『PLAN 75』

 6月17日の封切から1ヶ月半余り。上映館数も上映回数も激減を重ねる段階になっていた8月上旬の木曜日。新宿ピカデリーの午前10時半からの回を観て来ました。ここでも、1日1回の上映しかしていません。他地区の他館でも同様の状況で、危機感を抱いて何とか仕事の予定がついたこの日のこの時間に観に行くことができました。

 シアターに入ると、先述の上映館数や上映回数の激減が信じられないほどに、観客がいました。平日の午前中早めの時間にしては、明らかに多い客足で、40人以上はいたように見えました。男女はほぼ半々。余り前例がないぐらいに高齢者、それも後期に入っているように見える高齢者の比率が高く、還暦一年余り前の私でも明らかに若い観客トップ5に入っていたように思います。

 この映画を観に行くことにした動機は、高齢社会に真正面から向き合った作品であることもありますが、最近DVDで観た『Arc アーク』で死を選ぶことにした元「不老」の主人公を好演した名優倍賞千恵子が主演していることが大きかったように思います。特に倍賞千恵子が好きという訳でもありませんし、彼女の出る作品を選んでみるようなこともありませんが、彼女の最盛期の往年の日本映画界から今に至るまで映画作品に出演し続けた自然な役が形作られる演技力には目を見張るものがあるようには思っています。その彼女が主役を張るのなら、75歳になったら政府機関での死を選べる社会制度が始まった日本を描くSFが、仮に多少荒唐無稽な所があっても、訴えるものが十分ある作品になるのではないかと思えたのです。

 その期待は結構外れました。倍賞千恵子は予想通りの名演で、本当に実在しそうな老女を当たり前に演じています。しかし、映画の世界観があまりにも現実離れしているように思えてならなく、物語が意図したのであろう、人の尊厳や命の価値に関する訴えかけが、どうも空回りしているように思えて、物語の進行に集中できないのです。

 映画は比較的最近神奈川県の施設で実際に起きたような事件の現場から始まります。増えすぎた老人達の存在が自分達を追い詰めていると信じた若者一人が猟銃を持って施設に押し入り、手当たり次第に老人を射殺し、その後、自分も自身の頭部を打ち抜いて自殺します。しかし、基本的に死はかなりの頻度で登場する本作で残虐なシーンはおろか、死に顔を直視するような場面も非常に限られているので、冒頭のこの若者の一連の行動を描くシーンでも、直接的な死が描かれるのは、本人の自死のみです。それも見た限り血飛沫一つ飛びません。(切株映画を始めスプラッタ映画全般があまり好きではない私ですので、特に血飛沫を期待して観に行っている訳ではありません。)

 そこから映画は主人公の老女がホテルのリネン業務についている様を描き始め、冒頭の老人大量射殺事件をきっかけに、PLAN75が揉めに揉めた末、国会で法制化されて施行に至ったことをテレビのニュース番組のシーンで描きます。そして、PLAN75の現場実務担当者の若者(男性)やPLAN75の老人大量死亡用施設で働くフィリピン人女性、PLAN75で主人公の死亡に至るまでのケアを担当するコールセンター・オペレーターの女性の三人の様子も並行して描き始めます。途中、PLAN75の現場実務担当者の若者の叔父がPLAN75に申し込んでくるなどのサイドストーリーも展開しますが、そのすべての人物の物語が、一応緩く結末に合流するようにじわじわと進みます。

 冒頭、倍賞千恵子には三人の老女の同僚がいます。かなり古い歌謡曲のカラオケを楽しむため、LPなのか、レーザーディスクなのかよく分からないディスクを皆で取り出しては、交代交代に歌いあうシーンなどもあります。全員、やたらに貧相な服装をしており、髪も手が掛けられておらず、人生に大きな楽しみもなく、何らかの強い生きがいもなく、子供などの親族との交流はほとんどなく…と言った体で、四人で適度につるみながら働いています。全員75歳以上であることが、PLAN75に関する会話から窺われます。倍賞千恵子の生活はかなり精緻に描かれますが、昭和後期ぐらいから時が止まったかのように、異常なほどの時代乖離感のある生活スタイルです。電話は家(いえ)電を使っており、白いプラスチック製の平型プッシュホンです。部屋にはパソコンもなければ、ドアホンもありません。お茶を飲むにもガス台に薬缶を載せてお湯を沸かします。彼女は足の爪を爪切りで切ったら、家の中にある二つの鉢植えの土の上に捨てます。今、流行が廃れつつあり、EUの妄言と露呈しつつあるSDGs本来の先駆的事例かもしれません。

 しかし、倍賞千恵子は全くIT音痴という訳でもありません。三人の老女仲間の一人が仕事中に倒れ、それをきっかけに(老人を働かせるのは事故などによる風評被害になると危惧した…と解釈できる雇用側の判断で)四人全員職を失いますが、倍賞千恵子だけがハロワで職探しをすることになって、端末をそれなりにきちんと使っています。三人の仲間のうち、ただ一人、孤独な生活の中で倍賞千恵子と交流があった老女は、突如電話に出なくなり、倍賞千恵子が尋ねてみると、ダイニング・キッチンのテーブルに突っ伏して息絶えていました。

 それ以前に取り壊しが決まった団地から追い出されたりなどもしている倍賞千恵子は、とうとうPLAN75に申し込みますが、一定の最期の生活を楽しむ期間を過ごした後、死亡する施設に行くと、そこでは並んだベッドで老人達が麻酔ガスを吸わされたまま死に至るようになっていて、隣のベッドの老人男性(先程の実務担当者の若者の叔父)の死の瞬間の瞳を薄いカーテンの隙間から見て翻意します。そして、彼女は施設から徒歩で山林を抜け出し歩いていくのです。

 言いたいことはよく分かる映画です。そして、残虐なシーンも死を直視するシーンも殆どない一方で、やたらに人物の近影が多く、登場人物の表情や息遣いまでもがよく分かる作品です。役者陣の演技力は総じて高く、その近影の連続に十分耐え、物語を支えています。同僚の老女たちと共に生きることの辛さを言葉や表情で描き続ける倍賞千恵子の次に登場時間量が多いのは、PLAN75の窓口担当者の公務員男性ですが、磯村ナンチャラという男優が演じています。

 この前観たばかりの山本直樹原作の『ビリーバーズ』で女優北村優衣と孤島で全裸アオカンを重ねていたあの男で、毎週日曜の朝には爽やかな笑顔で『ミライ☆モンスター』でまともなコメントを色々と吐きます。最近DVDで観た劇場版の『前科者』では有村架純を刑事のくせにいきなり押倒し胸を揉みしだくあの男です。そして、『ホリック xxxHOLiC』では女郎蜘蛛の忠実な僕(しもべ)のイカレた妖怪男を演じていますし、さらに、公開が予定されているのん主演でさかなクンのこれまでを描く『さかなのこ』では、イカレたツッパリ学生を演じることを、トレーラーで観て私は知っています。芸が達者です。

 そんな役者陣の熱演・好演・快演をキャンセルしてさらにあまるほどに、この映画の物語設定は現実味がありません。PLAN75は冷静に考えれば安楽死法の一種と捉えられます。ただ何らかの不治の病の苦痛などの根拠で安楽死を選ぶという話ではなく、単純に漠然と将来の不安や生き甲斐の無さ、生活苦などから、安楽死を選ぶケースを75歳以上については、公的な支援を行なって実現させる制度です。或る意味、75歳以上に対しては、政府が公的な自殺幇助を行なうという風に解釈できます。

 国会でかなり紛糾したとはされていますが、なかなか荒唐無稽です。ギリギリ『イキガミ』や『バトル・ロワイアル』の設定よりは現実的かなと言う程度です。それも、先述のように、微妙に現実感を醸し出す限界ギリギリの設定を(何件か連続したようですが)若者に拠る老人大量殺害や老人連続殺害の事件から導き出すという議論もなかなか飛躍しています。普通は犯罪者に対する何らかの新たな対応の方を検討するでしょう。

 国の対応もかなりよく言えば強気、悪く言えば狂気を孕んだ状況です。役所の生活保護の受付などの生活支援の窓口は毎日処理人数を決めており、上限に達すると開所時間でも窓口を閉めます。一方でPLAN75の受付けは、街角でも行なうどころか、露骨に食事の配給場所の脇に受付カウンターを出張設置しています。深夜にさえカウンターを維持している状態です。さらに、老人が集中して健康診断を受ける医療検査機関では、待合室に専用モニター設置されて、PLAN75の申込を煽る動画が執拗に繰り返されています。

 最近ですと、法的に「義務」とは一度たりとも謳われていない通称武漢ウイルスのワクチン接種のゴリ押しの例もありますので、一応アリはアリなのかもしれませんが、さすがに、老人に死を選ばせる制度をこれほどに人件費や宣伝費に血税を投じて普及浸透させることがあり得るかという、常識的な疑問は湧きます。

 ちなみに申込者には「支度金」のような形で10万円が支給されます。自分で好きな食べ物を食べたり、旅行をしたりなどして、思い残すことなく死を迎えるためのお金と言う位置付けのようですが、随分と安いように思われてなりません。最近廉価になる一方の国内旅行でも、数泊過ごせばすぐなくなりそうです。思い残すことが余計に増えてしまいそうに思えます。

 さらに、終末施設のありようが杜撰そのもので、到底信じられないレベルです。老人一人ひとりをベッドに寝かせて、麻酔ガスのようなものを吸わせ、安楽な死に至らしめます。しかし、そのベッドの配置は総合病院の大部屋どころではなく、広めの廊下にベッドを並列に並べて、薄いカーテンで間仕切りしただけの状態です。ガスの御蔭で騒ぎ出したり呻き叫び出したりする者はいませんが、それでも、ただこんな環境で死を量産している中に自分の人生の最後の瞬間を投じたいと思う人間はなかなかいないように思えます。

 おまけに大変不思議なことに、施設に来る方法も個々バラバラでよく、何かシャトルバスのようなものも存在するようですが、親類知人などの運転する車で乗り付ける老人もいます。施設への入場の手続きも劇中では存在していません。簡単に老人の取り違えが起きて不思議ない状況ですし、死んで間際の遺体を持ち出したりすることや、死ぬことから翻意した主人公の倍賞千恵子はあっさり施設から徒歩で脱出していて、追っ手は全く来ない様子に見えました。こんな馬鹿げたことがあるとは思えません。

 施設に来たPLAN75申込者はすぐさまベッドに通されますが、その際に持ち物などについて、特に指示を受けていません。入院着のようなものに着替えることさえないのです。死亡した後は、先述のフィリピン人を含む作業者がポケットの中身を全部遺体から取り出します。遺体は適宜本人が希望していた処理方法(家族に引き渡されたり、共同墓地のようなところに火葬後に埋葬されたりなど)に回されるようですが、持ち物のバッグなどは中身を没収されてしまい、多くは廃品処理業者に金で売られていくようです。さらに、フィリピン人女性や同僚は金目のものを自分のポケットに入れています。事実上の追剥状態で、小説『羅生門』の遺体の髪の毛を集める老婆の話を彷彿とさせます。

 考えてみると、コールセンターのオペレーターの指示で、PLAN75に申し込んだ主人公は施設に向かう日には、部屋に鍵をかけずに出かけます。つまり、死亡した後に遺品整理業者などがすぐに入り、ここでもまた、公の追剥状態が展開するということなのでしょう。家族と同居などしていれば条件は違うのでしょうが、身寄りのない主人公の場合は、公的追剥制度によって、遺品はすべて現金化された上に国庫に没収されるということのように見えます。さらに、この遺品整理を行なうのであろう処理業者は、劇中では産廃処理なども行なっている専門業者です。わざわざ人間を邪険に扱っているイメージを確固としたものにするため、こういう設定になっているのだと思いますが、あまりに非現実的です。葬儀関係の業者も世の中にはやたらに居て、最近のジミ葬の風潮で収益的に喘いでいる業者も多いでしょうから、単にそういった葬祭関係の業者を入札などで決めて委託すればよいだけのことです。なぜ特定一社の産廃処理業者にこのような業務を投げるのかに関して合理的な説明が全くありません。

 もっと不思議なことがあります。それは、PLAN75を希望する老人は基本的に皆、心身健康であることです。たとえば脳溢血か何かで麻痺が出て寝たきりになっている老人もいませんし、認知症で記憶が混濁し、発言内容が二転三転するような老人もいません。緑内障が嵩じて失明している老人もいなければ、メニエール病が重度になって真っ直ぐ歩けないような老人もいません。そのような条件が何かあったような描写はなく、現実に磯村ナンチャラ演じる実務担当者が、健康状態の審査などもないと明言していますから、健康体でなくては申し込めないということはないように見えます。世の中に寝たきり老人や、意識さえない実質的な植物人間状態の老人も多数存在すると思いますが、PLAN75はそのような無視し得ないパイを占める老人達にはどのように適用されるのかが全く分からないのです。

(一応、本人が申し込めば、家族等の同意も一切要らない…と言った説明は為されています。ですから、植物人間状態なら申し込む意思表示もできませんから、適用対象にならないということかもしれません。それでも認知症の老人などのケースはどうなるのかが分からないままです。)

『映画.com』の解説の中には、「年齢による命の線引きというセンセーショナルな題材を細やかな演出とともに描き…」などと書かれていますが、単に特定年齢に到達すると死を迫られるという社会構造だけなら、『楢山節考』もあれば、倍賞千恵子が出演している『デンデラ』もあります。海外なら名画『ソイレント・グリーン』にも公営安楽死施設があり、そこで死んだ人々は人間用の食料の主原料にされています。私には寧ろこれらの古典的名作の方が、「命の線引き」についての示唆に富むように思えます。それは現代日本から離れた話であるがために、余計のこと、純粋に「命の線引き」問題が明確になるためであろうと思われます。そういった観点で見た時、出演陣の尽力には見るものがあり、そこで打ち出されるメッセージには、一応感慨深いものがあるのは嘘ではありませんが、どうも今一つ響かない感じがします。DVDは不要です。