事実上、これ以上の権力の集中はないと言って良いような状況です。ですので、顧客の利益を明らかに損なっているようなケースや営業などの方法論が明らかに違法行為になっているなどのケースでもなければ、「ブラック」などと呼んだところで、社長は馬耳東風であることでしょう。

劇中においても、今時の就活で聞かれる「自分のスキルを活かしたい」だの「自分のスキルを伸ばしたい」だの、「自分の適性にあった会社で人材として活かされたい」だの言っている社員は一人も見当りません。非常に現実的です。ホーソン工場の実験が思い起こされますが、主人公が「限界」となってキレてしまう状況に至るのは、尊敬する先輩の退職話がきっかけであり、デスマと呼ばれる徹夜の連続でも、子供じみた先輩の嫌がらせでも、やめるそぶりが出ません。

私は日本の大学を出たこともなく、就活もしたことがないのに、大学でキャリアの考え方を非常勤講師として6年間も講義していました。驚愕したのは、今時の就活がマニュアルに寄れば、「自己分析」にしょっぱなから多くの時間を割くことです。親の職場にさえ行ったことがないと言うのが殆どの学生達に「自分に合った(と思い込める)仕事を選らばせる」ことを強いる、全くおかしな慣行です。(養老孟司氏もコラムでそのようなことを言っていました)

その点、この映画の主人公は、いじめられっことして、高校を中退した中卒で、おまけに数年のニート歴があり、どこもかしこも不採用になった挙句、「後がない」状態で就職しています。与えられたチャンスを逃さず、期待された役割を務められるよう努力すると言う、仕事の本質を見事に体現した状態です。結局彼自身、尊敬する先輩を見送って、自分は組織に残り、中核的な人材へと成長してゆきます。承認欲求を完璧に満たした事例ともいえますし、定期的な負荷によって能力を伸ばすことに成功した理想的OJTの事例にも見えます。

何がおかしいのか分からないぐらいによくある会社組織の描写に見えるので、この映画が「凄い」だの「酷い」だの「変だ」だのと主張するポイントが私にはよく分かりません。同僚だの部下に向かって「バーカ」の連発をするのがやりすぎではないかとか、ガンダムオタクもあそこまで普通は表面化しないのではないかとか、その程度のデフォルメの域にしか見えません。おかしさを際立たせるためか、組織の日常の場面から、突如、第二次大戦以降の白兵戦的シーンや三国志になぞらえたシーンが登場しますが、正直言って蛇足に感じられました。

この映画より少々先立って、『人生を無駄にしない会社の選び方』と言う書籍が発売されていて、ブラック会社についての分析・解説が為されています。著者に自分の意見を何回か述べる機会があった経緯から、あとがきに謝辞を用意して戴きました。著者はその後、多数の雑誌でのブラック企業の記事へのコメントを求められている様子です。一応、そのような「ブラック会社ムーブメント」との関わりが、この映画を見に行った最大の動機です。映画を見て思わず、記号としての「ブラック会社」と言う表現が、書籍・映画が連続して人口に膾炙し、早く消費し尽くされることを願ってしまいました。それほどに、ブラック会社として描かれる劇中の組織は、多少デフォルメで笑える要素を付け加えられただけの普通の組織に見えるからです。

周囲には、中小零細企業の実態を尋ねてくださる方もいるので、参考事例としてDVDは購入するかもしれませんが、プロ論として、仕事の付加価値を増やすことを学ぶのであるなら、先日観た『ファッションが教えてくれること』の方が濃厚な味があります。