9月1日の封切から3日目の日曜日の夜。18時30分の回を西池袋の古いミニシアターで観て来ました。この作品は1日1回しか上映しておらず、それも1週間限定公開という変わった上映状況です。副都心線の新宿三丁目の駅に新宿高島屋の地下経由で行き、池袋駅から出ると改札直ぐそばのエレベータで地上に出ると比較的直ぐの場所に映画館があり、新宿エリアの一部の映画館よりも移動に時間がかからないことを再認識しました。
上映開始の40分ほど前に現地に到着しましたが、その際に地上階入口のチケットカウンターのモニタで観たチケット購入者の状況より、入場後の最終観客数はかなり増えていたように思います。
全体で50名ぐらいの観客動員だと思われ、その無視できない割合がリピーターではないかと思われます。なぜそのように感じるかと言えば、上映後の舞台挨拶の際にあと4回の上映があるので、是非何度も来てほしいと主演したAV女優(+元AV女優)達が言うと、頷く観客や拍手して応じる観客が多かったからです。
50名の観客の殆どは男性の単独客で、かなり高齢層です。男性客だけの平均年齢はほぼ私の年齢ぐらいではないかと思えます。パッと見で20代から30代の観客は1、2名しかいなかったように感じました。女性客はほんの数名で非常に数えやすい状況でした。来場順に見ると、女性だけの3人連れ(20代の女性2名と40代の女性1名)が、AV女優の後輩二人とマネージャーと言った感じに想像できるような出立で現れました。その後、20代の男女カップルが現れ、最後に、30代に見える女性単独客が一人加わりました。
女性はこれで全部かと思いきや、最後列の通路側席に座っている私の、通路を挟んで反対側に、全5話のオムニバス構成の第2話の終盤に、入口の重い扉を開ける拍子に何かを落とした騒音と共に、30代前半ぐらいの暗がりでもショートカットに大きな瞳が目立つ女性が入って来て座りました。やたらにファンデーションか何かの香りが強く周囲が一気にその香りに染まる中、彼女はスマホを出して何かを短くチェックした後、電源を切りました。暗がりに入ってからスマホの光る画面を出すまでの行動が、やたらに粗い感じで印象的な女性でした。彼女は第4話が中盤に差し掛かると今度は突如立ち上がってまたもや重い扉をそれなりの時間長の外部の明かりを入れつつ開け閉めして立ち去りました。後の舞台挨拶の際の服装と髪型・顔つき、言動などから、それは桜井あゆだったのではないかと思えます。
1日1回。全国でもたった1ヶ所の上映をたった1週間だけ。舞台挨拶に加えて、当日はナシとのことでしたが、サイン会を行なったりなど、基本的にこれは作品の上映のための上映ではなく、寧ろファン・イベントと考えた方が良いように思われました。実際に、この類の映画作品の上映にはよくあることですが、妙に制作関係者や業界関係者も多く、それ風な挨拶を交わしたりしていました。舞台挨拶時にはステージ上から桜井あゆがが、その日客席に来て途中から鑑賞していたらしい共演者(+マネージャーらしき男性)を名指しして、彼が観客席で立ってお辞儀する場面もありました。ファンと思しき人々はスクリーンを見るには不便な観客席前列に集中し、彼らの多くは上映が終わると、感極まったのか拍手をしていました。(流石にスタンディング・オベーションをしている人間はいませんでしたが…。)私のように最後部座席の端の方の席を取る人間は殆どいませんでした。
入口でパンフレットを買い求めると、「サイン入りでもいいですか。値段は変わりません」と言われ、了承しました。当日はサイン会をしない代わりに前日のサイン会の終了後、大量にサインをしたパンフを用意しておいたようで、そのパンフを普通に販売していると会場で中年スタッフが大声で説明していました。何やら落ち着かない学園祭の映画上映か何かのような喧騒感がある上映で、私のようにただ単に観に行った人間は置き去り感が禁じ得ないように思えました。
ちなみに、出演者のうち、楪カレン(ゆずりは・かれん)はその日の舞台挨拶に病気により来られないことが、例の中年スタッフによる肉声の(それも会場の最後列のさらに後ろから大声でぶっきらぼうに読み上げるように伝えられるだけという驚きの手法で)案内されています。舞台挨拶の後のトーク・セッションの内容によれば、前日のサイン会にも眼帯をして来ていて、体調がよくない状況だったという話で、それがより悪化して本日は欠席と言う話のようでした。
この映画はネット上の紹介記事によると「AV女優として活躍する楪カレン、森沢かな、桜井あゆ、安藤もあ、真矢みつきが本人役を演じる恋愛映画」ということになっています。実際には先述の通り、何人かのAV女優(+元AV女優)のまとめファン・イベントの盛り上げ目的のイメージ動画集に近いように感じられます。そうであることを明確に認識していたら、観に行っていなかったかもしれませんが、そのことを明確に認識したのは会場に着いてからでした。
私がこの映画を観に行こうと考えたのはいつもの如く、この作品がAV女優の生態・実態を扱う(のであろうと想定される)作品であることの一点に尽きます。過去にもこの「ジャンル」の作品は幾つも観ていて、『名前のない女たち』、『nude』、『はぐれアイドル 地獄変』、『エターナル・マリア』、『最低。』などが挙げられます。その中でも一般の映画として十分に鑑賞に堪え、実話をベースに社会性(若しくは社会的主張と言えるものかもしれませんが)も持っているのは『最低。』ぐらいではないかと思えます。
それ以外にドキュメンタリーの鑑賞作では『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』や『セックスの向こう側 AV男優という生き方』、『M/村西とおる狂熱の日々 完全版』が挙げられます。前二つの作品はどちらも秀逸なドキュメンタリーで業界の現実を偏見なく描いていると思っています。特に代々木忠監督の人生を通じて追求した女性観を克明に描いた『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』は、私の邦画作品ベスト50にも入っている「超」のつく名作です。それに対して、村西とおるのドキュメンタリーは構成も描写もモチーフそのものの人生も二重三重に杜撰そのもので再見の価値を私は全く感じません。
『はぐれアイドル 地獄変』の記事ではこのように書いています。
「AV女優の物語は過去にも、名作の『最低。』に始まって、『名前のない女たち』、『nude』、『エターナル・マリア』などがあり、他にもAV撮影が絡む物語なら『東京闇虫パンドラ』も観ていますし、AV監督ドキュメンタリーの最高峰ともいうべき『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』や、AV監督ドキュメンタリーの愚作に見える『M/村西とおる狂熱の日々 完全版』も観ました。また、AV男優にスポットを当てたレアな『セックスの向こう側 AV男優という生き方』という作品も観たことがあります。
私がAV業界を描いた映画をまあまあ観ることにしているのは、単にその描かれ方に関心があるからです。私はAV制作会社のクライアント企業からお仕事を戴いていたことがあるので、その内実をそれなりに知っています。そして、その内実を知ると、この業界に対する偏見や全くの誤解があまりに世の中に横行していることに気づかされます。別に訳知り顔で評論したいということでもなく、単に妥当に現実を反映した作品があればよいものという期待が湧くから観に行くというのが、これらAV業界系の映画を観に行く最大の理由だと思っています。」
今は以前のアダルト・グッズの総合メーカーの仕事もAV制作会社の仕事もなくなっていますが、上述の通り、人間の消せない欲望に対峙する、或る種当たり前の産業について、これほどまでお門違いな偏見や誤解が横行している異常な社会の歪みについては今尚関心を持っているので、こういったジャンルの映画作品があればそれを観、坂爪真吾がそれっぽい内容の書籍を出せば時々は買い…などしています。それがこの作品を観に行くことにした最大の理由です。
しかしながら、その動機は十分に満たされたとは言えませんでした。一つの理由は先述の通り、この作品自体が映画作品として独立的に生まれたというよりは、ファン・イベントのイメージ動画集的な位置づけのものと見做した方が良いようなものであることに拠ります。それは、サイン入りを買うことになったパンフを見ても明らかで、パンフの中のどこにも、監督の記事もなければ、評論家の記事もなく、プロダクション・ノートもなければ、ロケ地のリストもなければ、プロデューサーと監督の制作に至った内輪噺もなく、ノベルティ商品の案内もありません。(ノベルティ商品は全くないようなので、当然案内もないのが当たり前なのですが…。)つまり、パンフは5つの物語を見開きに一つ一つ配したAV女優(+元AV女優)の写真集と言った風情なのです。
当然、タイトルの『ブルーポルノ』がなぜこのタイトルになって、どういう意味が込められているのかも分からず仕舞いです。昔その手の動画コンテンツを指して「ブルーフィルム」と呼ぶことがありましたが、それにかけた表現であるのかもしれません。(ただそれにしても「ブルーポルノ」という符丁はないと思います。)もしかすると、AV女優たちの憂鬱になるような恋愛・セックス劇という意味で「ブルーポルノ」と名づけられたのかもと、後で少々考え至りました。結局わからず仕舞いであるのは変わりませんが。
ですので、この映画がどういう経緯や誰のどのようなアイディアから作られることになったのか、そして、そこに描かれた物語はどの程度個々のAV女優たちが関与して作られ、その内容にはどの程度個々のAV女優たちの日常やプライベートが反映されているのかが全く分からないのです。辛うじて、幾つかのネット記事がほんの僅かながら、その類の情報を提供しているケースがあります。たとえば、以下のような感じです。
「『ブルーポルノ』は、AV女優5人が本人役で出演し、実体験した恋愛に古今東西の古典、名作、カルト映画のモチーフが加えられた脚本をもとに紡がれる異色のラブストーリー。女優たちが普段着ている服を衣装として採用し、メイクと髪型も当時の写真をもと現代風にアレンジして再現。相手役となる男性キャストも、女優たちの記憶やイメージに限りなく近い俳優たちを起用した。
(中略)
同作に主演するのは、洋楽の「カリフォルニア・ドリーミング(夢のカリフォルニア)」を聴くと刺激的な恋をしたくなる楪カレン、デビュー1周年記念に出会い系アプリで実名で男あさりをする安藤もあ、どことなくアル・パチーノに似たカブトムシを偏愛する桜井あゆ、バージニア・ウルフに自身の過去を重ねる真矢みつき、デニス・ホッパーの面影を求めてハードボイルドな男にひかれてしまう森沢かな。主演の5人はそれぞれ本人役で登場し、自分自身の本気の恋を演じる。」
少なくともこの記事が真実なら、個々の女優たちの関与はかなりあるように見えますが、まあ、当然と言えば当然ですが、舞台挨拶の後のトーク内容などから、そのようなことは殆どないように感じられました。
辛うじて、楪カレンの共演男優との御法度の悲恋物語や、ダメンズに入れあげてコンビニで50万の現金を降ろしてポンと貢いでしまうエピソードや、森沢かなのAV女優であることも受容れる男性との(結婚さえ考えるほどの)1年越しの恋愛が、単なるセフレとしてしか見られていないことが判明して破綻する悲恋物語などが、多少本人達の実体験を織り込んでいる感じがありますし、実際の彼女の達のトークの中でもそのような発言が漏れ出ていました。
しかし一方で、カブトムシが恋愛対象のように描かれている桜井あゆは、「5本の中で、私の話だけは完全にファンタジーで、カブトムシを飼ったこともなければ、カブトムシが恋愛対象になったこともなく、カブトムシに外見が似ている(?)男性と恋に落ちたこともない」などとマイクを独占して一頻り語っていましたし、チェスの名人である実在人物のボビー・フィッシャーを思わせる煙草臭い将棋指しの男と対局を行なう物語を演じる安藤もあは、そのシーンの撮影のために対局の100手余を完全に暗記したと語っています。劇中のヒロインのように将棋七段の腕前ならそれほど苦労なく定番の戦法を再現できたことでしょう。つまり、彼女達の個々人の個々の物語成立への関与はあってもかなり限定的だったのであろうと推察されるのです。
もう一つ、私のオリジナルの動機を満たしてくれなかったポイントがあります。それは、この作品中にAV女優の生態がそれほど登場しないことです。撮影現場がガッツリ明確に登場するのは最初の楪カレンの物語だけだったように記憶します。ラストの森沢かなの話にも撮影現場の入口がエンディングの効果的演出に使われていますが、それだけです。あとは、送迎のタクシーや事務所のシーンが何ヶ所か登場するだけです。
それでは、AV女優としての生き辛さや課題が感じられるような物語展開はあったかというと、私がそれを明確に感じ取れたのは、やはり先述のように最初の楪カレンのものと最後の森沢かなのものぐらいだったように思います。前者は職業柄タブーの恋愛に落ちた話で、後者は(あまり意味を為さない表現区分ですが、敢えて言うと)一般人との偽りの恋愛劇にのめり込んでしまった話です。(実際には、セフレ扱いしたかっただけの嘘を重ねまくった男でしたが、職業は交番勤務の警官でした。その意味では「一般人」と呼ぶのには無理があるかもしれません。取り急ぎ、アダルト業界外の人という意味で仮に「一般人」と呼んでいます。)
第二話の安藤もあも、AV女優デビュー1周年の記念日にアンニュイになって、安藤もあの名前そのままで出会い系サイトで相手を探す話ではあるのですが、そのまま将棋バーらしき所に流れて、そこで以前のライバルの男を見つけて将棋を指して、その後、セックスに至るだけで、特に1周年だから特別に何かの意味付けが見られる訳でもありません。当初の予定通り、出会い系サイトの全く未知の人物とのセックスが展開したのであれば、そこに何某かのセックスの位置付けに関する思索が打ち出された可能性があるのに、なぜ(本人が実際に将棋を得意としている訳でもないようなのに)そのような話の展開にしたのか分かりません。
よくアイドルの写真集に明確なコンセプトがあって、そのコンセプトに沿った物語、多くは本人のロケ地での紀行などがセットになっているものがあります。写真とセットになって、そこで感じた事柄やそこでの発見などが短い散文などで添えられていたりします。このイメージ動画作品も全く同様で、単純割り算すると、1話平均24分で各々の物語展開にほぼずっと主演女優のモノローグがついています。
先述のネット記事で表現されているように、恋愛の物語展開に、「金木犀の香りを嗅ぐとノーマルではないセックスを求めたくなる」とか、「ボビー・フィッシャーのような男と…」とか、「デニス・ホッパーのように…」などと色々なモチーフが絡みつけられているのですが、女優たちの朗読上の表現力や物語の男優の仕草や価値観などが、イマイチきちんとそのモチーフに沿っていないなどの違和感が結構際立っているケースが散見され、逆にわざとらしくチープに思えてしまいます。ファンが購入するイメージ動画集ならそうしたこともご愛嬌で、ナイス・チャレンジとして受容できることと思います(し、現実に、私もアイドル写真集などでそのような表現を取っているものを多数所持しています)が、単に映画作品としてみると、かなり辛いものがあります。
それでも、先述のように第一話と第五話は一応それなりにAV女優のなまっちい生活感が表現されている物語だったので、そこに入ったモノローグはそれなりに心模様を表現していて嵌っている場面もそれなりに存在しました。全般にカメラワークは美しく、まさにイメージ動画としての価値を相応に創り上げることに成功しているように感じられたのも嘘ではありません。
私が関心を抱くAV業界についての物語という意味では、『最低。』などに及ぶような魅力を到底持ち合わせていませんが、ポエム付イメージ動画として見る時、少なくとも第一話と第五話は鑑賞に堪える作品だったようには感じられます。深夜の海辺で居るはずもない逃げたカブトムシを探して、カブトムシの名前を呼び続けて流離い、着いて来た若い警備員と唐突にセックスに至る桜井あゆの自称「ファンタジー」にはかなり辟易しましたが(大体にしてカブトムシを暗闇の屋外で呼んで探すという発想だけで、私は完全について行けませんでした。)、短編二編だけの鑑賞を目的として、DVDは辛うじて買いという感じかと思います。
トーク・イベントが終わったので、もういいかとさっさと最後列の席から立ってシアターの外に出て、二階からの階段を降りはじめると、スタッフ数人が「あれ。帰ってしまっていいの」的な表情をして私を見ていました。階段を降りつつ、振り返ると、二階の場外ロビーに出演女優4人が観客たちと至近距離で話したり(分かりませんが、もしかするとツーショット写真を撮ったりもできるのかもしれません…)するような雰囲気で現れました。ファン・イベントとしての関心が全くない私は、そのまま階段を下りて街路に出て、帰路につきました。
追記:
森沢かなと桜井あゆはAV作品を観たことがあり、その存在をこの作品の鑑賞前から知っていて、そのうち、桜井あゆはかなり本音トーク全開の作品を観たことがあったため、性格やら言動やらをそれなりに想像することができていました。当日の言動や「私だけはこの中で女優を引退しているので現役ではない」ときっちり主張しなくては気が済まない性格など、ほぼほぼ想定通りであることは、ちょっとした驚きの発見でした。
追記2:
私がAV作品を観たことのない真矢みつきは、頻繁にファンと交流する飲み会イベントを開いているというようなことを発言していて、前列の方に集中していた観客のうちかなりの割合は彼女のファンであるようで、彼女の発言に逐一反応する様子が最後列から眺める私には新鮮でした。
☆映画『ブルーポルノ』(Prime Video)
★楪カレンのFANZA動画
★安藤もあのFANZA動画
★真矢みつきのFANZA動画
★森沢かなのFANZA動画
★桜井あゆのFANZA動画