『怪物の木こり』

 12月1日の封切から2週間余り経った土曜日の夜9時40分の回をピカデリーで観て来ました。観る順序から行くと優先順位の高い位置にあった作品はこの作品と『翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて』で、後者の方は11月下旬の勤労感謝の日の封切でありながら、前者の本作よりも人気が高く、上映館数も上映回数もあまり落ちないままに推移している状態になっていました。本作は新宿で3館のマルチプレックス全部で上映している体制は変わりませんが、ピカデリーでは1日3回体制ではあるものの、バルト9と歌舞伎町のゴジラの生首ビルの映画館では1日1回辛うじて上映しているような状態になっています。この様子から、本作は年内で上映が打ち切られる可能性もそれなりにある一方で『翔んで埼玉…』の方は年明けでも上映が続けられていそうです。

 また、今年の年末から新年の新作状況を見ると今一つ大きな盛り上がりに欠けているように思えてなりません。とすると、人気作となっている『翔んで埼玉…』がそのまま“お正月映画”の一本にスライドしても不思議ではないように思えます。ということで、もしかするとノルマ達成に苦労する可能性が僅かにある来月1月まで『翔んで埼玉…』は残しておき、先に本作を優先して観ることとしたのでした。

 私がこの作品を観たいと思った動機は、単純に出演している菜々緒と吉岡里帆の二人を観るためです。一年程前に劇場で観た『七人の秘書 THE MOVIE』の記事で私はこう書いています。

「まず菜々緒です。会社系のドラマは仕事の参考になるかと観てみることにした『Missデビル 人事の悪魔・椿眞子』でいきなりハマりました。『女王の教室』の天海祐希のような態度の人事担当の女性をあの人形染みたスタイルで演じる菜々緒がかなり気に入りました。その後、少々コケティッシュな霞が関のお役人を演じた『インハンド』や殆ど『Missデビル…』と同様のキャラの編集者を演じている『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』もDVDで観ました。やはり、あの人形染みた外観そのものや何をやっても決めポーズに見える様子がやたらに楽しくも思えます。さらに遡って、『週刊モーニング』でまあまあ原作コミックが楽しめた『主に泣いてます』の彼女や、弟子が三浦春馬が好きだというので、陰謀説盛んな「自殺」の後に何か観てみようと思って観た『ラスト・シンデレラ』(本来「・」ではなく、ハート。環境依存文字のため表記略)の彼女も観てみましたが、初期の頃のまだ幼さが残る風貌が現在とあまりに違い過ぎて、イマイチに感じました。

 映画では『白ゆき姫殺人事件』、『神様はバリにいる』、『エイプリルフールズ』、『グラスホッパー』、『銀魂』、『マスカレード・ホテル』、『ヲタクに恋は難しい』、『地獄の花園』など、DVDで観たものも劇場で観たものも合わせると、私が好感を持っている作品群に多数出演していますが、如何せんすべて脇役で、強烈に印象に残っているのは、『銀魂』、『地獄の花園』ぐらいしかありません。どちらの菜々緒もアクション押しです。」

 尺こそ短いものの、実は私の中で一番印象に残っている『Missデビル 人事の悪魔・椿眞子』でもアクション・シーンが存在します。また、アクションではありませんが、基本的にSかMで言うと圧倒的なSキャラなので、その意味ではアクション押しの『銀魂』や『地獄の花園』、『七人の秘書 THE MOVIE』の彼女演じるキャラとベクトル的にはそれなりに共通しています。その点で言うと、比較的最近の(つまり、デビュー当初の一群の作品ではない)準主役級の立ち位置のなかでは、『インハンド』のコケティッシュな官僚が私の中では一番親しみやすいキャラだったかもしれません。

 そんな彼女の刑事役でもアクションのないプロファイラーとしての役柄を観てみたいと思ったのが、一番目の動機です。

 監督の三池崇史はアクションの巨匠と言われ、彼が監督した劇場作品では本作の前は『妖怪大戦争 ガーディアンズ』です。アクションは勿論その演出において彼の独自のテイストがあるように私も理解していますが、どちらかというと、私には、『クローズ』シリーズ、『ヤッターマン』、『忍たま乱太郎』、『愛と誠』、『テラフォーマーズ』、『無限の住人』、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』など、コミックやアニメ原作作品の実写化を多く手掛けた監督という印象が強いように思います。

 菜々緒は本作で監督とは既に『土竜の唄 香港狂騒曲』で一緒しているからやりやすいと言い、監督の方は「以前は鞭を振るうような役だったが、本作はちょっと違う」と言っています。まさにSっ気の少ない菜々緒の魅力が問われる配役だったという風に考えて良いでしょう。今回はMITで博士号まで取っているらしいインテリなので細いフレームの眼鏡までかけています。

 もう一人の観たかった女優の吉岡里帆については、名作の『ハケンアニメ!』の感想で以下のように書いています。

「 私がこの作品を観たいと思ったのには主要な理由が一つと、後は幾つかの細かな理由があります。主要な理由の方は、やはり、主人公を演じる吉岡里帆です。先月観た『ホリック xxxHOLiC』のこのブログの感想では、吉岡里帆について以下のように書いています。

「それは妖艶な悪女を演じる吉岡里帆です。彼女は女郎蜘蛛という次元の魔女に並ぶ存在のように言われています。そのコスは黒ベースで露出度が高く、パンフに拠れば、初めての衣装合わせのさいか何かに、「わぁ!なんかイヤらしい~!エロ~い!」、「うわぁ~(衣装が)透けてるぅ!」(以上二台詞原文ママ)と本人がかなり驚愕していたようです。さらに、彼女には「セクシー所作指導」なるあまり聞いたことのない担当係がつけられており、彼女に敵を舐め回すように見る視線や仕草全般をセクシーに加工するよう指導していたという話も書かれています。ちなみにこの「セクシー所作指導担当者」はポールダンスの先生であると神木ナンチャラが出演者の対談で明かしています。

 私は彼女の存在が全く劇中で分からず、あの女郎蜘蛛は誰なのだろうとパンフを見て愕然としました。テレビを殆ど観ない私にはどん兵衛のCMぐらいしか思い浮かばず、映画では比較的好きな『天地明察』のエキストラ役は無論のこと、DVDで観た『幕が上がる』でもほぼ全く記憶に残っていませんでした。ギリギリ記憶しているのは彼女が主演した『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』ぐらいで、これも到底彼女の魅力が打ち出された作品には感じられませんでした。最近ではこれから公開される『ハケンアニメ』をトレーラーで数度観て、かなり期待をしていたものの、私にとっての彼女はこの作品を観るまで、可愛いし観ていて難を感じないものの、あまり観ることのない女優だったのです。そこにいきなり妖艶で実質的にかなりのエロ感全開の悪女です。テレビでの彼女の役柄の遍歴を知らないので分かりませんが、かなりレアな彼女なのではないかと思われます。彼女と認識する前から、元々この作品の中で一番好きなキャラはこの女郎蜘蛛でしたので、一気に吉岡里帆の好感度が上がりました。」

 敢えて、イミフと言って良いぐらいのよく分からない作品『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』を除くと、私が観る初めての吉岡里帆主演作品です。まさに『ホリック xxxHOLiC』で上がった好感度により、どうしても観てみたいと思ったのでした。」

 やはり私にとっての彼女は、『ハケンアニメ!』・『ホリック xxxHOLiC』の印象が強く、最近は年末になって来てTVerなどの動画を観る機会でも「ジャンボ宝くじ」のCMをいやというほど反復して見させられるので、そのバカっぽいギャグ感も彼女についての記憶連鎖に付け加えられています。一方でウィキにもある彼女の…

「京都から東京に通う費用は居酒屋やカフェ、歯科助手など多い時で4つのアルバイトを掛け持ちして捻出した。大学が終わった後に作品作りをしてアルバイトへ行き、夜行バスで上京して漫画喫茶でシャワーを浴びオーディションを受けるなどして再び夜行バスで京都に戻る日々を5年ほど続ける。」

「養成所で何千人もの生徒の中でレッスンを受けるだけでは「埋もれてしまって抜け出せない」と気づき、事務所入り目指して養成所から系列の芸能事務所エー・チームのマネージャーを紹介してもらう。さらに「ここの看板女優になるから、お願いだから私を今すぐここの事務所に入れて下さい」「めちゃくちゃ働くから、仕事をください」と社長に直談判して2012年末に同事務所に所属、2013年より女優として活動を開始する。」

(以上、現時点でのウィキより引用。注釈省略)

と言った苦労人的エピソードを他の幾つかのネット記事で読んだことも彼女への好感を増していますが、流石にジャンボ宝くじのコメディエンヌぶりを何度も見せられるのには少々辟易して来ていました。ただ、ウィキなどで彼女の来歴を見ると、一般的に真面目で大人しそうに見える外見に対して、はっちゃけたコメディエンヌぶりを発揮することでブレイクした節があり、敢えて彼女のキャリアの中で特に私もDVDで観た『見えない目撃者』の盲人警官役や秀作の『ハケンアニメ!』、そして『島守の塔』などのシリアスな演技が評価される以前には、コメディエンヌ路線が戦略的に選ばれていたのかもしれません。

 上映開始の40分ほど前。チケットを買った際にモニタで見ると、15席が既に決まっていました。実際にシアターに入ると私も入れて7人しか客が居ず、残ったチケット購入者は次々と暗くなってから入って来て、最後の客2人は上映が開始されてから入ってくるという状況でした。40分の間に殆ど観客は増えなかったようで、最終的な観客の数と私がモニタで見た人数は殆ど違いがなかったように記憶します。

 そんな少人数の観客のうち、20代~30代の男女カップルが4組もいます。全観客のほぼ半数が若いカップル客というのは非常に珍しい現象と言えるでしょう。若い客層の映画離れが言われるようになって大分時が流れましたが、この作品にはそうした若い層を辛うじてでも惹きつける魅力があるということなのでしょう。

 原作もそれなりには有名であるようですし、配役もファンが多い人間を揃えたという感じがします。女優ではまさに菜々緒と吉岡里帆、そして映画に殆ど出演していない宝塚OGの柚希礼音という女優も常軌を逸した殺人科学者として登場しています。男優の方はやはり亀梨和也と染谷将太のツートップと思われますが、そこに中村獅童もいます。

 若手カップル観客以外は私も含めて全員単独客で20代~40代にかけてぐらいの女性が4人いて、残った男性は、私と同世代ぐらいが1人と30代ぐらいが1人という感じでした。実写ミステリーものでアクションもそれなりにあり、冒頭からカーチェイスが展開するなど、見所だらけですので、深夜に映画館で暇を潰そうとして来館して、選ばれる作品という意味でも確率は高いように思え、それにしては寧ろ客数が少なすぎるぐらいに思えます。(それぐらい、意外に人気が不発だったということかもしれません。)

 この映画はサイコパスにまつわる犯罪モノです。菜々緒がパンフの中でも言っている通り、今となって「『サイコパス』を扱う作品はたくさんあり」、例えば先日私が劇場で観た『死刑にいたる病』などはまさに阿部サダヲ演じるサイコパスの連続殺人鬼の話でした。『悪の教典』も代表的作品だと思いますが、あの主人公はどちらかというと幻覚に襲われる精神障害のようでもありました。『死刑にいたる病』ではサイコパスは一人、主人公だけでしたが、本作ではサイコパスだらけです。なぜかというと、人為的に、つまり後天的に、サイコパスを量産した人間がいるからです。なぜそんなことをしたかというと、前述の宝塚OG演じる天才科学者的な女とその夫が自分達の子供がサイコパスに生まれてきたのを「治す」ことを思い立ち、その「治療法」確立のために、(インターネットもない時代に世の中からサイコパスだけを選りすぐって集めることが困難であるので)まずはサイコパスを作る実験を始めたという経緯です。

 作ると言ってもサイコパスの人間が畑から生えてくる訳ではありませんから、誘拐をして自分達の住む古い洋館を子供だらけにする所から段取りが始ります。そして、脳にかなり無理のある外科的手術をすることになるので、失敗して死ぬ子供もどんどん発生してしまいます。児童を誘拐しても身代金が要求される訳でもないので、なかなか警察も動きにくく時間が経過しましたが、とうとう児童誘拐の現場が目撃されるなどするようになり、連続児童誘拐事件としてこの夫婦が捜査の対象となり警察に追いつめられるようになったのです。

 警察の手が伸びてくる過程においてそうなったのかもしれませんが、脳内にチップを埋め込むことで一部の児童をサイコパス化させることに成功した夫婦は、その児童をあちこちの養護施設の前に置き去りにし、その成長状況を電話で時々確認するという手筈を取ることにしました。その後、警察官が大勢で洋館に踏み込み、逮捕劇の最中に妻はメスで自分の首を切って自死し、夫は逮捕されて獄死したのでした。

 この生き残った人工サイコパスは自分に脳チップが埋め込まれていることも知らぬまま、サイコパスとして周囲の人々を踏みにじったり裏切ったりしながら、相応に成功をおさめ、生き残っていました。ところが、この脳チップは脳への衝撃で故障することがあり、一旦故障したら容易には直せません。逮捕時に生きて洋館に残っていた最も成功度が高いと考えられる児童が成長して一般人として生活していますが、サイコパスなので5000万円の保険金目当てに妻を事故に見せかけて殺害します。警察から疑われますが、証拠が十分ではなく、そのままにされていました。彼を逮捕することができなかった刑事が彼を殴り警察組織から処分されます。

 この最高の成功事例の彼が中村獅童ですが、刑事に殴られた結果、チップが故障し、サイコパスではなくなり常人化します。すると、妻の殺害を始めとする自分の犯罪行為について良心の呵責に苛まれるようになり、それ以外のチップ埋め込み児童も同様に社会に害を為していることに思い至ります。そして、自分の罪滅ぼしも兼ねて、それら他の児童のその後を調べ上げては殺害するという連続殺人を起こすようになります。これが怪物の木こりの格好をした連続殺人鬼の正体です。

 私はこの作品をそれほど予習せずに映画館に赴きましたが、上映40分前に到着してチケットを購入してもまだ時間が余ったので、パンフレットを買って、上映開始までざっと目を通していました。ネタバレのないパンフでしたが、ほぼ完全にこの物語が予見でき、映画冒頭15分経たないうちに、完全に誰が犯人かも分かりました。劇中ではサイコパスは共感性がなく、自分のやりたいことの邪魔をする人間を容赦なく排除するという設定になっています。

 そして早い段階で、連続殺人鬼も(後で分かるようにチップが壊れても尚、そういう思考パターンや行動パターンは子供時代からずっと続いているので、そうなるということのようですが…)サイコパス的な性格の持ち主と言われています。ところが、劇中に明確にサイコパスの性格パターンを持っているとされているのは、たった3人しかいないのです。そのうち1人は突如怪物の木こりに斧で襲われる主人公の弁護士です。そして残り二人のうち、1人は染谷ナンチャラ演じる主人公の長年の友人で先天的サイコパスの医師です。主人公と秘密を共有しながら面倒な人間を次々と殺害しています。

 彼は主人公と運命共同体のようなもので(と本人も言っています。)、ヤドカリとイソギンチャクの相利共生のような関係と言っても良いでしょう。この医師に主人公を襲う理由はありませんし(とは言っても、一度劇中で怪物の木こりに扮して襲ってきますが、戦いに長けた主人公にすぐに見破られます。)、脳チップに拠るサイコパス製造技術を連続殺人が起き始めて大分経ってから知っています。つまり関係がありません。残るサイコパスは中村獅童だけです。

 映画はかなり早い段階で、主人公の脳チップの件も明かしますし、殺害された人々がサイコパスであったことも示唆します。登場人物は上述のような話ですから、すぐに話の辻褄が合ってしまいます。主人公の弁護士が勤める弁護士事務所の大先生である弁護士の娘であり、主人公の婚約者でもある演劇団員である女性を吉岡里帆が演じていますが、パンフを読むと、ネタバレを避けながら「自分が担ったラストシーンが濃いんですけど」と語っています。おまけに、主人公はこの雇い主の大物弁護士をビルの屋上から突き落とし自殺したように見せかけていました。つまり、自分が殺した自分の雇用主の娘と結婚して事務所を乗っ取ろうとしていたということです。

 吉岡里帆演じる娘は父の自殺を強く疑っていますが、終盤に向かって真実を知ることになります。それなのに終盤の(怪物の木こりに彼女が拉致される)事件後、主人公は「全部終わったから、あとは以前の生活に戻ってやっていこう」のように婚約者を抱きしめます。当然ながら、彼女が父の仇を許してニコニコと結婚に至るような訳がありません。抱きしめた際に、やたらに刃渡りの長い牛刀の様な包丁を深く主人公に突刺すのでした。これも、パンフの段階から予想がまあまあ付き、主人公のカミングアウトの段階で完全に確信に至った通りの展開でした。

 この映画のこうした悪い意味での分かり易さは、サイコパスについての2つの前提が明確に存在するということによります。一つは、「サイコパスは常人と明確に分かれた性格パターンを持つ」ということです。勿論、チップが壊れた後にチップが埋め込まれたままの主人公や中村獅童はサイコパス的な言動を取ったりしつつも、良心の呵責に苛まれたり、判断に時間がかかったりしたりするようになっています。ですからどこにもグレーゾーンがないという訳でもないのですが、菜々緒演じる天才的プロファイラーの考えも、サイコパスは明確な常人と違う犯罪パターンに従うということになっているようです。

 もう一つは、「サイコパスは基本的に犯罪行為を平気で実行する」ということです。内容が体系だった説明になっていず、話題性がかなり先行している気がしますが、一応サイコパスについて世に知らしめる一助になったと考えられる中野信子著の『サイコパス』という新書があります。これに拠れば、これら二点は正しくありません。

 前者に関しては、単に共感性が少なくても感情は豊かな人間もサイコパスっぽく、つまりサイコパス傾向が相応にある人間として評価されることになるものと思われます。感情を抑制することが子供時代からの虐待や何らかのトラウマで極端に強いられたりした結果でもそのような精神構造になっているケースもあるものと思います。一応、サイコパス傾向は遺伝的要素が強いようで、社会に一定確率存在することになっています。それは劇中でも語られる通り、歴史的に(些末なことに捉われず)社会を変革していく存在になり得るためと言われています。

 現在公開されている『首』で描かれる織田信長がまさにそのような人物として描かれていますが、劇中でも染谷ナンチャラがそのような歴史上の偉人のサイコパスの例として信長を挙げています。

 そのように考えると、後者のもう一点の方も、そもそもサイコパスがしていることが犯罪行為とならないような定義もあるということになります。社会貢献したサイコパスは(仮にそれが殺人であっても英雄的行為と解釈されると)犯罪に問われなくなることはあるでしょう。それ以前に、中野信子の著書に拠れば善良なサイコパスのような存在もいるとされています。

 これは映画作品の問題ではなく、原作の構造的な問題なのだと思いますが、このような中野信子の新書一冊を読めば(先述の通り体系化されていないので分かりにくいですが)分かるような事実関係が、サイコパスについてのステレオタイプに塗り替えられている点が、この作品のやたらに見え透いた物語構造を作ってしまっているように考えられます。

 それでもアクションもせず、捜査活動から外されてもちょいちょい暴走するインテリ・プロファイラーの菜々緒の丸眼鏡の奥に光る瞳は観る価値がありました。もう一人のお目当ての吉岡里帆は宝くじのCMに比べて頬がこけて見え、表情も硬く何か精彩を欠くように見えました。『ハケンアニメ!』の記事で私は以下のように評しています。

「お目当ての吉岡里帆は、地味で思いつめた役柄にあまりに馴染み過ぎていて、思ったほど印象に残りません。悪エロ妖怪女をやれば、そのようになって際立ち、元公務員腐女子を演じれば、そのように物語に埋没する…というのは、名演技の証であるのかもしれません。」

 今回も同じような構造であるのかもしれません。ただ、『ハケンアニメ!』比べて、今回の弁護士の娘役はかなり設定が複雑で、心情も大きく揺れ動きます。

 父の大事務所の後継者としての婚約者は(サイコパスなので)どうも常に演技しているように感じる。しかし、表面上は申し分がない才能ある青年。恋愛感情も湧かないまま、しかし決定的なマイナス要因もないまま(そして他に好きな人物がいるでもなしで)或る意味政略的な結婚に甘んじようとしつつ、好きな演劇に励んでいたのが過去。そして、父が亡くなり、その死因が不審ながら、それに同調もせず、単に事務所の仕事を看板ごと引き継ぐ婚約者。それを父を思ってやってくれていると解釈するべきか分からず、父亡き後、婚約関係自体をどうすべきかも逡巡する。そんな中で、主人公のサイコパスチップが損傷し、父の飛び降りた屋上の箇所に花を添えている主人公を見て、一気に主人公に対して好意を嵩じさせる。そして怪物の木こりに拉致されたのを主人公に救われるものの、その過程で父を主人公が殺害したことを知る。

 揺れ動く…などと言うレベルではありません。このような心情の変化をあまり多くない場面と台詞で表現するのはかなりの難易度であるように感じます。そのように考える時、『ハケンアニメ!』の際の「埋没」ではなく、単に彼女の演技が不発だったのではないかとも思えるような気がします。

 それでも、ミステリー系のエンタテインメント作品として見た時、例えば、『脳男』とか『不能犯』などの作品に近い面白さはそれなりには存在する作品だと思います。DVDはまあまあ買いです。

追記:
 タイトルにもなっている『怪物の木こり』は劇中で何度も(観客に対する)読み聞かせが行われるようなシーンが登場しますが、物語の暗喩が上手く本作のストーリーラインに絡んでいないように私には思えました。単に私の読解力が不足しているだけなのかもしれません。

追記2:
 菜々緒のエリート・プロファイラーと協働する叩き上げの所轄刑事(過去に中村獅童を殴ってチップを結果的にぶっ壊した刑事)を渋川清彦が演じています。『酔うと化け物になる父がつらい』で名演をしていた彼が一番の印象ですが、最近ではDVDで観た『キングダム2 遥かなる大地へ』で自分の命と引き換えに敵将を仕留めるかなり気合の入った役で目立っていました。劇場から出て深夜の新宿を歩いて帰って来る途上、大塚家具の近くに彼の顔が大きく映るポスターが何枚か貼られていました。彼が俳優稼業と並行して行なうモデル系の仕事の一端かと思われますが、ヨタった所轄刑事を観た後だと少々イメージが狂わせられて困ります。