4月19日の公開から半月が経過した水曜日の夕刻過ぎ。名前には板橋と入った商業施設なのに最寄駅は東武練馬駅と言う変わったロケーションの映画館で観て来ました。ここに来るのは2015年に『Mr.マックスマン』を観た時以来だと思います。
都内では渋谷とこの館と立川でしかやっていません。封切時まで遡ってもこの作品のオフィシャルサイトで見る限り、それほど上映館数が多かったようには見えません。都内では既に日比谷と池袋で上映が終了したことが分かります。渋谷では1日1回。この館では午前中と午後6時50分からの2回の上映がされていました。当日、私は飯田橋のアポを終えて渋谷の回を観に行くかこの館の上映を観に来るかの選択肢がありましたが、飯田橋から渋谷は意外に行きにくく、渋谷の館はラブホテル街のほぼど真ん中にあるため駅からの徒歩移動の時間も無視できず、渋谷午後5時10分の回を諦め、東武練馬午後6時50分の回を選んだのでした。
たった83分の短い作品で、この館の系列では地方館で見られる「ハッピー55」の料金で私は1100円でこの映画を観られることとなりました。
シアターに入ると、ポツンとシアター中央付近の席に男性が一人座っていました。このあと数人でも増えるのかと思っていたら、最後までそんなことは起きず、私と同年齢ぐらいの痩せぎすな男性と私の二人しか観客がいない上映でした。半月経ったからこの程度の人入りになってしまったのか、元々プロモーションがほぼゼロに近いような作品なので最初からそうだったのか分かりませんが、いずれにせよ、この状況で上映がその後何日も続くとはあまり思えません。
この映画.comの紹介欄に…
「奈良県南東部の山々に囲まれた静かな集落を舞台に、旅館を営むある家族の姿を描いたドラマ。
周囲を山々に囲まれ、かつては商店や旅館が軒を並べ、登山客などで賑わった奈良県南東部の静かな集落。12歳のイヒカは、この地で代々旅館を営む家に生まれた。父は数年前から別居しており、旅館に嫁いできた母の咲は、義理の父であるシゲと旅館を切り盛りしている。そんなある時、シゲが突然姿を消してしまう。旅館が存続の危機を迎える中、イヒカの家族にある変化が訪れる。」
とある通りの物語です。映画全体を通して所謂「商業作品」と異なり非常に台詞が少なく、説明要素が殆どないので、観客自らが五感を使ってこの物語を探り、感じ、辛うじて理解するという鑑賞です。
私がこの作品を観てみたいと思ったのは、地方の暮らしのリアルを知っておきたいという、どちらかというと仕事に関係する必要性からのことです。
エグゼクティブプロデューサーの河瀬直美は奈良県奈良市出身で、そのウィキにも…
「大阪写真専門学校卒業後、同校の講師を務めながら、8mm作品『につつまれて』(山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞受賞)や『かたつもり』(山形国際ドキュメンタリー映画祭奨励賞受賞)を制作し注目を集める。実父と生き別れ実母とも離別し、母方の祖母の姉に育てられた自らの特殊な境遇から制作された作品の独自性が評価されたものだった。
1996年、大阪写真専門学校を退職し、奈良に個人事務所兼制作プロダクション「有限会社組画」を設立。 」
とある通り、奈良県を舞台にした作品を撮り続け、カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少(27歳)で受賞した『萌の朱雀』や、同じくカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したにて『殯の森』がよく知られている監督です。その彼女がエグゼクティブプロデューサーになって、奈良県川上村を舞台に作られた作品です。
この川上村は奈良県南部にあり、千年以上も前に修行僧たちの厳しい修行場所として知られる吉野大峰山系の入口に位置していると、情報量の多いパンフレットに書かれています。霧の立ち込める深い森に漏れ注ぐ陽光と清流の周囲の空気の湿潤が、画面からも伝わってくるような自然の映像が続きます。
河瀬直美が1997年発表の『萌の朱雀』の構想を練っていた頃、川上村は村全体で苦渋の決断をしダム建設を受け容れ、本体工事が開始されて4、5年が経っていたと書かれています。そのダム工事により村の一部は水没し丹生川上神社の上社もダムの底に沈む前に山の上に移動したのだと言われています。
主人公のイヒカは12歳で小学校6年生の想定のようです。劇中で見て私には中学生のように見えていて、エンディング近くでそれまでの普段着と異なるセーラー服姿で登場する場面がありますが、私はそれを高校生になったのかと思っていましたが、(何がどう違うのかよく分かりませんが、)何か中学生っぽい制服と思っていたら、パンフには劇中のイヒカは12歳でこれから中学生になるという想定だったと書かれていました。そういった手掛りも、かなり注意深く映画の提示する情報を受け止めていてもなかなかきれいに組み合わさらない作品です。
深い森と聞き、「イヒカ」という名前の響きを聞くと北海道で育った私はアイヌ語を連想しますが、これは地元の神様の名前で「井氷鹿」と漢字では書くようです。言葉少なの登場人物の中でもさらに口数が少なく、じっと旅館に出入りする人々や村の人々をそこに居て見つめている12歳の少女の立ち位置をそのまま表しているような名前です。
劇中で見ていて、何となく人間関係からそのようなことかと辛うじて淡く滲み出てくるコンテキストを拾うと、イヒカの(水川あさみ演じる)母はどこか村の外から本来旅館の跡取り息子の下に嫁いできていますが、夫婦はイヒカが生まれた後、夫は旅館の歴史を引き継ぐ重さに耐えられなかったのか旅館の仕事よりも村役場の勤めに打ち込むようになり、旅館を切り盛りする妻とは徐々に疎遠になって行きます。映画のかなり冒頭に近い段階で二人が離婚についてボソボソとこれまた言葉少なに話している場面が登場します。
妻は「旅館も止めてもいいし、咲(妻の名)の好きにしていいよ」という夫の言葉に、「旅館は止めません」と宣言し、老いた義父と旅館に残り存続させる道を選ぶのでした。本来この夫の方が旅館の後継者で離婚したら妻は単なる第三者になってしまうという構図がチラリと語られるだけの中から、この二人の距離感を観客は読み取らねばなりません。義父と咲、イヒカが細い通りを挟んで向かい合って二棟ある料理旅館朝日館に棲み事業を回します。と言っても、イヒカは全く何も手伝うことがなく、まるで座敷童ででもあるかのように、人々の姿を見つめているのです。
こうして永遠にそのまま続いていきそうな古い街並みの中の当たり前の日常の中で、義父が居なくなります。イヒカは義父の元々住んでいた村外れの家を知っており、そこに尋ねて行きます。義父(イヒカの祖父です)は、イヒカを連れて朝日館で作った仕出弁当を林業の伐採現場に届けに行ったりもしていて、そこでは往年彼がその作業で熟練した職人であったことが分かるような会話が為されています。そして彼の家も朝日館とは別にあるのです。これにより、義父も朝日館の入婿であることが分かります。
つまり、家族のうち、元々旅館を継ぐべき夫は家を出て村のどこかに村役場の職員として住んでいて、時々宴会の客の一部になったり、イヒカの送り迎えを来るまでした際に朝日館に立ち寄ったりします。特に妻である咲と全く絶縁状態とか諍いをしているという関係性ではありません。ただ別居して距離を置いているのです。
朝日館に外から来た咲と義父が朝日館を営んでいて、それを見ているだけのイヒカは朝日館で生まれてからずっと育っている人間です。この人間関係の設定に朝日館の不穏な空気を感じざるを得ません。本来元々いる人間が朝日館の営業に携わらず、外から来た人間が朝日館を回しているのです。
不穏は、映画.comの説明にあった通り、義父の蒸発という形で唐突に発生します。人手が足りなくなり、咲は旅館を止める選択肢も逡巡しつつ検討せざるを得なくなっていきます。40ぐらいの年齢設定の咲にとっても、決断の難しい人生の転機の訪れに、迷い悩み、イヒカにも「旅館止めることになるかもしれん」、「イヒカはどないしたい」のような言葉を投げます。しかし、ずっとそこにいるだけだったイヒカにも何をどうすべきか分からず、「私はまだ子供だから分からへん」と答えを出さないのでした。
実はこの村の取材をしに大学生の一団が朝日館に宿泊しており、村のあちこちを撮影したり村の歴史を調べたり能動的に動く様子を、朝日館で咲と義父は嬉しい繁忙の中で、非常にしっかりしたものと認識していて、彼らが出立した日、一団を見送った二人は「行ってもうたな」と拍子抜けしたようになり、「大学生言うて、偉いしっかりした人達やったのう。イヒカも大学生のようになるんか。イヒカはまだまだ子供やからな」といった会話を見送りの脇に佇んでいたイヒカに聞かせていたのでした。イヒカは傍観という程に他人事でもなく、常にそこに居て見つめるだけの特殊な立場を「子供だから、こういうもの」とその段階で良くも悪くも自分で認識したのだと考えられます。
ところが、義父の蒸発と共にイヒカも、村での生活ごと変化が迫られるようになり、そこに自分事として向き合わざるを得なくなるのでした。
パンフにも書かれていず、観客の想像に任せられているのは、義父がどうなったかです。彼の家にイヒカがまず行き、その後、一度咲を連れて行き、さらにその後イヒカが何度も(施錠もされていないので)何度も上がり込んで勝手にラジオを聴きながら寝入ってしまっていたりします。その傍らに義父は現れたりしているのですが、イヒカが起きている間に登場することはありません。
朝日館に宴会が入り二階の広いお座敷で人々が盛り上がっている時、イヒカは通り向かいの別棟の二階で電気も点けない暗がりの中で、その宴会を眺めています。そこに義父もよく一緒に過ごしていたのですが、蒸発後それもなくなりました。ところが、イヒカが勝手に義父の家に出入りを繰り返している日々の中で、またもやぼんやり別棟から宴会を暗がりで眺めるイヒカの脇に義父が現れます。イヒカが「今までどこ行ってたん」と尋ねても義父は夜陰の中で何も答えず、イヒカの脇に座り続けるのでした。
義父の手がなくては閉めざるを得ないと咲が言っていた朝日館は、その後も何とか持ち堪えて宿泊客もぽつぽつ入り、仕出料理の注文も宴会の予約も入って、何とか食べて行ける程度にはなっていることが分かります。
イヒカはまるで座敷童のようでしたが、義父の蒸発で現実の世界の人間に「成長」せざるを得なくなってきました。そして、逆に義父は年老いて自分の家に戻り、最低限何か繁忙の際のみ手伝っているということなのか、本当に失踪して現れなくなり、イヒカの幻想の中にだけ存在するということなのか、よく分かりません。
例えば、猫や象など、自分の寿命の到来を悟ると姿を消すことで知られる動物がいます。まるでこの義父もそのように消え入る運命を前に、何か存在が薄くなってそのままいなくなる、そういった存在に変わったと考えるのが自然であるように思えます。イヒカが座敷童のようであったのから現実の女性に変わらざるを得ないのとは真逆に、奥深い森の霧に隠れた精霊のような存在に移行しつつあるプロセスのように感じられるのです。
村に元々棲んでいるイヒカにとって、生まれた時から見てきた自然や人の棲まない廃屋などは、何の感傷も催さないもので、その歴史を興味深げに聞き出し、残骸となった映画館の写真を熱心に撮影する大学生達を道案内していてもイヒカはずっと不思議そうに彼らを見つめているだけでした。
外から来てイヒカの日常を珍しいものとして堪能して去って行く人々。外から来て老いや死の訪れと共に去らざるを得なくなる人々。そして家々も時と共に人に顧みられなくなり、ダムの底に消えて行く。そんな地方の、今時の限界集落と呼ばれるような場所の人々の生活の姿を丹念に描いた美しい作品です。
勿論、現実から大きく遊離した物語に落ち着かせるほどの単純さはありません。スーパーの車という意味の「スーパーカー」で村人が笑顔で買い物をする姿も描かれます。義父の家をイヒカの案内で訪ねる道すがら、ずっと忙しく朝日館の仕事に没頭してきた咲はイヒカと殆ど初めてといったぐらいで、雑談ができました。
「イヒカは将来何になりたい?」
「ITエンジニア…」
「何なんそれ。おかあさん、旅館の仕事ばっかりしてきたから分からんわ」
「どこかで聞いた。よく分からん」
親も子供扱いしていた娘の進路希望を知らず、娘も子供のままよく考えることもなく、何か分からない仕事を村を出てしなくてはならないことを予感している。それが二人にとって初めて自覚される瞬間でした。
実際に川上村も存在するだけではなく、朝日館も存在し、そこには女将が居て、その息子さんが他の料亭で修業をして後継者として戻ってきているとパンフに書かれています。各種の子育てサポートプログラムの結果、流入人口は増加し、過疎から脱する取り組みがさらに進められているとも書かれています。それでも、高校は村にはなく、高校に行く段階で村を出る経験を誰もがし、高校卒業と共に村に戻らなくなる若者も多いとのことです。
地域に根付く人々。根付くために移り住んで、最後には去る人々。その中で移ろいゆく集落と自然の風景、そして主人公の少女のゆっくりとした、しかし、確実に迫られている成長。それが83分の短い尺の中で、コンセプトがきちんと固まった美しい画集のように展開する作品です。
パンフがなくては理解が追い付かない部分が多いので、DVD単体で観てもこの作品の価値を思い起こせるか、やや疑問ではありますが、DVDは買いです。
追記:
水川あさみを紹介文で見ると、『沈黙の艦隊』が映画出演の代表作として書かれています。誰だったろうと思い出したら、たつなみの副長でした。「ああ、そうだったか」と調べて分かる感じで、ウィキで出演した映画作品一覧を見ても、観ていない作品が多く記憶に残っている作品が殆どありません。ギリギリDVDで観た『太陽の坐る場所』ぐらいかもしれません。
他にどこかで観たかなと思いながら、ぼんやりテレビを付けたらデリカミニのCMで車を乗り回す彼女がいきなり現れました。