渋谷の小さな映画館の朝一の回で観てきました。上映第二週の平日にしてまだチケット買う長い列ができる状態で、パンフレットは品切れで、店員さんと話して、翌週出直して買うこととしました。こんなことは初体験です。
映画のほうは、なんだかよく分からない映画と言う感じでした。朝一で体調が整っていず、二時間を越えたところでトイレが近い私は席を5分ほど離れたせいもあって、何か重大な場面を逃してしまったのかもしれません。もう一つ分かりにくい理由は、(これがタイの子供達の現実で、それをまともに描くとこう言う構図になるのかもしれませんが)児童買春と違法臓器売買の問題が交差した状態で提示されることです。
そして、さらに、もう一つよく分からない原因は、かの国の児童が簡単に陥る惨状を「闇」と呼びたくなるのは分かりますし、それを暴く人たちが正義を振り回すのも、取り敢えず異論はないのですが、そればかりを描き続ける映画であることが、何かこう空振りに感じられてならないことにあると思います。
幼児体型の成人女性がスタイル的に好みと言うことでしかないのですが、よく「幼児体型のコが好き」などと自分のことを言うので、ペドファイルかと疑われがちです。全く全然そんなことはないと一応断っておいて続きを書きます。欲望と言うか、マーケティングで言うニーズは、根源から断つことができないものだと私は思っています。対象や手段をすりかえるぐらいが精一杯で、そのニーズを持っている人間が死なない限り、そこに存在し続けるものだと思っています。つまり、ただ、「違法」と取り締まっても、それは一般の売春も同じですが、ニーズはそこに残って、必ず別の道、それも一般的にはより危険でより見つかりにくい道を探すものだと思っています。
ですので、児童買春の犠牲になっている子供は間違いなく可愛そうです。そんな言葉が軽すぎるぐらいであると思います。(特に劇中の、児童買春の経験を経て、生きたまま心臓をえぐられ強制的に心臓移植のドナーとなる子は、私の知り合いの女性の子供時代にそっくりで、非常に嫌な気分になりました)しかし、どう糾弾しても、劇中の多くの白人やら劇中にひとり登場するスーツケースで幼女を持ち歩く日本人は、ペドフィリア状態にあり続け、彼らはそれを実現する経済力を持っているわけです。そして、その経済力は必ず、そのニーズを充足する人々と手段を探し出し続けるはずです。その構造を抉ることなく、映画は淡々と、しかし、ヒステリックに、且つ白昼の銃撃戦まで交えて、進んでいくのです。
違法臓器移植の方は、半年後には死んでしまう自分の子供を生かそうとし、その為に「殺される子供がいること」に目をつぶる親の立場が、それなりに描かれています。その必死さ、親ゆえのエゴは、私も小学生の娘がいる立場なので、はっきり言って共感できます。そして、このニーズがまた経済力によって実現して行くわけです。経済力が伴わなくても、普通は親は必死になるはずなので、映画で言うと、『ジョンQ』のようなことになります。
できれば、この親の言い分。そして、かの国で殺されることになる子供を捨てた、または売った親の言い分、そして、日本側とかの国側の両国で関与する医師達の言い分。これらを全部ズラリと並べていただきたいものだと思いました。私は特に子供を捨てたり売ったりする親の言い分を聞いてみたいです。私の母は、同居していて収入の一部を担っていた祖母が亡くなり、たった二人の家族になった時に、「生活保護など受けないで、人様に迷惑をかけないで協力して生きぬく。だから、これからは親だと思って頼ったらダメだ。お母さんと呼ばないで名前で呼びなさい」と言いました。この心情を超えて子供を捨てざるを得ない親の言い分を、今は自分も親となってみて、是非、聞いてみたいです。
そして、「日本の子供一人が助かり、それ以外の何人かの病気を持った人も救い、何より、君の親と兄弟が数年食いつなげるような金を稼げる。その為にきれいな服を着て、美味しいご飯を食べて数日間を過ごせる。そのあとに、苦しまないで眠るままにできるから、死んでくれるか。このまま生きていても、スラム街で食うや食わずの生活を送ることになる」と尋ね、その子の答えも聞いてみたいものです。
あと、この映画を見て、再認識したことですが、私は(何らかの日本の技術やその成果を伝えに行く形以外で)海外にボランティアに行く人々が基本的に理解できません。彼らの努力を否定する気はありませんし、それはそれでいい結果を色々な意味で出せばよいことです。しかしながら、劇中で宮崎あおい演じる女性が、新聞社員から「どうせ自分探しだろ」と言われ、かの国では同僚となる女性ボランティアからも「日本にいてもやれることがあるはずだ」と開口一番言われています。本人の勝手とは思うものの、私も基本的にその疑問が拭えません。DVDで『バッシング』を観てもそう思いました。
虐待されている子供、飢えている子供が、そこにいると言うのは分かりますし、表面的には日本にそのような子供は、少なくともあの国ほどにはあまりいないことでしょう。しかし、出生前とはいえ、30万人以上の堕胎が毎年行なわれていることなど、大人の都合に振り回される幼い命と言う意味で、私には原理的に一緒に見えます。これで少子化問題などを騒ぐことの方が馬鹿らしくさえ感じられます。
別にこの問題を片付けなければ外国に行くなと言うことではないのですが、国内にも、山ほど問題はあり、わざわざ、海外まで行かなくてもやるべきことは見つからないのだろうかとは、単純に疑問に思います。
原作者の梁石日は、映画『月はどっちに出ている』も好きですし、著書の『男の性解放』は、若い頃の愛読書でした。トイレに行って見逃したところは回復したいのですが、DVDを買ってみるほどの問題意識をもてない映画でしたので、レンタルで観るぐらいでしょう。それよりも、安部公房の『人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち』を読み返したくなりました。