『夏空ダンス』

 9月22日の封切から約2週間経った木曜日の午後6時25分の回を、明治通り沿いのミニシアターで観て来ました。午後6時25分の回と言っても、この回しかありません。1日1回の上映は、徐々に絞られてきた結果ではなく、封切時よりそうであったように思われます。おまけに23区内では、当初池袋や渋谷でも上映していたように記憶していますが、最終的には新宿と東武練馬が残っているだけになり東武練馬も1日1回の上映に過ぎません。関東圏に拡大しても、オフィシャルサイトの上映劇場情報ではもう少々数がありますが、鑑賞翌日の段階でネットで調べてみると、神奈川では座間、埼玉では春日部、茨城では守谷と言ったところでぽつぽつと上映されているだけです。そして新宿のその映画館でも翌週には上映終了となると既にその映画館のサイトに掲示されています。

 それでもこの映画の知名度はかなり高いものと思われます。なぜならこの映画の存在そのものに二つのニュースバリューの要素があるからです。一つは脚本・監督がお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」の内村光良であることです。そのウッチャンが自分の故郷である熊本県の人吉を舞台に制作した映画であることがもう一つのポイントです。

 劇中でも描かれていますが、この人吉市は熊本県の最南端にありながら、2016年の熊本地震では震度5クラスの地震が続き、街の復旧を行なう作業は通称武漢ウイルス禍で大きく阻害され、さらに2020年には集中豪雨で球磨川が氾濫し、市街地の大部分が水没したという市そのものの存亡自体が危ぶまれるような状況に陥っても尚復興を継続している市です。熊本地震からの熊本県全体での復興の取り組みは8年経った今もあちこちで話題になります。しかし、その中でも復興そのものがいちいち無にされるような酷い状況にこの人吉市はあり、それを支援する位置付けにあるこの映画の存在意義が広く知られるようになったようです。

 私はウッチャンのファンでもありませんし、彼がMCをしている相応にファンの多いお笑い系の番組も全く見たことがありません。単に「好感度が高いと世間的に認識されている人」ぐらいの漠然とした認識しかありませんでした。それは今でもあまり変わりませんが、多少この人物の為人を知ることになったのは彼がNHKの紅白歌合戦の司会を務めた際です。芸能界において派閥を作ることなく、つまり敵対勢力が存在せず、広く交友があり、多くの人から尊敬や好感を以て遇されていて、スキャンダル知らずという状況であることが、数々の話題や多様なジャンルの人々を盛り込んだNHK紅白歌合戦の司会を務めることに非常にプラスに働いている…と言った論評を何かで読んで、「ああ。そうなのか」と多少認識を深めることとなりました。

 確かに番組中で司会が何度もお色直しをしたり、多くの人々をステージに招く場面で自分達も踊るなどのケースは過去にも普通にありましたが、人格を幾つも変えて、ギャグをこなすなどを連発しても違和感なく番組中に居られる妙技は特別であるように思えます。さらに番組中で欅坂46の名曲『不協和音』の複雑で特徴的なフリを完全にマスターし、その中に混じって踊るなどの広い芸域を見て、漠然と「ああ。色々できる凄い人なのだろうな」との認識を重ねました。私は長年月一で自分の気に入ったダンスを素人風にアレンジして習うという個人レッスンをしていますが、ウッチャンのダンスを見て、自分も『不協和音』に挑戦することとしたぐらいの圧倒的な迫力でした。

 そのような認識変化はあったものの、先述の通り、特にウッチャンの番組をよく見るようになるというほどのファンになった訳でもなく、多少「好感を持てる人」と私も認識するようになったに過ぎず、その要素だけであれば、多分この作品を観に行く決断はしなかったものと思います。

 微かなウッチャンに対する好感をベースとして、この作品を観に行くことにした動機の構成要素は多分以下の三点です。

 一つは知り合いが熊本に移住して数年で大地震に遭い、最近では現在のクライアント企業がまさに人吉に支援活動の一環として雇用を作るべく事業拠点を設けたこと。

 二つ目には数年前に初めて鹿児島を訪ねて、十年以上にわたり見てみたかったA-Zスーパーセンターを訪れて視察することができ、その店舗展開エリアが比較的人吉市に近く、そのエリア全域に少々関心があったこと。

 三つ目がダメ押しのトリガーとして、この作品が『王様のブランチ』で取り上げられ、ウッチャンのインタビューなどを通して各種情報をこの映画について知ったこと。

 私は購買という行為そのものが或る種の支援活動であり投げ銭としての側面を持つと思っています。それは切り口が大分違いますが、芸能界に今でも完全復帰したとは思えないのん主演の『私をくいとめて』や『星屑の町』を劇場鑑賞した際の感想記事にも書いている通りです。今回の作品でも、映画の興行収益のどれほどが人吉市の復興に還元されるのか全く分かりませんが、少なくとも無関与よりは何かに貢献したことになるのであろうぐらいに思っています。

 たった47分しかない作品なので、料金も控えめで一般でも1300円でした。二つあるうちの小さい方の52席のシアターに入ると、観客は結構いて、稼働率50%に届きかけるぐらいの20人程でした。全体に高齢に偏った観客層で平均年齢は私よりやや上ぐらいかと思われます。男性が半分よりやや多めで、大雑把に見て6割。女性が残り4割という感じで、性別による年齢分布の異なりはなかったように感じます。男女共に1人ほど極端に若い客がいた以外は、平均年齢周辺に分布が偏っていたように思えます。女性客の2人連れ1組を除いて、単独客だったように見えました。平日とは言え所謂オフィスアワーは完全に終わった後の時間枠で、47分の気軽な鑑賞が可能な上に、ウッチャンの脚本・監督・出演作で、おまけに鑑賞が熊本支援にも貢献できる(と私が思っているだけですが)とあれば、もっと若者が多くても良いように思えます。客層の構成がその観点からイマイチ理解できませんでした。

 先述の『王様のブランチ』でLiLiCoが「トレーラーでは分からないけど、短くても恋愛も入った青春ドラマです。」と言っていますが、観てみると、全編を通してふんだんに盛り込まれたダンス・シーンを除いて残ったほんの僅かな尺で描かれるのは、基本的に恋愛ドラマ以外ありません。あとはほんの僅かに、主人公のダンスが超上手い女子高生が進路で悩む点とその主人公も含め荒廃して復興が遅れる街から人々が去って行こうとする姿ぐらいでしょう。

 主人公を含む地元高校のダンス部は、人吉の名物スポットとなるような場所を舞台にしてはダンスを披露する動画をアップする作業をしています。それが「何か街の役に立てばよい」ぐらいの意識で行なわれており、ダンスで何か町興しの具体的な効果が生まれる兆しさえありません。商店街のイベントにダンスで練り歩いたりして盛り上げる材料にはなっていますが、その程度です。特にその商店街イベントで地方公共団体の何かの支援を受けたりしている様子も殆どありません。(花火大会の日にそれをバックに城址での撮影を許可してもらった程度のことです。)

 では、逆にそういったダンスを行なうために何か苦労するような物語があるかと言えば、スタートから主人公を含めダンス部全員かなりのダンス技術を持ち合わせているので、たとえば『チア☆ダン』や『ガールズ・ステップ』のような苦労や挫折の物語がある訳でもありません。

 では、LiLiCoのいう恋愛劇はどうかというと、主人公の女子高生の片想いが実らず、それを乗り越えて主人公が成長し、自分の道を進もうとするまでのお話があからさまにそれも駆け足で、一直線に語られるだけです。彼女の片想いの対象は彼女には友人として優しく、その彼は彼女の親友でありダンス部の部長の才色兼備系の女子と交際を始めるのでした。主人公は所謂典型的な友情か恋愛か的な構図に立たされるところまでも行かず、単に二人の様子を遠目に見つつ苦しい胸の内を抱え続けるのです。終盤にその想いを振り切り・乗り越える場面がありますが、それでもその思いを打ち明けることも認めることもなく、ただ自分の「恋」そのものにバイバイと別れを一言告げるだけです。どこにも駆け引きもなければ鍔迫り合いもないどころか、恋が実る実らないの一喜一憂も殆どなく、淡々と片想いを壊されて行く材料が日々の中で衝き付けられていくだけです。

 それはそれで典型的な恋愛ドラマで、アリなのですが、それを演じる高校生たちの演技がかなり稚拙です。主人公を演じるのはウッチャンが出ているバラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」のダンス部企画に出演していた女子で、極論すると存在に華があるという訳でもないダンスがウリの子です。そして、他のダンスをする女子高生達も、記憶が朧気ですが、ウッチャンが「半分ぐらいはプロを入れて、残りは地元のダンス関係の若い子を入れた」ようなことを言っていたように思います。要するに演技経験がある人々はあまりいないようなのです。その状況の人々に、ダンス・シーンに織り込まれた、ダンス・シーン以外での主要部分である恋愛ドラマを消化させるのにはかなり無理があるように思えます。

 この作品には有名俳優が出演しています。主要な三人は、北村一輝、ムロツヨシ、松重豊です。後ろ二人は私が隔週ぐらいで観ている大河ドラマ『どうする家康』の主要キャストです。(松重豊は私の今回の鑑賞の前に惜しまれつつクランクアップしていますが…。)北村一輝も私には『テルマエ・ロマエ』や『ガリレオ』シリーズでかなりお馴染です。こうした強力な俳優陣にさらに、撮影現場にわざわざ顔を出してくれたので、ウッチャンが急遽台本を書き足して出演してもらうことになったとインタビューで言っていた飯尾和樹も農夫役で登場します。

 先述の尺の配分から考えて明らかですが、北村一輝はダンス部の顧問ですが練習に全然いないと生徒達から責められている教師で、ムロツヨシは祭りの夜に交通整理を手伝うウッチャンの知り合いの役でしかなく、松重豊に至ってはとうとう閉店に追い込まれたラーメン店の店主で街を去っていく場面しかありません。つまり、誰一人として主要な物語展開に貢献していず、ひっそりとスクリーン上に居場所を作っているにすぎないような立ち位置です。どこにもダンス・シーン以外のストーリー展開を支える強力な材料が見当たらないのです。

 よくダンス番組に「全国から応募が来ました」的な展開で、全国のあちこちの場所を背景に同じ振りのダンスを全く異なるグループの人々が踊り繋ぐ…と言ったシーンが登場します。この映画の見た目はそれに近く、全く同じ学生達が人吉のあちこちのスポットで同じダンスを踊り繋ぐ映像として見た方がすんなり理解できます。その方がダンサーたちのお世辞に上手いと言えない演技と無力な名優達の間でストーリーがガタガタと音を立てるように進んでいくのを無視できるようになります。

 色々な背景や制作上の思惑があったかと思いますが、何となくのコンセプトと手元にある材料の使い回しから脚本が作られ、ダンスする学生達の青春劇がメインなのか、ダンスそのものの素晴らしさを訴求するのか、ダンスの舞台となっている人吉の街並みが見せたいものであるのか、遅滞する復興の中で生きる人吉の人々の様子を打ち出すのか、などの描写対象(/目的)が明確にならないままに47分の短い尺にすべてを押し込んでしまった感が否めません。

 関連の動画は色々とアップされているようですが、それを見る暇もなく、パンフレットもない作品なのでそこからの文字情報がないので、よく分かりませんが、立ち位置が不明確なままに成立してしまい、熊本復興支援の美名の下に作品としての実力とは別に、評判が先行してしまった結果の、上映回数や上映館数の状況という風に思えるのです。ウッチャンが言っていたと記憶する「地元のダンス関係の若者」のような人々がどの程度「地元」の人々なのか分かりませんが、いっそそうしたダンスに打ち込む若い人々の災害などによる日常生活の壊れ方とその復興の努力をセミドキュメンタリーとして描いた作品だったら良かったのではと思えたりもします。

 それでも、ウッチャンによると現地の映画館では全国封切の前から上映が行なわれており、観客動員では当時上映されていたインディ・ジョーンズ最新作を超えたという話でした。少なくとも地元の人々を元気づけ地元の人々の結束を強め、地元復興に貢献するという役割は十分に果たすことができたのかもしれません。ダンス・シーンには見るべきものがあり、そのおかげで47分はあっという間に過ぎて行きます。それでもそれらのシーンは、やはり支えるバックグラウンド要素が欠けているせいか、若しくは先述の様なコンセプトが不明確であるが故か、何か中途半端に感じられます。尺は数分単位とかもっと短くても、たとえば先述の『チア☆ダン』や『フラガール』、合奏ですが『スウィングガールズ』の大団円の感動にはイマイチ及びません。悪くはないのですが、非常に凝ったつくりで有名俳優を贅沢に配した地元紹介YouTube動画を見ているような気分になります。

 投げ銭的な応援の意味も込めて、ギリギリDVDは買いかなと思います。