『コットンテール』

 3月1日の封切からほぼまる1ヶ月。3月も終わりかけた水曜日の午後6時45分の回を室町の映画館で観てきました。室町の映画館は新宿から行く際には神田まで中央線の快速で行って、後は歩くというのが定番の移動ルートですが、今回は小田急線で祖師ヶ谷大蔵からの移動だったので、千代田線と銀座線を乗り継いで映画館最寄の三越前で降りました。

 この映画館に来るのは多分2020年夏に観た『ランボー ラスト・ブラッド』以来ではないかと思われます。ロビーに上映時間40分前ぐらいに着くと大分混んでいました。封切からかなり時間が経って、『風よ あらしよ 劇場版』の感想に…

「この映画をやはり劇場で観てみたいと思った理由は、他の映画鑑賞候補が1月から2月にかけての枯渇状態から漸く抜け出て『マダム・ウェブ』、『ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突』、『フィリピンパブ嬢の社会学』、『コットンテール』、『映画 マイホームヒーロー』などと増えてきた中で、映画そのものの私にとっての魅力では、やはりこの作品が一番だったことにあります。」

と書いた通り、観てみたい映画が大分増えて来て、まだ上映はもつだろうと思っていたら、あっという間に上映回数・上映館数がどんどん減ってくる状態が現出し、『マダム・ウェブ』、『ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突』と観てみて、まだ何とかなるかと思っていた『コットンテール』も、新宿のピカデリーで『ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突』を観た際に券売機の画面で見ると、共に「LAST」と書かれていて、その週の木曜日で終わりということになっていました。

 この水曜日の段階では上映終了日の1日前の状態で新宿ピカデリーでもまだギリギリ観ることができたのですが、上映が午前中早めだったので、思い直して他館を探し、23区でも数館しか上映館がない状態の中で、唯一夕方以降の時間に上映しているこの映画館に来ることとしたのでした。

 ここでも1日1回しか上映していませんが、パンフレットを購入した際に、(ネット上ではその情報が見つからなかったため)スタッフにこの作品の上映が終わってしまうのはいつかと尋ねたら、「現時点では決まっていませんが、上映回数も減ってきておりますので、あと、1、2週間ぐらいかと…」との返事でした。少なくとも新宿ピカデリーよりは長持ちするのかと思いきや、金曜日になってネットでチェックしてみると、23区内では恵比寿しか上映館はなくなっており、以前のゴジラの生首ビルの映画館で『カラオケ行こ!』のパンフについて虚偽情報を教えられたとき同様に、スタッフの言動はここでもまたアテにならないことが判明しました。

 先述のリストからすると、当面残った映画には、『コットンテール』、『映画 マイホームヒーロー』の二つがあり、どちらを観ようかと考えあぐねました。両者ともに木村多江が出演しています。前者は木村多江が死んだ妻、後者は木村多江が生きている妻で夫婦で死体処理をする物語です。色々考えて、後者の方はまだ上映館・上映回数が多少は残っているので、観ようと思えばまだ時間があることや、まあDVDで観ても良いぐらいの作品であろうということ、おまけに、原作のコミックやテレビドラマのシリーズの話をフォローしていないので、(それでも十分面白いとネットや『王様のブランチ』では言われていますが)今一つ動機が弱くなりました。

 死んだ妻の木村多江を観ることにしました。私は最近少々木村多江にハマっています。元々木村多江の存在に気づき、顔と名前が一致するようになったのは、『ゼロの焦点』です。この作品はここ最近泥沼不倫でセックス依存症患者のように言われている広末涼子を堪能するために観に行きました。広末涼子の見つめると吸い込まれるような大きな瞳は大画面で見ると破壊的な迫力でしたが、戦後の混乱期にパンパンをしていた女性仲間に秘密を守るために殺されてしまう女性の役を木村多江が演じています。この映画のキービジュアルでも広末涼子、中谷美紀に並んで木村多江が登場しています。広末涼子、中谷美紀は既に顔と名前が十分一致する状態でしたが、この女優は誰だろうと木村多江について関心が湧くほどに、(多分三人の中で一番の)安定・安心の演技でした。ウィキで調べてみて、「なるほど舞台役者を長年やって貧乏生活も体験している経歴か。職人だな…」などと思った記憶があります。

 最近でも再び『風よ あらしよ 劇場版』の感想に出演している訳でもない木村多江について吉高由里子との比較で以下のように書き連ねています。

「吉高由里子は「2010年、CNNの「まだ世界的に名前は売れていないが、演技力のある日本の俳優7人」の一人に選ばれた」とウィキに書かれていますが、同じく選出された中に『ユリゴコロ』で吉高由里子の美紗子の後の殺人鬼の姿を演じた木村多江がいます。

映画やドラマをごっちゃに並べてみると、『ゼロの焦点』の薄幸系、『マイホームヒーロー』シリーズ、『ラストマン-全盲の捜査官-』、『一度死んでみた』のコメディエンヌ系、まだ観ていない『コットンテール』の真面目系、『ブラックリベンジ』の狂気思い詰め系など、多様に演じ分けられているように思えます。ウィキには「演じた役柄から「薄幸女性がよく似合う」「日本一不幸役が板につく女優」などと称され」と書かれていますが、流石フリーの長い舞台俳優経験がモノを言っている、幅広いバリエーションだと私には思えます。このような木村多江と比較するとき、吉高由里子は何の役を演じても私には吉高由里子に見えるのです。

吉高由里子のせいではなく、脚本や諸々の要因のせいとは思いますが、私から見ると評価の低い作品にいくつか出演していることも原因かもしれません。特に物語的に共感できなかった『ロボジー』や『わたし、定時で帰ります。』、『ヒミズ』の不発感は大きいように思えます」

 上に列記した作品以外にも、ここ最近ではとびとびに観てまあまあ楽しめた『どうする家康』で史実上も謎の多い古参家臣の石川数正の妻の鍋(変ですがこれが名前です。)を演じていますが、松重豊演じる石川数正との言葉少なな中でも夫婦円満な関係性が滲み出る名演です。しかし、改めてウィキで彼女の膨大な数の出演作を眺望すると、私にはやはり『ユリゴコロ』の彼女が最高です。感想にはこう書いています。

「設定上、謎とされている、「ユリゴコロ」と題されたノートの書き手の殺人鬼が誰なのかも、早々に分かりますし、さらに、木村多江が登場した瞬間に、そのやたらに深い暗さを秘めた瞳を見るだけで、ノートの書き手の現在が分かってしまいます。私は推理小説を読む趣味は若い頃に途絶えてしまって久しいですが、小説以上に多分映画の方が結末がすぐに透けて見えてしまっているのであろうとは思います。それでも、これらの役者が作り出す人物たちがもがき足掻く様子から目が離せなくなるのです。」

 一般に『ユリゴコロ』について語る時、若手の吉高由里子、松坂桃李、松山ケンイチが話題に上がりますが、私にはこの三人と並んで木村多江の名演が評価されるべきであるように思えます。

 木村多江の死んだ妻は既に『一度死んでみた』で堪能していますが、あの作品はコメディ全開でした。あの世から夫と娘にエールを送る妻であり母です。今回は死んだ妻のシリアスな物語バージョンを観てみたいと思ったのが、実はこの作品を観たい映画のリストに加えた最大の理由です。

 シアターに入ってみると、かなり観客が居ました。券売機のモニターで見た販売済みの席の数より大分増えているように思えます。概ね50人ぐらいかと思われます。暗くなってからも次々と観客が入ってくる状況でした。(それでも200人余りの規模なので、稼働率は低いです。)

「TOHOウェンズデイ」なる割引サービスが適用になり、誰でも1,300円であるのが動員を増やしていることは尤もらしいですが、性別で見ると女性客の方が圧倒的多数派で、全体の7割程度はいたように思えます。シアターが明るいうちに既に着席していた観客はほぼ全部単独客でしたが、暗くなってから入ってくる観客の殆どは二人連れで女性同士の二人連れが3組、高齢の男女二人連れが1組といった状態でした。

 これまた圧倒的多数派の単独客の年齢構成比もかなり偏っており、男性の方は20代から30代の2、3人を除き、60代後半に中心値がありそうな高齢者ばかりでした。それに対して女性の方は二極分化していて、半分よりやや多めが20代から30代、残りが50代から60代といった感じに見えました。

 私はこの作品の物語構成をトレーラーを何度か見て概ね知っていましたが、木村多江がリリー・フランキーと『ぐるりのこと』で同様に夫婦を演じていることも(『ぐるりのこと』が140分の映画でDVDで見ようと思ってそのままになっているので、どの程度名作なのかもよく分かりませんがかなり評価が高い作品であるとは知っています。)、タイトルの「コットンテール」が何を意味するのかも分かっていませんでした。ただただ木村多江演じる亡き妻の遺言によりイギリスの片田舎の湖に散骨に行く老いた夫の物語という風な理解です。

 観てみると、映画の中に回想として登場するリリー・フランキーと木村多江の若き日の姿やどんどん恋に落ちていくやり取り、そして老いてからの生活と、認知症を発症した妻の将来に対する恐怖、為す術もないまま只管そばにいることを選ぶ夫、そして訪れる末期の認知症の状況で人間生活を送ることが難しくなる妻と介護に疲弊して行く夫の壮絶な毎日。この流れだけで観る価値があるものと思えました。

 老いて何もかもがよく分からなくなってしまい、食べ物を投げ散らかし、そこら中で糞尿を垂れ流すような老人と介護で摩耗しきっていく家族という図は比較的最近もどこかで観たように感じました。『ロスト・ケア』です。柄本明演じる老父のボケ様は凄まじく、私は感想に以下のように書いています。

「本作で『人間の約束』のように観る者の心に食い込んで来るシーンがあるのは、松山ケンイチ演じる犯人と柄本明演じる老父の、地獄のような生活です。特に柄本明の記憶も意識もぐちゃぐちゃに崩れていく様子は壮絶で、それにすり減らされて行くどころか、破壊されて行く松山ケンイチの姿が目に焼き付けられます。そして、嘱託殺人の選択へと突き進んでいくのです。この苦渋の選択だけが、この作品の「生身」の訴えが存在する場面です」

 それほど高齢にもなっていないのに、認知症がどんどん悪化し、言葉も解することができなくなり、夜に家からふらりと出かけて夜の木立の中で呆然と佇んでいる際にも大変でしたが、その後、寝ていておむつを取ってしまい、そのまま大便をして、気づいたリリー・フランキーが風呂場に連れ入って洗おうとすると、嫌がって暴れ、泣き叫んだりします。英語教師をしつつ作家デビューを夢見る夫の作品が賞に漏れても健気に応援し続ける妻の仲睦まじい様子から柄本明の老父並みの地獄の状況への変化を、フラッシュバックのように徐々に描いて行っても、それらが自然につながって見えるのは、木村多江の確かな演技力によるところが大きいように思えてなりません。

 また、この夫婦の若き日の様子は別の俳優(工藤孝生・恒松祐里)が演じていますが、この若い日の二人の様子がそのまま中年以降の木村多江とリリー・フランキーの夫婦の仲睦まじい様子に地続きに見え、そしてそれが介護の地獄絵図へとつながる様子は、脚本と関与している役者4人の名演によるものでしょう。非常に見ごたえがあります。

 この映画はリリー・フランキー演じる父と錦戸亮演じるその息子、さらにその妻と幼い娘達家族が、母亡きあとどのように家族関係を再構築するかを描いた物語で、そのプロセスが、イギリスの湖畔への旅路の中で描かれるというロード・ムービー的な構図であるとネットの映画紹介には書かれています。確かにそのようになっていますが、どうも家族関係の再構築という部分に説得力が乏しいように感じられます。

 それはリリー・フランキー演じる老父が錦戸亮演じる息子やその家族に対して、やたらに、そして徒に、というよりも寧ろ無意味に、冷淡で気難しく、自分勝手で横柄であるからのように思えます。息子夫婦もそれに呆れて一旦は「じゃあ、勝手にすれば」とイギリスの旅路で父を見放しますが、その前後でも常に息子は拗ねて面倒なガキ以下のような父に対して、「父さん、母さんは以前…と言っていたよ」などとコミュニケーションの機会を作ろうとずっと、或る面阿るように接し続けます。妻もどうもバリキャリ的なライフスタイルのようで、その仕事の都合を何とかつけてイギリス旅行に来ているのに、夫の自分の義父を立てる姿勢に従って、(一度、子供を抱いて食事の席から離れ、義父との会話を拒絶する場面がありますが)義父に対して抗弁したりする訳でもなく以上なぐらいに従順です。

 映画を観ていると、両親夫婦と息子夫婦の、木村多江演じる妻(/母)が辛うじて繋ぎ留めていた隔絶や乖離が如何にして生じたのかもなぜそれが嵩じてしまったのかも、分からないままに、徒に偏屈な態度をとるリリー・フランキーと妙に寛容で従順な錦戸亮が目立って、目障りなのです。劇中に登場するウィンダミア湖畔はピーター・ラビットの発祥地らしく、妻は子供の頃、この湖畔で過ごしたことがあり、いつか家族でも訪れたいと思っていながら、それが実現することなく逝去してしまいました。

 劇中でピーター・ラビットの英語の絵本を彼女の遺品の中から息子の妻が幼い娘に読み聞かせする短いシーンがありますが、そこに登場するウサギの仲間の一匹の名前がコットンテールで、実際コットンテールには小型の兎という意味もあるようなことがパンフにも書かれています。妻はその思い出と共に、銀の兎がついたネックレスを大切にしており、そのネックレスは彼女の死後、湖畔でともに散骨をして和解した父子の会話の中で、息子の嫁に渡されることとなりました。

 パンフには(大河ドラマ『どうする家康』でも再三「兎は強うございます」と繰り返されるほどに、多産であって、どんどん新たな命が生まれるからだと思われますが)兎が再生の象徴であると述べられています。その兎が妻から息子の嫁に引き継がれて行き、最後は湖畔で息子の嫁が見つけた野兎を家族で追いかけるシーンで終わる。この映画は兎を軸として、家族の再生の物語を描いたということのようです。しかし、その部分に関しては先述のようにどうも背景描写も乏しくこじつけた様な関係性が描かれる所からの再生らしきもので、今一つ心動かされるものにはなっていなかったように思えます。

 寧ろ、私の期待通り、主に木村多江の好演による両親夫婦の眩しいような関係性の始まりと終焉の方がこの映画の私にとっての価値を作っており、そちらに比重を移してもらった方が、より良い作品になったのではないかと思えます。それでもDVDは木村多江の好演ゆえに買いとならざるを得ないでしょう。

 木村多江以外の役者陣は、膨大な数の作品に出演しているリリー・フランキーは、どれに出ても彼そのもののようで、私の中で特に印象に残っているのは、数少ない狂気の役を演じた『凶悪』と欧米人の偏見を論破した隠れた知識人を演じた『ジャッジ!』ぐらいで、あとはトレーラーで観て彼の発言の重さが際立っている『アンダーカレント』をDVDで観ようかと思っているぐらいな感じです。しかし、それでも彼の演じる役のふり幅は小さく、私にとっての彼は寧ろ『週刊SPA!』の『グラビアン魂』の方が強い印象があります。

 錦戸亮は特にジャニーズに好意的でもないのであまり関心がないままに最近までいましたが、新木優子見たさに見た『トレース~科捜研の男~』の男で顔と名前が一致するようになり、ネット上で大きな話題となったドラマ『不適切にもほどがある!』では往年のディスコ・キングよろしくキレキレのダンスで笑わせてくれていました。それぐらいしか記憶に残っていず、基本は『トレース…』の人としてしか認識できていません。

 息子の妻を演じた高梨臨は、ネットでも検索窓に「高梨臨 似ている」とすぐ出るように、誰かに似ていると思っていましたが、大変失礼ながら、髪形・顔つきなどで似ている女性がかなりいるように感じます。(NGほぼナシでそこそこ有名なAV女優で高梨りのという人物もいますが、名前が平仮名表記でもローマ字表記でも1文字違いでしかなくカラダ全体のシルエットまで似た感じのイメージです。)その検索窓を見ただけで、検証もしない中、映画を観てみて、「ん。確かに違う女優なのだろうが、新木優子見たさに見たドラマの『単身花日』の不倫を疑う妻や、『ラストマン…』のやたら策謀を巡らせる料理系インフルエンサーの犯人とか、クライアントが観ろというから観てみた『VIVANT』で獄中死した主人公の母みたいな感じだな…」などと思っていたら、全部彼女でした。おまけにTVerのトップページを眺めると、やたらに物騒なタイトルの『夫を社会的に抹殺する5つの方法』のサムネイルにも顔がバーンと出ています。(特に関心が湧かないので観ていませんが…)

 錦戸亮と高梨臨も好演していたのは間違いないように思うのですが、先述の様なこの物語の家族関係の設定の不自然さ故に何かパッとしなかったように思えてなりません。

 木村多江の私にとっての代表作がまた一つ増えたのが最大の収穫と、このコラムのタイトルにも含まれている「兎」は私が卯年生まれ故ですが、その「兎」に「再生」の象徴の意味合いがあることの発見が予期せぬちょっとした収穫となったので良かったです。

追記:
 一つこの映画の評価を大幅に下げる些末な事実があります。若き日に英語教師を糊口を凌ぐためにしている夫が知り合ったばかりの妻に、rabbitの発音を教える場面があります。「r」の発音が日本人には難しいので入念に説明するのですが、「舌を奥の方で上につけて…」などと説明しています。全くの間違いです。「r」は舌を口蓋に付けず、寧ろ唇を窄めた状態から勢いよく引くことで作る音です。さらに「rabbit」のアクセントのある特徴的なアとエの中間音については全く言及していません。
 脚本上の決定的なミスだと思われますが、名シーンと意図されている最後の家族で兎を追い回す場面でも、誤ったおかしな発音を執拗に聞かされてげんなり来ました。

追記2:
 上の「rabbit」を教えているシーンは、「兎って英語では何ていうの?」的な所から会話がスタートします。義務教育で「rabbit」を習わない訳はないのですから、英語教師の立場なら「野兎で大型なのはhareというのもあるし、そのネックレスの兎だとどっちかなぁ」的な回答をすべきなのではなかったかと思えます。(考えてみると、「ピーター・ラビット」も結構大型に見えます。何かの動物分類上「hare」ではなく「rabbit」なのかもしれませんが、動物学に詳しい訳でもなく動物に関する英語の語彙も限られている私には、「crocodile」と「alligator」とか、「dolphin」と「porpoise」の違い同様によく分かりません。)いずれにせよ、「兎」の英語を尋ねられて、誰もが知っているような答えを訳知り顔で告げ、その上で誤った発音指導をする…。糊口を凌ぐための商売とは言え、こんな英語教師に英語を習う学生が不憫でなりません。

追記3:
 後日、TVerですこぶる好評との『アリバイ崩し承りますスペシャル』を浜辺美波見たさに観てみたら、中盤から高梨臨がまたぞろ登場しました。「もしや…」と思って見ていたら、ここでもまた複雑な策謀を巡らせる犯人でした。時系列的には『単身花日』で認識してから、ほぼ確実に高梨臨を認識できるようになりましたが、『単身花日』でも突如夫の会社の調査を始めたりしつつ、自分も若い職場の後輩とアバンチュールを楽しむ様子のダーク感がありますし、獄中死した『VIVANT』でも彼女の死の間際の呪いとも言える願いを果たすために、そのすべての物語が発生したと言える存在ですし、先述の通り『ラストマン…』でも狂気掛かった犯人でした。私が彼女を知る唯一の映画作品『コットンテール』を除くと彼女の配役の位置づけに共通点が見出せます。道理でダークな面がほぼ全くない役割の本作『コットンテール』の彼女を登場する尺の長さにもかかわらずすぐ認識できなかった訳です。

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