『ゴジラ-1.0』 番外編@小樽

 備忘目的で書きますが、この映画は「ゴジラ・マイナス・ワン」と読まれています。11月初旬の公開から既にまる1ヶ月以上が過ぎた土曜日の午後3時50分の回を久々の小樽築港の駅に屋根続きになった商業施設で観て来ました。この映画館に来るのは昨年3月に不発作『KAPPEI カッペイ』を観に来た際以来ですので、1年半以上ぶりの来館です。家から歩けば20分以上かかるJRの最寄駅から小樽築港は20分少々で着きますが、日常見ることのない海辺の鉄路からの景色は、ちょっとした旅行気分を味わえます。12月にしては比較的暖かい日で1日の最高気温は12度ほどでしたが、サーフィンに興じる人々はいませんでした。(翌日からは1日の最高気温が2度程度になると天気予報が伝えています。)

 この館では1日に3回の上映がされています。鑑賞当日に見た『王様のブランチ』では興行ランキングは『飛んで埼玉』に次いで2位をキープしていますが、大分観客動員が落ちてきているように思えます。新宿でも動員状況に敏いバルト9はドルビー上映も含めて1日3回になっており、先週見た際には1日4回だったように記憶しますので、じわじわと回数が減っています。新宿のマルチプレックス3館(歌舞伎町タワーの高額映画館は除きます。)全体で見ても、新宿ピカデリーは既に1日3回になっています。残るゴジラの生首ビルの映画館は流石に物理的にゴジラを冠しているだけあって、鑑賞当日には各種効果上映も含めると1日8回ですが、それも翌週から回数を減らす予定のようです。

 私は11月初旬に『SISU シス 不死身の男』をゴジラの生首ビルの映画館で観た際に、不正行為でこのゴジラ作品を見る絶好の機会が生じましたが、それを行なわなかったと記事に書いています。当たり前ですが、封切直後当時のこの作品の話題性は高く、動員も膨らんでいました。

 鑑賞当日前日の金曜日、札幌の中心街に出る用事があったので、薄野の地下鉄駅上にできた新大型商業施設を見てみるついでにそこに入っているTOHO系のマルチプレックスを覗いてみました。到着したのは午後5時10分前。午後5時10分からこのゴジラ作品の上映の回があったので、チケット販売機で混雑状況を見てみると、たった1ケタしか観客がいないことに驚かされました。

 札幌でも多くの映画館で一般料金が2000円であるのに、この映画館では一般料金がまだ1800円です。シニア料金に相当するのが「ハッピー55」と呼ばれる枠で、55歳以上で1100円というインフレという言葉を知らないかの如くの破格の設定です。(他館の通常のシニア枠が60歳以上で1300円という設定に比して驚くべき寛容さです。)寧ろこの作品のパンフレットを買ったら装丁がかなり立派で1100円し、映画のチケットとパンフレットの料金が同額という変わった事態になりました。

 ネットで見ると233席あるこの映画館では二番目に大きなシアターに入ると、ざっと見で60人ほどの観客が居ました。老若男女ごっちゃ混ぜのブレンド状態で、年齢でいうと僅かに30代の構成比が日本全体の人口構成比に比べて多いぐらいの感じで、子供から老人まで(乳幼児や超高齢者というような極端な部分を除いて)ズラリ揃っている感じです。単独客、男女・同姓同士の二人連れも居れば、比較的若い両親が子供2人を連れてきているケースやら、若い両親二組が何人かの子供を連れてきているケースやら多種多様で、地方都市に唯一の映画館の観客層という感じに見えました。

 小学校低学年などの子供にはドラマ部分が少々重た過ぎる作品ではあるようにも思えますが、考えてみると、老若男女に観客層を広く持ちえる作品として考えると、一般的に想像されるゴジラ映画は或る意味うってつけという感じに思えました。(「小学校低学年などの子供にはドラマ部分が少々重た過ぎる」と私が感じるのも、この作品を観た後の感想として思っていることで、従前の『シン・ゴジラ』に至るまでのゴジラ作品群なら余計のこと老若男女広汎な客層を持ち得そうに思えます。)

 私がこの映画を観ようと考えたのは、周囲の人々の奨めがまずあり、ネットでの評価もかなり高いもので、おまけに『シン・ゴジラ』を興行的にも上回ったという情報もありました。

『公開3日で興収10億円超
「ゴジラ- 1.0」は「シン・ゴジラ」を超えることができるか』
 https://news.yahoo.co.jp/articles/e40a9908e50a4a23e63ee1fb686ba25d208f74d6

この記事↑には

「今月3日に公開された「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」(山崎貴監督=東宝配給)が、5日までの3日間で興行収入10億4119万3460円、観客動員数は64万8577人を記録した。この数字を2016年に公開され、庵野秀明氏が総監督を務めた「シン・ゴジラ」(総興行収入82.5億円)の公開初日から3日間の成績と比較すると、観客動員対比で114.7%、興行収入対比で122.8%となった。」

と書かれています。私は『シン・ゴジラ』はまあまあ面白い作品だとは思っていますが、如何せん「エヴァをゴジラをモチーフに実写化しただけの作品」だと認識しているので、人間ドラマとしてきちんと作られた従来のゴジラシリーズ、取り分け平成ゴジラシリーズの魅力が全くない作品だと思っています。

 ですので、「『シン・ゴジラ』を超えた」とか「元のゴジラ路線に戻って楽しめる」などと聞くと、どのように『シン・ゴジラ』を超えたのか観てみたくなったのです。『シン・ゴジラ』のこのブログの記事で私は…

「私はゴジラ映画のファンでもあります。オリジナル第1作のゴジラと、(第1作の段階ではまだ平成ではありませんでしたが)平成ゴジラシリーズと括られるゴジラシリーズは、何度見ても飽きが来ません。さらにその後のミレニアム・ゴジラシリーズと言われる作品群も、ジャニタレが騒ぎまくる一部の作品以外は、私はとても好きです。そして、その制作時点各々の特撮技術が使い尽くされ、きちんとしたストーリー構成で、ゴジラが変に人類に慣れ合うこともなく、人類も自衛隊を始め死力を尽くしてゴジラに対峙する構図ができているものと感じています。つまり、従来のゴジラシリーズも、それなりに多くの作品が、怪獣映画として以上に、人間社会・人間組織の物語として十分耐えうるものになっていると思っています。」

と書いています。

 実際に観てみると、従来の平成からミレニアムに至るシリーズ作品を超えて、人間ドラマとしてきちんと成立させられていたように感じられる優れた作品でした。最大の成功要因として挙げられるのは、物語設定の妙であるように思えます。従来のゴジラシリーズに比べて、科学の粋を尽くしたような人類側の攻撃がほぼありません。米軍も国連軍も何も出て来ません。所謂怪獣映画として、他の怪獣が出て来てはゴジラと戦ったりしませんし、『ゴジラvsコング』のように強力なメカゴジラを前にしてやられ放題のゴジラとキングコングが共闘するような変な展開もありません。

 純粋に米国の水爆実験でさらに巨大化した元々水棲巨大生物が、(この時はまだ被爆前でしたが)離島の日本軍飛行場を徹底的に破壊し、さらに初代ゴジラのように銀座界隈に上陸して建物を破壊しまくるのに、戦争直後の大混乱期に民間の人々が命を賭しての対応を迫られる物語です。

『シン・ゴジラ』のように電車をぶつけてゴジラを倒すとかいう馬鹿げた作戦を取ったりしませんし、妙な政治劇や官僚劇もありません。『シン・ゴジラ』のようなほんの数秒の出演者まで多数の有名俳優を配して目まぐるしく登場させるような無用な演出もありません。直球勝負で無慈悲な超弩級の「猛獣」に人々が団結して戦いを挑む話なのです。

 この結果、色々な要素が丁寧に描かれることになります。ゴジラも全く人間の都合を考えず、単に猛獣として上陸しては人間を襲います。離島の飛行場では全く効き目のない銃でパンパンと応戦しようとする整備兵達を踏み潰し食い千切り容赦がありません。それ以外の主要な破壊は銀座のシーンですが、ここでも逃げ惑う人間達を踏み潰しながら追ってきますし、銀座通り沿いのビルを人を潰すために行なっているように見えるほどに、いちいち漏れなく破壊して行きます。こうしたゴジラの描写は、そのゴジラによって蹂躙される人々の悲劇によってさらにガッチリ縁取られ、肌理細かく描かれることになるのです。

 主人公の元特攻兵で特攻から零戦の機体故障を偽って逃亡した敷島は、帰投した島でゴジラの襲撃を受けて恐怖によりゴジラを戦闘機で攻撃することができず、飛行場に居た整備兵はベテランの一人を残して全員、為す術もなくゴジラに蹂躙されて無残な死を遂げます。ベテラン整備兵から、機銃を打たなかった敷島のせいで隊が全滅したと、死んだ整備兵一人ひとりの写真を無理矢理持たされます。空襲で焼け野原になった終戦後の東京に戻った敷島のボロ家に、赤ん坊の明子を死にゆく女性から託されて連れ歩いている典子が転がり込んできて、夫婦でもない(且つセックスもしない)関係の男女とそのどちらとも全く血の繋がらない乳幼児という混乱期ならではというような生活が始まります。

 敷島は三人の生活を支えるため、木造の掃海艇での機雷除去作業をすることになりますが、水爆で巨大化したゴジラに最初に遭遇し生き残った数人の日本人の一人になります。引き揚げた機雷を喰らわせゴジラに対抗しますが、ゴジラの能力的特徴などを把握したことが収穫とは言え、後から来た対ゴジラの本命である戦艦が眼前であっけなくゴジラに沈められるのをただ見ているしかできませんでした。

 そして典子が銀座で事務の仕事を得た頃、ゴジラが銀座に上陸します。ゴジラが口に咥えた電車から遥か下の水面に落下することで辛くも危機を逃れた典子が呆然とパニック状態の群衆の中を歩いていると、ゴジラが背後に迫ってきます。そこへ(どうやって見つけたのか分かりませんが)敷島が駆け付けます。旧式な戦車が数台、砲撃を開始し、ゴジラの注意が引かれると、漸く難を逃れたように見えました。しかし、戦車攻撃に対してゴジラは上陸後初の熱線を吐き、核兵器被害のような大爆発を起こします。その強大な爆風に気づいた典子は敷島をビルの隙間に押入れて救いますが、自分はタイミングが遅れ、爆風で紙屑のように一瞬にして吹き飛ばされていなくなります。

 敷島にとって、眼前で見るゴジラの問答無用の蹂躙の三度目でした。恋愛感情には至っていないものの、相互に助け合い支え合う相手さえ、ゴジラによって目の前で消されてしまいました。それも自分を庇った結果です。廃墟を去って行くゴジラの後ろ姿に敷島は慟哭とも絶叫ともつかない大声の叫びを延々と続けるのでした。その敷島には核爆発の黒い雨が降り注ぎますが、それでも彼は膝をつき叫ぶのを止めませんでした。

 当時のラジオでGHQについての報道を英語で聴くと「General MacArthur」が「蛇の目傘」に聞こえると知られるマッカーサー元帥もゴジラに対応しないことを決め、日本軍は解体されて既にいず、どうしようもない中で海軍経験者を中心に米軍が接収を取りやめた数隻の戦艦を操ってゴジラを「駆除」する作戦が動き出します。物語は前半を過ぎても、ゴジラの無慈悲さを延々と敷島に刻み込み続けます。後ろ4割ぐらいはゴジラ駆除の「海神(わだつみ)作戦」ですが、これとてもゴジラを海中深くに沈める作戦なので、映画全体を通してゴジラの登場時間はかなり短いものと思います。その中でゴジラは執拗に無力な人間を敷島の前で蹂躙し続けるのです。

 自分の中で「逃げたままで終わらない戦争」の決着をつけるべく、占領下でも辛うじて残っていた新鋭の局地戦闘機を整備して、元特攻兵の航空機操縦の技術を活かして、関東圏再上陸を果たしたゴジラを海上に誘導し、最後はゴジラの口の中に大量の爆薬を積んだ機体を突っ込ませ、敷島は自分の戦争の呪いから解き放たれることになります。

 この戦争とゴジラの呪いに苛まれ続け、ゴジラの前に自身の無力によって打ちのめされてばかりの敷島が、最後にゴジラに戦いを挑む姿は観る者の心を揺さぶります。特にゴジラ周囲で旋回しながら機体の行き先ではなくゴジラを睨み続ける敷島の機体斜め上からのショットは、機体を遠目に捕らえているのに、敷島の白目まで分かるほどに鬼気迫る眼光が感じられるのです。それは単にショットの冴えばかりではなく、それまでにきちんと積み重ねられてきた敷島の自身の呵責の描写によるものであろうと思われます。

 こうした丁寧な人物描写も『シン・ゴジラ』には全くない味わいで、他の従前のゴジラシリーズでも初代作品以外にこれほどのゴジラに対する人間の憎悪・怨念が描かれている作品がないのではないかと思えます。

 丁寧な描写は、科学的な設定の面でもそうであるようで、空想科学研究所主任研究員名義の…

『絶賛の嵐!『ゴジラ-1.0』は空想科学的にも興味深い、映画史に残る傑作だ!』
 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/79e29e18b0f5e07525d8931af2e83934c613f268

には、

「多くの深海魚が口から「うきぶくろ」を出して、海面にプカプカ浮いているのだ。それがゴジラ出現の予兆で、その後もこのオソロシイ現象は何度も繰り返される。深海とは「水深200m以深」の海を指す。水圧は海面が1気圧で、10m潜るごとに1気圧ずつ高くなるから、水深200mで21気圧だ。当然、うきぶくろの中の空気も21気圧だが、ゴジラ出現の影響で海面に移動させられたら、体積は21倍になる。口から飛び出してしまうわけだ。」

などと劇中の不吉な前兆の解説をしていたり、

「そして、ゴジラはスピードもかなりのもので、走って逃げる人たちが追いつかれていた。いったいどれほどの破壊力を持っているのだろうか。設定では、ゴジラの身長は50.1mで、体重は2万t。この身長で歩けば、体の重心は1mほど上下すると思われ、そのエネルギーだけで2億J。爆薬50kg分である。これに、前進しながら地面を踏みつけるエネルギーが加わる。逃げ惑う人々との比較から、ゴジラの歩く速度は時速40km以上と思われる。体重2万tが時速40kmで運動するエネルギーは12億J。詳細は省くが、前述の2億Jと合わせて、5億J近くになるだろう。爆薬120kg分だ。標準的なダイナマイトには200gの爆薬が含まれるから、1歩あるくごとにダイナマイト600本が爆発するのと同じ。コンクリート1500tが破壊できるエネルギーである。」

などとゴジラの歩行だけでも膨大な破壊力があることが説明されていたり、

「広島に落とされた原子爆弾では、キノコ雲を生んだ火球の温度は200万度にも及んだ。太陽の表面温度でさえ6000度だから、とんでもない高温だ。ゴジラの熱線も、同じくらいの温度に達した可能性がある。また、黒い雨とは、激しい上昇気流で生まれた雲から降る雨だ。」

などと慟哭する敷島に降り注いだ黒い雨についても説明されていたりします。記事のタイトルにある通り、他のゴジラシリーズでは(まして『シン・ゴジラ』では)望むべくもない科学検証ということなのではないかと推量します。

 こうした丁寧で細密な設定の物語を演じるには俳優側にもかなり高度な能力が求められるように思えます。敷島を演じた神木ナンチャラは一時期私が観る映画やドラマだけでも頻繁に登場して、「他に同世代の男優はいないのか」と思えるほどで辟易した覚えがあります。

 一般には『妖怪大戦争』、『桐島、部活やめるってよ』などの主演が有名で出世作と見做されているようですが、私が観た中では、つい最近DVDで観た『大名倒産』、劇場で観た『ホリック xxxHOLiC』辺りの主演が記憶に残っています。『バクマン。』、『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』、『屍人荘の殺人』なども彼が主演で一応記憶には残っているのですが、如何せん、彼の演じるキャラが軽くてオタオタする感じのケースが圧倒的に多く、先述のような辟易の主要な理由になってしまっています。その枠から多少食み出ていて、作品全体も好きだったこともあってかなり強く印象に残っているのは『SPEC』シリーズのラスボスを演じた彼でしょう。

 今回はその『SPEC』シリーズの彼を超えて、完全に物語全体を支える人間の苦悩を体現するキャラを表現することに成功しています。どこにもキャッキャする場面もオタオタする場面もありません。作品後半の彼から目が離せなくなるほどです。私が彼の代表作として記憶する作品にこのゴジラはなるように思えます。

 周囲を固める脇役陣もなかなかの実力派揃いです。ガーシー国会議員の逮捕で取り急ぎ悪い噂もネット上から忘れ去られようとしている浜辺美波は典子を演じ「NHKドラマの『らんまん』で神木ナンチャラと夫婦の役を演じたばかり」と言われています。モデルとなった植物学者牧野富太郎は、正妻を研究費捻出機として利用するに良いだけ利用し、愛人を二番目の妻とし、一方でさらに遊郭遊びや遊蕩に人生を使った人物で、その辺を「モデルにした」だけとはいえ、丸ごと無視した綺麗事の話に全く関心が湧かないので、私は全くそのドラマについての知識がありません。寧ろ、神木ナンチャラとの共演で言うなら、DVDで観た『屍人荘の殺人』の方が、いきなり四股を踏んでくれたりして印象に残っています。最近は劇場で観た『シン・仮面ライダー』では好演でした。以下のように書いています。

「最近はガーシー国会議員によって17歳にして会社経営者とパパ活をしていたと噂されているという浜辺美波は、私が劇場で観た映画作品にも『亜人』、『映像研には手を出すな!』など、幾つか出演しているのですが、如何せん、他に注目すべき役者がいたためか殆ど記憶に残っていません。映画作品では、DVDで観た彼女の出世作の“キミスイ”や、突如大邸宅のリビングで四股を踏む変な女を演じた『屍人荘の殺人』の印象がそれなりにあるだけで、世の中でそこそこ話題になる彼女についての認識は私の中ではかなり薄いままでした。今回はかなりツンデレ系の役割で、純粋な意味では人間でさえないような役なので、一応「新境地開拓」とか雑誌記事のサブタイトルなら書かれても不思議ではないような異色の役柄です。ツンデレ感も、ややブラコン気味の言動なども、よく表現できていたように感じられます。」

 あとはDVDで観たドラマ『アリバイ崩し承ります』と比較的最近になってから見直して再認識した映画『君の膵臓をたべたい』でも好感が持てます。しかし、本作ではその出演時間の長さから考えると、他の俳優陣の方が彼女より短い時間長でより目立っているように感じられます。特に注目したのは佐々木蔵之介です。目立ってます。『超高速!参勤交代』シリーズや『嘘八百』シリーズの主演が私は印象に残っています。また最近ではDVDで悪役を演じる新木優子観たさでレンタルした『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』のクセのあるヤサグレ刑事も秀逸でした。しかし、元特攻兵の敷島を受け容れる掃海艇の船長として、ゴジラに対峙する緊張から、当時の日本の政策を批判しながら受け容れる矛盾や、敷島に対する配慮や時に厳しい助言・批判など、神木ナンチャラの好演を引き立てる主要な材料となっています。

 ほぼ同じ立ち位置にいるもう一人の名脇役が吉岡秀隆です。私はやはり『北の国から』の印象が強いのですが、それ以降も、黒澤作品には出演するわ、『男はつらいよ』シリーズにはレギュラー出演しているわ、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズでも評価が高く、『Dr.コトー診療所』シリーズには19年をかけて主役を張り続けています。つい最近、DVDで新作にして完結編の『Dr.コトー診療所』を観て、さらに『はやぶさ 遥かなる帰還』を観たばかりでした。三現主義を貫く技術者や研究者、教育者などを演じさせるとピカ一だと思いますが、今回もまさにそのような役で、敷島を支えていました。

 他にもぽつぽつ隔週ぐらいで観て、結構面白いと感じるようになってきた今年の大河ドラマ『どうする家康』で本多忠勝を演じている山田裕貴も以前「カメレオン俳優」と言われただけあって、掃海艇のチームの一員として佐々木蔵之介・吉岡秀隆と並んで出ずっぱりですが、全く違和感を生じさせません。本多忠勝以前に昨年12月に劇場で観た『夜、鳥たちが啼く』も懊悩にずっと囚われたままの主人公を好演していたように思えます。

 ただ、神木ナンチャラと佐々木蔵之介は本作が私の中では代表作として記憶されるだろうと思いますが、吉岡秀隆は私には『北の国から』と『Dr.コトー診療所』の人であり、山田裕貴も『夜、鳥たちが啼く』主人公と本多忠勝のままであり続けそうな気がします。

 あとは顔があまり好きではないので(おまけに『罪とか罰とか』のおかしな役で初めて認識したのが余計に印象を悪くして)あまり関心を持っていませんが、何をやらせても自然にハマる安藤サクラも、最近DVDで観た『ある男』や、トレーラーで再三観た『BAD LANDS バッド・ランズ』、『怪物』、『万引き家族』などの演技力が本作でも炸裂しているように見えます。

 私にとっての邦画50選にはちょっと厳しいですが、名作です。『シン・ゴジラ』は言うまでもありませんが、私の好きな平成ゴジラシリーズのドラマ性を抽出・濃縮するような作業に見事に成功した逸品的な作品だと思います。DVDは当然買いです。

追記:
 ゴジラを海中から急激に浮上させるための浮袋づくりを行なうメーカーの社長を飯田基祐という男優が演じています。名前を知ったのは今回の作品のパンフを見てのことですが、鑑賞中からどこかで最近観たことがあるとずっと気になっていました。彼のウィキにも現時点では載っていませんが現在放映されているドラマ『今日からヒットマン』のカンウの役でした。カンウについてのエピソードがかなり面白かったので、吉岡秀隆と山田裕貴同様に、カンウの記憶の方が鮮明に残りそうです。ウィキで見ると、テレビドラマでも映画でも私が観たことのある作品群にやたらに出演しています。名バイプレーヤーということなのだろうと思われます。