『ターミネーター4』

久々の新宿のバルト9の12時過ぎの回で、封切初日(正確には、12時を過ぎているので翌日です)に見てきました。終電過ぎの回であるにもかかわらず、話題作の初日(先行上映は前週末にあったようですが)と言うことで、この時間帯のバルト9では見たこともないような入りでした。

「面白い」と聞かされることの多い、テレビシリーズ『ターミネーター:サラ・コナー クロニクルズ』は、(海外テレビシリーズの群像ものは、どれも面倒で)全く見ていないので、「そこにストーリーが繋がる面白さがある」と聞かされても、「『T3』は、なかったことにされている」と聞かされても、あんまり気にすることなく、見に行ってきました。

映画館の中では、「T?800は、『T1』ではカシャンカシャンって感じで軽く階段を昇るのに、『T4』では階段がへしゃげるほどの重量感があるのが変だ」、「『T1』では、カイルは機械に見つからないよう夜に行動すべきだと言っているのに、『T4』では、機械に見つからないよう夜は避けるべきだといっている。同じ人間のセリフなのだから変だ」(この点、自分で確認していないのでよく分りません)など、カルトQかテレビチャンピオンのネタにでもすべきであるような会話が、そこここでされていました。

それを言えば、既に、タイムパラドクスとしてどうかと言う話はある訳で、この手のネタを語るほどの情熱を私はターミネーターのシリーズに持つことができません。その意味では、少なくとも、タイムスリップがなくなった分、シリーズ中において初めて、純粋に人間対それ以外の戦いの有様を描く映画として鑑賞できるようになったのが、どちらかといえば好感がもてるポイントでした。SF色としては、『スターシップ・トゥルーパーズ』のような感じで見ることができたと思います。ただ、その割には、本シリーズの持ち味のはずだった機械軍の非人間的な強烈な執拗さが、あまり描かれていなくて残念でもあります。

『T1』を上京したての20歳の時に見て、逃げても逃げても追いかけてくる執拗さ、倒しても倒しても起き上がってくる不気味さ、さらに、目的達成に向かっての容赦のなさが、強烈に印象的で、それが『T2』や『T3』でもきっちり受け継がれているのが好きでしたが、『T4』では、そのような場面はあまり見当たりません。

それに対して、人間の方が、思い立ったが命がけと言った、目的達成のためには手段を選ばず、執拗に、愚直に当初目的の達成に駆り立てられているようです。ジョン・コナーが世界中に散在する抵抗軍に向かって「司令部は、マシーンのように冷徹に闘えという。我々は人間だ。マシーンと同じなら勝利に何の意味がある」などと呼びかけて、司令部の命令に従わないよう呼びかける場面がありますが、ターミネーターシリーズの伝統に従えば、マシーンのように闘っているのは、ジョン・コナーであるように見えます。

スカイネットが試行錯誤をして、T?800の量産に漕ぎ着ける過程が見られると言う話で、現実に、(監督が嵌っているというドゥカティの見せびらかし以外何の役に立つのかよく分らない、劇中良いとこなしのバイク型のターミネーターなど、)各種のスカイネット側の機械が登場します。また、シグナルを偽装し、マーカスを開発して送り込むなどの、かなり周到な戦略を練って、抵抗軍の司令部の壊滅や、ジョン・コナーのおびき出しに成功しています。その過程を想像すると、なかなか「機械的」判断とは括れないような、ファジーな判断を含む意思決定や、さらに試行錯誤からの学習を、スカイネットは経ています。さらに、自分がスカイネット側の回し者だったことを自覚したマーカスに向かってわざわざ種明かしをして、「勝つのは私たちだ」のような勝利宣言までしたがるウェットさです。

ここまで人間的で、且つ理性的なスカイネットが、世界をほぼ掌握し、日々学習を繰り返している訳です。一方、いい年になって困るとテープレコーダーに吹き込まれた死んだ母親の声を聞きに部屋に篭るようなマザコンの癖に、「司令部に行く」と言い出したら、あとさき考えず荒れ狂う海に飛び込んでしまう瞬間湯沸し機型のリーダーが率いる残党の集団。例えば、『七人の侍』とかを想定して、どちらがやられるべき役割かといえば、明白に思えてなりません。

そういう感覚で見てしまうからか、特撮もアクションも、それなりのレベルに勿論到達しているのですが、どうも、過剰な体育会系的臭さが気になって仕方がありません。現状、シリーズでDVDを持っているのは、先述の衝撃ゆえに『T1』だけで、もし、入手するなら、次はオロオロする人間が多い『T3』かもという程度です。

私にとってのその面白さを超えないので、本作のDVDは要らないです。
原題 Terminator Salvation の意味を考える気さえあまり湧きません。