『アシスタント』

 6月16日の公開から丁度一ヶ月の7月中旬の日曜日。午後2時10分の回を先日『波紋』を観たばかりの、実質的にJR新宿駅に隣接しているミニシアターで観て来ました。『波紋』を観た際には、1日に3回この作品は上映されていたように記憶しますが、鑑賞時点で1日2回、午前10時15分からとこの午後の回の2回になっていました。(『波紋』の方は1日1回になっていました。)既に東京都下では新宿と恵比寿の2館でしか上映されていません。広告面の予算度合だけで見るなら、マイナーな映画だと思いますが、その扱っているテーマ故にパブリシティ面ではかなりの露出があったようで、ロビーの壁にはあちこちの雑誌の掲載記事が切り貼りされていました。

 上映開始の30分以上前に到着し、チケットを購入しましたが、かなりの混雑で、ロビーには既にこの作品を観ようと待ち受けていると思しき人々が多数いました。シアターに入ってみると、ネットにある78席のうち、50席以上は埋まっていたように感じました。性別で見ると、女性客が7割程度はいて、かなり若い方に年齢層が偏っているように見えました。概ね20代から50代と言った感じかと思います。残った少数派の男性客は、逆に年齢層がかなり上に偏っていて、40代ぐらいから70代かもっと上という感じでした。男女共に単独客ばかりで、二人連れが認識できたのは一組でした。(混み具合から、隣接席を他人同士で座っているケースが多く、単独客か否か判別がつかない状況でした。)

 多数派の女性客は、何か緊張感、若しくは身構えた雰囲気を感じる人々が多いように思え、自分が普段“信奉”する考えと映画の主張を比較検討しようというような意気込みかと勝手に想像しました。それはシアターの中の暗くなる前の表情や肩の力の入り加減のみならず、カウンターでチケットやパンフを買う言動、そして、壁に貼られたクリッピング記事を入念に読む態度からもそのように感じられるのです。

 私がこの作品を観ることにしたのも、動機そのものだけで見ると、ほぼ同じ理由です。映画.comの説明には…

「2017年にハリウッドを発端に巻き起こった「#MeToo運動」を題材に、憧れの映画業界が抱える闇に気づいた新人アシスタントの姿を通し、多くの職場が抱える問題をあぶり出した社会派ドラマ。(中略)ドキュメンタリー作家キティ・グリーンが初めて長編劇映画のメガホンをとり、数百件のリサーチとインタビューで得た膨大な量の実話をもとにフィクションとして完成させた。名門大学を卒業したジェーンは、映画プロデューサーを目指して有名エンタテインメント企業に就職する。業界の大物である会長のもとでジュニア・アシスタントとして働き始めたものの、職場ではハラスメントが常態化していた。チャンスを掴むためには会社にしがみついてキャリアを積むしかないと耐え続けるジェーンだったが、会長の許されない行為を知り、ついに立ちあがることを決意する。」

とあり、所謂女性が職場で感じるハラスメントの「見える化」に挑んだ作品なので、私もそれがどのような内容か観てみたいと感じたのです。

 ちなみに、映画.comのいう「会長の許されない行為」とは、会長が女性に対して性暴力を行なっているという話でした。同じくエンタメ系業界の権力者による性暴力を描いた『スキャンダル』(2020年)のような話かと思ったのですが、どうもそうではありません。会長の部屋に主人公がなぜか清掃に行くと、ED薬の注射器が捨ててあったり、女性のピアスが落ちていたりして、普通に考えて、性行為をそこでしているということが推察されます。しかし『スキャンダル』の中の女性のように、耐えて忍んで、どうしても嫌なのに付き合っているという状況に見える女性が少なくとも私には見当たりませんでした。パンフにも類似ジャンルの映画として言及されている『告発の行方』などのように、会長室から着衣が乱れた裸足の女性が走り出て来るようなこともありません。

 主人公のジェーンはまだ入社して5週目です。それでもかなり優秀で、バリバリと会長の旅程を調整したり、資料をコピーしたりプリントアウトしたり、色々なことが既にできるようになっています。ただ雑用の範疇であるのは間違いがありません。同僚はかなり先輩格の男性二人で、彼らがどんどん日常の作業を暗黙知のレベルで熟知している傍らの周辺作業をジェーンがしているという感じです。洗い物をしたり、ゴミ箱の中身を捨てに行ったり、使用後の会議室の食べ残しを片付けたりの作業も日常の彼女の仕事に混じり込んでいます。

 確かにハラスメント的な行為は発生します。その先輩格のうちの一人は、彼女を名前で呼ばず、用がある時には、紙くずを丸めて投げつけて来ます。仕事とは関係なく会長の妻が、会長の居場所や誰と会っているのかを聞き糺すヒステリックな電話をかけてきて、それを先輩格の男性が彼女に対応するように無茶ブリをしてきます。会長も「余計なことを妻に言うな」と恫喝するようなセリフを口にします。

 問題の妻も会長も、ジェーンに対してのみおかしな言動をする訳ではありません。誰に対してもそうなのです。会長は業界のドンのような人物のようで、剛腕で仕事を進めている様子がよく分かります。妻も顧みず、あちこちで女性を抱いている感じでしょう。それでも会社の稼ぎを自ら作って、大統領からも何かの行事の招待状が来るような人物です。

 ジェーンが明確に会長のセックス相手を意識する場面は、たった87分の彼女の長い1日を描くこの作品の中に3回登場します。一つは彼女が会長室で拾ったピアスを受け取りにエレベータで上がってきた女性に遭う場面です。単にピアスを返却しただけです。ジェーンも「会長室で何をしていてピアスを落としたのですか」などとは聞きません。

 2度目は、会長や幹部がアイダホの映画祭に出向いた際にホテルの給仕係をしていた、「映画の仕事はちょっとだけ関わったことがある」と、どうもただセットでケータリングしていた経験ぐらいのことを語っているような垢抜けないけれど美人の若い女性が、「会長から、今日からここでアシスタントとして働くように言われてきた」といきなり訪問してきた場面です。取り敢えず、住む所もないので、高級ホテルに滞在することになり、ジェーンは彼女をホテルに送り届けます。すると、どうも会長もいなくなったようで幹部が少々ざわついており、早速会長もホテルに向かったようなのでした。それも幹部が冗談めかして、「いつものことだよな」的に言っているだけで、特に大仰な騒ぎになっている訳ではありません。その幹部陣の中には女性もいたように記憶しますが、私の記憶が定かではありません。

 3度目は低次元の自作映像のDVDを持参して売込みに来た女性です。一応検討するということになり、夕方遅くに会長室に通されて、ジェーンが一応控えの社員として残っていると、夜遅くなってから、会長から内線で「もう帰っていい」と言われています。会長は部屋でその女性と何をしているのか分かりません。ジェーンと一緒にエレベータで会社を出た女性幹部が「彼女なら何とか受け止めると思う…」のようなことを独り言で言います。つまり、会長がセックスを持ちかけても、自分の利益のために平然とその女性が受け容れることを願いたいということを言っているようなのです。

 最初のピアスの主の背景は分かりませんが、表情は曇っていました。しかし、それもピアスを受取りに来たバツの悪さからそういう表情をしていたのかもしれませんし、何とも言えません。少なくとも、泣き出したり、何か攻撃的なことを言ったり、会長に関して何かを詮索するようなことを尋ねたりなどは全くありません。

 2人目のアイダホ出身女性は、全く疾しい感じがありません。寧ろ、その立場を当然のものとして、会長があてがった「まず電話取りから始めるか…」という仕事について、マニュアルを夕刻に事務所で読み始めますが、気が入っていませんし、働く気がゼロぐらいの感じに見えます。大都会に出てきてはしゃいでいて早く街で遊び回りたいという感じに見えます。

 ウィキで「搾取」と言う言葉を検索してみると…

「第一義的には動物の乳や草木、果実の汁などをしぼりとることを意味する言葉である。しかしその意味から転じて第二義的に、「性的搾取」や「中間搾取」などの慣用的な例に見られるように、他人に帰属すべき権利や利得を不正に侵害したり取得することや、優越的立場を濫用し他人を使役して不当な利益を得ること、労働者を必要労働時間以上に働かせ、そこから発生する剰余労働の生産物を無償で取得することを表すためにも日常的に用いられる。(注釈・改行略)」

とあります。監督が意図している「搾取」の描写と言うのは、当然、「優越的立場を濫用し他人を使役して不当な利益を得ること」の部分に該当することを会長がしているということを指しているのだと思われます。しかし、少なくとも、このアイダホ出身女性の脳天気なありようは、パンフで監督が語るような「搾取」に苦しめられている姿として受け止めることが困難です。

 3人目も会長とサシで話ができる待遇を、自分の業界人としての承認と受け止めて、やたらに悦に入っている感じです。会長にセックスを持ちかけられても、それをネタに伸し上がって当然と言った感じが、先述の女性幹部の独白どころではなく、感じられます。仮に、会長からそのような話を持ち掛けられて全く同意しなかったとしても、明確にその意思を告げられそうなタイプの女性であるように、少なくとも部屋に入る時の言動や、部屋から漏れてくる明るい会話の声から窺えます。

 これらの3人、特に後ろの2人を見る時、たとえば『告発の行方』のジョディ・フォスターが熱演したような被害者は登場しませんし、『スキャンダル』の最後まで秘密を押し通そうとしたキャスターのような深刻な悲痛度合いが窺える女性も見当たりません。

 パンフレットには、有名な米映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインによる性暴力の事件や、日本のジャニー喜多川の告発などに言及しているケースが目立ちます。しかし、この作品の中で描かれる会長のそうした行為の対象はすべて社外の人々であるようで、雇用による明確な優越地位がない人々です。(2人目のアイダホ出身女性は最終的に雇用されていますが、会長との関係が始まったのが雇用に先立っているのは明らかです。スタートからニューヨークでの雇用をキャリアのステップとして提供しようという条件で、そのような関係になったというよりも、彼女の言動から見て、単に田舎を出て凄い暮らしが取り敢えずできることが期待されて実現した関係に見えます。)

 最近日本でも、こうした事柄についての新しい法制度が成立したばかりです。

 以前の強姦罪と準強姦罪が、2017年に改正され、強制性交等罪と準強制性交等罪に変わりました。新法の主要な改正点は、被害者と加害者の性別は問われなくなったことと、二つの罪が非親告罪となったことです。そしてさらに、今月、これら二つの罪が一つに統合され「不同意性交等罪」となりました。特徴は、「性交等」の範囲を拡大したことなど色々ありますが、もっと主要な点は、(法律の名称通り)性行為において「同意」の有無が重視されるようになったことであろうと思います。

 この同意が成立していない状況と言うのは、同意しない意思表明が困難な状況を作って、同意を実質的に強いることについても細かく対象範囲を広げており、その中に、暴行や脅迫などは勿論、経済的・社会的関係上の地位による影響力により、不利益が生じることを憂慮させることによる同意の強制(/「促し」と加害者側は考えるでしょうが)も含まれています。確かに、パンフが挙げる類似ジャンル作品の『告発の行方』は同意など完全にあり得ない状況ですし、『スキャンダル』の被害者数人も、同意をしていたとしても「不利益の憂慮」の結果と言えるのは間違いありません。

 では、本作の会長はどうであるのかといえば、同意するか否かを尋ねれば、3人のうちの1人、ないしは2人は明確に同意しそうに想像できます。問題はその同意が「不利益の憂慮」によるものかどうかと言われると、知人の弁護士の意見などでも、判断が難しそうです。大統領からも一目置かれる本作のような会長のような人物どころか、現状の日本の中小零細企業でも、オーナー経営者どころか雇われの幹部に対してでも、性的な関係を持ち掛けて契約を獲得したり、金銭を貢がせたりする女性の事例が知られているのは、鑑賞後この話題を持ち掛けた何人かの経営者の共通認識です。(それがこの感想記事をアップするのに日数を多少要した理由です。)

 その際に、少なくとも現状では、そう言った経営者は、いちいち同意を取っていないでしょう。日本の新法も成立したばかりなので、「同意」の評価は今後の事例の中で何らかの基準が確立するまでは、まだまだグレーゾーンと言えるのかもしれません。私達の法律上でも、そのようなグレーゾーンであるのなら尚更、この劇中の3人の女性を通して「女性搾取」の現実を描いたと、監督自らはもとより、パンフの記事の筆者まで口揃えて断定している事実には、やや疑問が湧きます。少数意見であっても、多様な見方が表明されるべきであろうと思われるからです。

 勿論、この映画に登場する職場の人々は、色々と(相手のやる気を理不尽に減じさせることにより)会社に不利益さえ招いているであろうというおかしなことをやたらにします。箇条書きにするなら、以下のような点です。

■会長の妻がヒステリックに電話をしてくる。
 会長の妻の直通電話も会長の妻の運転手や付き人の直通電話も、会長室のボタン電話に登録されているようですから、会長の妻も経営に参画している可能性はあります。ですから、会長の妻からの電話が必ずプライベートの要件とは限らず、ジェーンは電話に対応する義務があると思われます。
 しかし、会長の居場所や誰と一緒にいるかが分からないのは、ジェーンの能力不足に拠ることではありませんし、ジェーンは妻の直属部下ではないはずですから、上司である会長に不利なことを妻に言える訳がありません。それを分かっていて、ジェーンを責めるのはお門違いです。
(しかし、洋を問わず、組織規模を問わず、オーナー家においては、このような歪んだ公私混同状況が結構よく起きます。以前観た『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』でもウェストウッドが自社デザイナーに自分の環境保護活動の横断幕を無茶ぶりで作らせる場面があります。)
 一方で、一応叱責すべき理由が辛うじて存在してはいるものの、会長の電話も恫喝風になることが劇中で散見されます。これもハラスメントであるのは間違いないでしょう。

■ジェーンの先輩社員がジェーンの名を呼ばずに紙くずを投げて注意を向けさせる。
 論外な態度だと思われます。米国の教室内の高校生を描く映画の場面によく登場するシーンですが、職場で大の大人がやっているのはなかなか見ません。ジェーンは寧ろ、会長の件ではなく、こういうあからさまにおかしな点を人事部長に相談すべきだったかと思います。それ以前に、先輩社員に対して「きちんと名前を呼んでください」と試しに一度明言すべきでした。

■先輩社員がエロ音声を皆で盗聴し愉しむ
 機械を通した英語のヒアリングが私は非常に苦手で、明確に分かりませんでしたが、男性先輩社員二人が電話の受話器越しに会長のセックスか口説き文句か何かを盗聴しているようなシーンがあります。会社は利益を生む所ですから、こういった行為はあからさまな怠業です。おまけに何をしているのか尋ねるジェーンにまともに答えません。
 有り得ないと思えますが、仮にこの盗聴が何かの業務であるのならなら、ジェーンにもそのことを説明して、加わるか否かを確認することがあっても良いでしょう。会長の妻からの電話への対応を無茶ブリするぐらいなのですから、この盗聴業務もきちんと引き継ぐべきでしょう。少なくともジェーンときちんと会話すべきではあるように思えます。あくまでもそれが業務ならという無理な前提での話ですが。

■人事管理者が「おまえは(会長の)タイプじゃないから安心しろ」という
 人事管理者が面談に来たジェーンに言った言葉です。ジェーンが「会長がセックスをしているんだと思います。それで、そういう相手をいきなりアシスタントとして配置して、高級ホテルに泊まらせています。そして高級ホテルでどうもセックスしているような気がします」と人事管理者に向かって言うと、人事管理者はそれで何が問題なのかという態度をとります。
 全く噛み合わない会話です。安部公房の短編集の中の名作『人肉食用反対陳情団と紳士たち』を彷彿とさせられます。会社にとっての不利益とは…という観点や対象者がオーナー会長であるという前提で考えると、一応人事管理者の疑問は理解できます。
 しかし、ジェーンの告発内容についての議論の中で、ジェーンそのものが誰にどのように性的対象と見られているかは全く関係ないことです。

■先輩社員がジェーンに食事を買わせておいて、頼んだのと違うと一方的に告げる。
 ジョブ型雇用のジェーンのジョブ・ディスクリプションに、先輩社員の食事のパシリが含まれているのか分かりませんが、少なくとも、ジェーンに非を一方的に押し付けるべきではありません。

 このように見ると、アルアルな組織のアルアルなコンプライアンス的問題言動…と言えば言えなくもないような、細かで幼稚な(ジェーンにとって)不愉快な事態は間違いなく存在しています。それなのに、「良い就職先で頑張っているのだろう。自慢の娘だ。期待しているよ」などと父から電話越しに夜更けに言われるのもジェーンには辛いことだろうと思われます。

 ただ、一方で、この映画は、少なくとも日本人鑑賞者の多くが想像するであろう組織に比べて、特殊な組織環境であることも否めないように思います。この作品について多くの論評が言及していないような項目を箇条書きで挙げてみます。

●多分、この組織はオーナー経営者率いる組織であること。
 当たり前ですが、オーナーはこの組織の株を大量に持っていて、この組織の実質的な単独持ち主であろうと想像されます。(この文章はその想定で書いています。)米国のこの手の業界で(以前映画雑誌『プレミア』を英語のままで悪戦苦闘して読んでいた私の知る限り)「…ブラザーズ」などの名称が多いことからも、同族的株主集団の代表ではないかと想像します。
 オーナーは持ち主ですから、合法の範囲で組織を好きにできます。極端に言えば、「明日、この会社を売却することにした」などといきなり決められます。全く合理的な理由もなく、単に好き嫌いで取扱業者を替えても、誰にも止められません。
 同様に社員の採用でも好き勝手ができます。人種・年齢・性別などの差別は禁止されていますが、好きな人材をいきなり雇用し、気に入らない人間を雇用しないなど、幾らでもできます。それは自分の持っている自動車のハンドルを取り換えたり、シートカバーを取り換えたりするのと同じぐらい、オーナーにとっては当たり前にできることと認識されていることでしょう。(だからこそ、オーナー社長の率いる会社の方が、そうではない企業群に比して大胆な経営判断ができ、業績も伸びることは、統計上よく知られています。)
 人事管理者の発言はこうした会長の立場を慮ってのことと考えると、分かりやすくなります。

●基本的に会社は利益を生むためにあり、その利益処分もオーナー次第であること。
 前項と被りますが、会社は基本的に何をするところかと言えば、利益を生む所です。ですから、利益を生むことに繋がることは善で、利益を生むことに繋がらないことは悪として排除しなくてはなりません。女性とも懇ろになりますが、会長は滅茶苦茶に稼いでおり、実質、多くの社員は会長のサポーターでしかないぐらいの感じだと考えられます。
 会長は利益を上げることに熱心なので、機動性と顧客満足が重要と熟知していて、打ち合わせに全米を飛び回り、顧客とナマで情報交換をしています。勿論、会長は、会社で利益を上げるためのオペレーションに携わっている人間を、無闇に性的関係に誘ったりしない…という風に見ることが一応できます。組織の風評に影響が及ばないようにということか、3人目の女性への対応で見られるように、強引に迫ったりすることもない可能性が高いものと思われます。

●ジェーンはジョブ型雇用されていること。
 パンフでも言及されない最も大きな論点がこれです。元々できる仕事を明確にジョブ・ディスクリプションに記載された状態で雇用契約を結び、その仕事ばかりするのが、ジョブ型雇用です。元々できることをやる想定ですから、日本のような新卒向けの手厚い研修もありません。大体にして、企業が大卒新卒者を一括で採用して育てるという若手には夢のような制度は日本にしかありません。
 ジェーンの先輩社員たちは、自分達にとばっちりが来たら困るので最低限はジェーンに教えますが、それもどちらかというとたとえばコピー機の使い方とか、PCの中のファイルのあり場所とか「情報」を最初に教えるだけで、働き方とかオーナー企業の仕組みとか、そういうことまで教える義理はありません。彼らのジョブ・ディスクリプションに、後輩指導などとの記載は多分ないはずです。
 ですから、ジェーンが話しかけられにくい面は否定できません。ジェーンのアシスタント業務の中に、清掃業務は入っていないと人事管理者も明言しています。それをわざわざジェーンがやることの方が組合的にも色々問題があると、人事管理者が考えても不思議はないでしょう。
 パンフにはジェーンが女性だから来訪者の子供の面倒まで看させられていると指摘されていますが、必ずしもそうではないと考えることができます。ジェーンは「私のジョブ・ディスクリプションにこのような子守は含まれていません」と堂々と断ることもできるはずでしたが、それができないのは、他の男性先輩たちが子守するより彼女が子守する方が、部署としての仕事は維持できるからに他なりません。ここでも組織は利益創出のために存在しているという原則が活きます。
 ジェーンが仮に仕事ができる先輩社員で、後輩が男性でも同じことが起きるなら、少なくとも、パンフの指摘するようなジェンダー的な問題は存在しないことになります。

●ジェーンが女性だから被害に遭っているだけでもないこと。
 それほど高い肩書でもなさそうに見える女性二人が給湯室でヤバい話をちょっとしているシーンがありますが、その脇でジェーンがずっと洗い物をしているのをシカトしています。その後、自分のマグカップをジェーンが洗うのが当然とばかりに、何も言わず、ただその場において去ります。
 この映画の優れた点はこのように男性が悪、女性は被害者という単純構図にしないような場面が含まれていることだと監督も語っていますが、先述の、会長の行為を黙認している女性幹部のケースも含め、確かにその通りです。

●この業界の特殊事情もそれなりに事象の背景にあること。
 映画制作の会社が舞台ですが、映画のヒットはなかなか定量的に予想することが難しく、どのようなことに秀でたどのような人間を揃えるとヒットが出ると、推定することはほぼ無理でしょう。だとすると、最終的な責任を負える人間が、主観で決めることに偏りやすくなります。(だからこそ、先述の通り、オーナー経営者率いる組織が生き残りやすいとも言えます。映画のクリエイティブな善し悪しを合議で決めることはナンセンスでしょう。)つまり、公平な組織運用が非常に難しい業界であると一応言えます。
 極論ですが、3人目の自主制作作品持ち込みの女性が、以前の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のような大ヒット作を生み出す可能性だって一応あります。その意味で、その他の業界に比して相対的に「物差しがはっきりしない業界」であるのは一応本当でしょう。

 このような状況の中で、映画は理不尽に耐え、ハラスメントに耐えている被害者であるという認識でジェーンを描いています。しかし、契約で決めらえた仕事を実行し、望まれた結果を実現するのが業務であるジョブ型雇用の職場で働く者として考えると、必ずしもジェーンの態度は理想的ではありません。勿論、仕事の態度に問題があるから、ハラスメントを受けて良いという訳ではありません。しかし、与えられた立場から得られるものを最大限にするように努力していたら、ジェーンのストレスはかなり減る部分が多かったように思えます。

 たとえば、以下のような点です。

▲会社の実態に即していない自分の価値観を客観的に検証していない
 入社5週間目で、誰に相談することもなく、先述のオーナー経営者の立場への理解などが明らかに不足しているからこそのこの結果という風に見ることは可能です。仮に物語の展開のように結果的に問題を糾弾するのであっても、組織の人々がどのような理屈や価値観で現状を容認しているのかを、十分観察してからでも遅くはなかったものと思います。情報流出に問われない範囲で、外部の人間に第三者的な意見を一度求めることだってできたはずです。名門大学の出身なのですから、どうしても納得できないのなら他の職場を探した方が、間違いなく彼女のストレスは軽減するでしょう。探してもそういった組織が見当たらないのなら、起業や既存零細組織の買収なども検討のオプションに入るべきです。

▲ジョブ型雇用を理解していない
 多くの人々がジョブ型雇用される社会では、逆に気付けないということもあるかと思いますが、自分のジョブの定義に従った仕事をしていれば、大分、ストレスが減るのではないかと思われます。

▲オーナーには勤務時間がないことを体得していない
 オーナーは仕事があれば仕事時間で深夜だろうと関係なく、やらねばならない仕事はやらなばなりません。逆に仕事がなければ、それは自動的に「オフの時間」で、そうした隙間時間で何をしようが勝手という構図を理解していないように思えます。

▲雑用から学んでいない
 この会社で何が起きてどちらに進んで行こうとしているのかをすべて見渡せる立場に居て、それを学び取ろうとする姿勢が全く劇中では感じられませんでした。プロデューサーになりたいのなら、そのような貪欲さがあった方が良いと思われます。

▲人脈を作ろうと努力していない
 エレベータ内や給湯室など、微妙に自分と接点のない社員にも話しかける機会は幾つか見当たりますが、ジェーンは全く何もしていません。たとえば、会長との打ち合わせに来る人々はどの部署のどのような立場の人で、普段はどんな仕事をしていることが多いのかなど、ジェーンが把握しているようには見えません。大手有名会社に居た経歴が後で役に立つのは、(学んだノウハウなどは時代と共に簡単に陳腐化しますので)人脈が活かせることに拠る部分が大きいでしょう。

▲どうしたら評価されるかが分かっていない
 人脈作りもそうですが、日常の作業の中でも、どうすれば自分がより高く評価されるかが全然分かっていないように思えます。高い評価を得る仕事は付加価値が高い仕事です。それはつまり、10要求されたら、12とか13とかを自発的に相手のニーズに応じる形で返すことだと思われます。人が嫌がる仕事を引き受けて(いやいや)やっていることを、或る種の陰徳と考えることはできるものの、ジェーンがそのような評価を受けるような仕事を心掛けている節は、劇中であまり見受けられません。

▲実力を付けようとしていない
 職場に関係のある何かを仕事以外の場で勉強している節が全く見受けられません。映画関係の仕事なのですから、映像作品を観まくって、それについての感想を先輩社員だの隣接部署の関連業務の社員などに投げてみるとか、映像制作の教科書的な鉄板の本をずっと持ち歩いて何度も読みこなしている…などのようなことも見受けられません。プロデューサー志望なら、あの自主制作作品持ち込み女性どころではないぐらいの優れた映画企画を自ら提案するぐらいしてみても本来不思議ではないように思えます。先日観た『ハケンアニメ!』の吉岡里穂演じる若手監督のように、早くもリクルーターから声がかかるような努力の様子が見当たらないように思えます。

 また、この劇中の組織は、パンフでは悪の魔窟ぐらいの言われようですが、日常のオペレーション面だけを見ると、会長の実力に依存した組織とは言え、相応に機能的に働いている様子も一部窺えます。

◇ダイレクト・リクルーティングの体制がある
 縁故採用というと悪いイメージもある言葉ですが、昨今ではダイレクト・リクルーティングと呼ばれ、募集広告などを介した採用のみならず、直接的な接触から人材を採用するような活動を指します。
 仮に先述のアイダホ出身女性の採用が会長の完全な公私混同だったとしても、そのような直接接触の前例が、この事例でもできているので、ジョブ型雇用の仕組みと相俟って、能力ある人材を自在に引き入れることはできそうに思えなくはありません。

◇雑用から学ぶことの大切さが一応意識されている
 会社の最高機密がそこら中に散らばっている状態の職場で、新卒社員に対して、実質的な雑用係として、ありとあらゆるインフォーマルな情報へのアクセスを許容しているのは、雑用の価値が分かっているからという風に考えることができないではありません。

◇ジョブ型雇用組織の中で最低限のトレーニングの重要性が理解されている
 ジョブ型の雇用としては、相応に恵まれた環境であるように見えます。アイダホ出身女性に見せているようなマニュアルも完備していますし、先輩二人はメール文章までチェックしてくれていますし、先に出掛けて飲みに行く際には、行き先まで教えてから出かけています。
 人事部に行けば、いきなりノーアポで面談してくれますし、その面談を手配してくれた秘書のような女性もきっちりジェーンのことを記憶してくれています。会社全体を見渡せる部署に配置して貰って、この待遇ですので、こうした事実関係を見る限り、体制として劣悪なものとは言えません。遥か以前のシカゴのシステム系コンサルティング会社本社での私の短いインターンシップ経験と比較してもそう思います。

◇5Sなどがそこそこ意識されている
 パンフには、ジェーンの仕事が無機的だとか、ジェーンの席からは先輩たちよりもコピー機などの雑用機械の方が近く、その音が常に映画で流れている…などと言ったコメントがたくさんあります。
 職場では作業に集中し生産性を上げることが大事です。日本でよく知られた5Sの一番最初の「整理」の定義は、「仕事に関係のないものやずっと使わないものを職場から排除すること」です。つまり、厳密に言うと、5Sを追求して生産性を上げようとすると、職場は相応に無機的(よく言えば機能的)になるということだと思われます。
 また工場や事務所で、「間締め(まじめ)」は、作業に使うものなどの間の空間を詰めて移動や運搬の無駄を省く概念です。なので、ジェーンが作業の生産性を上げるということなら、機械の近くに居て移動が減るようにするのは当然と考えることができます。見なくても音で機械装置の作動の異常が分かるような距離に居れば、作業効率が上がります。

 このように見ると、少なくとも上述のような切り口では、必ずしも悪の魔窟ではありませんし、だからこそ、大統領からも招待状が来るような実績をたたき出すことができているのだろうと思われます。

 それが人間疎外の職場なのであるということであれば、そのような論点も勿論成立します。ただ、現在に至るまで、株価やその株価を(企業に関する「観測」や「憶測」を除いて)一部左右する「業績」が高い企業群において、比較的散見されやすい組織構造であるのも事実なのではないかと思えました。

 これが「問題のある職場とそこで被害に遭っている女性である」と社会が認識する状況を理解できたことに鑑賞の価値がありました。DVDは買いです。