『ゼロの焦点』

新宿ピカデリーの12時過ぎに終わる回で見てきました。既に封切4週目ぐらいだと思いますが、上映時間のせいか、観客は10人程度だったと思います。

子供頃に殆ど毎年と言っていいぐらいに新作映画やテレビドラマが出ていた松本清張作品ですが、当時、その手の「社会派ミステリー」が多数登場し、完全にどれがどれやら混乱していました。松本清張の文庫本も家にはあって、読んだ記憶はあるのですが、これまた、記憶がぐちゃぐちゃになっていました。

今回の『ゼロの焦点』がリメイクで登場すると聞いて、最初に思いついたのは、自分が乗らなかった飛行機の墜落事故で死んだことになったサラリーマンを巡る話でした。しかし、サイトなどであらすじを読むと、「北陸の…」などとあり、そういえば、東京と北陸の二重生活を送る男の話のようなものもあったな、などと思い出し、ぐちゃぐちゃの記憶を整理するために見に行こうと思い立ったのが、一番の動機です。

結局、飛行機事故で死んだことになるサラリーマンの映画は、『黒の斜面』と言う1971年の映画で、松本清張原作でさえないということを映画館から戻ってから、かなり苦労して検索して見つけ出しました。映画館でも、2時間超の全編の最初の四分の一ぐらいは、飛行機は落ちそうにないななどと思いながら見ていました。酷く間抜けな観客です。

見に行きたくなった動機の二番目は、広末涼子です。『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』でかなり気に入ってしまい、遡ってみてみると、『秘密』ぐらいからの広末涼子が、お気に入りの自分を認識しました。チョイ役ですが『花とアリス』の広末涼子も、なかなかの存在感です。今回は新婚早々で夫が失踪する新妻を演じているのですが、殆ど一緒に暮らしてもいない見合い結婚したばかりの夫について、知らないことが多すぎることに違和感を抱き続け、夫の捜索に自ら未知の世界に踏み出す役どころです。

東京から映画の舞台の金沢へはSLの夜行列車で行くのですが、何度か広末涼子がSLの車窓脇に座るシーンが登場します。金沢に通うごとに妻として成長し、自覚ができていく様が、表情から読み取れます。特に後半、回想のシーンから車窓を背景にした広末涼子の瞳の横からのアップの場面などは、吸い込まれるような見事さだと思いました。グラビアアイドル時代などは、「色気やエロスが全くない」などと言われ、少なくとも、「MajiでKoiする…」等の曲も、『20世紀ノスタルジア』等の映画にもあまり関心が湧きませんでしたが、ここに至って、見たくなる女優さんになりました。『GOEMON』はどうも気乗りがしませんが、観ていない『ヴィヨンの妻…』や『おくりびと』は要チェックかもしれません。

ストーリーの方は、初映画化の方の作品と比べてどうなっているのか分りませんが、後半に入ってストーリーテラーとなっている広末涼子演じる妻が、一気に夫の失踪の背景に気付いて、金沢へ急ぐ電車の中で、謎解きをしてしまう場面で、畳み掛けるように答えが出ます。映画の中の天才的ひらめきの金田一耕介の如く、あっさりと全部を読み解いてしまうのが、多少ちゃっちく感じられる展開です。

ただ、この映画の素晴らしいところは、やはり、原作の時代背景や世界観を余すところなく再現しようとしたことにあるように思えます。SLの走る風景。戦後から復興を遂げたばかりの頃の日本の街並み。鉛のように黒く重たい波を重ねる日本海の海岸を縫うように進む道や線路。阿佐ヶ谷の一戸建て、祖師谷のアパート。私の父母の世代が見てきた時代がそこに丁寧に描かれています。私は日本海側の小さな港町で子供時代を送り、幼稚園時代まではSLが家の近くの線路を走っていました。学校帰りに毎日目にしていた冬の日本海の黒い海面が思い出されます。

そして、当時において尚、別世界の如く存在する北陸の地と東京の対比が鮮やかです。広末涼子が結婚当初に「ロマンチックな雪国」と脳天気に言い、一方では夫にとって米軍の言いなりになっていた忌まわしい過去を共有できる女性との別人としての影の生活がある「表に出てはならない」土地。そして、自殺の名所であり、インターネットどころか、電話もたいした普及せず、空路もない時代に、東京からSLで一晩を要してしか移動できない隔絶した別の世界。

或る女性の友人が、彼女の札幌に単身赴任していた父が同棲していた女性との間の子供であることを、成人してから知ったと、数年前に聞いたことがあります。東京と札幌を往復して生活をしている私ですが、当時の地方と東京の隔絶感の大きさを改めて認識させられます。

そんな別世界にも、東京から忌まわしい過去が追いかけてきたところから、総てが始まるという原作の設定が素晴らしいところだと思いますが、(中谷美紀が演じる)もとパンパンの女性が自分の過去を消そうとして、自分の過去を知るものを死に至らしめる構図が重く心に残ります。好きなマンガの『代打屋トーゴー』には、従軍慰安婦の過去を暴かれそうになったことを巡って、殺人が起きるストーリーがあります。名作の『破戒』でもその通りであるように、その時代の成り立ち故に、偏見や差別の呪縛を負った人々の苦悩が、単なる推理ものではない深みをこの作品に与えています。

一方で、例えば、今の時代に殺人を犯してでも自分の過去を隠そうとする元風俗嬢やAV女優がいるだろうかと考えるとき、(殺人を犯すのが正常だといっているわけでは決してありませんが)人々の葛藤のタネや懊悩の原因は何でありえるのかに思い至ってしまいます。

畳み掛ける展開は、今ひとつ好きになれないのですが、DVDは買ってしまうかもしれません。