『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』

1月2日の封切です。封切から1週間を待たない3連休のど真ん中の日曜日の午後4時30分の回を観て来ました。1日2回の上映のうちの2回目です。全国でも北海道内4都市4ヶ所と今回私が行った東京・東中野のミニシアターでしか上映されていません。ローカルネタを扱った非常にマイナーな映画と言ってよいものと思いますが、劇場に着くと、地下のカウンター前にロビーさえまともにないこの劇場に、階段から地上に至るまで人が並び、大混雑でした。

到着したのは上映開始40分前で、その混雑状況でしたが、上映時間が迫るに連れて、人混みがどんどん嵩じるような状況でした。最終的にシアターに入るとネットでは96席あると書かれているシアターはほぼ満席でした。観客は男女構成比で見るとやや男性が多いぐらいかでほぼ半々と言っても良いぐらいに見えました。男女共に年齢構成は若い人が極端に少なく、概ね30代後半ぐらいから始まって、40代ぐらいがやや多い層を作り、それ以外がそれ以上の年齢に分散しているようなミックスだったと思います。

ステージに向かって左側の「島」のど真ん中辺りに居た私が中心の大きな「島」をメインにザックリ見渡すと、関東でも外気温が10度行かないこの時期に、皆ダウンなどを着込んだまま着膨れて席に着き、そのままの恰好で早く上映が始まらないかと期待しつつ、新根室プロレスの話題をワイワイガヤガヤと話し合うという、一般的な映画館の観客の鑑賞態度とはかなり異質の雰囲気でした。

(極端な比較ですが、例えばMCUのヒーロー作品を鑑賞しに来ているシアターを埋め尽くす観客の殆どが思い思いに『アイアンマン』だの『スパイダーマン』だのの話題をワイワイガヤガヤ話して盛り上がり、上映開始を今か今かと待っている…などという状況は全く想像できません。所謂「絶叫応援上映」などであれば、開始から盛り上がってナンボと言うようなことはあるかもしれませんが、それでも開始前からワイガヤしているほどになるのか否か、「絶叫応援」系の上映に私が行ったことがないので分かりません。)

この映画は根室を拠点にして15年ほど活動を続けてきたアマチュア・レスリング団体(とは言っても、団体名は「新根室プロレス」ですが)の軌跡を描いたドキュメンタリーです。映画.comの作品紹介には以下のように書かれています。

「2006年に北海道・根室市内でおもちゃ屋を営むサムソン宮本を中心に結成されたアマチュアプロレス団体新根室プロレス。身長3メートルを超える巨大レスラー、アンドレザ・ジャイアントパンダをはじめ、元テレビマンや銀行員などさまざまな横顔を持つレスラーたちが活躍していたが、19年9月、難病・平滑筋肉腫と診断されたサムソン宮本は同年12月31日をもって新根室プロレスを解散することを発表。19年10月に東京・新木場で開催された引退興行でサムソンは満員の観客が見守る中、『必ずこのリングに帰ってきます』と約束する。しかし翌20年9月、サムソンは55歳で他界。サムソンの死から3年、活動を休止していた新根室プロレスのメンバーは再び東京・新木場のリングに姿を現す。」

この文章を見ると、(概要を上手く綺麗に纏めたという意味では非常に優れていますが…)創設者サムソン宮本のベンチャー起業物語のような栄枯盛衰的な物語を想像してしまいます。そう言った切り口があるのは否めませんが、色々な意味で劇中でも描かれるこの団体の現実とは異なります。「異なる」というよりも「もっとある」というべきでしょう。

紹介文から食み出してしまった要素の最大のものは、この団体が根室と言う総人口たった20000人余りの市で生活する人々の中でも、さらに生き辛さを抱えていたり、遣り甲斐や称賛から縁遠く生きている人々がこの団体を形成しているということだと思われます。劇中でも主要メンバー達が興業のことを「大人の文化祭」と呼び、高校とかの学生時代に全然いい思い出やイケている想いをしたことがない人間ばかりが集まっていると語っています。だからこそ、今、サムソン宮本が与えてくれたこの場で自分達が楽しいことややりたいことを一所懸命追求するのだと。

この団体は元々1997年に「根室プロレス同好会」という団体として発足しました。それはどちらかというと、参加者が好きなプロレスについて語り合う文科系サークルのようだったと言います。その「根室プロレス同好会」が2005年に解散し、翌年には現在の「新根室プロレス」が発足します。このきっかけは参加者でお金を出し合って価格70万円、輸送費20万円のリングを購入したことです。これにより、皆がリングに集い、実際にプロレスをするという体育会系サークルに活動が本質的変化を遂げたと参加者はパンフのインタビューで述懐しています。

スタート時の参加者はサムソン宮本が地元のおもちゃ屋の主人であるように、昼間は会社員や派遣社員、漁師や酪農家として働き、夜な夜な集まっては練習をし、地元の神社祭などの場で無料の興業を行なうようになったのです。キャッチフレーズは「無理しない、ケガしない、明日も仕事」で、オモテの社会生活の方にあくまでも本分があり、本人達が楽しく、観る人を楽しませることが大事で、プロレスの技を追求したり、不必要にトレーニングしたりということが二の次、三の次に位置づけられているのです。

しかし、大人の部活のような活動とは言え、どこかに強い求心力が無くては維持できるものではありません。たとえば、リングを買う際にも、1人10万円ずつ払って、サムソン宮本だけ輸送費を20万円まるまる負担したと一応言われていました。サムソン宮本はリーダーとして、人に指示したり取り仕切ったりするのではなく、自らがどんどん一人でもやるという姿勢でことを進めるのを周囲で他のメンバーが競って手伝うような形で組織が動いてきたことが劇中でも主要メンバー達によって語られています。さらにパンフの中のインタビューの場になってから初めて、10万円でさえ、サムソン宮本が「これは俺だけが知っていればいいから。みんなには言わなくてよいから」と、10万円に満たない金額で無理なく出せる金額を支払っただけというメンバーが複数存在することが判明しています。

つまり、サムソン宮本は、プロレスが好きで仲間になりたいという人々をどんどん包摂しながら活動を続けるために、自らの貢献を無限に広げて行くようなイメージだったのだろうと思われます。現実にその無理は現れ、サムソン宮本の妻は彼を見捨てて二人の娘を連れて遠く札幌で別居するようになってしまいました。それでもサムソン宮本は一人根室のおもちゃ屋を続けつつ、まともな机もないような部屋でベッド脇のサイドテーブルの上に載せたPCで毎回の興業のチラシをデザインしたりなど、ありとあらゆる団体の活動を進めていたのでした。

主要なメンバーは、プロレスが好きで劇中の表現を借りるなら「イケている」思い出が人生で見当たらなかったような人々が初期には多かったようです。サムソン宮本の実弟は内気で引っ込み思案で若いうちに事故で片目を失明して、失意の中に居た時、兄のサムソン宮本が「これを観て元気を出せ」と子供の頃に一緒に観たプロレスのビデオを渡してくれたと言います。そしてほどなく、彼はオッサンタイガーというリングネームを付けられ、タイガーマスクのマスクを被りリングに立ちつつ、サムソン宮本を補佐する「本部長」となったのでした。昼間は屋台のたこ焼き屋をやりつつ、兄のおもちゃ屋を手伝っています。

若い頃に東京へ出て、明確な挫折と言うこともないものの、行き詰まり感やむなしさを抱えて帰郷した人々もいるようです。重度の鬱に悩む派遣社員の女性(後のリングネーム「セクシーエンジェル ねね様」)は、新根室プロレスの興業を何回か観に行くうちに声を掛けられ、結果的にリングに立つようになり、急激に鬱の症状も改善したと言います。パンフで見る限り、ねね様ぐらいを境に、プロレスが好きだからメンバーになるという要素よりも、街で皆が楽しく集まる場としての団体に惹かれて参加を希望する面が強い人々が増えて行っているように見えます。

劇中で自身の家の中が長い尺で登場する「砂利道 大砂厚」は、昭和34年生まれです。サムソン宮本が亡くなった2020年時点で61歳です。彼は以前、両親と姉と四人家族でずっと一軒家に暮らしていました。そのうち、彼が若い頃に父が病死し、数年前に母と姉が相次いで病死し、天涯孤独になりました。端的に言って、イケてない人生そのものだったのか、体型は肥満に傾き、目はやや空ろですし、髪も整えることもなく、呂律が回っていないこともありますし、会話がきちんと噛み合っていないこともよくあります。持て余すような広さになった一軒家で大砂厚は一人暮らし、新聞配達を覚束ない足取りで冬の吹雪の中でも続け辛うじて生計を保っています。

そんな彼を生前のサムソン宮本は非常に気にかけ、色々な場に一緒に行ってくれたりしていたと大砂厚は言い非常に感謝しています。しかし、プロレスが好きだという発言は一度もなかったように思いますし、団体に参加したのも、知らないうちにそうされて巻き込まれていただけだと言っています。

サムソン宮本の死に先立って団体が解散し、彼にリングに立つ仲間がいなくなると、大砂厚は孤独に暮らすようになり、酒に溺れ、家はビールの空き缶も山のように積み上がるゴミ屋敷と化してしまっています。そこに解散後のメンバー達が細々の交流を続けようと、そして組織でまた興業を行なうと伝え誘うために訪問する場面があるのです。

劇中で足の踏み場もないような汚部屋にメンバー二人が訪ねて、彼の話を聞く場面があり、「様子を見に来たよ」と言っていますが、少なくとも劇中で見る限り、「また相変わらず、凄い状況だね」のような社交辞令はいうものの、「これは片付けなきゃダメだよ」などと指摘もしないですし、まして、「じゃあ、今一気にゴミをまとめて出してしまおう」などの生活支援に打って出ることもありません。一方で、これでは生活破綻者だから、もう放っておこうというような話になることも決してありません。勿論、サムソン宮本も彼を見捨てるようなことはなかったからこそ、彼がメンバーとして「巻き込まれる」様に敢えてしたのでしょうし、多分、生活面のゴミ出しなどの支援もしていたのではないかとさえ思えます。

新根室プロレスと言う団体は、このような地域で行き場のない人々、若しくは持って行き場のない何かを抱えた人々にとっての無二の包摂の場であったということで、それは実質的にサムソン宮本の「自分が好きなことをしているだけ」という建前の下の大きな自己犠牲によって成り立っていることが分かるのです。

何か似たようなプロレスの物語を見たことがあると思いだしました。それは2016年に観た『DOGLEGS』です。その記事で私はこう書いています。

「 テーマは、障害者プロレス。監督が外国人であることも手伝って、最初にポスターが視界に入った際には外国映画かと思いました。ところが、この障害者プロレス映画は、現実に日本で行なわれているプロレス興行のドキュメンタリー映画と知って、先述の通り、唖然としました。その理由は、私が50年余りの人生の中で、全くそのことを知らなかったこと以上に、ポスターの超弩級のキワモノ感だと思います。

障害者全般に対する社会の扱いは、“可哀想な人”そのものであると私は思っています。可哀想な人だから支援しなくてはならず、可哀想な人だからどこかに囲っておかねばならず、可哀想な人だから普通の人のような生活はできるわけがない。そんな障害者の立ち居地で、主人公の脳性麻痺のサンボ慎太郎が、プロレス団体代表のアンチテーゼ北島にリング上で容赦なく滅茶苦茶に殴られる。これは一般的に観れば「可哀想な障害者を辱めて見世物にする言語道断の行為」か「可哀想な障害者への許されざる暴行行為」のいずれかに映るのではないかと思えました。多分、私の周囲の人々にこの映画の話をすれば、半数以上がこの様な評価を下すでしょう。この一般的な(と私が感じる)障害者観を根底から突き崩す破壊力がポスターにはありました。」

本作は『DOGLEGS』のような外観でも明確に分かるような重度の障害を持ったメンバーはいませんし、『DOGLEGS』のように容赦なくプロレスを追求したりもせず、メンバーはまるでコミックバンドのように、若しくは敢えて言うならドリフターズか何かのギャグの応酬のように楽しさを観客に提供しています。それでも、プロレスの団体そのものが包摂の場になっているということは、何の必然性があるのか俄かに言語化できませんが、共通しているように思えます。

新根室プロレスの人々はムリもしないし、オモテの仕事優先ですし、何かの規律やルールに従って厳格に行動しているのでもありません。本人達の愉しさ優先です。勿論、やるべきことにはその人物なりの一所懸命さで取り組みますが、ギャグ的な事柄の打ち合わせを徹底的にやっている様子はありませんし、リハーサルをきちんと重ねていることもないようです。ドリフターズのギャグは子供でも分かり大笑いできるようなネタの連発ですが、あれが可能であるのはいかりや長介が用意した詳細なシナリオと、入念なリハーサルがあったからと知られています。つまり、あれは本人達が楽しくやっていたかは二の次で、仕事として為されていたことなのです。

新根室プロレスの興業を見てみると、端的に言ってグダグダです。一応色々本人達が狙ってやっていることがあるのは分かりますが、メンバー間で十分共有やしめし合わせができていない中での間違いや擦れ違いは起きて当然といった状況の興業ですし、何か予想外のトラブルが起きても、無理してそれを取り返そうとしたり補ったりと言うことがないようです。ですから、何かの舞台芸能の様な読み解くべきコードもありませんし、様式美もありません。単に創意と反復で磨かれた素人芸が綿々と続くだけという風に見えます。

笑いのためのそれなりの芸なら、テレビのモニター上にはお笑い芸人が溢れていますし、YouTubeでも各種の動画配信でも、幾らでもそうした「笑い」を得ることができます。そして、それらの多くは間違いなく、この新根室プロレスが提供できる笑いの質を大きく凌駕していることでしょう。それでも、彼らの興業は地元で大人気で、老若男女のファンの存在が劇中の色々な場面から窺えます。それだけなら、娯楽の少ない地方の零細都市のことだからと言えない訳でもありませんが、彼らが新木場進出をとうとう果たした際にも満席になり、サムソン宮本の死後、再度新木場に現れた際にも満席だったようです。この人気の源泉が一体何であるのかは検証の価値があります。

芸の質そのものでもなく単なる一所懸命さの面で見ても、仕事で芸をしている芸人だって間違いなく一所懸命でしょう。それでは新根室プロレスの人々が提供できている何か異なるものは何であるのかというと、私にはそれが素人の直向きさであろうと思われてなりません。それは「大人の文化祭」どころではなく「大人の学芸会」であって、その拙い演劇・演芸のように皆が見入るようなものなのではないかと思えならないのです。

サムソン宮本の次女は子供の頃、自分の父親のやっていることが嫌いで学校でもそれを揶揄されたりして嫌だったと言います。しかし、或る時、男子生徒が「サムソン宮本がかっこいい」と真剣に言っているのを聞いて、自分も興業を観に行こうと決心し、サムソン宮本の下品な芸(ロープ上を歩いて滑り、股間をロープに強打するとか、対戦者の頭部を自分の股間に入れて掛ける技があるなど)には閉口したものの、最後にサムソン宮本が「無理しない、ケガしない、明日も仕事」を観客と一緒に叫んだ時には自分も我を忘れて叫んでいたと思い起こしていました。死期が迫った父と改めて同居するようになって、父を尊敬していると言います。その観る者を引きずり込む強烈な力は、単なる芸の質ではなく、演者の真剣さを裏打ちする直向きさ、それも、この団体に再包摂された人々の喜びとセットの直向きさであろうと思えてなりません。

私はプロレスが全然好きではありません。前述の『DOGLEGS』の記事でも、こう書いています。

「私はプロレスが特に好きな訳でもなく、昔のプロレスブームの頃は一応リアルタイムの世代ですが、コミックの『CAN☆キャン えぶりでい』などで、ハルク・ホーガンのキャラが登場すると、「あ。ナンチャラ・ボンバーの人か」などと思うのが限界のレベルの知識量しか持ち合わせていません。

アニメの『タイガーマスク』も一応リアルタイム世代で、主題歌を今でも歌えますが、全くストーリーの記憶がないので、比較的インパクトのあるオープニングを憶える程度の回数しか見ていないのだと思います。まして最近の格闘技ブームなどは全く分かりませんし、観戦に行ったこともありません。」

時代的には、ジャイアント馬場やアントニオ猪木などの活躍をリアルタイムで知っていて不思議がないはずでしたが、私と同居していて私を育ててくれた家族は母と祖母だけで、この二人が共にプロレスを好んでいなかったことで、私のプロレスに対する、若しくはもっと拡大して、闘技を見て楽しむことに対する、無関心が醸成されたのだろうと思われます。それでもこの映画を観てみたいと思ったきっかけは、大晦日に札幌でテレビ放映されていた、劇場公開直前のこの作品の前宣伝の様なドキュメンタリー番組を観たことです。

元々この映画の存在は映画サイトで見て微かに知っていましたが、前述のようにプロレスそのものに関心が湧かないために、全く鑑賞作リストに挙げる気が起きませんでした。それがテレビ番組を見て、メンバー達の為人と団体の性格を知ったことで俄然関心が湧いてきました。テレビ番組の尺は1時間だったように記憶しますが、殆ど映画の内容をカバーしていて、登場する映像も同じものがかなりあります。映画を観て新たに発見したのは、サムソン宮本の死後、再度新木場に登場したメンバー達の姿が描かれていることぐらいだったように思います。

新根室プロレスが団体としてどのようなものを知るという観点では映画は私にとって殆ど無価値でした。大砂厚のゴミ屋敷はテレビ番組にはなかったように思いますが、それでも、この団体が地方都市の日常から逸脱しかけている人々の包摂の場であることを知るには十分でした。

ただ映画そのものを観てみて、さらに新根室プロレスの在り様から考えさせられたことがもう一つあります。それは組織運営を世代を超えて継承していくことの難しさです。そして同時に文化を世代を超えて継承していくことの難しさと言っても良いかもしれません。設立時から団体の姿を捕えてきた地元カメラマンは、新根室プロレスは根室の文化だと喝破しています。私も同感です。

本州など日本の他の地域と違って、北海道に住む人々に数百年に及び維持された地域伝統や地域文化は殆どありません。その中で、身長3メートルの巨大パンダがメンバーに加わって、一気に知名度を上げたこの団体は、極東の小都市根室の知名度を一気に上げ、街を語る上でも欠かせない存在となっているのは間違いありません。サムソン宮本が活動を開始した時には、心無い言葉をぶつけられたことも、その趣旨や方針、面白さが全く理解されないことも頻繁にあったようです。(だからこそ、彼は自ら動くことが当たり前になったのでしょう。)そして、価値観がこれほどまでに多様化している昨今、理解を示さない人々や場合によっては彼らを嫌悪する人々も未だに存在しているのかもしれません。しかし、劇中で見る限り、観客はサムソン宮本の一周忌興業を涙して観戦し、新木場への再進出、映画化などなどの出来事を諸手を挙げて喜んでいます。サムソン宮本が言う否定的な声はドキュメンタリーの中でテレビでも映画でも一度も登場していないのです。

例えば、東北の伝統神事としてのお祭りが、数百年、数千年の歴史を経て、とうとう人口減少や高齢化によって担い手がいなくなり、継続を断念するというニュースがよく流れています。単純に考えて、そこの街に人を惹きつける魅力がなく、そこにいて嬉しく楽しいことがないから、その街を人は去るのでしょう。そして、そこに居場所を見出すことができず、その意味や意義も不明であるままに捨て置かれ、形式化した反復だけの伝統行事に価値を見出す人が減るのも必定であるように思えます。単なる時間経過としての数百年・数千年の継続の重みを聞かされても、何ほどの価値もそう言った人々に認識させることはないでしょう。

新根室プロレスの興業が地元神社のお祭りなどで行なわれることが多かったのは、こうした行事への意味づけをこの団体がしたという位置付けで解釈すべきなのではないかと私には思えます。人に語ることができ、人が耳を傾け、人が参加したいと思うコンテキストとしての地域文化として、新根室プロレスは一つの成功事例となりつつあると思えます。

しかし、そんな新根室プロレスでさえ、献身と自己犠牲を重ねたサムソン宮本亡き後、後継者はなかなか見つからず(/決まらず)2019年の解散から2023の復活まで時間を要しています。サムソンが解散を宣言する一年前に参加を果たしたリングネーム「メガネのプリンス ラブライバー TOMOYA」は、彼らの興業を子供時代から見てその愉しさに魅せられ、中学生の頃に参加を申し出て、高校に入ってからと断られ、高校になってから申し出ると、社会人になってからと言われ、諦めかけていた時、地元の自動車学校に免許を取りに行ったら、教官が主要メンバーの一人で、そのまま参加が叶ったという人物です。彼ほどの熱烈なファンであり熱意あるメンバーでさえ、サムソン宮本の後を継ぐことに多くの躊躇を抱えており、皆40代から50代、60代になって、サムソン宮本の生前10年以上に渡り既に「文化祭」だの「学芸会」を繰り広げ切っている人々には、TOMOYAと対等のメンバーとしてそのまま活動していくことが難しいと感じられたようです。

TOMOYAを中心として新木場再進出を果たしましたが、若手メンバーの増強には非常に苦戦しているようで、サムソン宮本がそうであったように周囲の接点を持った人間、その中でもプロレスが好きと思える人間、そう言った人々への声掛けから始まる勧誘は殆ど功を奏していない様子でした。サムソン宮本は単に声掛けをしていたのではなく、そこには、個々の相手を理解し個々の相手を助けるという明確な姿勢があって、その上での声掛けであったのではないかと、実弟、大砂厚、ねね様などの参加の経緯を見ると想像されます。それぐらい、地元の文化となって市長や各種の公共団体から表彰・顕彰などをされるような団体となってさえ、人々が「見るのは良くても、参加するのはまた別」と感じる程度に留まるものであることが分かるのです。

こういう時、営利を追求する企業組織には定番の処方箋があります。それは事業のコンセプトを明確にし、何をどうすることがミッションかを明確にするのです。(ここだけで止まってしまって、ただ意味不明の社是・社訓を作るだけに終わる馬鹿げた組織も多々存在しますが)その上で、マーケティング的な視点から効果的・効率的な活動を展開・追求するという流れです。

この流れの中には、どのような人にどのように喜んでもらうために組織が存在するかという話が出てきて、満たすべきお客のニーズを多くの場合その人物像と共に絞り込むことになります。中を構成するメンバーも、同様にどんな技能を持つどんな人間が良いかを絞り込んで無駄なく採用することになります。(今や欧米でさえ見直しが始まっているのに、必死に「海外を見習え」と叫ぶ人々が推す)ジョブ型雇用がより浸透すれば余計のこと、狙った職業能力を持つ人を限定して雇う傾向は強まるでしょう。これが間違いなく定番の処方箋で、逆にこれ以外の決定打は基本的に存在しません。

営利を追求するのなら、これで大丈夫です。しかし、新根室プロレスは営利を追求していません。あくまでもアマチュア団体で興業さえ原則無料で行なっているようです。「プロレスラーの◆◆と対戦してやる」などと勢いで試合中に言っているケースがありますが、「あ。まあ無理だな。来てもらってもギャラ払えないから。アマチュアなんで」などと、必ずコメントが入っています。

さらに、お客も内部の人間も絞り込むということは包摂を難しくするということです。きちんとお客に笑ってもらうということを明確な目標にしたら、その目標の概念とそれに従ったあるべき行動を主要なメンバーの半分は理解できない(/頭で言葉を理解できても実践に落とし込めない)ぐらいのことになるかもしれません。

根室界隈と同様なぐらいの過疎地で、社員には高齢者が多く、その高齢者が使えないのでPOSだの経理システムも導入せず、おまけに「社員は買物客と同じ人々なので、自分達で何をすべき考えれば、日々のオペレーションも自ずと理想的になる」と社員教育を放棄して運用された、墓石からトラクターまで売っているという、巨大総合スーパーを実際に行ってみたことがあります。理想は素晴らしかったですが、社員の接客は目を覆わんばかりで、膨大な陳列商品は適当に仕入れられるので、棚で不良在庫化して埃を被り、巨大な売場はどこに何があるのか店員もよく分からない…といった具合になっていました。お客の満足を最大化するという営利目標を掲げる企業組織では、「良かれと思った人々の行動」の累積はほぼ間違いなく凋落の道の始まりです。

地域の人々の包摂を意識する限り、明確に誰を入れるべきかが決まらないことになります。どんな人間でも受容れられるからこそ包摂だからです。とすると、その都度、個々の人々に対して個々の人々が魅力を感じる主張を個別に重ねて包摂の活動を結果的に進めて行くしか方法が無くなります。

それは私が札幌市のヨサコイ・ソーラン祭りで参加した複数のチームの運営においても間違いなく見られる構図でした。子供も老人も参加できるようにしようとすると、フォーメーションをガチガチに決めた練習に必ず参加するように促し、難しい振りを覚えさせることができなくなります。金銭的余裕にばらつきがあると、きらびやかな衣装を統一で作って自己負担させることもできなくなります。そうするとチームは何を目指すのかという話が最初から決まっていなくてはならなかったとはたと皆が気付くようになるのです。やっぱり受賞したいと誰しもが思うと、子供も老人も仕事が相応に多忙な大人も全く参加できないチームになります。そうすると「こんなはずじゃなかった」や「最初に聞いた話と違う」とか「後からスポンサーについた企業の言い分で曲が決まったが、このチームのイメージとは違う」などの異論が百出して収拾がつかなくなることもよくあります。

包摂を主題として活動を重ねて来て、今復活しても尚、若手参加メンバーが増えないという状況のこの団体も、何か上手い解を見つけて邁進している訳ではないことが透かし見えてくるのです。

この映画を劇場に観に行って、映画そのものではない所で、非常によかったことがあります。それは(多分、先述の直向きさの滲出の一つかと思いますが)札幌と東京の上映館で殆ど毎上映会後にメンバーが分担してトークショーを開催しているので、私が観た会の後にもかなり長い時間のトークショーが用意されていて、ナマのメンバーとそれに熱狂する人々がまさに自分の周囲に見られたことです。

アンドレザ・ジャイアントパンダが入口から入って来ようとして収まり切らず、むりやり体のあちこちを拉げさせているのが印象的でしたが、ぐだぐだ状態の進行の中、舞台上からスマホに着信があったと一人がいきなり去り、その後、骨法の使い手と称するメンバーが乱入して、(舞台上では奥行きが狭すぎてアンドレザがスクリーンに擦れてしまうので)わざわざ巨体を捩じるようにして舞台を降りて、座席と舞台との間の狭い空間の中で、骨法の男と一騎打ちを繰り広げて見せてくれたりします。文化祭で素人の学生がドリフのコントか何かをマネして披露しているぐらいのノリに私には見えました。それでも観客は大興奮のようで、皆が手を叩き大笑いし大騒ぎでした。そして亡きサムソン宮本の次女のように、最後には例のキャッチフレーズを(多くの観客がメンバー見たさに何度も来場するようで、明日もまた観に来てほしいとメンバーが望んでいるので)「無理しない、ケガしない、明日もポレポレ~!」と変えて唱和した際には、シアター内は熱狂の坩堝でした。

アンドレザが座席の「島」間の通路よりも幅が広く、彼(?)が去ろうと出口に向かうと彼(?)の肉が食み出て座席に覆い被さってきます。すると観客はわあわあ悦び、腰肉の辺りに頬擦りしたり、ポンポンと手で叩いたりしていました。これほどの熱狂を見れば見るほど、存続の危ういこの組織の将来が暗澹として感じられます。

劇場内ではとても処理できず、パンフレットのサイン会とアンドレザとの写真撮影会は地上の劇場入口脇で行なわれました。地上から地下の劇場に向かって長い行列ができ、ファンがサインをもらう際に一々メンバーと語るのでなかなか列が進みませんでした。私も参加メンバー全員(アンドレザもそのハンコをメンバーが代わりに押してくれます)のサインをもらいましたが、時間がかかり過ぎるので、アンドレザとのツーショットは止めて来ました。

この団体の軌跡には色々な学びがありますのでDVDは買いです。しかし、DVDを例えば5年後、10年後に観返す時、実際の団体のその時点での存続は甚だ怪しく思えてなりません。

先述のように、或る程度包摂を放棄した団体に変質をするなどしなくては、かなり難しいように感じられます。団体解散後、病気療養中のサムソン宮本は、TOMOYAに向かって「団体をそのまま続ければ、そういう目で見られ、自分のやりたいようにやりにくいだろう。団体はそのまま解散させておいて、TOMOYAが自分で新たなメンバーと新たな、自分がやりたいような形の団体を立ち上げるという選択肢もある。」と語っています。それに対して、「『真根室プロレス』はどうだろう」とTOMOYAが応じています。

その後、サムソン宮本の一周忌が新根室プロセスのメンバーだった人々が再集合して開催されました。その場合には開催の主旨からして、「新根室プロセス」の名を冠して皆が集まることに不自然さはありません。しかし、その場の「今後もまたやってほしい」的な声に応えてしまったせいか、生前のサムソン宮本との会話内容とは異なって、現在に至るまで結果的に「新根室プロレス」を復活させてしまっているように見えます。

それは継承の実質的な課題が解決困難なままに、同名同組織の伝統を作ってしまっている茨の道に思えてならないのです。

新根室プロレス