『女殺油地獄』

なんだかんだ言って、結局ここ最近の中では一番高頻度に行っている渋谷街外れのミニシアターで見てきました。一日一回だけのレイトショーでの上映で、行こう行こうと思ってなかなか行けないままになっていました。

近松作品、俳優としてしか知らなかった坂上忍(『魔の刻』が印象に残っていますが…)が監督で、どんな風に翻案したんだろうかと思っていたら、素晴らしい作品になっていました。まるで浄瑠璃か何かの拍子木か太鼓のような音が最初はスローな展開の中で、こけおどしの如くに際立っていましたが、ストーリー中盤少々前の、或るイベントから、一気に話が畳み掛けるように滑り出し、音響と相俟って、息を飲む展開になっています。

遥か昔、そこそこ名のある劇団か何かが北海道の小都市である私の実家のある町にも来て、この話を人形劇(一応、浄瑠璃仕立てです)でみた記憶があるのと、近松オリジナルのストーリーは一応知っている程度の背景知識でした。その怪しい知識では、たしか主人公は寧ろ石潰しの与兵衛で、義父の店主徳兵衛や母との絡みのなか、与兵衛がお吉を殺害し、結果的に捕縛されるストーリーであったと思います。

翻案が為されたこの映画では、徳兵衛夫婦は姿を現さず、お吉殺害後、与兵衛もすぐに死んでしまうので、中盤からストーリーが全く異なるといってもいいほどです。そして、驚いたことに、主人公といえるのは寧ろ、お吉とお吉を只管に愛する油屋主人の七左衛門です。そして、確かオリジナルでは、ただ与兵衛が入れ込む対象であるだけだったように記憶する女郎の小菊がかなり重要な役割を果たしています。

お吉は、子供の頃から見知っている与兵衛の小菊への耽溺を諌めるために、与兵衛に会いに行き、与兵衛が、単なる石潰しではなく、「好きな女を手に入れることに命がけ」で魅力的な異性に成長していることに気付きます。海岸の薄暗い洞窟に滴り出る油を汲みに通い、手を油まみれにし、桶で油を運ぶ、砂をかむような毎日を送るお吉が、与兵衛との接触で揺れ動き出し、さらに小菊から「自分と言う女は、あとどのくらい花で居られると思うか」と問われ、自分が妻であり母であり働き手になってしまって、ただ自分を愛でるだけの夫との平凡な毎日の中で、「花ではなくなっている自分」に愕然とします。

ここから、オリジナルとは異なる、お吉が女として「花で居続ける」人生を選び取り暴走して行く姿が、緻密にそしてハイテンポで描かれていきます。

商人達が主人公の筈なのに、舞台は海辺に繋がる森の中や石仏の聳える岩屋などで、十人に満たない登場人物達は、獣道のような細道を行き来するうちに、言葉少なに遭遇を繰り返し、情念を募らせていきます。美しい自然の中で地味な油汲みの毎日を送る者と、愛欲に正直に生きる者。そして、「欲しいものなんでも貸す」と言う金貸しが、寄り来る者の願いを叶える触媒となって、本来異なる価値観の生き方が交錯して行った結果、お吉は与兵衛とのセックスを経て、自分が求めていたものが与兵衛との愛に生きる生活でさえなく、花で居続けることであることと確信し、自ら命を断つのでした。

考えてみると、この金貸しは、悪魔かドラえもんのように、欲しいものを与えてくれる変わった役割です。与兵衛には遊ぶ金と命がけであることの表現道具を与え、思いつめたお吉には「花であること」を、そして、実は、全く欲と離れたところに居るように見える七左衛門には、遥か以前に「愛する女、お吉」を与えていたのでした。

端役の火野正平も、映画の主題を見事に教えてくれますし、エンディングで去って行く小菊の後姿を見て笑い続ける、お吉と七左衛門の一人娘も、幼いうちから女が「花で居ることを宿命付けられている」ことを暗示しています。一人ひとりの価値観と生き方が交錯する様が、美しい自然をバックにした画像の中で、丹念に描かれている映画です。

やや難点なのは、小菊役の元グラビアアイドルと、ただただ怒鳴ってばかりのチンピラ風の与兵衛役の男優の、演技がイマイチであることです。この二人が森の中でセックスする様子には、全くエロスがありません。愛欲モロのセックスシーンでさえその程度の小菊なので、歩く姿には、妖艶さの欠片も感じられませんでした。

この二人の人間よりも、岩間から徐々に湧き出て、ぬめぬめと黒光りしながら、滴り流れ落ちてくる油の方が、高みから自然に湧き流れることや、見えない暗闇のいずこかから徐々に湧き出て、桶を黒く満たしていくこと、ラスト直前、ちろちろと燃える小さな灯火と接して燃え上がり、金貸しに欲望を実現してもらった二人を焼き尽くすことなど、劇中に頻出するだけあって、映画の中の色々な要素を暗示する強烈な「演技」をしています。

ただ、中盤以降は、(後で、以前見た『スミレ人形』の主人公であったらしいと分った)お吉役の山田キヌヲの演技が光りまくりです。DVDが出たら、絶対に買いだと確信できる、私にとっての大ヒット作でした。