『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』

 6月30日の封切から1ヶ月弱の7月最後の水曜日の午後に観て来ました。靖国通り沿いの映画館の午後1時20分からの回です。既に都内ではここ1ヶ所、全国でも14ヶ所しかない状態です。かなりのマイナーな感じではありますが、封切後1ヶ月近くを経て後述するような入りなのですから、かなり健闘している作品であると思えます。

 1日2回の上映で、1回目は午前中で2回目がこの1時20分の回です。水曜日はサービスデーで、1300円の料金でした。

 シアターに入ると、チケット購買時にモニタで見た観客数のイメージよりも結構観客がいました。80人ぐらいだと思います。圧倒的に高齢者が多く、男女比は6:4といった感じでした。男性は高齢者が7割がたで、私でも平均より明らかに下という感じでした。女性客の方は高齢客と20代から30代前半ぐらいの年齢層がそれなりに居て、シアター内全体の多数派である高齢客と年齢分布を二極化させているように感じました。1300円だから高齢者が集まってこのような年齢の偏りのある結果と考えるには無理があります。高齢者は元々常時1300円だからです。

 私はこの作品を既に封切の2ヶ月ぐらい前からチラシを見て知っていて、ずっと鑑賞を楽しみにしていました。先月封切分で観たい作品が多く、延び延びになって封切から1ヶ月近く経ってしまいましたが、ずっとタイミングを狙っていました。動機は何と言っても伊藤沙莉が出演していることです。伊藤沙莉は5月中旬に『宇宙人のあいつ』で観たばかりですが、同じSF系ドタバタでも、今度は彼女が単独主演です。

 それ以外には、私も映画鑑賞で訪れる歌舞伎町が舞台であることも一つの理由ではあります。

 この作品の物語はかなりぐちゃぐちゃです。新宿ゴールデン街でバー「カールモール」のママをしている伊藤沙莉はその商売の傍ら探偵業もしています。そこへ或る日FBIのエージェント二名と専属通訳一名が尋ねて来て、市ヶ谷の防衛省から横須賀に移送中だった宇宙人が日本人科学者の手引きで靖国通り通過中に逃亡し、歌舞伎町に潜伏しているので、それを捕獲して欲しいとの要請でした。これだけの話を描いても、かなりドタバタになりそうです。ネタの濃さだけで見たら、この時点で『宇宙人のあいつ』とまあまあタイを張るぐらいになっているように思えます。

 さらにそこへ舞台が歌舞伎町である利点を活かして、普通の住宅街や企業内の物語ではそう簡単に現れることがなさそうな人々が次々と入り混じって来て、伏線としてのエピソードを絡めてきます。まず大体にして伊藤沙莉のかなり年上のカレシは竹野内豊演じる忍者です。それもナントカ流の正統後継者です。一応、忍術の道場を開いていて、手裏剣を投げたりしています。

 バー「カールモール」に集まる常連客も濃い人ばかりで、サイコキラーのような父に少女時代から特訓されて暗殺者として生計を立てる姉妹や、ホストに入れ込んだ挙句にそのホストと焼身心中を図るキャバ嬢やら、アングラ劇団の団長らしきオヤジや、伊藤沙莉の過去にまあまあ関わっていて、失踪した娘を伊藤沙莉に探すように依頼する落ちぶれたヤクザのオッサン、ビジュアル系バンドのメンバーなど、多種多様です。

 暗殺姉妹のオバサン達の妹は全く芽の出そうにない若手映画監督に入れ込んで、暗殺稼業を辞めると騒ぎだし姉と殺し合いになりますし、先述のようにキャバ嬢はホストと心中を遂げますし、ヤクザのオッサンは会うことが果たされなかった娘がAV嬢として中で喘ぐマジック・ミラー号の鏡で髪を整えた後、鉄砲玉としてヤクザを銃撃してからハチの巣にされますし、やたら複雑な話が色々と絡んでいます。

 さらに伊藤沙莉もずっと陰のある存在ですが、彼女は10代前半の時に、ヤクザの父が母と自分にずっと暴力を振るうのに耐えきれず、歌舞伎町の路上でその父を刺殺した過去を持つのでした。物語はさらにそこに歌舞伎町をうろつく連続殺人鬼を加え、そして、「まだ子供なんだ」とバスケット・ケースに宇宙人を入れて同じく歌舞伎町をうろつく科学者の逃避行まで絡めてくるのです。ハチャメチャです。

 それでも、或る意味、谷崎潤一郎が自身の『文章読本』で説明している「含蓄」のある表現の映像版であるのかもしれませんが、上述したような個々の細かなエピソードに中途半端感はなく、各々にそれなりに完結感がありますし、「カールモール」を起点として無理なく編み込まれています。ただ、一見、『パルプ・フィクション』的な愉しみ方のできる作品ではあるものの、個々のエピソードがきちんと絡み合って物語が構成されているというよりも、歌舞伎町の地図を俯瞰すると、中心の伊藤沙莉が居るカールモールの周囲に繋がりを持ちながら島的に存在している個々の人物とそのエピソードの多くが配置されているのが分かる…と言った感じです。

(例えば、伊藤沙莉演じるマリコはキャバ嬢とそれなり交流をしていますが、焼身心中の後、マリコがそれを知る場面もないので、知ってどうなるかが全く分かりません。同様にマリコが10代前半で起こした事件を知っていて、それからの付き合いと目される落ちぶれヤクザの男も蜂の巣にされて終わりで、その壮絶な死をマリコが知る場面は映画の中に含まれていません。つまり、個々のエピソードはマリコの周囲で起きていて、いつかマリコはその結末をも知ることになるであろうことは明らかなのですが、そこにマリコの感情的なつながりが描かれないまま浮遊しているように終わるのです。)

 逆に言うと、これらの個々の人物に、伊藤沙莉演じるキャラが強く関与したり干渉したりすることによって、これらの個々エピソードが成立している訳ではないことが、物語全体の弱さと言うか淡さのような状況を生んでしまっているように思えます。この映画は二監督体制で作成された珍しい映画で、別々の話を二人の監督が各々3本制作し、合計6本を1本の映画にまとめる形で成立しています。たとえば『ユメ十夜』のような複数の監督による全く独立したショート・エピソードが繋ぎ合わされたオムニバス映画は多数存在しますが、複数の監督が1本の映画作品を章ごとに分担して作る…ということはなかなかないのではないかと思います。しかし、その結果、先述のような物語全体を貫くテーマと言うか推しのポイントが希薄になってしまったようにも思えます。

 この点は、同じハチャメチャのSFで伊藤沙莉が出演している『宇宙人のあいつ』と比較すると明確です。『宇宙人のあいつ』にも、4人兄弟の主に人間関係の悩みが個々のエピソードとして登場し、各々が結構ハチャメチャな展開になります。さらに登場人物とコミュニケーションが取れる鰻の母まで登場します。ぐちゃぐちゃです。しかし、それでも、全体を貫くテーマとして、4人兄弟の家族愛が明確に掲げられていて、映画のどこをとっても、そこからぶれることがありません。何度も泣かされることさえある作品です。この作品にはそのような明確なメッセージのようなものがなく、ただスラップ・スティックな愉しみに徹した映画としてこの作品を捉えるべきであるように思えます。

 それでも、久々にラブホのシーンがない伊藤沙莉の普通の名演技は光っていますし、比較的言葉少ななキャラなので、トレードマークのハスキー声がより際立つ印象があります。その他の役柄の出演者たちも、成り切り振り切り割り切り…と言った感じで、役を楽しんでいるように見えます。面白い作品です。

 また、まるでピクニックにでも持っていくような籐でできたバスケット・ケースに入った宇宙人はバスケット・ケースを僅かに開けた隙間から眩い怪光線を出して、ケースの正面至近距離にいる人間を消失させてしまうという恐ろしい技を持っていたりしますが、(バスケット・ケースの)見た目は、カルト・ホラー作品の『バスケット・ケース』のオマージュに私には見えます。(ただし、『バスケット・ケース』の方のバスケット・ケースの中見は宇宙人ではありませんし、怪光線は出しませんし、全身を最終的には曝しますので、相違点は結構あります。)この作品の宇宙人はバスケット・ケースから全身を出すことがなく、出るのはケースサイズからして不釣り合いに大きい片手(片掌ですが)だけです。三本しかないその指で『E.T.』のET的なタッチをしたりします。このシーンもオマージュ臭いように私は感じました。

 まるで『悪魔の毒々モンスター』シリーズや私も結構好きな『モンスター・イン・ザ・クローゼット』ぐらいの好い加減さのSFタッチが、猥雑な街の背景や景色やざわざわと落ち着かず右往左往する人々に良い感じで組み合わさっているように思えました。何度も観直すほどの面白さではありませんが、馴染みある新宿外れの景色の中の伊藤沙莉のドタバタ劇に保存の価値はあります。DVDは買いです。

追記:
 一つ最後まで解けない謎が残ります。タイトルの「一番悲惨な日」がいつであったのか全く分からないことです。

☆映画『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日