『いま ここにある風景』

渋谷の小さな映画館で夜、まあまあ遅くの回に見てきてました。

『いのちの食べかた』を観に行った時に、予告をやっていたのですが、そこに紹介されていた真っ赤な川とかの風景がただ連続して出てくるような映画を想像していたので、全然期待はずれでした。前評判もそれなりによいようなことが、あちこちに書いてあったので尚更です。

最初の巨大工場の長回しの際に、ナレーションが入り、「自然破壊は自己破壊だ」とか言っているので、明確に「自然破壊はダメだ」といっているのと同じです。それなのに、工場の生産風景とかダム建設の風景とか、単なる赤い川だの渦巻状の地下資源採掘跡の巨大な穴などの映像よりもかなり長いこと見せたあとに、「よいでも悪いでもない。新たな発想が必要だ」のようなことを言い出します。「いや、結局、ダメだと思ってんじゃん」とか突っ込みたくなったところで、唐突に映画が終わるので、非常にフラストレーションがたまりました。

パンフレットにも、「中国ではそれを大規模にやっただけで、これは世界中どこにでもある風景だ」とか書いてあるのですが、全くその通りで、私には殆どどこかで見た風景の延長のようなものしかなく、全然、衝撃もなければ、「息を呑む」などと言うことはありませんでした。

工場の風景は、私のクライアントさんの製造現場を特撮か何かでつなげただけのことのようですし、拙宅の「近所にあるお菓子の工場のラインも上から見たらこんな感じだよな」と、工場見学を思い出します。造船現場も、「これの10分の一ぐらいなら、実家のある港町にゴロゴロあった風景だよな」とか。昔、実家のある町から旭川に行く途中には、製紙工場が林立する一帯があり、そこの近くを流れる川は、刺激臭が立ち込めて、目も開けていられないぐらいで、水面は白い泡で一杯だったりしたことがよくありました。

山を削った風景も、超ミニ版ですが、それなりに大きな山の採石場とかは北海道には道路から見えるところなどにあったので、「ああ、きっとあれの大きなやつなんだろうなぁ。近くで本物を見たら「おおっ」ぐらいは思うかもしれないけど、映画館で見たら、「あんな雰囲気の風景ね」って思うだけだよなぁ」と。まして、都市開発の風景などは、別に東京でも大阪でも香港でも、数分の一ぐらいのサイズなら、ゴロゴロあるものだと思われてなりません。20歳の頃に上京して撮りまくった街並みの写真の中で残っている数枚は「代官山新旧」とかタイトルがついています。超ミニサイズですが、都市開発の似たような風景です。香港に滞在していた時に撮ったタイガーバームガーデンの写真も、遠景を撮ると必ず周囲の高層マンションが入ってしまうので、必然的にあんな感じになります。

だから、全編を通して、世間知らずのおっちゃんが、「どうだ、俺は凄いもん見つけたんだぞ」とかいって、世の中にゴロゴロ転がっている風景の写真をアルバムで見せびらかしているような感じの印象で、「まあ、切り取り方の構図と、写真の採光はうまいなぁ」とか思うだけのことでした。さすが、映画全編を通して、撮影の場面では「光が…」「光が…」と繰り返しているだけあります。

あと、このナイーヴなおっちゃんの、さらに輪をかけて共感できない部分は、人間の集団を奇異なもの、若しくは、さらに極端に言うと、異常なものとしてみる目線です。工場の黄色い制服を着た人々が工場の間の道路に集まってくる風景を、「そうだ。集団がぞろぞろ集まってくるところを狙え」のような撮影の声が入りつつ写していますが、その後、集団の声をマイクは拾い始めます。その声は、不良をなくすことの大事さを真剣に訴えているなかなかいい内容で、私の仕事の参考になるぐらいでした。あの規模の大工場でもきちんとミーティングを班毎にやって、作業に向かうなど、なかなかいい線行っているじゃないかと思ってしまいました。

留学したての頃、級友に超大手電話会社時代のラジオ体操風景を見せたら、「おまえもこの中にいたのか。気持ち悪くならないか」と言われたことを思い出しました。

工場の風景や造船所の風景などは全然頂けません。これのセリフを変えたら、「激動の昭和史」とか「ものづくりのひたむきさ」などの映画が簡単にできてしまいそうです。プロジェクトXにもよく出てきそうな風景が結構あります。ただ、採掘現場や廃棄物の投棄現場、廃船の処分場などの風景は構図的に審美に十分に耐えるものだとは思います。だから、DVDじゃなくて、買うなら写真集でしょう。