『沈黙の艦隊』

 9月末の封切から1ヶ月余り。木曜日の午前11時25分からの回を歌舞伎町のゴジラの生首ビルの映画館で観て来ました。1日に2回しか上映していません。新宿では大型館3館全部で上映していますし、全国でも300館以上での上映というメジャー作品ですが、その観客動員の失速感は甚だしく、新宿3館でも1日に1~2回の上映しかしていず、できればバルト9かピカデリーで観たかったのですが、上映時間と仕事などの都合が合わず、かといって、延期すると上映が終わってしまう可能性も感じられたので、致し方なく歌舞伎町に赴きました。(案の定、翌日の金曜日からは、新宿の3館が全部1日1回の上映になっていました。最早風前の灯と言う感じです。)

 平日の午前中とはいえ、やはり客足は限られており、88席の比較的小型のシアターの中で、20人弱しか観客はいませんでした。女性は男女二人連れ客2組の合計2名しかいず、片方が20代ぐらいでもう一方が30代後半ぐらいに見えました。残りの15人ぐらいの男性は30代、40代がほんの数人いる以外は、皆、私と同程度か年上の年齢に見えました。原作コミックが連載していたのは1988年~1996年ですから、完結したのでさえ30年近く前です。男性の多くの客はリアルタイムで原作を『週刊モーニング』で読んでいた世代であるように感じられました。

 この作品はコミック界の歴史に残る名作の一つだと思います。国会の議論の中でも言及されたり、当時の防衛庁の広報誌にこの作品内容に基づく連載記事が設けられたりするなど、社会的なインパクトが非常に大きかった作品であるからです。それで、私も当初この作品の大ファンで、当時A4版で限定販売されていたバージョンを集めようと、既に5巻ぐらいまで出た後に思い立ち、慌てて買い急いだものの(ネットもない時代ですから)1巻と5巻だけどうしても手に入らず、通常サイズのコミックを泣く泣く買う状態になってしまい、今に至っています。(つまり、今でも全巻を並べると1巻と5巻だけ背が低い気持ち悪い状態になっています。)その数年後、香港に出張で滞在している際に、広東語訳された海賊版と思われる『沈黙の艦隊』のコミックを見つけ、流石に全巻買うのは躊躇されたので、サンプル的な扱いで第1巻だけを買ってきたこともあります。

 上に「当初この作品の大ファン」と書いたのは、私の『沈黙の艦隊』への好感は、実は連載の後半に至ってどんどん薄くなったからです。日本と同盟を結び東京湾から出航するぐらいまでが、主人公の海江田の人物描写と実際の戦闘場面のクロスする面白さが好きで好きでたまらなかったのですが、その比重が物語の後半では世界政治の中に飲み込まれて行き、薄れて行ったことが原因であるように感じています。

 よく私の知り合いの間では、かわぐちかいじ、小池一夫、浦沢直樹の作品群は終わり方が盛り上がらず、不発感や不完全燃焼感があるという話をします。かわぐちかいじの作品では、私は『週刊モーニング』で連載された『沈黙の艦隊』の他に『ジパング』、『僕はビートルズ』、『ジパング 深蒼海流』、『空母いぶき』、『サガラ 〜Sの同素体〜』を読みましたが、どれも何かすっきりした終わりに至っていないように思えています。

(『僕はビートルズ』は2019年の英米合作映画『イエスタデイ』の設定を事実上10年近く先取りしていて、『イエスタデイ』がパクリ映画に感じられる程です。それでも映画の方が物語の終わり方は纏まっています。)

 タイムスリップものの『ジパング』も十分面白くはあったのですが、如何せん、『戦国自衛隊』同様に先進兵器の弾薬などの調達がつかない以上、先は見えていて、太平洋戦争に関与するだのしないだの以前に、米軍の物量を前にどう転んでも苦戦することが見えていて、没入することができなかったように思えます。物語はタイムスリップしたイージス艦みらいから漏れた未来の情報を基に日本が核兵器開発に成功する展開に移って行き、ここでもまた、政治劇の話に収斂してしまうのです。

 軍事ものの作品で、中国軍と自衛隊初の空母部隊が尖閣諸島で激突するという『沈黙の艦隊』どころではなく超リアルな設定を知り、普段読んでいない『ビッグコミック』連載であるにもかかわらず、コミックで読み始めた『空母いぶき』はその第一部が明確な大団円に至っていて、私からすると私のかわぐちかいじ作品のイメージを覆すことに成功した秀作です。現在連載されている続編の『空母いぶき GREAT GAME』は、私が育った北海道の田舎町沖で空母いぶきがロシア軍と激突する物語でコミックが出るたびに読み込んでいます。

 そう言った観点からこの『空母いぶき』は私の中でかわぐちかいじ作品の最高峰といえますが、それが実写映画化された作品は、相手国を「中国」とも名指しもせず、いぶきが明確に相手を戦闘不能状態に陥れることに成功もしないという腰砕けのおかしな物語で、原作とは大きく乖離している作品だと劇場鑑賞前に知ったので、DVDをレンタルして一応早送りで観て、それ以上何も求めないことにした程度の駄作でした。

 その為体な実写映画『空母いぶき』のイメージがあったので、今回の『沈黙の艦隊』ではそのようなことがないことを祈りながら、劇場の混雑具合いを見計らっていました。そのうち、何人かの知り合いから素晴らしい内容との噂を聞き、『王様のブランチ』などの映画情報番組やサイトでも高評価を得ていることを知った一方で、上映回数が激減していて観客動員が言われるほど伸びていないことを知り、取り急ぎ、早く観なくてはと焦って、致し方なくゴジラの生首映画館に赴くことになったのです。

 観てみると、リアルな潜水艦の動きを示す映像や雷撃戦のリアルなイメージは、ミリオタでも何でもない私から見ても、他の比較的有名な潜水艦映画とは一線を画すものでした。『王様のブランチ』でも自衛隊の全面協力の下、潜水艦のリアルな映像を「GoProでバンバン撮影した」のような話をプロデューサーでもある主演の大沢たかおがしていましたが、水飛沫までが生々しく、やまと1艦が米軍原子力空母ロナルド・レーガンとの正面衝突のチキンレースを挑み、空母側が最後の刹那で転舵した際の波飛沫や振動、大音声などは、過去の古くは『レッド・オクトーバーを追え!』や、『ハンターキラー 潜航せよ』、『真夏のオリオン』などでも描けていなかったものと思えます。沈降していく潜水艦が圧潰していく様子も(物語初盤でその音声分析結果がカギになっているとは言え)ディテールが非常に凝ったつくりになっているように思えました。

 また、基本的に物語の構成は原作に極めて忠実で、おまけにやまとが独立戦闘国家として宣言を果たし、その上で日本に向かうと宣言するまでの、全編を通して最も不穏でサスペンス感のある部分を抉って113分に濃縮して映画化した点も素晴らしいと思います。私はその後の沖縄沖のやまとと三ヶ国軍との激戦を経て日本との同盟締結から東京湾出航までが特に好きなパーツなので、少々物足りなさは感じますが、或る意味コンパクトな物語として凝縮されているように思えます。

 ただ、やはり事前に聞いていて危惧していた「アップデート」は原作ファンとしての私の味わいどころを少々減じたように思えます。プロデューサーであり主演で、この作品の広告塔とも言える大沢たかおがインタビューであちこちで語り、パンフでも重ね重ね言われている「アップデート」は、原作との各種の変更点を指しています。今の時代だから…ということで、ディーゼル艦たつなみの副艦長は女性にしたなどは、私も全く気になりません。寧ろ(男性比率がやたらに高い原作に比べて)そうであって良かったぐらいに思えます。また、米第七艦隊空母がミッドウェイだったのが映画ではロナルド・レーガンになっているのも当たり前の変更です。(アニメではその当時のエンタープライズになっていたとウィキに書かれています。)しかし、彼らのいう「アップデート」には、なぜそれが「アップデート」なのか分かりませんが、海江田とたつなみ艦長深町の過去のエピソードの追加などが含まれているのです。

 そのエピソードに拠れば、過去には深町は海江田の部下であったことになっています。なので、深町は当初海江田のことを「海江田さん」と呼称していますが、反乱逃亡の報を聞いてからは「海江田」と部下との会話の中で呼び捨てにするようになります。しかし、やまとに「入国」して海江田に対峙した際には海江田に対して敬語を使い続けているのです。深町は妙に礼儀正しく言葉少なで、原作の荒削りで粗暴で、大胆な親分肌の性格が全く見えません。当然やまとに「入国」して、「男ばかりのむさくるしい国だな」的な名言を吐いたりもしません。

 海江田は海江田で、もっと色白のほっそりとしたタイプの頭脳明晰感が溢れるルックスで、だからこそ、その妙に大きい目に宿る信念の下に、少ない言葉で語られる戦略的決断がぐっさりと読み手に刺さるのでした。それが大沢たかおが演じると妙に体格が良く、肌色も濃くて『キングダム』シリーズの名キャラ王騎大将軍が連想されます。「童、信」などと今にも言いだしそうに見えるのです。おまけに深町に悪態をつかれることなどもないどころか、今に至るまで残る深町のトラウマ的事件を作った張本人ですから、どうもラスボス感が拭えません。原作ファンとしては何かキャラが物語に嵌り切らないように見えるのです。

 同様に、原作ではちょっと狂気を感じるぐらいの軍事屋のボイス第七艦隊総司令は、劇中ではやたらに弱気ですし、太平洋艦隊司令官スタイガーは原作よりも短気であまり知的には見えず戦略性も感じられないように見えます。原作ではでっぷりとした体型で狭量な価値観の中に生きるワスプ・セレブのオッサンであるべネット大統領の外見は随分痩せ細っていて、おまけに言葉少なです。原作のようによく分からない喩え話を使って自分の意見を雄弁に述べたりするようなことがありません。

 このように主要キャラの人物像が何やら異なるのです。例外的に音紋解析を強行して捕まったりしませんが、ユースケ・サンタマリア演じるたつなみの優秀なソナーマンのプロ意識や、笹野高史演じる当初は煮え切らず日和ることも多い竹上首相がじわじわと顕わにする自分の意志などは、原作にかなり忠実であるとは思います。
 
 かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』、『ジパング』、『空母いぶき』の三作に共通するのは、灰汁の濃いキャラの信念、矜持のぶつかり合いです。それが軍事という究極の暴力に反映されざるを得ない所にドラマが生じているように私には思えます。劇中の登場人物が総じてお利口さんの優等生キャラに寄っていて、その灰汁の強さが薄まっているように感じられるのが、原作の最初の盛り上がりまででふっと作品を終わらせてしまっていることと相俟って、何となくの薄味に堕してしまっている部分があるようように思えてなりません。

(これが「アップデート」と呼ばれるべきなら、世の中は30年前に比べてこじんまり収まったお利口さんが増えて揉め事が起きにくくなっているということでしょう。もしかするとそうした世情の変化が、本作の意外の不発の原因であるのかもしれません。)

 ふっと終わった区切りは、濃縮された物語には必然であったとは思っていますが、このような観客動員でも人気作と見做され、続編が同設定で作り続けられたら、いつか独立国やまとの物語は、よく分からないやまとに保険を掛けるための政治劇にすり替えられたり、ニューヨーク沖の捨て身のF-14トムキャットの衝突で大被害を受けるという失点も描かれ、おまけにやまとは停泊中に誰が発したか分からないミサイル攻撃で大破し、海江田は生死の境に捨て置かれる物語の終焉も描かれることになるでしょう。

 繰り返し先述している通り、沖縄沖の大混戦から東京湾脱出までは、同設定で観たい気はしますが、それ以降は色々と翻案して、冗長な政治劇は圧縮し、ニューヨーク沖でもやまとが敵艦隊を翻弄・圧倒し、海江田とそれに同調した潜水艦隊による国家から独立したサイレント・サービスが成立する物語がその後に続くのであれば嬉しいなと思います。

 続編には興業成績的な危惧と物語展開の個人的な不安がありますが、少なくとも、原作にかなり忠実で従来にないダイナミックな映像を鏤めることに成功した本作のDVDは買いです。

追記:
 昨年生まれて初めて行った真夏の尾道の街で『ふたり』の撮影場所を“聖地巡礼”的に訪ねようとした途上で尾道市立中央図書館があり寄ってみました。そこには市の出身であるかわぐちかいじを扱った「かわぐちかいじ文庫」が存在していて、棚の中のコミック群を眺めて一時涼んだ記憶があります。あの図書館であれば、かわぐちかいじコミック作品群に対して私が抱くエンディング不発感をじっくり検証することができるものと思います。