長いこと渋谷の駅から遠いミニシアターで上演していて、見に行くのを億劫に感じていたのですが、ふと気付くと、東中野の私の好きな映画館に来ていたので、早速見に行くこととしました。
ネット上の映画のストーリー紹介では、
「阿佐ヶ谷で同棲生活を送る漫画家の安部愼一と恋人の美代子。彼女をモデルにして『ガロ』に発表した『美代子阿佐ヶ谷気分』が代表作に。だが、創作に行き詰まった安部は精神のバランスを崩していく」のような話になっています。
さらに突っ込んだストーリー紹介には、
「安部が美代子の友人とセックスをしてしまい、そこから今度は(美代子と共通の)友人を連れてきて、その男と美代子にセックスをさせて見ようとする」などともありました。
スワッピングがどれほどの認知度だったか分からない1970年代の日本で、どんな展開になるのだろうかと思っていたら、友人に美代子とセックスをさせる件は、全然中心的なイベントではなくなってしまっているほどに、濃厚な恋愛劇でした。なんと言っても、美代子の「安部が好きで好きでたまらない」様子が、別にキャピキャピするようなシーンは一つもないのに、セリフや仕草のはしはしに滲み出ています。
安部は美代子を勿論好きなのですが、愛しているとはっきりした自覚を持てずに、美代子をマンガのモチーフにし続けることで彼の美代子への(愛情に似た)執着や憧憬を体現し続けます。安部は漫画家なのに絵が下手で、美代子の絵を書くために、マンガのカットと同じポーズを美代子にさせて、それを写真に撮り、そこからデッサンを起こすと言う作業を、命を削るが如くに反復します。
1970年代の日常が綺麗に再現されている劇中で、安アパートの一室で、一人の男性が好きで好きでたまらなくなった女性と、その愛の大きさに戸惑って自分の気持ちに確信が持てない男のやり取りと言う構図は、私の好きな山本直樹の漫画『あさってDANCE』の実写かと見紛うほどでした。
好きあって、同棲を始めて、セックスを繰り返し、互いが大切になってくると同時に、互いが居る部屋の空間が当り前になってしまうと、その先に何をすれば良いのか、何が互いを愛していることであるのか不安になってくるということは、男にはよくあるように思います。
ここまでは、まあ想定どおりだったのですが、私は安部が自分の愛情の検証のために、美代子の友人とセックスをしてみて、さらに美代子が友人の男とセックスをするところを見ようとしたのかと想像していました。自分が好きだと感じる女性とセックスして感じる快感の絶対性を確認しようと思えば、理屈上、他の女性とセックスして比較するしかありません。相手の女性が自分以外の男でも同様に感じ、達するのかを見れば自分への愛を検証できるように、理屈上は思えてしまう。そんな安部の衝動の結果かと思っていました。
しかし、安部は漫画家として著名になって行き、それが背景にあって美代子の友人が言い寄ってきたのが、安部と美代子の友人とのセックスの理由のようです。安部はその女性真知子とのセックスに耽っていきますが、一方で美代子に対する罪悪感を募らせて行きます。そして、自分との共通の友人で小説家志望の川本を美代子が憎からず思い、安部のことを相談しに行っていることを知り、罪悪感を相殺するために、川本と美代子を自分の眼前でセックスさせるのでした。このプロセスの辺りから、安部は精神異常を悪化させ、阿佐ヶ谷から逃げるように故郷の福岡に移り、美代子と結婚します。
美代子は、純粋に安部と二人の生活、安部と二人の時間と空間を求めて続けてきて、終にそれを獲得した結果、セックスもどんどん快感として感じるようになり、劇中、部屋の中では殆ど全裸の状態で居ます。近隣の人々との接触もない中で、二人の生活が安部を押しつぶし、安部は病状を和らげる薬のせいもあって衰弱し、寝込みがちになります。美代子はそんな安部をも求め続け、弱った男とのセックスが余計に快感につながると自覚するにまで至ります。
雑然とした阿佐ヶ谷の狭苦しい部屋から、福岡の海のある生活風景、そして東京に舞い戻って子供が走り回る傍らに、割烹着の主婦然とした美代子と狂気の極みに達する安部。それでも安部は、以前のように、変わらず美代子の写真を撮り続け、それをデッサンして傑作と名高い一連の作品をつむぎだしてゆくのでした。
二人の愛の形は、最初から最後まで変わっていません。美代子は安部がいない暗い部屋で、安部を案じることもなくなり、安部と純粋に一緒に居ることを成就します。方や、その愛の重さと創作のプレッシャーゆえに、安部は自分にできるたった一つの愛情表現を反復強化してゆくと言う対照が、美しい画像の中で、言葉すくなに、強烈に描かれていく名作です。あまりに気に入ってしまって、パンフレットと原作マンガとTシャツを一気に大人買いしてしまいました。DVDが出たら、勿論買います。
DVDが出るまでは、マンガの原作そのままに映画でも構成されて、愛らしいことこの上なしの、
「阿佐ヶ谷の彼の部屋で、あたし平和よ…」
「さて、今朝のおかずは…リンゴにするか。彼居ないときってみんな面倒。第一みみっちいのよ、お米研ぐのって」
「日の暮れるの早いなあ。彼どこ行ったのかな…。またぶらぶらっとかな…」
などの美代子の名セリフを、マンガで読み返して過ごすことにします。