『イキガミ』

バルト9で深夜に見てきました。人気コミックが原作と言うことで、20代らしき渋谷系のファッションのカップルが数組いるような状況でした。(多分)公開4週目にして、バルト9で深夜一回しか上映していないのは、一体なぜなのかがよく分かりません。

最近は、死ぬ予定がはっきりしてしまった人物の映画が数多あります。『象の背中』、『余命』、『その日のまえに』、ちょっと前なら、秀作の『最高の人生の見つけ方』、タイトルがそのままの話題作だった『死ぬ前にしたい10のこと』などです。これらのどれも現時点ではみていません(笑)。私は黒澤映画の『生きる』や『マイ・ライフ』が好きで、ビデオやDVDで何度もみました。また、ヒットソングの『旅立つ日』のPVの象の一家の父親に神様が死を告げに来るアニメなどは、涙なしには見られませんが、しっかりiPODに入れています。

失って、または失うことに決まって、人間はそのものの価値を理解すると言いますが、これだけ命を失う予定が決まった人間の話が多い理由は、手垢のついた議論かもしれません。で、ヒット作も多く混じっているようなので、どうせ一本見るなら、正確にたった24時間後の死を知った人々の話が三本も入っている(不謹慎ながら)お得感のある『イキガミ』をみてみようと思い立ちました。

18歳から24歳までの人口のうち1000人に1人がランダムに死ぬことになると、なぜ、日本全体で自殺率が低下し、犯罪発生率が減少し、GDPが上昇するのか、因果関係がよく分かりませんが、国家繁栄維持法と言う法律が施行され、ランダムに死ぬことになった若者達に死の24時間前に専門の公務員が知らせを届けに来ると言う話です。

主人公は、死んで行く人ではなく、通知人の公務員の方で、演じるのは松田優作の息子です。この映画を見て思うのは、死の予告が来ると、人は「残された未来を作るのを急ぐタイプ」と「過去の清算を行なおうとするタイプ」のいずれか、若しくは「その両立を目指すタイプ」に分かれるということです。パンフレットを見ると監督から出演者から、みなが判で押したように、「自分にイキガミ(通知書)が来たら」と言うコメントをしていますが、私は多分、「過去清算派」だと思います。

年を取って、涙もろくもなり、『マイ・ライフ』などにも、目が潤みますが、『イキガミ』はそうなることのない映画でした。三話混じっているために、一つ一つの話の死に行く人の葛藤を掘り下げる余地が少なく、さらに主人公が死に行く本人ではないためと考えられます。それでも、三話の中でダントツに好きなのは、三番目のエピソードの、盲目の妹に自分の角膜を移植しようとする兄の話です。この兄が、「ちゅらさん」の弟で、なかなか上手い役者だと言うこともあるのですが、他のエピソードと異なり、自己犠牲をベースとした「未来づくり型」の選択肢を描いた話であることが大きいように思えます。

年を取ってきたせいか、数年前から知人や元上司、クライアント関係者などの不幸が重なっています。その中には、24時間と言うような厳密さと短さではないものの、余命を或る程度正確に知っている方も、逆に、イキガミどころではなく、いきなり数分単位の予感の中で、理不尽さを感じる時間も多分ないままに、そのまま逝ってしまう方もいらっしゃいます。その意味で、死は周辺に有り触れるほどに存在し、イキガミを貰った人間が側にいなくても、命の重さや生きているこの瞬間の価値を比較的意識している部類の人間に、自分もなったのではないかと思っています。

30代後半で読んで、愛読書になった『ぶざまな人生』には、50を過ぎて、残された人生の価値が分った人間のための本と言うような但し書きがあります。もともと、法定伝染病を二つも体験し、入院生活もそれなりの長さやってきています。行きつけの飲み屋のママによると、「大病は死に近づく経験だよね」とのことで、よく考え方が老成しているなどと言われるのも、こんな事柄と無縁ではないと思っています。

国家が国民を監視し、生殺与奪の権を握っていることの象徴的映像と言うことだと思いますが、この映画には監視カメラからの映像が時々登場します。多くは、松田優作の息子をアップにしているのですが、ザラザラのモノクロ映像に眉毛の濃いシンプルな顔立ちが、妙にマッチして、やたら印象的です。そのような画像の面白さや設定の面白さはあるのですが、DVDは買いません。死は十分身辺にあるが故に、わざわざ税金をはらってまで死の意義と生の価値を公務員に教えていただく必要がないと、つい思ってしまうからです。