『ドミノ』

 10月下旬の封切から3週間が経った土曜日の夜10時35分の回を久々の感があるバルト9で観て来ました。新宿では3館で上映され続けてはいますが、上映回数を見ると風前の灯と言った感じで、ピカデリーでは1日2回、バルト9と歌舞伎町のゴジラの生首ビルの映画館で各々1日1回の上映しかされていない状態になっています。もともとそれほどメジャーな作品でもなく、尺も94分と短く、この作品が新宿3館で上映され始めた設定の方が寧ろ異例なのかなとも思えます。

 私がこの作品の存在に気づいたのは、多分、『王様のブランチ』での「秋の作品紹介コーナー」のような多数の作品紹介の一部にこの作品が混じり込んでいたのを観た際だと記憶します。その時に、主人公の刑事が自分の娘が誘拐されるトラウマ的な出来事から現場復帰した早々、娘の情報を持っていると目される或る犯罪者を見つけ追跡を始めるが、その犯罪者が催眠術を使いこなし苦戦する…と言った物語であることを、短いトレーラーで何とか理解しました。

 私は趣味と実益を兼ねて催眠の技術を勉強しているので、この作品に一定の関心が湧きました。「一定の関心」で留まったのは、催眠技術をネタに採り入れた映像作品は多数存在していて、殆どどれもが私の催眠技術の師匠である故吉田かずおの教えと合致するような催眠の概念を採用していないという認識からです。取り分け、催眠の技術を悪用して、数々の殺人を含めた犯罪を実行する犯罪者の作品だけでも多数存在します。その催眠技術を主要なテーマに採用した物語で、犯罪に偏らない方が寧ろレアに見えるぐらいかと思います。

 例えば、役所広司主演の『CURE』は「催眠 犯罪 映画」のキーワードで検索するとよく出てくる作品です。『ケイゾク』や『不能犯』なども『CURE』どころではないとんでもないレベルの催眠技術を駆使する犯罪者の物語です。また洋画でも直接的に犯罪に関与するのではなく犯罪の後始末に催眠技術が用いられる『トランス』などの作品もあります。『グランド・イリュージョン』シリーズ二作でも、ウディ・ハレルソン演じる詐欺師集団のメンバーの催眠術師がかなり難易度の高い(というよりも実現度が極端に低い)催眠の技の数々を披露しています。

 このようにして考えると犯罪系の催眠技術の映画は簡単に見つかりますが、そうではない映画はなかなか見つかりません。過去に劇場鑑賞した中では辛うじて2019年の『ダンスウィズミー』ぐらいかと思いますが、この作品も催眠技術が肯定的に使われているものではありません。その感想記事で私は以下のように書いています。

「 もう一つの理由は、私が日本の実践催眠術の第一人者である吉田かずお先生に知り合ってからのここ5年余り、趣味でちょっと研究している催眠技術をモロに扱っている映画であるということです。催眠の技術が扱われている映画はたくさんありますが、大抵は犯罪がらみのものばかりです。特に催眠によって殺人を引き起こす話は非常に多く、有名どころでは、テレビ・シリーズで大ヒットした『ケイゾク』や、コミックでも売れているらしい『不能犯』など枚挙に暇がありません。殺しが関わらなくても、『トランス』や『グランド・イリュージョン』など強盗・窃盗など犯罪のオンパレードです。それに対して、この作品は数少ない(一応)まともな催眠技術の用法についての作品になっています。それも、演芸催眠では比較的最近有名な十文字幻斎氏が催眠術指導に当たっているので、相応のリアル感を伴っています。ということで、観なくてはならない作品だったのです。

(中略)

 これらの点に比べて、催眠技術を犯罪に使わない映画作品としては、たくさんの見所があります。ただ、私の師匠の吉田かずお先生が、演芸催眠からヒプノセラピーによる心の問題解決まで手掛けるオール・ラウンダーであるのに対して、あくまでも、「掛かる人もいれば掛からない人もいる」という想定の演芸専用の催眠術は、掛からなかった場合、「こういう人もいるんです」で済ませられて、安易さが非常に際立っていました。「催眠には誰でも掛かる。掛からない人が出るのは、掛ける側の催眠術師が下手なだけだ」というのが前提条件の吉田先生の考え方だと、結構、この劇中の催眠術師も苦労するだろうなぁと思えて、嘆息させられました。」

 このように、元々実態がきちんと理解されていず、誤解や偏見が多々ある催眠の技術を映画というエンターテインメントの作品のモチーフに引きずり出すと、どうしても実態から乖離した内容になってしまうのです。そういった「お約束」が分かっている私は、催眠技術に関わる作品でも、「すわ、一大事」と言ったノリにはならなかったのでした。それが、「一応観てみるか」に変わったのは、私と同様に催眠技術を相応に極めつつ、それを経営コンサルティング系の仕事の傍らの副業の位置においている知人が(催眠技術に関わる映画と知らず)観てみて、それなりに高評価をしていたことに拠ります。

 この催眠技術を主テーマにした作品のタイトルがなぜ『ドミノ』なのかが映画を観るまで引っ掛かっていました。一般には有名ピザ屋のチェーン名か実際の遊び方よりも牌を並べて倒す現象の方が有名なゲームのドミノぐらいが思い当ることでしょう。私は砂漠の真ん中でセックスを始める美人傭兵を描いた2005年の『ドミノ』とキッスの名曲『ドミノ』、そして辛うじて『デッドプール2』に登場する常に幸運を呼び寄せるという変わった能力を持つミュータントの女性を思い出します。ドミノ・ピザは過去に食べた記憶が明確にありませんし、ドミノのゲームはしたことがないからです。

 私が記憶する3つのドミノは、すべて妖艶で謎めいた魅力のある女性の名前として用いられています。なぜドミノにはそのようなイメージが絡みついているのか分かりませんが、少なくとも、ドミニクという女性の名前(時々苗字としても用いられることがあるようですが…)の略称・愛称として用いられるのは間違いありません。ピザチェーン店のドミノも創始者の名前から付けられたものであったはずです。一方でゲームのドミノの方は、ラテン語の“DOMINUS(「主人」の意味)”が起源であると言われているようです。

(ちなみに“DOMUS”が「家」のようなので、“domestic”などの単語の語源だと分かります。)

 ということで、この作品を観ようと予定をチェックしたり、劇場に実際に向かおうとすると、ずっと頭の中にはキッスの名曲『ドミノ』が流れ続けるようになっていました。そして、この作品が催眠技術的にも私の記憶に強く残るようなインパクトを持つ作品だったら、この「ドミノ連想」模様は塗り替えられるのだろうなと想像したりしていました。しかし、パンフを購入しようとショップ前に立った所で、この作品は私の脳内ドミノ連想に加えられることがないものであることが発覚しました。分厚い(殆どミニブックといった綴じ方や形状の)パンフの表紙にはどこにも『ドミノ』と書かれていないのです。デカデカと書かれているこの作品の原題は『Hypnotic』で「催眠」そのものズバリだったのです。

 実際に映画の中には壮大なドミノ倒しの場面がチラリと登場しますし、劇中の謀略のカギとなる言葉がドミノではあるのですが、当然ながら、劇中で用いられる頻度を見ると圧倒的に「ヒプノティック」の方が優勢です。別に『ヒプノティック』という片仮名タイトルにして問題がなさそうに私には感じられます。たとえば、私の記憶の中では『恋しくて』は『Some kind of Wonderful』で、『恋はデジャ・ブ』は間違いなく『Groundhog Day』です。前者は『恋は…』だの『愛は…』だののタイトルが乱立しすぎていて、原題の方がすっきりした冴えを感じるという話(仮に別の邦題を付けるのなら、絶対に原題にかなり忠実な表現にすべきだったと思います。)ですが、後者に至っては全く馬鹿げたネーミングとしか思えません。それらと同様に本作は私の記憶には『ヒプノティック』として留め置かれることになると思います。

 シアターに入ると、明るいうちは私以外に男性ばかり5人ほどの観客がいました。30代前後に見えるのが3人と私ぐらいの60代前後が2人です。その後、暗くなってから30代ぐらいの男女二人連れが1組となぜか最前列にポツンと座った30代ぐらいの男性が1人が追加になりました。バルト9のロビー階の小さなシアターだったと言え、かなりのスカスカ状態です。上映時間枠が終電時間を過ぎることを考えれば、無理もないのかもしれませんが。明るいうちから居る30代か40代ぐらいの男性1人は、本来の席がどこなのか知る由もありませんが、映画上映開始までの間のトレーラーなどが流れている時間に、数度席を替えて彷徨っていました。その他で見ることが殆どないような行動の動機は全く分かりません。

 映画を観てみて思ったのは、私がかなり好きな『不能犯』などに見るような瞬間催眠の技のキレ味がなかなか見応えがあり、かなり非現実的な催眠技術のレベルで私がどれだけ修行しても至りそうにないレベルの技が次々と炸裂しますが、それが何らかの脳の改変のようなことに拠る「超能力」と位置付けられていることです。日本の映画で言うなら『不能犯』や『CURE』のような催眠技術の中で際立った高等さの技術が犯罪に使用されているという位置付けではなく、(催眠技術のように見える(且つ、催眠技術が原理的な応用の元なっていることから)「ヒプノティック」と呼称されている超能力なのです。

 とすると、日本の映画作品で言うとこうした人を瞬時に操作することができる超能力で言うと藤原竜也主演の『MONSTERZ モンスターズ』がかなり近いように思います。いきなりの集団催眠×瞬間催眠のとんでもない技術やたまに全くその技術が通用しない人間が存在するなどの共通点は多く、寧ろ催眠技術の映画として見ない方が楽しめるように思えました。

 そして、この技術群そのもの以外に、記憶を消去することや記憶をリセットすることといった概念が映画の中盤から導入されます。さらに、同タイミングで世界が異次元空間の歪みを持っていたり、全くのVR的な仮想現実のように認識されたりすることも「ヒプノティック」の技術にあることが見えてきます。ここまで来ると何でもアリで、物語も遠慮なく安易に大どんでん返しを何度も観客に喰らわせてきます。

 通称武漢ウイルス禍の関係で制作が中断されたり延期されたりを重ね、予算が不足するようになり、インディーズの頃から映画関係の仕事を何でもこなした経験のあるロバート・ロドリゲスは原案から制作・脚本・監督までの大活躍をし、さらに(これは通称武漢ウイルス禍下でなくてもそうであることが多いようですが)次男が制作の一部、三男が音楽、四男がプリビズ(CG映像制作のためのシミュレーション映像)制作に関わっているとパンフに書かれています。

 ロバート・ロドリゲスというと、『デスペラード』、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』、 『シン・シティ』シリーズなど、中米風ラテン・テイストの短いカットを重ねたアクション作品ばかりが思い出されます。比較的最近の『アリータ: バトル・エンジェル』がやや流れから外れていますが、それは感想にも…

「 そして、『銃夢』は三作の中で最も登場が遅く1991年です。OVAが早くも1993年には制作され、それを観た、『パシフィック・リム』などの作品群でも和製SFの強烈なファンと分かるギレルモ・デル・トロが1999年にジェームズ・キャメロンに紹介するや否や、彼はそのコンセプトに惚れこみ2000年には映画化権を獲得したと言われています。(ちなみに、ギレルモ・デル・トロとは好きな作品を見せ合う関係のようで、ウィキに拠れば「ギレルモ・デル・トロはキャメロンの勧めで見た、押井守の『機動警察パトレイバー』が、2013年の『パシフィック・リム』に多大な影響を与えたと語っている」とのことです。)

 ジェームズ・キャメロンは、『銃夢』の映画化を進めようとしますが、主に『アバター』(米国映画)本編と未だ公開されていないその続編の制作にかかりっきりで手が回らず、私は『シン・シティ』シリーズと他数本ぐらいしか作品を知らないロバート・ロドリゲスが監督することになったと言います。ジェームズ・キャメロンは既に細かなキャラ設定や長大な脚本を創り上げていたと言われ、その脚本を圧縮してまとめることができたことで、ジェームズ・キャメロンから最終的なゴー・サインが出たという話のようです。」

と書いたような経緯の作品なので、異色であるのでしょう。

 そのロバート・ロドリゲスの私の持っている作品イメージと比較すると、舞台が中米テイストであることが多いのは一応共通ですし、テンポの速いガン・アクションが続くのも頷けます。ただ、ヒプノティックの歪んだ認識や簡単に書き換えられる認識の世界を表現するCG演出は、まるで『インセプション』、『TENET テネット』の監督であり、『トランセンデンス』の製作総指揮を務めたクリストファー・ノーランの作品のように感じられます。

 そのように描かれる催眠技術的な「ヒプノティック」の技術ですが、その世界観を構築するのは純粋に脳内にイメージとして構築するということだけではなく、非常に簡素な造り込み状態ながら、まるで30年ほど前に私が行ったユニバーサルスタジオハリウッドの映画セットのような場を創り上げて、そこで催眠状態にした主人公を行動させ、組織の人間は(全員原色のブレザー的な制服を着たままですが)そこで役者のように主人公に接して行き、脳内世界観を外部でも演じて構築を支援しているのです。

 現実に催眠施術の際にも、身体の動作に関わる暗示の際には催眠状態の中で、その身体動作を実際にさせることは確かにありますし、例えば箸を持つ動作なら、箸ではないものの何かの棒状のものを手に持たせてイメージさせるなどのことは確かにします。しかし、劇中にあるように舞台設定まで広いスペースに作ってしまってそこで暗示世界を現実的に補強するという事例はそうそう見るものではありません。フィクションではあるもののなかなか面白い事例だと思いました。

 何かの戦争映画で突撃部隊の訓練で、訓練所内に設けられた実際の建物を舞台にして演習を行なうような場面を観た記憶がありますが、こうした映画セット的な舞台を用意して実験や演習を行なう発想は、特にプラグマティズムの国である米国では、かなり普通のものなのかもしれないと、ディズニーも含めた世界観系大型アミューズメントパークの多くが米国起源であることに気づいて考え至りました。

 AIの技術進歩で動画上のキャラの入替えまで行なうような加工技術が実現していて、元々のVRやARもどんどん人間の認識にリアルに食い込んでくるようになりました。しかしそれはあくまでも脳の外部から信号として脳に送り込まれる情報の入力前加工技術です。催眠の技術は脳の内部にある処理プログラムを編集する技術です。この二つが掛け合わされた時、どのような可能性が広がるのか。そういったことを考えさせる作品でした。

 催眠技術の可能性という純粋な観点だけで見ると、荒唐無稽な技術レベルであっても『不能犯』などの方が(集団催眠をいきなり発動したりしない分)まあまあ参考になるように思え、本作の超能力「ヒプノティック」は超常レベル過ぎます。(ただ、冷戦期にはCIAが催眠技術(の一環である洗脳技術)を用いてカストロなどの暗殺を企てていたこともあるのですから、発想としてはそれほどぶっ飛んでいる訳でもありません。)

 一方でこの作品に登場する商店街に店を開いている「催眠相談」のような業態は確かに米国には存在し、日本にも第二次大戦直後ぐらいまでは全国に2、3万は存在した霊術師的な商売店舗の実態が、催眠を用いたセラピストのクリニックと並んで登場するのは、非常に興味深く感じました。

 主演のベン・アフレックは、最近漸く降りることにしたというDC系のバットマンの役では、マスクから馬面系の顔が長く食み出て見えて醜悪に感じられましたが、今回は『ザ・コンサルタント』(この映画も原題『The Accountant』の方がすっきり来ます。)などの頼れるマイトガイ系の役は嵌っているように感じられ、安心してみていられました。DVDは買いです。

追記:
 新作のプリキュア・オールスターズは先日観てからまあまあ日が経ち、既にバルト9でも上映されていませんが、なぜかグッズ・ショップにクリアファイルセットが今頃売られていたので、取り急ぎ、1点購入しました。

☆映画『ドミノ』