久々のバルト9の平日夜遅い回で見てきました。バルト9の中でも小さい方のシアターはかなり混んでいました。
原題は『9月号』で、劇中の「9月はファッション業界での1月よ」と言うセリフにある通り、一年の中でその後の一年を方向付ける重要な号が9月号なのだそうです。『ヴォーグ』の編集長アナ・ウィンターが、その9月号を作るまでに、何を見、何を決断し、何を選び、何を捨てたかが、克明に描かれた映画です。2時間を切った短い映画ですが、迫る締め切りを前に加速していく作業の様子がビリビリと伝わってきて、あっという間に終わってしまったように感じます。
パンフで「例えばスティーブン・スピルバーグのお眼鏡に適わなくてもヒット映画はできる(中略)だけど、アナ・ウィンターのお眼鏡に適わなければ、本当の意味でのデザイナーとしての成功を手に入れることはできないんだ」と監督が語り、アナ・ウィンターの周囲のクリエイター達の案がどんどんアナ・ウィンターによって却下されていく様子が映画では強調されます。そして、「有無を言わせず、採用・不採用を決め…」などとパンフのあらすじにまで書かれています。
しかし、どうもそれほど、鉄面皮の態度には見えません。分刻み・秒刻みの仕事の中でも、アナ・ウィンターは、それなりのアドバイスをクリエイター達にしていますし、自分の9月号について持つイメージやコンセプトをかなり反復して伝えています。むしろ、そのコンセプトを理解しようと努力していない(特に若手)クリエイター達の浅薄さの方が私には際立って見えます。
また、アナ・ウィンターは独善的でもありません。貪欲にインプットを重ねていますし、周囲の判断や意見も自分の基準の中に付け加えていっている様子が見て取れます。「アナ・ウィンターのお眼鏡に適う」などと書くと如何にも彼女の理不尽な主観に振り回されているように感じられますが、現実には、3000億ドル産業のファッション業界の幅広い情報を、そのトップランナー達から吸収しきった上で成り立つ物差しが彼女の判断となって現れると言うことでしかないように見えます。
私には、ビジネス誌の編集部に在籍して、編集長の中小零細企業の経営観を理解することを意識し続けた経験が数年あります。実際に編集部に在籍していたのは一年で、その後、同じ会社の中で、その経営観を活かして中小零細企業向けの新規事業の開発に三年間取り組みました。入社一年前に編集長とサシの面接を受け、その後入社までの間、毎月一冊ずつ、「通信教育」として、感想を書き送り添削されると言う経験をしました。その二年間の経験は今の仕事にそのまま繋がっています。
編集長に記事の企画を立てては手直しを指示され、取材先候補も何度も組み直させられた経験があるが故に、この映画に出てくるクリエイター達の心情が理解できるつもりではいます。編集長から、「編集と言うのは、幕の内弁当を作るようなもんで、素材の良さを切り抜いて組み合わせて、一つのテーマを打ち出すものに仕上げる作業だ」と教わりました。それは、この映画の内容そのものです。そして、編集長の仕事の本質は、素材の本質を切り抜き、多くの残りを捨てることです。アナ・ウィンターが自分の強みを問われて、「決断力」と答える場面にも、深く頷けました。
翻って考えれば、プロのクリエイターのあるべき姿も浮かび上がってきます。アナ・ウィンターが、イメージを実際の映像の形に仕上げる天才と呼ぶグレイス・コディントンと言うクリエイティブ・ディレクターの女性がアナ・ウィンターと同じぐらいの頻度で登場します。彼女の考えがアナ・ウィンターから何度も却下されつつ、最後には、9月号の殆どのページを占める作品群に変化して行く過程の記録として、この映画を見ることもできます。実際、私はその方が、学びが多くなるように思えます。
プロ論としてみるとき、文句なしに面白い映画です。唯一の難点は、妙な日本語タイトルだけです。間違いなくDVDは買いです。