2月17日の封切からたった3日目の日曜日の夕刻過ぎ。午後6時30分の回を新宿ピカデリーで観て来ました。新宿ではこの館一つですが、ネットで見ると、上映館は23区内に19館もあります。それなりの話題作と言うことでしょう。新宿ピカデリーでは、1日に6回も上映されています。日本人も外国人観光客も溢れかえって、新宿通りの歩行者天国もまっすぐ歩くことが困難な程度には人が戻って来ています。新宿ピカデリーのロビーも相応の混みようでしたが、日曜日の夕刻にしては、やや少なかったかもしれません。
実はこの前の回が午後4時20分からでしたが、3時10分にチケット販売機で観た所、席は8割がた埋まっており、私がいつも座りたいと感じる列の端の席が一つも空いていないだけではなく、隔席で両隣に誰もいないという席も見当たらないぐらいだったので、その回で観るのを断念し、その後の回に変更したのでした。
午後6時30分の回は、行った記憶がないように思える新宿ピカデリーでダントツの大きなシアターで上映されています。ネットに拠れば580席もあります。3時10分段階で既に4分の1ぐらいは埋まっていました。それから一旦マンションに戻り、色々用を足してから出直して、6時15分に試しにチケット販売機で空き席状況を見たら、3割ちょっとぐらいまでは増えているように見えました。つまり150人以上分は席が埋まっていることになります。
ところが、シアターに入ってみると、ざっと数えてみても100人には到底届かないような人数に見えました。シアター内が暗くなってからも、ぽつぽつと継続的に観客は増えていましたが、それにしても最終的に100名ちょっとぐらいに感じました。ネットなどで予約を入れている人々が座席表に反映していても、実際には現れないことが多いということかもと考えていますが、それにしても結構なギャップです。このようなギャップは、作品によって違うのか否か、考えてしまいます。仮にこの作品だから、このように予約しても現れない客が増えるのであれば、日曜日の時間消費のプランBとしてこの映画が選ばれているという風に考えるべきでしょう。何か別の本命には負けるものの、広く無難な選択と捉えられやすいのが阿部サダヲだと考えると、ちょっと笑えるような悲しいような複雑な気分になります。
観客は男女構成で見ると半々ぐらいで、どちらかと言えば女性は若い層に偏っていて、20~30代が半数以上を占めていたように思います。私が新木優子見たさにDVDでドラマ全巻を観た『重要参考人探偵』で苗字を覚えることに成功した玉森ナンチャラのファンが集合した結果なのかもしれません。だとすると、プランBにこの作品を位置づけていた人々の中の相応の割合は、阿部サダヲ主演のこの作品を流すことにし、残った観客のそれなりの部分を玉森ナンチャラのファンが構成することになった…と考えられなくはありません。若い女性は男女カップルの片方のこともあれば、女性の二人連れもいました。残った約半分程度の女性と、7割ぐらいの男性は私よりほんの僅かに若いぐらいの年齢を中心値とした、比較的高い年齢分布だったように感じました。
私はこの作品のことを殆ど知らないままに本来の予定よりかなり前倒しして観に行くことにしました。理由はノルマ消化以外の何物でもありません。他に観たい映画作品が一本を除いて全く見つからず、観たいと感じている他の作品はすべて2月後半の封切に集中していて、今回どころではないぐらいに、封切から日数の経たない混雑状態の中で観ては、慌てて記事書きをしなくてはならなくなることが予測されたので、致し方なく、本来だったら、封切から1週間以上は寝かしても不思議ない本作を観に行くことにしたという感じです。
現時点で上映している他に観たい一本は『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』ですが、こちらは全国でもたった1館しか上映しておらず、おまけにその映画館は超ミニシアターで座席数が限られており、座席を確保するためにはネットで予約するしかありませんが、昨日段階でチェックしてみると、月末までずっと満席だったため、月末の空いている席を何とか確保した状態になっています。仮に本作の多くのキャンセル客のように、何か仕事などでどうしてもいけないようなことが起きれば、ノルマ達成は儘ならなくなります。そのリスクの回避のために、本作を観に行くことにしたのでした。
では、前倒ししないで観に行くことにしていたら、もっと予習していたかと言われれば、ウィキや多少のネット記事を読んで、先行してドラマ化された経緯があることや、「ああ、トレーラーで1、2回観た時に、そう言えば、池井戸潤の銀行を舞台にしたかと、思ったような記憶がよみがえってきたような…」ぐらいのことは、理解して行くことにしていたでしょう。それが無かったので、ギリギリ阿部サダヲが主演しているらしいことや、彼が総務系の部署の中間管理職で、少なくとも最近DVD化された『アイ・アム まきもと』の彼よりは大分普通の組織人のようで、当然、『彼女がその名を知らない鳥たち』の見た目では全く取り柄がなさそうな愚直なブルーカラー労働者よりはまあまあローンが組みやすそうで、まして、『MOTHER マザー』の薄汚い長澤まさみとガンガンセックスする情夫や『死刑に至る病』の残忍なサイコパス連続殺人鬼よりは大分マシ…と言った役柄でありそうなことだけは分かっていました。そして、どうも組織内の横領とか、そう言った話がテーマなのだろうぐらいには理解していました。
それだけの知識で観てみて、どうだったかと言えば、面白かったです。
何か見たことがあるような展開だなと感じたのが『七つの会議』です。銀行ではなく民間企業が舞台なので、多少人々が自由な感じですが、普段パッとしないと見られている主人公が組織の大問題解決の立役者になり、だからと言って、それが表沙汰になって大出世するのでもない…といった点が共通しているのはもちろんのこと、やはり、何か会議や色々なシーンのアングルやカット割り、屋内外の色々な場面での明るさなど、そして会話のテンポ…、そう言ったものまで、明確に表現する語彙を持ちませんが、何か共通点を感じるのです。これが池井戸潤テイストなのかもしれません。後で読んだパンフに拠れば、同じく池井戸潤原作の『空飛ぶタイヤ』の監督やスタッフが集結した結果のように書かれていますが、DVDで流し見しただけの『空飛ぶタイヤ』の記憶がそれほど多くなく、そちらの方との共通点は分かりません。
面白かった理由は、やはり、阿部サダヲの役柄のパンフにも「暇アリ、責任ナシ、出世の見込みはさらにナシ」と書かれているキャラクターが実は鋭い洞察眼を備えていることでしょう。そして、銀行組織で出世して行くようなエリート組と異なり、曰く付きのビル物件ばかりを持つ柄本明演じるダメダメな感じの老人さえも「自由が丘の飲み屋で知り合った」などと銀行のカウンターに招き、話し込むような現場感覚溢れる情報収集力や行動力が発揮されて行くところでしょう。『七つの会議』の時の野村萬斎は、こうした昼行燈キャラを演じるには目力や声の張りが過剰で、かなり無理がありましたが、阿部サダヲの場合は寧ろ、無能な人に見え過ぎて、活躍し始めると多少違和感が湧くぐらいです。
この映画は、パンフやポスターにも『金か、魂か-。』と書かれており、「シャイロックは強欲な金貸し」というテーゼが劇中でも何度も示されます。確かに、主人公阿部サダヲでさえ全然クリーンではなく、兄の事業の連帯保証人になったせいで、2億の借金を背負い、500万円の(後に法外な金利がついて1000万円になる)闇金からの借金の取り立てに喘いでいる状態です。後に彼もバックマージンを懐にすることになり、「そういうカネを受け取った時点で銀行マンとして失格だ。」と他人に言っていますが、苦渋の末、自分もその轍を踏むことになっています。
支店長は権力や立場、その上での人脈をフル活用して、犯罪行為を仕掛けてまで、自分の銀行から自分の懐にカネが最終的に流れてくる仕組みを創り上げていますし、その駒として扱われたファミリーマンの男も、結局はカネに目が眩んで、刑務所入りします。本店から来た査察担当の佐々木蔵之介演じるエリートまで、実は使い込みの経験があり、それをネタにゆすられるのに決着をつけるべく職を辞して、ミニスーパーのような所の店長代理になっています。
劇中に登場する汚職に手を染めない管理者は、杉本哲太演じる副店長ぐらいですが、この人物は異常なほどのパワハラ人間で、常に部下を怒鳴りつけるしかやることがない設定で、(私のクライアント企業に来る地銀担当者や信金担当者の言動から透かし見ると、金融業界は今でもこうであるのかもしれませんが、)有り得ないぐらいに、それしかキャラ設定情報が見つからない状態です。保身のために部下を叱責することしかできない人物か、野心によって踏み外してしまう人間か、はたまた情に流されたり、絆されたりして、身を滅ぼしていく人間か、この3パターンの人間しか金融業では管理者になれないという風に見えます。
そうかもしれません。そんな身も蓋もないというか、救い所のない物語ですが、それでも、それなりに見入ってしまうのは先述の阿部サダヲの主人公のキャラ設定のためでしょう。出て来る話の展開もあまり捻りがありません。劇中にさえ、わざとらしく場面で使われている(やや)専門用語(っぽい言葉)が文字で表示されていて、昨今の低読解力者対策もバッチリになっていますが、中小零細企業の経営などをまあまあ知っていたり、土地やマンションなどの売買などを経験したことのある人間なら、誰でも知っている程度の知識ばかりで、特に驚きが湧く部分はありません。そうした業界的な捻りや逆転劇と言うことで観ると、超人気シリーズ『ミナミの帝王』の方が余程タメになります。ということで、物語そのものは、それほど印象に残るものではありません。
役者もここ最近私が劇場鑑賞した大作系の『映画 イチケイのカラス』や『七人の秘書 THE MOVIE』、『シン・ウルトラマン』などに比べると、やや地味な感じはありますが、それでもかなり名演技の人々が揃っています。先述の柄本明もかなり存在感がありますし、『四月怪談』とかをつい思い出してしまう柳葉敏郎や、最近DVDで観た『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』で脇役のクセにやたらに存在感のあった佐々木蔵之介など、安定感のある人々がかなりたくさん登場します。『テルマエ・ロマエ』より目立ちませんが、その分物語の中に馴染んで話の展開の軸になっているのは、上戸彩です。トレーラーでは100万円横領の犯人として疑われる人物とだけしか(多分、ネタバレを恐れてのことでしょうが)紹介されていませんが、それは物語のほんの一部で、彼女は実質的に阿部サダヲのキャラを描き出すための補助線のような重要な役割です。
映画を観てみて大発見だったのは、木南晴夏です。それも前半ではかなり存在感があります。何と言っても『勇者ヨシヒコシリーズ』のムラサキで、かなりファンになりました。しかし、如何せん、主演級になることが少なく、映画の出演作もテレビドラマなどに比べると少ないので、あまり観ることがありません。辛うじて、映画ではその後、名画『その夜の侍』の居酒屋バイト女や『エイプリルフールズ』のハンバーガー屋のおかしなバイト店員、そして、『グッドモーニングショー』のテレビ局社員ぐらいが辛うじて記憶にあるぐらいです。ドラマでは、『トッカン-特別国税徴収官』の惚けた井上真央の主人公に妙にライバル心を抱く税務署職員、本人の得意のクラシックバレエの技を活かしたダンサー役の『“新参者”加賀恭一郎「眠りの森」』とかが、まあまあ記憶に残っています。
いずれにせよ、結構ファンであるのになかなか観ることがありません。私の好きなタヌキ顔と言うよりもどちらかという猫顔ですが、ムラサキのキャラとして気に入っているのだと思います。(パンフに書かれた彼女のプロフィールの中に、『勇者ヨシヒコ』シリーズが出演作品として言及されていないのは非常に残念なことです。)少なくとも、タヌキ顔全開でかなり好きなのに、なかなか動く所を見ることがない山崎真実よりは発見しやすいという程度です。そんな木南晴夏を偶然発見できたのが、なかなかの拾い物感です。ダンナの玉木宏はよく見るのに、彼女の方はなかなか観ることがないので、喜び一入です。
何を魅力として捉えるかに大きく左右されますが、阿部サダヲ演じる主人公のまあまあのカッコ良さは保管に値するように思うので、DVDは買いです。
追記:
映画のタイトルには「シャイロック」が用いられ、劇中にも主題を示すモチーフとして『ヴェニスの商人』の劇中劇の公演が挿入されています。私はこの映画の物語のどこが『ヴェニスの商人』に通底しているのかがさっぱり分かりませんでした。パンフには「シャイロック-それは強欲な金貸し」とありますから、銀行業界の人々は強欲な金貸しであるという自分達を卑下し揶揄する表現であるのかなとか思いました。
銀行を辞めて転職した先がどのようなものかがわかっている人物は劇中に一人しかいません。前述のミニスーパー勤務の佐々木蔵之介です。どれほど人材不足なのか分かりませんが、いきなり店長代理です。また、劇中で、評価されていない支店長が異動のたびに店舗のランクが落ちて、次は「名もない、無名の中小企業だろうなぁ」などと言っている場面があります。
一般論で、中小企業側のオーナー経営者側では銀行出身者は殆ど使い物にならないと考えられているように思います。今は全国どころか海外にも進出している某北海道発の企業では、一時期創業オーナー社長が会長に退いて銀行から社長を迎えたことがありますが、業績不振の責任を取って自死しました。同じ金融業界で、中堅・中小企業の経営を目利きして売買することをしているファンドでさえ、送り込まれてきた経営者がその企業の業績を中長期的に成長軌道に乗せた事例を私は直接見たことがありません。まして銀行なら余計のことでそうでしょう。
何か劇中には「銀行員の私たちは世の中のことをよく知っていて、エリート競争をしていて、だから道を踏み外す時も社会的に報じられるほどの規模になる。それに比べて、未経験でも銀行員のノウハウをもってすれば、無名の中小企業の売場責任者ぐらい当然できて問題がない」と言った価値観を垣間見る場面が散見されます。その価値観に裏打ちされた、道を踏み外した悲劇の元ヒーロー的に「シャイロック」と自分達を揶揄しているとするなら、結構傲慢な心理背景であるように思えました。
☆映画『シャイロックの子供たち』