ひさびさの新宿南口のミニシアター(だと思っています)に行ってみてきました。真昼間の回でしたが、『地球でたったふたり』は、観客も『場内にたったふたり』でした。それももう一人の男性はかなり遅れてきましたので、長いこと貸しきり状態でした。
映画は家出したふたりの(血の繋がらない)姉妹の少女が、身を寄せ合うようにして辛い現実を生き抜く映画だということで、『ぴあ』などで紹介される写真は、少女が銃を誰かに向けている映像だったりします。しかし、実際に見てみると、冒頭の長く描かれる家出前の、自分の生活や価値が中心にある大人たちの隙間で生きる姿の方が余程悲惨であるように見えます。
家出してからは、多分、数週間程度に渡って新宿の野宿生活をしているようですが、捨てられたピザを拾って食べたり、路上に雑魚寝したり、それなりに苦労はありますが、まだまだファンタジーの域のように感じられる映像です。その後、ヤクザに追われるようになり、そのヤクザの一味の「老兵」のようなおっさんに匿われての「慈しみ」のある生活は、(壊れる瞬間が予感される中で)どんどん深く暖かく描かれていきます。この映画は、「身を寄せ合うようにして辛い現実を行きぬく少女たちの映画」ではなくて、例え、それが血塗られて奪われるものであっても、「家族に愛されずに育った少女たちが、家族ではない人々の手によって愛情を知っていく映画」であると思われてなりません。
一旦離れ離れになったふたりは、エンディングに、おっさんの沖縄の実家でおっさんの父(いきなり、何もセリフなしの菅原文太です)のもとで再会します。最初とエンディングでこそ、『地球でたったふたり』なのですが、中盤は、全く『地球にたったふたり』ではなく、エンディングさえも、刻み込まれた亡きおっさんの愛情と共に、それを継承するおっさんの父の愛情があっての浜辺で再会する二人なので、どうも、タイトルや前評判はしっくり来ない映画に感じます。
勿論、この点がしっくり来なくても、十分秀作だとは思います。一番最初の幼女時代の妹が部屋で空腹を抱えながら親を待ち、かびたパンの袋を捨て、古く固くなったお菓子をポキポキを音を立てて力なく無表情に食べているアップのシーンなどは、胸を抉ります。帰ってきた母親に「お母さん、お腹減った」と何度も言っているのに、水商売で疲れた母は、新たに同居することになった男の話を始めて、食事さえ始めません。
留学中、休みに帰国しては友人宅を転々として、稼ぎ生きることに追われていた時代に私が見た東京の風景は、この映画の中でふたりの視点として、鮮やかに再現されているようにも感じました。どこまでも自分に関係なく、そこに厳然とある都会の街並み。金もなく、買える物も居る場所もない都会の原風景。それが確かにきちんと映画の中に存在するように感じました。それなのに、短い学校生活の中の美術室のシーン、おっさんの殺風景な部屋など、映画のあちこちに柔らかな光が溢れていて、絵画や写真集のような美しさに感じられました。
それと、役者がどこかで見たことのある、名プレーヤーが多いように感じました。パンフレットを見ると、血の繋がらない姉妹は実際には既にかなり活躍している現実の姉妹のようです。おっさんは、どこでみたんだろうと考えて気付いたのは『ラストサムライ』の結構目立つ役立った人ではないかとか。彼女たちを追いかけるヤクザの「ぼっちゃん」も、どこかでみたと考えたら、(記憶が薄れつつありますが)『人のセックスを笑うな』でいきなり蒼井優ちゃんにキスする大学生だったような気がします。そして、おっさんと少女たちの生活を暴く弟分のチンピラは、仮面ライダーカブトで最後の最後まで主人公たちを翻弄する悪役中の悪役です。安心してみてられます。当然、DVDは買いです。