『コンビニエンス・ストーリー』

 8月5日の封切から2週間弱。もともと上映館が少なかったようには朧気に記憶していますが、ふと気づくと、既に上映館が23区内3ヶ所になっていて、新宿には靖国通り沿いの地下に入るシアターが一つしかないテアトル新宿だけになっていました。ここではまだ1日4回の上映が為されていますが、既に観客動員は減少しつつあるように思えます。水曜日の午後2時10分の回を観て来ました。毎週水曜日は無条件の割引日となっており、1200円で鑑賞ができました。

 この作品を観に行くことにした動機の大きな部分は、ここ最近、劇場映画鑑賞ノルマの月二本がカツカツでクリアできている状態が続いたので、たまには3本目に挑戦しようと思っていた一方で、なかなか観たいと思える映画が少なく、その目論見が延び延びになっていましたので、少々、日中に時間ができた中で目論見成就を図った部分が大きいと思います。

 そんな中でもこの作品を選んだのはトレーラーで観た映像の印象が大きいと思います。気怠いセックスに嵌り込んで耽ってしまう男女。そして、その関係を人生の何物にも優先した結果、日常が変質して行ってしまう男女。その幽玄・幻想の世界の中で行なわれる営みは、実は、私の大好きな漫画家山本直樹の十八番です。勿論、この作品は山本直樹原作ではありませんが、比較的最近観た『ビリーバーズ』が、物語にかなり忠実であったにもかかわらず、主演の男女の清々しさやアイドル性故に、どうも、やるせなく気怠い男女の性への耽溺が今一つ描き切れていない気がしていて、不発感があったので、この作品はどうだろうと関心が湧いたように思えました。

 シアター内に入ると、周囲が暗くなってきてから、ぽつぽつと観客が加わって行って、当初20人に満たなかったのが、最終的には30人を超えたように思います。それでも封切からの日数や週一の大幅割引の日であることを考えると、限られた数と考えざるを得ません。男性が6割程度、女性4割と言ったところで、中高年男女カップル1組を除いて、全部単独客に見えました。年齢層は男性の方がやや高く中心は私ぐらいの60±10ぐらいの範囲のように見えます。女性はそれより10歳若いぐらいの層であるように見えました。

 観てみると、本来の動機のポイントがかなりうまくでき上っていて、山本直樹の『安住の地』などに見るような異常な世界が展開していました。

 パンフに拠れば監督の三木聡はこの作品のフライヤーに「謎は謎だから謎であり、全ての謎は解けてしまえば謎ではない」とコメントを寄せているとあります。確かに、諸々の場面で起きたことや諸々の場面の存在自体が、謎めいていてしっくりこないままに放置されています。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でも…

「 そう思える一つの根拠は、この謎解きを執拗に行なう点です。テレビシリーズの方では、到底回収しきれないような伏線の嵐で、実写のテレビ・ドラマ番組なら当時『ツインピークス』などもありましたが、謎が解けずすっきりしないことがウリになっている物語が世の中に登場し始めた頃に、SF系のアニメで謎だらけの展開を打ち出したエヴァの魅力は断トツでした。その中で人類補完計画はあっさり一回ぽっきりのものとして描かれ、その核にいたシンジにあっさり流れを否定されて収束します。

 ところが、今回謎解きされたところによれば劇場版のシリーズでは人類補完計画は第一波から第三波まで繰り返さねばならないなかなか面倒なものになり、碇ゲンドウと冬月はその実現に向けて裏の裏を読む様な周到な計画を立てていたという話になっています。これがまたこじつけ感満載なのです。総じて謎解きやら辻褄合わせを必死にやればやるほどオリジナルが持っていた魅力がどんどん褪せて行ってしまったように感じられます。」

と書いている私なので、謎は全然謎のままで構いません。観る者によって解釈の違いがあり得るのも悪くないものと思います。(ただし、最近のネット上の話に散見される、単に読解力が欠落しているが故の誤解釈には結構辟易させられることがありますが。)そして、この作品ではそのようなことがそれなりに多く存在して、最後までいまひとつ回収されていないように見えます。パンフの中で、妻に不倫され家出されるコンビニエンス・ストア・オーナーを演じる六角精児は、自分の演じた役柄について「胸に入れ墨を入れた、黄泉の世界にあるコンビニのオーナーですからね。この男が存在しているのが現実世界ではないという条件があると、あまり人物的につじつまが合っていなくてもやれる気がしたんです」と語っています。パンフを最初から最後まで精読すると、他の演者とは異なり、彼の中には彼の解釈による辻褄合わせが完全にでき上っていて矛盾や謎が残っていないのではないかと思えました。

『映画.com』の解説には…

「スランプ中の売れない脚本家の加藤は、恋人ジグザグの飼い犬・ケルベロスに脚本執筆の邪魔をされ、腹立ちまぎれにケルベロスを山奥に捨ててしまうが、後味の悪さからケルベロスを探しにふたたび山へと入っていく。その途中でレンタカーが突然故障し、立ち往生してしまった加藤は霧の中にたたずむコンビニ「リソマート」で働く妖艶な人妻・惠子に助けられる。惠子の夫でコンビニオーナーの南雲の家に泊めてもらうことになった加藤は、とりあえず難を逃れたかと思われたが、その時すでに、彼は現世から切り離された異世界に入り込んでしまっていた。」

と書いてありますが、この異世界は、六角精児の文章を読むまでもなく、かなり早い段階で、黄泉の世界であることが分かります。それも正式には黄泉の世界に旅立つ人が屯している、現世とあの世の境界領域のような世界です。そこに入り込んだ主人公にはまだ戻る余地も残されているのに、自分の立ち位置が分かっていないが故に、どこに行けばよいか分からずに彷徨する中で、物語が展開するということのようです。(実際には、折角戻りかけた現世らしき世界から死の世界に引きずり戻されてしまっていますが…。)

 ただ、傍迷惑なのは、この境界領域が主人公が紛れ込んだ辺りから(主人公が紛れ込んだせいでそうなったのか、それ以前から何かのきっかけや周期でそうなることになっているのか分かりませんが)現世と混じり合ってしまっていることです。

 完全に現世に残っているはずの主人公の彼女も、境界領域どころか、あの世側から染み出てきたような老婆の姿をした存在に腕をつかまれると、その部分がまるで死肉のようなどす黒い色に変色したりします。

 この彼女に依頼されて主人公を探しに行った探偵業の男二人は、境界領域のコンビニにちゃんと辿り着いて、まずは主人公が使った軽トラを現実世界に戻していますし、さらにコンビニに主人公を探して銃を携行して入って行って、オーナーの六角精児に不法侵入者に対する正当防衛の名目で撃ち殺されてしまっています。つまり、現世の人間が境界領域にわざわざ入って行って境界領域から先に行く人間にされてしまっているのです。

 私の好きな山本直樹の世界感との類似点で言えば、先述の「気怠いセックスに嵌り込んで耽ってしまう男女。そして、その関係を人生の何物にも優先した結果、日常が変質して行ってしまう男女。その幽玄・幻想の世界の中で行なわれる営みは、実は、私の大好きな漫画家山本直樹の十八番です。」のようなセックス描写も、生々しいほどに描かれてはいませんが、舞台背景が既に謎の世界観で、その上、セックスの相手の女性は、境界領域に囚われの身となっている生死不明の女性です。気怠く本能的にただ求めあうセックス世界が上手く描かれているように思えました。

 この相手の女性、つまり、六角精児の妻を演じているのは元AKBの前田敦子です。透明感があるというか現実感がないというか、そういうイメージの役に上手くハマっているように思えました。セックスをどんどん仕掛ける役という意味では、DVDで観た『毒島ゆり子のせきらら日記』の彼女が思い出されますが、今回の役は境界領域から自分を連れ出してくれる男性の登場に心が大きく揺れ動き謎めいた言動から徐々にその欲望を剥き出しにしていく女性です。

 劇中で六角精児演じるオーナーの夫によって語られる話によれば江土場事件(もしかしたら漢字か名称そのものが違うかもしれません)とかいう死者が多数出た事件があり、それが劇中の舞台であるコンビニで発生したようです。前田敦子演じる女性は、その事件の唯一の生き残りであると六角精児が主人公に語って聞かせています。生き残りであれば、生きているのですから境界領域にいるのは変であることになりますが、何かの理由(たとえば、現時点では意識不明の重体になっているなど)で境界領域に囚われているということのようです。

 パンフレットにある役者六角精児のコメントに拠れば…

「僕にとって一番の謎だったのは、この二人がいつ知り合って結婚したのかですよ。これは勝手な想像ですが、事件が起こる前に二人は店員とアルバイトのような関係で、事件によって二人とも亡くなってから一緒になった気がするんです」

と解釈しています。「二人とも亡くなって」は生き残り説と矛盾していますが、現世での状況は何であれ、二人とも境界領域に囚われてしまってから、結婚しているという形になったのだろうと考えるのは非常に妥当な仮説です。劇中で突如夫は「妻への愛ゆえに妊活を始めることに決心した。ついては病院に行って検査を受け、妊活を実現できる体の状態かどうか調べてくる」と宣言する場面があります。それまでもこの夫婦の間には特に愛情表現的な描写はなく、敵意こそないものの、冷めきった夫婦関係はありありという感じです。既に主人公との逃避行に心が完全に傾いていた妻によって、妊活はあっさり拒絶されます。

 いずれにせよ、そういった境界領域に存在し続けてきた未来のない人々のある種の厭世観や諦念のような感情は非常によく描かれていて、六角精児も前田敦子もその完成度高い描写に大きく貢献しています。六角精児も自分を刺した大ムカデをガラス瓶に捕らえて、「刺した相手は捕えて逃がさない」などとムカデを凝視しながら呟いたりして、妻を奪うであろう主人公への姿勢を暗示していたりします。趣味が森のど真ん中に行って、ミニコンポでクラッシック音楽をかけ、それに対して指揮をとるという変わったものであるのを普通にやりこなしているのも、なかなかシュールです。

 同様に前田敦子もなかなかです。ガソリンの匂いは、子供の頃にお出かけに連れて行ってもらう時に必ずガソリンスタンドで給油したことから、とても興奮すると言い、なぜか枯野の中にぽつんとある給油スタンドで体にガソリンを浴びて、「興奮した」と言って主人公を誘惑し、初めての情事にもつれ込むなど、なかなかです。おまけに、その後の情交の後の台詞も最高です。

 見つかった軽トラの座席に全裸で座った二人が余韻を浸っているのですが、そこで前田敦子がいきなり語ります。

 曰く、「今見ている太陽は8分前の太陽だって知っている?だから、今となりにいるあなたもほんのわずかな時間だけど過去のあなた。細かく言うと、あなたの鼻より目の方がもっと長い過去のもの。だから私はこうして(と主人公の手を握って)今のあなたに触れていたい」。(正確には細かく表現は異なると思いますが主旨としてはこのようなことです。)

 なかなか深遠です。この作品の制作にあたった方々には失礼千万な感想とは思いますが、なかなか気怠く、なかなか無意識的で、そして台詞や情景までかなり原作に忠実なはずの映画『ビリーバーズ』よりもなかなか山本直樹ワールドチックです。

 実は画像記憶がほぼ全くできない私は、どうも前田敦子と大島優子を区別して記憶することができません。両者ともに「元AKBで役者として川栄李奈より活躍していず、篠田麻里子より背が低く美形ではない人」という情報で認識されているので区別がつかないのです。前田敦子の方は、劇場で観た『シン・ゴジラ』、『散歩する侵略者』、『食べる女』でそれなりの印象をガッツリ残す好演をしています。さらにDVDで観た『マスカレード・ホテル』や『コンフィデンスマンJP』の数本などでも目立っていると思います。

 当初、『苦役列車』ぐらいしか劇場映画での目立った作品がなかった彼女でしたが、DVDで観た『もらとりあむタマ子』で初めて好感が持てるようになり、その後劇場で観た『さよなら歌舞伎町』で、「ああ、またいた」とギリギリ認識ができるようにはなりました。あとは先述のDVDで観たTVドラマの『毒島ゆり子のせきらら日記』でも、「二股かけるバリキャリ系姐さんか」ぐらいの認識をしたに留まります。『毒島ゆり子のせきらら日記』と同年に上映されていまる『シン・ゴジラ』と、その後の『散歩する侵略者』、『食べる女』の二つは私にとって、彼女の好演がそれなりに目立つポジションにあると思っています。

 一方で大島優子の方も私が観たことがある作品群でそれなりに目立つ脇役を多数勤めています。私が好きな(TV版に一本登場していますが)劇場版の『SPEC』数作や『紙の月』、『疾風ロンド』などでも彼女の存在は目立ちます。そして、比較的最近劇場で観た、私にはハズレ作だった『妖怪大戦争 ガーディアンズ』と超大当たりだった『ボクたちはみんな大人になれなかった』の二作でもそれなりに大きな存在感があります。

 元々AKBに全く興味なく生きていた私であることも背景要因ではあると思いますが、これらのそこそこ目立つ脇役加減が、この二人を私の中で混同させる要因になっています。上述のような作品群のどれにどちらが出演したかを記憶を手繰って完全に分別しつつ語る自信が私にはありません。

『ボクたちはみんな大人になれなかった』で大感動した私ですが、その原作者燃え殻のもう一つの傑作『あなたに聴かせたい歌があるんだ』は『SPA!』に連載されたコミックを読んだだけでしたが、配信モノのドラマで存在していて、前田敦子が出演していることを今回この記事を書いていて初めて知りました。それがDVD化されて観ることができたら、多少は前田敦子と大島優子を記憶の中で分別する手がかりになるのかもしれません。

 主人公が自分の死を自覚できていないことで展開するドラマは多数あります。有名な洋物では『シックス・センス』でしょうが、私は死後に死にきれないままに悪夢的世界に囚われたままになるベトナムの人体実験に巻き込まれた米兵の様子を描く『ジェイコブズ・ラダー』が大好きです。物語構造だけで言うと、かなり本作に近いように思えます。

 日本の作品では(コミックですが『ジョジョの奇妙な冒険』第四部の宿敵吉良も死後一定期間死を自覚できないでいましたし、劇場映画なら)私の記憶の中では『リアル 完全なる首長竜の日』が最高かもしれません。そう言った洋画邦画の生死の間の境界領域を舞台として描いた作品としては、今一つ押しが足りず、エッジが利いていないようには思えます。しかし、六角精児と前田敦子の好演によって、荒れ野にぽつんと建つ寂れた田舎コンビニの幽愁に囚われた人々の生と性の欲望をジワリと描いている点がエッジの鈍磨を多少なりとも補うことに成功しているような気がします。DVDは買いです。

追記
 監督の三木聡の他監督作がネットでこの映画について見ていたら掲示されていて、私が比較的最近観て面白いと全く思えなかった『大怪獣のあとしまつ』の監督であることを知りました。ついでに『映画.com』で作品をズラリ並べてみると、私がDVDで観て全くイミフとしか思えなかった『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』と、私が結構好きな不条理作品の『カメは意外と速く泳ぐ』が出てきました。私にとってはかなり両極端を攻めてくる監督なのだなと思わざるを得ません。