11月3日の封切です。それから2週間少々経った水曜日の午後8時の回を新宿のピカデリーで観て来ました。都内では28館。23区内で20館弱上映している映画館があります。『王様のブランチ』でも興行収入ランキングに初登場2位で、この段階でも1日5回上映していますが、当初よりは上映回数が減っていて、やや興行状況に陰りが出た感じがしてきたので慌てて観に行くことにしました。
当日は私の誕生日で60歳ジャストになりましたので初のシニア割を試すべく映画館に行ってみたということもあります。行ってみると、当日は水曜日で毎週の割引日なので、シニア料金も一般料金も同じ額で、全く意味がありませんでした。毎週水曜日には「水曜日のシニア特別割引」があって然るべきではないかと思えたりしました。おまけに、何らかの年齢チェックもなく、シニア券を買えば、そのまま入れるだけなので、これからもシニア割引の(くだらないドヤ感ですが、「どうだ、老人だぞ」という)微かな充実感を抱くことはなさそうです。この作品は尺が70分しかないので、その意味でも割高感があります。
シアターに入ると観客は50人ほどもいて、毎週水曜日の割引日のために増えているのならロビーの段階でごった返していても不思議ありませんから、やはり、この作品の人気の様子がこの観客動員数の状況と考えるべきなのだろうと思います。
男女構成比はざっと見で女性が7割ぐらいで20代が中心層に見えました。男性は20代後半から30代ぐらいが中心層で単独客は限られています。女性は単独客か女性同士の2人連れ、男性との2人連れと言った感じのバリエーションですが、それに加えて、小さな子供を連れた両親という3人連れの母親というパターンも数組いました。
ネット上では、パフュームが主題歌を歌うことが話題となっており、たぴおかの三匹(三体/三人?)が「たぴゅーむ」というグループになって、ミラーボールの下のステージで主題歌の「すみっコディスコ」を歌い踊る動画が可愛いと注目を浴びていました。(たぴゅーむ達よりも、目と口が穏やかな表情を浮かべたままのミラーボールの方が私には印象的でした。)第一作に比して、第二作はややパワーダウンした感じがあり、とかげの会えない母を訪ねる物語は魔法使いの子の登場を上手く絡められず、メリハリを減じた展開になってしまったように感じました。興行収入的にはどうだったのか分かりませんが、このパワーダウン感を補う手段の一つがパフュームの起用なら、相応の効果があったようにはネット上の評価を見る限り思えます。
私がこの作品を観ることにしたのは、コンプリート感が大きいように思います。娘が好きな「すみっコぐらし」のキャラ(の外観と設定)や世界観、そしてグッズ展開などに付き合っている中で、第一作も第二作も観ているので、第三作も(米国に居てリアルタイムで観られない娘に代わって…という意義もあって)観てみようということでした。
前述のたぴゅーむの件も含めて、事前にネット記事を幾つか読んだので、この作品のレビューも珍しく上映前に数件予習をするような流れになりました。概ね高評価で、私と同様に第二作のパワーダウンを憂いていたファンも第三作は第一作に並ぶ程度、または、第一作を超える程度の評価をしていることが多いようでした。
レビューの中には、「メインキャラクターのひとりがほとんど出てこなかった」と記述があり、それが誰かと私も気にして本編を観ましたが、今一つ、明確に分からないままに終わりました。本作では舞台が標題の通りの工場で、すみっコ達はそこに寝泊まりして働いていますから、すみっコ達の家は殆ど登場しません。その結果、「ほこり」と「おばけ」が殆ど出て来ないことになるのは必然だと思います。(後で、画像を色々見てみると、「ほこり」は時々いたような気がしてきましたが、)そのことを指摘したレビューだったのかどうかは分かりません。また、同様にレビューの中に、「前々作のゲストキャラひよこ?や前作のゲストキャラふぁいぶが…」というのもあり、第一作の「ひよこ」や第二作の「ふぁいぶ」が出ているというネット上の情報は他でも確認しましたが、チョイ役の彼らに私が気付くことはありませんでした。
私が前二作で気になっていたナレーションのわざとらしさや目立ち過ぎな感じについても、本作ではナレーション担当が本上まなみのみになったことや、それでも尚、ナレーションが目立ち過ぎているという感想を事前に読んで知っていました。観てみるとやはり概ね同意できる意見でした。基本的に本上まなみには『幸福のスイッチ』などの好演で好感を持っていますので、本上まなみのみのナレーションを私は歓迎しますが、その声も以前よりボリュームがアップしているように感じられますし、「うわぁあ」などの大声を上げてすみっコ達の驚きや慌てようを代弁している場面も多く、確かにやり過ぎ感を感じる部分が幾つかありました。後述するように、前二作に比べてドタバタ・シーンやらパニック・シーン、カー・チェイスのシーンなども存在する物語展開なので、従前のペースでナレーションを入れても、やり過ぎ感が出てしまうということもあるような気はしないではありません。
今回の物語は今までの二作の物語に比べて、妙に現実感があります。絵本の中の世界でもなければ、魔法使いも出て来ません。敢えて酷い表現を選ぶと、すみっコ達が騙されて工場に徴用されて軟禁の上で強制的に玩具生産作業に従事させられる物語です。そこに並行してしろくまの子供時代の物語や、離れて暮らす家族とのつながりなどを描く物語が進みます。しろくまは実家を訪れてからすみっコの家に現れた(すみっコキャラの「ぺんぎん?」ではなく本物の)ぺんぎんから、しろくまが子供の頃に兄弟で大事にしていた、今は修繕を重ねて継ぎ接ぎになった茶色い熊の縫い包みを受け取ります。この縫い包みの存在は物語の重要なカギで、後にすみっコ達が働く玩具工場で過去に作られた製品であることが判明します。
玩具工場は作品タイトルに拠れば「ツギハギ工場」ですが、外観もそれほど継ぎ接ぎ感がありません。寧ろしろくまが大切にする熊の縫い包みの方がかなり継ぎ接ぎです。工場は最新鋭の機器も設置されており、AIで管理されているとしか思えないぐらいの生産管理体制をもっています。正確に言うとAIであるのかどうかは微妙です。なぜなら工場そのものがすみっコ達と同等のキャラであることが物語の後半で発覚するからです。
小さな町工場のようなスタートをした玩具工場は皆に喜ばれるおもちゃを供給し、その存在意義を玩具生産作業そのものに見出します。「もっとおもちゃを作らなきゃ」という想いとは裏腹に、市場はいつか飽和して(その辺の経緯はスルッと流されていますが)玩具工場は結果的に打ち捨てられることになったようです。工場は意思を持って、誰かがまた生産ラインを起動するのを待っていて、その起動と共に再び皆に喜ばれたくて果てしない生産目標を掲げるようになって行きます。
この起動スイッチを誤って押してしまうのがしろくまで、すると茶色いクマのくま工場長が現れて、すみっコ達全員を社員としてリクルーティングします。結構、強引なリクルーティングで、働くことなど考えもせず一旦帰宅したすみっコ達を翌朝わざわざバスを仕立てて家にまで迎えに行って、褒め千切って煽てて工場で玩具づくりをすることに同意させるのでした。バスの中で工場の制服に着替えさせる念の入りようです。
こうした今時のワーク・ライフ・バランス丸破りの蟹工船か女工哀史かといった感じの労働の物語展開は、すみっコの話とは言えそれなりにダークな感じがします。工場内でも持ち場から離れたすみっコ達は天井方向から伸びてくるアームで捕まえられて持ち場に戻されます。(すみっコ達の家にもこのどこから伸びて来るのか分からないアームは存在しますがUFOキャッチャーのような水平運動と垂直運動が切り替え式のものです。それに対して工場のモノの方は関節があって三次元を自由に動く高性能なものです。)
そしてすみっコの映画作品にして初めて珍しく悪者っぽい存在も登場します。それは当初先述のくま工場長かと思っていると、実はくま工場長もこの工場でできた自動で動く縫い包み系の玩具だということが判明します。そしてそれを操っているのは、意思を持つ巨大工場そのものだったというオチです。
その意思を持つ工場が巨大ロボになるのは、コミックの『ブラッククローバー』に登場する主人公達の住む屋敷のようです。そして巨大ロボはタコ部屋労働から逃げるすみっコ達を立ち上がって追いかけてくるのです。追っ手から必死に逃げるなどはよくあるハラハラドキドキ場面ですが、それがあのほんわかおっとりした表情と言動のすみっコの物語で登場するとは驚きです。
大体にして、すみっコ達のあの体型では狭い通路などで事故を起こしてしまいそうですし、あの指も満足にないような(前足のケースもありますが)手では細かな作業など決してできそうにないのに、すみっコ達は(くま工場長に半分煽てで言われた)各々の強みを活かして生産活動を行ないます。中には作業が上手くいくとドヤ顔をする者まで居て、結構まんざらではない感じで生産に当たっています。すみっコ達が朝にラジオ体操までする住み込み労働者になり得ること自体に驚かされます。
一方で女工哀史的物語に並行して語られるしろくまの継ぎ接ぎ縫い包みの物語は、おもちゃへの郷愁をノスタルジックに描いていて、縫い包みが傷むたびに白クマ兄弟が寝ている間に、母しろくまが縫って修繕していてくれているのを、兄弟達は分かっていて、それを大切にしながら遊び続けます。今時のゲームやスマホではなかなか得られない玩具遊びの懐かしさや学びが十分に表現されている物語です。日本語の「勿体無い」にノーベル賞受賞者のワンガリ・マータイが演説で言及して、その概念が他国ではあまりないものであることが多くの日本人には驚きでしたが、派手で騒ぎまくり冒険までする『トイ・ストーリー』シリーズの玩具達では表現できない、長く大切にされる玩具の物語だと思います。
実際に誰にも顧みられなくなった玩具工場が最後にエネルギーらしきものが尽きて、大人しくなり、すみっコ達に対して「役に立たなくなった工場は捨てられ忘れ去られる」と辛い胸の内を明かすと、すみっコ達は居場所が見つかりにくい自分達のことも振り返りつつ、「役に立たなくたって忘れないよ。ボクたちは友達になればいい」と玩具工場に向かって言います。そしてしろくまはその工場でできた継ぎ接ぎになっても大切にされている縫い包みを工場に示すのでした。「大人でも、すみっコの物語が初見の人間でも、ホロッとさせられる」とレビューにありますが、主にこの場面であろうと思われます。
しろくまの物語は前作のとかげの物語のように、心に沁みるすみっコ達の物語の典型的な展開です。しかし、今回の作品は、まるですみっコ達の世界に労働基準監督署でもあるのかというような社会風刺にさえ思われる物語を主軸に配して、その中で今までのすみっコ達の世界観では想像もできないような強制労働に従事させられオタオタするすみっコ達を描いた点で斬新で、一歩間違えば妙にシリアスな展開によって従来の世界観を破壊してしまいかねないようなリスクのある挑戦だったように思えます。その違和感やギリギリ感を上手くまとめてあの丸っこく可愛いキャラ達の世界に何とか収めたことがこの作品の前作を超える大きな魅力なのではないかと思えました。
楽しめる作品です。3Dスキャナで全身をスキャンされたとんかつの等身大のレプリカがどんどん量産されて(この工場で作られて検収マークを付けられると玩具類は自動でワラワラ動き出すので)工場内を所狭しと埋めて群衆化する様子なども、実写やアニメでも劇画チックだったら、ゾンビ作品などのように恐怖感が漂うことと思えますが、ワラワラいるとんかつの風景は微笑ましい限りです。テレビシリーズのエヴァの後半に、巨大水槽を埋め尽くす心のない綾波レイの風景がありますが、やはり工場を埋め尽くすとんかつとは大分印象が異なります。
前にもすみっコぐらしの検定テキストで「みにっコ」という表現を知ったような曖昧な記憶もありますが、今回改めて意識しました。みにっコ達まで(すみっコだと横縞の木彫りこけしのように横に長くなりすぎて着ている衣服なのか模様なのか分かりにくい制服は体型的に無理だったようで)御揃いの作業帽を被っているのは微笑ましかったです。
映画の中では、工場はどのようにして没落していったのかが、軽く流されているのが少々気になりました。多くの海外の企業は市場に適応できなくなると、あっさりと廃業したり、他社に吸収されて消えて行きますが、日本企業は鐘ヶ淵の紡績会社がカネボウになって化粧品を扱ったり、富士フイルムが写真用フィルムなどの感光材料の会社から今は化粧品まで作る会社になったりするなど、自社で満たせる世の中のニーズを見つけて変化していくことがよくあります。エンドロールではすみっコ達がニーズが無くなった工場で映画の上映会をしています。
映画館になっても普通にやっていれば、かなり厳しい業況に曝されそうです。いずれにせよ、新しい生き方を工場は友達となったすみっコ達と見出すことができたのかと胸を撫で下ろしましたが、エンドロール後のナレーションでは、工場は街を去って、他の街で皆を喜ばせているというようなことが言われています。それは玩具製造のニーズのある場所に移動したということなのか、映画上映場所として田舎のコミュニティ・スペース的なニーズを満たせる所に移動したということなのか、私にはよく分かりませんでした。
考えてみると、すみっコ達は居場所が見当たらず疎外感や断絶感の中に生きる存在であるが故に、物語的には新たな友達ができても近くに住む仲間にしていくことができません。第一作でもひよこは絵本の世界に留まり、第二作でも魔法使いは自分の世界に戻って行き、とかげも再会した親と別れて暮らす生活に早々に戻りました。第三作の工場は街外れに存在するようですが、そのままそこですみっコ達と友達になって存在し続けることができたはずです。すみっコ達の準レギュラー的なお友達になれたら良かったのにと少々思えてしまいます。
パンフは高価な特別版の方を買いました。すみっコ達の物語にしてはかなり冒険的な内容だと思います。(カー・チェイスがあるなどの冒険という意味ではあまりありません。)DVDは勿論買いです。
追記:
この作品鑑賞に先立つこと1ヶ月ぐらいのタイミングだったかと思いますが、新宿の東急ハンズの2階の通行量の多い通路沿いの場所に、一見、すみっコ達のような縫い包み群が山盛りてんこ盛りになっていたので、「すみっコの特設コーナーだな」と近づいてみると、すみっコ達と同じ表情と体型でしたが、すみっコ達ではありませんでした。すみっコ達を世に出しているのはサンエックスという会社ですが、そこで「すみっコぐらし」の原作を担当した横溝ゆりというデザイナーの新シリーズの「なんでもいきもの」の縫い包み(+一部関連グッズ)群だったのです。ネットでは横溝ゆりは退職したと書かれているページも見つかり、(権利的には勿論大丈夫なのでしょうが)生みの親を失ったのかもしれないすみっコ達の今後が少々気になります。
追記2:
劇中で大量生産された玩具類は街で(何故か販売されるのではなく)路上でまで溢れ返るようになっています。ここで多分私は初めて認識したと思いますが、すみっコ達が住む街の様子が分かります。街に住む色々なサブキャラが溢れる自動玩具類に困惑してオタオタする姿がなかなか可愛らしく思えました。画像記憶もできず、そこまで入れ込んでいないライト・ファンの私も、DVDを買って図鑑などを片手に一時停止を駆使しつつ見れば、どこに誰がいるかもよく分かるのかと思います。
追記3:
工場で制服を着た場面で、しろくまが時々包まっている風呂敷がスカーフのようになって制服の背中の上部にニコニコ顔が出ているのには笑ってしまいました。