『波紋』

 5月下旬の公開からもう随分時間が経っています。約1ヶ月半という感じかと思いますが、元々多くはなかった上映館数が現在は都内でも新宿1館になって上映回数は1日2回です。マイナーな映画としては大健闘の域かと思えます。

 実質的にJR新宿駅に隣接しているミニシアターの16時15分からの回を7月最初の木曜日に観て来ました。小さなシアターに入ると、私も入れて8人の観客でした。深いシートなので頭頂だけを見ても性別年齢が正確に分からず、終映後も早々に人びとが出て行ったのできちんと把握していませんが、多分女性客は1人でした。女性は多分年齢が30代、残った男性は30代から私よりも高齢な70代前半と言った感じの広がりの年齢層でした。その後、シアターが暗くなってきてから、男女1人ずつが入ってきました。女性客は20~30代に見え、男性客は年齢ランキングではいきなりトップに躍り出るという感じの高齢者でした。

 この作品は結構見たいという誘惑は感じるものの、微妙に優先順位が低いままにあり、おまけに上映館も上映回数も限られているという状態のままに私の中で放置されていて、観に行けたら行こうというような位置付けにありました。それでも、相応に観に行きたかった理由は、やはり、職人系の俳優達がズラリとキャスト欄に名前を連ねていることです。

 主演の筒井真理子は、それほど着目している女優でもなく、私が見た映画にも『黄泉がえり』や『クワイエットルームにようこそ』、『真夏の方程式』など多数出演していますが、明確に記憶に残るほどではありません。彼女を明確に意識できるようになったのは、『ANTIPORNO』です。この作品は正直肩透かし的で、私はとても好評価ができる内容ではありませんでした。それでもこの作品で唯一煌めいて感じられたのは、筒井真理子です。感想の記事には以下のように書かれています。

「 現実に、50半ばを過ぎてから、この作品でいきなりヘアヌード状態になったとネットなどでも噂になっている筒井真理子は、その名演技で従順で自信無げなマネージャや大物女優の立場を、秒単位で切り替える大技を見事に、それも何度も決めてくれています。入口段階で嫌悪感が湧いたこの作品ですが、評価できる最大のポイントは筒井真理子の神技と言っても良いぐらいの好演ではないかと思えます。」

 この『ANTIPORNO』の印象が強烈に残っていたお蔭で、先日劇場で観た『夜明けまでバス停で』でも、カフェ兼アクセサリー工房のオーナーとして登場した彼女をすぐに認識できました。ウィキにも、「演技の幅は広く、気品ある女性の役から悪女役までなどを演じきる技量の広さが高く評価されている。」と書かれていますが、本当に何にでも成れる女優であるように思います。

 その筒井真理子の夫を演じるのが光石研です。この人もやたらめったら色々な作品に出演しており、フィルモグラフィーで観た作品を上げるとキリがないほどです。最近DVDが発売されて早速レンタルした『闇金ウシジマくん外伝 闇金サイハラさん』でも熊倉という幹部ヤクザを演じています。その場その場の都合でけで生きている本当にクズ人間を快演していました。ヤクザ役なら『アウトレイジ』シリーズの方が、彼がより本物臭いヤクザを演じているようには思いますし、『ヒミズ』の主人公の父親もその類の人間ですが、同じヤクザ役でもきちんと各々の作風の中に嵌るヤクザ像になっていることに、今更ながら気づかされます。

 最近観た中では、DVDで観た『異動辞令は音楽隊!』で警察幹部を演じています。音楽隊の意義を認めず解散させようとする憎まれ役ですが、ヤクザでも警察でも、当たり前ですが、自然になり切っています。この『波紋』と殆ど同時に彼が主役の『逃げ切れた夢』という作品が上映されており、私の中の鑑賞リストの下の方に入ってはいましたが、他にも多数観たい作品がある中で、劇場鑑賞には至らないものと思います。

 この二人に加えて、これでもかというぐらいに、名優達を惜しげもなくこの作品は配しています。主演級のこの二人以外に、私が一応ファンである女優がいます。江口のりこです。江口のりこもチョイ役だけでもやたらに私が観ている作品に登場しています。娘と共に何度も観た『スウィングガールズ』などでは楽器屋の店員と言う役で秒単位ぐらいの出演でしかありません。

 私は特に彼女が主演を務めた二作、『ユリ子のアロマ』と『戦争と一人の女』が好きです。後者は劇場で観てやたらに気に入りました。私の邦画作品ベスト50の中に食い込んでいます。その感想記事で、江口のりこについて以下のように書いています。

「 追っかけのファンではありませんが、私はゆっくりと江口のりこに注目するようになったように思います。一番最初に前述のような魅力のある女優としての彼女に気付いたのは『非女子図鑑』での主役作品です。そして、映画館で逃して後にDVDで観た『ユリ子のアロマ』での堂々の演技です。怪優と言っていいと思いますが、思いのほか、主演作が少ないのが難点でした。ウィキで見ると、『ジョゼと虎と魚たち』、『スウィングガールズ』、『気球クラブ、その後』、『観察 永遠に君を見つめて』、『赤い文化住宅の初子』など数々の私が大好きな作品群に出ている筈なのですが、殆ど記憶に残らないような役柄です。さらに、『イキガミ』や『ヘルタースケルター』などにさえ出ていると言われると、DVDを山のように借りて、ウォーリー君の如く江口のりこを探しまくってみたくなります。」

 その後、江口のりこがかなり認識できるようになった私は『最低。』『羊とオオカミの恋と殺人』『あさひなぐ』では問題なく彼女を発見した上で、そのなりきりぶりを堪能でき、『ジョゼと虎と魚たち』を観返してその魅力を再発見したりしたのでした。その江口のりこがキレまくりのストーカー女性を延々演じたのがテレビドラマの『名もなき毒』でした。これもDVDで観て、江口のりこを堪能することができました。以前から怪演ぶりが知られていた彼女ですが、このドラマでネット上でもかなり有名になったように感じます。

 その江口のりこが普通なら見逃しそうな(出演回数は多いものの)、目立たない役をこの『波紋』で演じています、主人公の筒井真理子が傾倒する新興宗教の信徒の一人です。他の信徒を演じる女優を私は知りませんが、「一人の信徒」として上手く馴染んでいます。変な言い方ですが、江口のりこの魅力は無表情の中のふてぶてしさにあると思っているので、今回の役は他の信徒に比べて突出せぬようふてぶてしさこそ抑制されているものの、件の無表情が全開で、なかなか楽しめます。

 他にも、宗教団体のリーダーにキムラ緑子、筒井真理子のスーパーのパート仲間の清掃員に木野花、スーパーに買い物に来る常連で、手にした商品をレジの直前で自ら傷つけたり破損させたりして、半額にするように迫るクレーマー客を柄本明が演じるなど、贅沢な配役になっています。

 筒井真理子と光石研の夫婦の息子役をここでもまた磯村優斗が演じています。最近やたらによく観ます。彼が出演した『PLAN75』の記事で以下のように書いています。

「 この前観たばかりの山本直樹原作の『ビリーバーズ』で女優北村優衣と孤島で全裸アオカンを重ねていたあの男で、毎週日曜の朝には爽やかな笑顔で『ミライ☆モンスター』でまともなコメントを色々と吐きます。最近DVDで観た劇場版の『前科者』では有村架純を刑事のくせにいきなり押倒し胸を揉みしだくあの男です。そして、『ホリック xxxHOLiC』では女郎蜘蛛の忠実な僕(しもべ)のイカレた妖怪男を演じていますし、さらに、公開が予定されているのん主演でさかなクンのこれまでを描く『さかなのこ』では、イカレたツッパリ学生を演じることを、トレーラーで観て私は知っています。芸が達者です。」

 その後も、DVDで観た『異動辞令は音楽隊!』でもかなりカギとなる役ですし、テレビCMや劇場のトレーラーで観る『渇水』や『東京リベンジャーズ』の多々ある作品群のトレーラーでも頻繁に目にします。本当によく観ます。この『波紋』では筒井真理子の孤立を際立たせる、彼女から離れて行く息子を演じていますから、それなりに重要な位置づけの役です。

 ここまで役者を揃えて、おかしな映画になる訳がありません。それが私が抱いたこの作品への関心です。(映画評などでは、ムロツヨシの出演にも着目されていますが、出演時間分単位の端役です。)そして、その関心と並行して、このマイナーな、想像では低予算と考えられる映画になぜこれほどのメンツが集結するのかという謎が私の中に湧きました。パンフを観てみると、その答えは、どうも荻上直子という女性監督にあるようです。『かもめ食堂』の大ヒットの後、最近では『川っぺりムコリッタ』も手掛けた監督で、パンフを読む限り、彼女の表現する世界に対して熱烈なファンが多々存在するようです。私は『かもめ食堂』はDVDで観ましたが、何か記憶に刻み込まれるような印象も漠然とした重い感慨も特に生まれませんでした。或るベクトルの感性は見えたように感じましたが、それ以上の何かではありませんでした。

 その熱烈ファンの人々によると、本作『波紋』は彼女の世界観の集大成であるように言われています。しかし、私はその人々が称賛するこの作品の凄さが結果的によく分からないままに終わりました。

 物語は東日本大震災の直後の多分関東の地方都市のような所の一家族の肖像から始まります。放射性物質が雨と共に落ちてきて、既に水道水も侵されていう話がテレビのニュースで報道されていて、それを一家の夫婦と大学受験前の息子は観ています。夫の父が寝たきりで妻が介護している中、夫は趣味のガーデニングの花々に水をやっています。夕闇の外に小雨が降り始め、妻が義父の食事補助を終えて料理をし、夕食ができた時、夫は庭に見当たらず失踪していたのでした。

 それから10年余の時が一気に過ぎます。10年余とはネットの映画の解説に書かれているので分かりますが、劇中では息子の再登場まで明確ではないように私は記憶しています。(どこかで私が手掛かりを観逃しているかもしれません。)

 その間に、妻は義父の介護を続ける傍ら、緑命水という水を魂を浄化するものとして販売する新興宗教緑命会に入信し、熱烈な信者になって行きます。嫌気がさし、気味が悪くなった息子は九州の大学に進学し家を出て、そのまま九州で就職します。一家の収入を得るために、妻はスーパーのパートに出ることになります。(息子の学費をどうしたのか分からないので、もしかしたら、当初はもっと高収入になるような働き方をした可能性もありますが、分かりません。)その後、介護士施設に入れた義父が他界しますが、妻はその際に遺言を書かせておいて、大学教授(だったと思います)だった義父の遺産を自分のものとします。

 そこへ突然夫が戻ってきます。そして癌で余命が短いと言い、高額の治療の費用負担を頼んできます。そしてそのまま死の瞬間まで家に居座ります。この夫婦は離婚が成立していることもなく、家も夫名義のままということのようです。夫の450万円する高額治療も負担して、夫への憎悪を重ねていると、新興宗教の人々は「一緒に切磋琢磨しましょう。苦難を乗り越えましょう」と擦り寄って来て、夫も信者に取り込もうとし、霊験新たかとされる高額な「水」を繰り返し売りつけてきます。

 そこへ今度は息子が仕事の都合か何かで上京しますが、その際に女性を連れてきます。既に一緒に暮らしているというその女性は、聾唖者でおまけに息子より6歳も年上で、さらにおまけに既に妊娠していると言います。すべて妻(母)には寝耳に水の話で、彼女は二人きりになった際に聾唖者の交際相手に、「息子と別れてくれ」と告げますが、「拓哉さん(=息子)からそういうことを言われるかもしれないと聞かされています」と嘲笑われるのでした。

 筒井真理子演じるこの妻には、戻ってきた夫への負の感情を巡って、彼女に助言と言うよりも寧ろ耳元で囁く天使や悪魔のような存在がいます。一人は先述の新興宗教のリーダーで、負の感情を以て相手に向き合うことは「人を呪わば…」の諺通りに自分の魂を汚すことだと囁きます。もう一方は、これまた前述の通り、スーパーのパート仲間です。最初は、妻が更年期障害の症状で悩む姿に同情し、ジム通いを薦めます。そして、先述の柄本明の理不尽なクレームに対しても苛立つ気持ちが抑えられない妻に共感しつつ忍び寄ってきます。そして、夫についての身の上話を聞く関係になってから、夫への嫌がらせや復讐をすることを示唆するのです。

 教団とは付き合いながらも妻は夫の歯ブラシで洗面台を掃除したりするなどの嫌がらせを開始します。(それは、嘗て原発事故の際に、貴重なPETボトル入りの水が手に入っているのに、夫には水道水の飲み物を与えていたなどと変わらない行為であることが、観客には理解されます。)

 しかし、教団の教えとの矛盾や、教団に紹介してみたら、素晴らしい夫とベタ褒めされる夫の態度に、嫌がらせへの躊躇を覚えたように見えます。プール通いをするようにもなって、どんどんパート仲間とは親しくなりますが、或る日、そのパート仲間がプールで溺れるほどの体調不調となり入院することになります。家に放置されている亀二匹が気になるというので、妻は当分ウチで預かると申し出て、引き取りに行きます。

 そのパート仲間の部屋は食べた後のコンビニ弁当のごみが山積みの汚部屋でした。妻は自分と対等に話し、理解し合えたはずのパート仲間の負の面を直視し、衝撃を受けます。そして、病床のパート仲間に部屋を片付けることも手伝うと申し出て、彼女が退院する前に、部屋を綺麗に整理整頓するのでした。

 原発事故の頃から、夫婦は既に愛情もなく惰性の日常を各々の役割を果たしつつ過ごしていました。妻は自分だけが苦労を背負わされているように無意識下で感じています。夫もその妻からの無言の追求をこれまた無意識下で感じています。息子はそんな家の中で、スマホに逃避して辛うじて息子を演じているだけでした。その息苦しさや辛さから、放射能汚染による日常破壊の危惧をきっかけに、夫が蒸発し、妻は新興宗教に走りつつも義父の介護という日常を同じ家でそのまま続けています。

 夫が作っていた庭は、(どうも教団と関係ないようですが)石庭の枯山水に替えられ、妻はそこにトンボで波紋を描いて毎日を過ごしていました。居間には新興宗教の水晶玉を祀った祭壇が置かれ、妻は何事かを念じて過ごしていました。

 突如帰省した息子には、妻にとってどうしても許せない聾唖の年増女がつきまとっていて、別れるように言っても自分がその理不尽な差別意識を息子から指摘されるだけの惨めな結果に終わり、聾唖の年増女にも嘲笑われます。例の囁き悪魔のパート仲間に「私は息子を五体満足に産んでやったのに、なぜあんな障害者の女と子供を作ろうとするのか」と吐露して、「あんた露骨だね」と驚かれます。

 役割から逃れられない自分を被害者のように見立てていた以前の家庭は原発事故と夫の失踪で崩れ、それでも家を守り義父を介護する役割を継続していたら、縋るものが必要になって新興宗教にのめり込みましたが、息子も失い、カネはとられるばかりで、奇妙な祈りや歌や踊りを重ねる集会でさえ心底傾倒できないでいる様子に見えます。それは夫を連れて行き、さらには、自分を嘲笑った息子の彼女まで連れて行っても、変わることがなく、その救いの無さにじわじわと気づかされていきます。

 夫は戻ってきて、高額治療を懇願され立場が逆転しても、見捨てることもできず、些細な復讐をしても気が晴れず、常に心が鎮まることがありません。息子には見限られ、心が通じるはずの囁き悪魔のパート仲間も、実は、震災の日にぐちゃぐちゃになった部屋に入った瞬間に自分の何かが大きく壊れたという思いに押し潰され、それから部屋を片付けることなく汚部屋に暮らしていたことで、妻にはとても共感できないような弱い人間であることが判明します。

 明確には描かれていませんが、天使とも悪魔とも距離を置くように主人公はなって行ったようです。夫は枯山水の中に(失踪した時と同じように)水が出っ放しになったホースをそのままにして倒れて死んでいました。その棺を枯山水の石庭の踏み石を注意深く踏みながら、葬儀屋が二人掛かりで運び出そうとして、石庭に踏み込み転び、棺が石庭に投げ出されて、夫の遺体が半分転がり出した様を見て、妻はタガが外れたように笑い出すのでした。

 息子は彼の父の最期の一時期に通って来ては介護をしていましたが、葬儀にも上京して来ています。そして自分の母の高笑いを異様と捉えて身動ぎもせず見ていました。そしてまるで何事もなかったことにするかのように、「それじゃあ、俺行くわ」と帰り際に言い、思い出したように付け加えるのでした。「昔やってた、あれ。フラダンス…じゃなくて、フラメンコ。あれとかまた始めたらいいんじゃないの」。

 息子が去った玄関脇の広い石庭に真っ赤な傘を置き捨て、妻は黒い和服のまま、描かれた石の波を蹴散らしながら、フラメンコを降りしきる雨の中、一人で踊り始めます。そして「オレ!」の掛け声とともに雨中のダンスも映画そのものもふっと終わるのでした。

 詰まる所、澱から逃れることができなかった妻が中年になって宗教に縋り、パート仲間に縋り、息子には母として理解されていると信じつつ、すべてに失敗し、最後に自分をそのような澱の中に導いて捨てた夫に復讐することもできず、その夫の死で漸く、自分の内なる何かの発露を自分が嘗て打ちこんだフラメンコによって実現した話…と捉えられます。

 タイトルの波紋は妻の鎮まらない心の表現だと思われます。そしてこの映画には水や波紋がたくさん登場します。やたらに広い庭が石庭になるというのは一般家庭において異様だと思いますが、パンフでは監督は敢えてそうしたと書いています。映画は最初に水の汚染とPETボトルの売出しに群がる人々を描いています。その後、緑命水は一升瓶に入ったり、霧吹きに入ったりしながら、形を変えて執拗に登場します。さらに主人公がドップリ浸かるプールの水もあります。敢えて言うなら、流れずそこに淀んで波を立てる水です。

 それに対して、夫は水が流れ出るホースを口を見つめてから失踪し、ムロツヨシ演じる変な浮浪者のような男から「前世はメスに食われてしまう蟷螂だ」と告げられたのが気になり、石庭の石の上の蟷螂をホースの水で流そうとして、そのホースを片手にそのまま死に至ります。それが失踪にせよ、死にせよ、夫は淀んだ澱の水から流水と共に去って行くということのように見えます。さらに、主人公の筒井真理子も最後に自分の心を写し取って封じ込める石庭の波模様を蹴散らしてフラメンコを没入して踊り狂いますが、そこには雨が打ち付けており、ここでもまた澱を押し流すのは天からの流水です。或る種、『動的平衡』シリーズで福岡伸一博士が繰り返し説明する考え方のようにも思えます。

 単純に考えれば、筒井真理子には澱を抱えない選択肢があちこちにありました。緑命会の信仰に嵌っても、高価な水の過剰な購入にはノーと言えたはずです。戻ってきた夫を家に入れず、弁護士でも雇って離婚を成立させることだってできたはずですから、そうしたら、この物語で描かれる彼女の心をかき乱す要因の半分以上は消えてなくなっていたはずです。それ以前に、震災の段階で、家族会議でもして本音で語り合うような機会があっても良かったはずです。(あまりに映画のタッチが異なりますが、最近観た『宇宙人のあいつ』の「真田サミット」を思い出させられます。仮に結論が出ず、意見が食い違うままの不愉快な結果になったとしても、心に澱を堆積させながら生きて行くよりはマシではないかと思えてなりません。

 そこに踏み込めないままに色々な帳尻を色々な方法でジタバタと合わせようとする中年女性の人生を描いた映画と納得するしかありません。面白いことに、監督自らがオリジナルの脚本を書いているのに、監督自身がこの主人公に共感する所がないようなのです。パンフでは…

「私にとっては共感しづらい人物で、どこかですごく嫌いでもあり…(中略)自分が理解できない人間に対する疑問や、その相手を知りたいという気持ちから生まれた人物です。(中略)そういった女性が、家族の世話から解放されたときに拠り所をなくしてしまうというこその心理はわからないではないけれど、次の依存先を欲してしまうという気持ちのほうがわからなかった。そこを知りたい、理解したいという気持ちから、依子という人物が宗教にはまる心理を考えていきました」

と語っています。何か異様に感じられる映画の制作動機です。描きたいものがあって描くのではなく、自分では不可解どころか、不愉快に近い感情さえ湧くものを、理解することになる可能性があるから映画にしてみるということが動機であるような言葉が、パンフのインタビューでも続くのです。さらに奇妙な発言が続きます。主人公の筒井真理子と先述の天使と悪魔であるキムラ緑子と木野花の三人については以下のように語っています。

「2人が演じたキャラクターは依子の生活の変化に関わる重要な人物ですが、初めて読み合わせをしたときに並んだ女優3人を見て、この映画は狂った女たちの話なんだ、と改めて気づきました。それだけ、迫力があり、怖かったのです」

 まるで、自分がオリジナルの脚本を書いているのではないかのような、変わった発見です。そして、自分の物語の主人公の女性達を、まるで自分は意図して書いていなかったかのように「狂った女たち」と認識し直すというのが、この監督の不思議な心理構造です。

 世の中に新興宗教はかなり有り触れてきているのか、最近観た映画などで、新興宗教の設定はよく登場するように思います。磯村ナンチャラもパンフで言及している『ビリーバーズ』は新興宗教のみの話ですし、私がかなり気に入っている『子供はわかってあげない』にもかなり重要な設定の一部として新興宗教団体が登場します。比較的最近DVDが発売された『わたしの魔境』もまんま新興宗教の話です。独自の規律を持った集団の異常を描いた作品なら、比較的最近発売されたDVDで観た『ドント・ウォーリー・ダーリン』など、多々存在します。しかし、これらの多くの作品は、監督の“自分が分からないものを知ることができるかもしれないから制作してみた”と言った動機や理由で制作されていないのではないかと思えてなりません。

 流されてしまう人のよくある話であるように私には思えて、間違いなく名俳優陣の演技は鑑賞に足るものの、何がどう特別に面白い作品であるのか、最後まで私には分かりませんでした。それもそのはずで、監督自身が狂った人々を理解できないから制作した映画だったのです。ラストの陶酔のフラメンコは圧巻で、そこに至るきっかけは棺が石庭に落ちて筒井真理子が夫の遺体が転がり出した様子を見て大笑いする場面です。パンフで監督は…

「彼女は棺が落ちたことを笑っているようでもあり、自分の人生、またはすべての人間を嘲笑しているようでもあります。あのシーンを最初に思いついて、あの場面を演出したいがために、そこまでの2時間、がんばって脚本を書いたという感じです」

と語っています。つまり、ラストの不謹慎な大笑いと陶酔の雨中フラメンコだけがこの映画の見せ場であったということのようです。その見せ場の価値故に、ギリギリDVDは買いかなと思います。

追記:
 主人公の心がそれが何であれ突破口のような物事に向かう時(多くの場合、彼女はママチャリで(時に溢れ出る笑みを湛えて)疾走しているのですが)、フラメンコの手拍子が畳みかけるように大音量で流れます。フラメンコのダンスは最後まで妻が習っていたことさえ分からないので、各々の場面では、大音量の手拍子の意味が単なる迫りくる興奮の音響的演出と言う風にしか理解できません。
 これもパンフによると脚本段階では想定されていなかったことのようで、撮影した場面に何の音を入れるか検討した結果、最初は打楽器が候補に挙がり、この手拍子に落ち着いたようです。
 ちなみにパンフを呼んで、このフラメンコの手拍子を「パルマ」と呼ぶことを初めて知りました。

追記2:
『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズのファンである私にとって、「波紋」と聞くと、どうしてもシリーズ初期に登場する登場人物たちの能力の名称のように思えてしまいます。その名称と同じタイトルの映画がどのようなものなのか、無意識下で気になったというような要素も僅かにあって、この映画を鑑賞リストに入れたのかもしれないなと、劇場でパンフを購入した際に、劇場のスタッフがこのタイトルを口にするのを聞いて思いました。

追記3:
 今までほとんど意識することがありませんでしたが、ふとこの投稿を終えてワードプレスの画面脇を見ると、この投稿が1200本目であることが分かりました。

☆映画『波紋