『恋は光』

 封切日は6月17日なので、既に3週間近くが経過した7月6日水曜日に観に行くことにしました。9時5分からの回。朝6時45分に目覚ましをかけて新宿界隈のマンションを出ました。夜型の私にはかなり精神的にも肉体的にも負荷がかかる選択でしたが、それでも観る価値がある映画のように感じられてなりませんでした。

 そこまでしてわざわざ早朝に日比谷の映画館に行かなければならなかった理由は、トータルの上映回数の急減です。上映館数も各館での1日の上映回数も急激に下がっていることに前の週に気づき、状況がさらに悪化する前に手を打たねばと機動的に対応することにした結果です。気持ちだけで言うと戦闘機のスクランブル発進ぐらいの緊急事態です。

 この作品は一度『王様のブランチ』でも主演と思われる二人が登場したコーナーを設定されているぐらいの一応の注目作でした。私もその内容がきっかけで関心を持つに至りました。決してマイナーな映画館だけの上映の作品ではなかったはずで、前の週の段階では間違いなく、新宿でも上映館がありましたが、それが3週間目を見ずに消え去りました。残った中で私の行動範囲に入っているのは、池袋と有楽町と神田駅から歩いて行ける比較的好ましいと思っている日本橋の映画館です。各々1日1回しか上映していず、池袋と有楽町は早朝、3館の中では一番私が行きたいと思える日本橋は夕方で仕事にぶつかることばかりでした。

 その日比谷の映画館で偶然そうだっただけですが、毎週水曜日は「TOHOウェンズデイ」とかいう割引制度があり、料金は1200円でした。わざわざ超早起きをしたことに対する報酬としては全然ディスカウントのありがたみが少な過ぎ、「まあ、そういう制度があるのか」程度にしか感じられませんでした。

 この日比谷の映画館には、昨年2021年2月に『大コメ騒動』を観に来ています。この映画館はやや独特な感じのある映画館で、前回に行った際には映画館について以下のような感想を書いています。

「初めて訪れるビル、初めて訪れる映画館で観て来ました。場所は日比谷。日比谷公園を見下ろす東京ミッドタウン日比谷です。私はこの近隣にあるクライアントの東京本社に時々来ることが5年少々前までありましたが、その際には、四方が鋼鉄の壁で覆われていて、ずっと何かの工事が為されているとしか理解していませんでした。その後(有楽町界隈は山手線の外側に行くことはあっても)日比谷界隈にはあまり訪れることもなく、都心ではかなり大型のこの商業施設の完成を全く知りませんでした。

当然ですがこのビルの完成を知らなかった以上、この映画館の存在も初めてと思いつつ、映画館のサイトを見てみたら、「TOHOシネマズ 日比谷 / TOHOシネマズ シャンテ」のように館名が常に併記されている状態で、複数のビルにまたがった状態で、事実上の一つの映画館と言うスタイルのようでした。

さらによく見てみると、私も遥か以前訪れたことがあるように記憶する「日比谷シャンテ」は「TOHOシネマズ シャンテ」と改名して同じ場所に存在し続け、「TOHOシネマズ 日比谷」の方は、さらに、スクリーンの1~11が東京ミッドタウンの中にあり、12と13は以前からの東京宝塚劇場の中に存在しています。つまり、一応一つの映画館が隣接する三つの建物に分散して存在しているということのようなのです。他では見たことのないスタイルで、理屈上、どの映画館のどのスクリーンでの上映かを確認しなくては、行く先の建物が絞り込めないということのようです。複雑なしくみです。」

 ネット上で見ると100席ほどのシアターで、最終的には30人ぐらいの観客になりました。9割は私も含めた男性単独客。6割以上がBMI値がヤバそうな人々でした。男性の年齢層は概ね20代から50代ぐらいまで広がっていて、それでも私が年齢順でトップ5ぐらいに入っていそうに見えました。翻って女性は単独客が2人ぐらいで近くにいた1人は20代後半に見えました。あとは男女カップルが3組程度で、若い感じに見える2組とぎりぎり私よりは若そうな1組だったように思います。10分程ウロウロやることもないロビーで過ごした後の8時半の開場時間に自動券売機に行って手続きをしましたが、その際に観たパネルでも20席程度は埋まっていたように思います。シアター内が暗くなってからもぽつりぽつりシルエットがやたらに太くデカい単独客が入ってきましたが、そのような点から見ても、この観客層が今となっては古典的な意味でのオタクが多いのだろうなぁと推測しました。

 パンフレットを買いにグッズ売場に行ってみて気づいたのは『劇場版 からかい上手の高木さん』の大人気ぶりです。6月10日の封切で上映が1日1回にはなっているものの、グッズ売場にやたらにグッズが溢れていて、流石『王様のブランチ』でまだまだトップ10後半に食い込み続けているだけのことはあります。私もコミックは集めていますが、ここ最近、高木さんの気持ちが明確過ぎてダレてきているように思っています。

 その『からかい上手の高木さん』は、鈍感で凡庸で子供臭い西片という同級生が好きで好きで仕方がない聡明な高木さんが恋心をじわじわと匂わせつつ西片との時間を過ごしていく物語です。先述の通り、高木さんの恋心が物語の展開と共にかなり明らかになってしまっていて、おまけに高木さんが西片と結婚した後の『からかい上手の元高木さん』まで物語として並行して出版され続け、おまけに微妙に二つの物語がクロスオーバーするエピソードまであります。ここに至って、高木さんの恋心が抑制されたものではなくなってしまい、急激に魅力を失ってしまっているように思えるのです。

 それほどに抑制された恋心は、私を含む多くの人を惹きつける心情なのであろうと思います。本作品『恋は光』は、その状況が二重三重に出現して、おまけに恋心を抱いたまま、登場人物達が相互に恋愛とは何かを議論によって追求していく物語であると、『王様のブランチ』の特集や数度観たように記憶するトレーラーで知って、アラカンの老人がイマドキの若者の恋愛感情を理解する題材として非常に相応しいものと思い、「絶対に観に行こう」と決意したのでした。

『映画.com』によると…

「「恋をしている女性が光って見える」という特異体質の大学生・西条は、自身は恋愛とは無縁の学生生活を送っていた。ある日、彼は「恋というものを知りたい」という文学少女・東雲に一目ぼれし、恋の定義について語り合う交換日記を始める。西条にずっと片思いしてきた幼なじみの北代は、そんな2人の様子に心をざわつかせる。一方、恋人がいる男性ばかり好きになってしまう宿木は、西条を北代の彼氏だと思い込んで猛アプローチ。4人は奇妙な四角関係に陥っていく。」

というストーリー展開だと紹介されています。

 全く期待を裏切るところなく、この紹介文章まんまの物語の展開を見せます。物語の構造だけを観れば、『週刊少年ジャンプ』の恋愛モノの典型です。たいした努力もしないオタク系の、ただただ真面目で優しい男が美女やら個性ある子やらにどんどん惚れられる展開は王道です。その辺が共感を呼んでいるのかという風にも感じられます。ただ、本作の主人公は厳密には、『週刊少年ジャンプ』の主人公よりもかなり努力をしているし、苦労人です。校正の技術はプロレベルです。

 主人公、特に男子大学生西条とオタク系女子東雲の二人が恋愛についてバリバリ思考を言語化してくれます。最近『映画を早送りで観る人たち …』という本を読みましたが、映画を早送りで観る人たちの背景には二つあることが分かります。一つは「読解力が低い」という要素です。映画で主人公の男女が夜の公園で見つめ合っている場面が20秒続いても、それを何も話がない無駄な時間と感じるというぐらいの低読解力の話のようです。ですからそこを早送りで飛ばしても大丈夫だろうと考えるということです。もう一つは「承認欲求に絆されて仲間と同じものを大量に見なくてはならないという強い動機をもっていること」です。サブスクで動画配信のコンテンツがいくらでも享受できる状態で、SNSの中で自分を承認してもらおうと思うと、常に話題について行けるようでなくてはならず、早送りしてでも物語のあらすじを知り「それは私も観た」と言えるようにしようとしているという話でした。

 今回のケースは前者の延長線上で、「恋愛」という抽象概念を主人公達がバリバリ説明してくれるという表面上の面白さがこの映画の第一義的な魅力になっているのであろうと思われます。

 先述の登場人物の東雲は「恋愛とは…」と何度も劇中で問い直します。しかし、文学作品やら小説やらを数千冊読んだという割には、それらの結論が「好きという感情が共通している」とかいうあまりに当たり前の結論になっていています。「恋愛とは…」と散々という割には、イマドキ女子の恋愛観に踏み込むことに少なくとも当初は成功していません。その議論をよく言えば認識論によって、悪く言えば考えなしに加速してくれるのが、略奪恋ばかりやる馬場ふみか演じる女子の方です。その彼女の略奪をうけそうになったり、その彼女の「好きと感じたらそれが恋」という結果的な感情の後追いの認識の様子を知って、東雲は思考を重ねて結論に近づいていきます。

 ただこのような主人公達を観ていると、「ここまで気合を入れて好きだの好きかどうか分からないだの悩みまくるエネルギーをかける若者はどれほどいるのだろうか。」という疑問は禁じ得ません。『花束みたいな恋をした』などでも最初はパワーが入っていますが結構すぐ倦怠期になっているように思えます。大抵の若者系恋愛映画は、恋愛が順調に進み始めると病気だの何だのの外的要因で破壊されていきます。まるで、今時の若者は続けられる恋の実感がないのではないだろうかと思えるぐらいです。それは、劇中でも略奪恋愛マニアの馬場ふみかの女子も「略奪された側は2ヶ月もすると新しい恋に浮かれている」と言っている通りです。

 たとえば『二重生活』もいきなり冒頭で門脇麦とスダ何とかという男優の動物よりもあっさり終わっているのではないかと思えるようなキスもなければ愛撫もないようなセックスを披露しています。その後に描かれる彼らの同棲恋愛関係もやたらに「相互に空気感」全開です。先日観た『この日々が凪いだら』も付き合っているのかどうかもよく分からない男女のつながりの物語で、『スパゲティコード・ラブ』でも熱量のある恋愛感情を示しているのは愛人生活の女子のみではなかったかと思います。ややそれより年上で『ずっと独身でいるつもり?』の田中みな実演じる主人公もその周辺の人間も熱愛やらエネルギーを投じた恋愛関係を維持している登場人物は見当たらないように記憶します。

 西条と東雲が至った恋愛についての結論は「本能と学習の作用」です。それは科学的に全くその通りだと思います。橘玲がやたらに最近の著作で繰り返すように、選ばれる男性は遺伝子的に決まっているようです。左右対称の外観やら指の長さやら。あとは主に免疫に関わる遺伝子パターンなどが要素として挙げられますが、その部分が「本能」でしょう。一方で、現実には各種の成長プロセスの中での学習でファザコンになったり、ダメンズウォーカーになったりする。それは「学習」の結果だろうと思われます。また、対象者が選択される根拠に、自分が不足しているものを提供する者に対して、恋が生まれるというのも本当だろうと考えられます。承認を求めている時には承認をくれる人に対して恋心が生まれるというのは、或る意味、当然すぎる結論です。

 劇中で議論の進みと共に、主人公西条の「恋を可視化する能力」には偏りがあることが、別の同様の能力を持つ女子高生との対話によって判明します。西条が検知できるのは「本能」から生じた恋だけで、「学習」から生じた恋は光と感じることができないというものです。非常にヒネリのある展開です。真面目・誠実を絵に描いたような努力家西条は、「光」が「恋の証」であると定義したところまでは良かったのですが、その自分なりの定義を疑うことをしませんでした。その結果、幼馴染で自分への恋心をずっと明かさずにいる北代の恋愛感情に全く気付くことができませんでした。キャラ設定的にそうでなくてはならないというのは分かりますが、ここまで論理的にものを考えられる西条が、自分の特殊な能力のあり方やその意味についてもっと懐疑的且つ合理的であって欲しかったなとは思います。

 恋を分析しつつ、自分を深く理解し尊重してくれる西条への恋にどんどんのめり込んで行って、最終的に選ばれることが無かった文学オタク女子東雲の言動は、『3D彼女 リアルガール』のコミュ障のオタク少女綾戸を思い出させられました。あちらもやはり隠れた気持ちを発露させ、結果的に振られています。劇中では、「(恋の競争で)幼馴染は負ける」という誰かの発言がありますが、必ずしもそうではない恋愛物語も後述する『恋しくて』のようにそれなりに存在するように思えます。

 オタク女子東雲を好演するのは平祐奈という女優で『サクラダリセット』で「未来視」の能力を持つキーパーソンである相麻菫(そうま・すみれ)を演じていた役者でした。ヘアースタイルがかなりロングなので印象が違い、分かりませんでした。ちなみに、パンフレットによると、原作のコミックでは最終的に東雲の方が西条の恋愛対象として残り、恋を成就するようです。

 映画版の物語の方で西条と付き合うことになるのは幼馴染の北代の方です。この幼馴染がずっと隠そうとし続け、抑制し続ける恋心の物語は先述の通り、究極の片想いや純化された献身の物語として人を惹きつけるように思います。私は自分の洋画ベスト50の中に『恋しくて』(1987)を入れています。まだビデオも普及していない時代に、留学先の米国の映画館や、帰国途上の機内、国内の映画館などで、合計4回も観ました。好きな映画です。留学先で最初に好きになったので、私の記憶では原題の『Some kind of Wonderful』となっています。

 これまた『映画.com』によると…

「女だてらに男言葉を使って、ドラムをたたくワッツ(メアリー・スチュアート・マスターソン)の意中の人は、幼なじみのキース(エリック・ストルツ)。彼は物静かな、おだやかな性格の人間だが、ハイスクールのマドンナ、アマンダ(リー・トンプソン)に夢中でワッツに恋の相談を持ちかける。アマンダのステディは、金持ちのドラ息子ハーディ(クレイグ・シェーファー)で、このプレイボーイにキースが勝つわけがない。キースはバイトで家計を助けていたが、彼の父(ジョン・アシュトン)は、その金を大学進学資金に貯えていた。ハーディにからかわれ、態度の悪いスキンヘッド(エリアス・コティーズ)ともうまくやるキースは、ついにアマンダをデートに誘う。彼女をとられて面白くないハーディは、みんなを自宅にまねいてパーティをひらく計画をたてる。一方、すっかり舞い上がっているキースに、ワッツはハーディの謀略をつげるが、一向にききめはなく、ついにキースに恋のてほどきの練習をするワッツ。この時のキスはワッツにとって初めてのものだった。アマンダのプレゼントにイヤリングを選んであげるワッツ。当日、ワッツの運転する大型車に乗って、キースとアマンダはパーティに出かける。寄り添う2人の影をさびしげに見つめるワッツ。パーティでは、キースが袋だたきにされようとしていたが、それをアマンダがとめ、彼女を侮辱するハーディをやってきたスキンヘッドがやっつける。夜の街に逃れるキースとアマンダ。彼女はイヤリングを、本当に好きな人にあげるべきよとキースに返す。そして、初めて、ワッツの想いに気づき、彼女を追い、抱きよせるキースだった。」

とあらすじがかなり深いりネタバレのレベルで書かれています。そのまんまのストーリーですが、ワッツを演じるメアリー・スチュアート・マスターソンがキスの練習台に自らなろうとし、その結果、彼女のファースト・キスを長年の想い人と実現するシーンは白眉と言っていい名シーンだと思います。『映画.com』がわざわざあらすじの中に細かく描写するこだわりが深く頷ける名場面だと思っています。私はこの映画が当時とても気に入り、先述の通り何度も見返した後、当時流行っていたやまね工房のモモンガ二匹のぬいぐるみを貰った際に、ワッツとアマンダと名付けたほどです。

 最終的に長年の想いを『恋しくて』のワッツ同様に成就させた北代は西野七瀬という女優が演じています。彼女のことをそれなりにきちんと劇場で認識できたのは、以前観た『鳩の撃退法』です。その感想に私は以下のように書いています。

「 土屋太鳳は本作の最大級の脇役で、私はDVDで観たテレビ版の『チア☆ダン』の主役としての認識が強く、映画ではあまり観ることが無く、ぎりぎり『るろ剣』の記憶がある程度です。周辺の10代から30代ぐらいまでの女性数人から聞く限り、あまり評価が高くなく、私も特に好きでも嫌いでもないような状態です。映画評をネットで見る限り、土屋太鳳よりも、西野七瀬の方が「光っていた」・「存在感があった」などの高評価を得ています。確かにそれはそうだと私も思いますが、比較基準の土屋太鳳の“光り加減”や“存在感”が元々対して高くないので、それよりも良かったという西野七瀬の方もまあまあ普通よりちょっと良い…ぐらいの評価かなと思います。少なくとも私には特に印象に残るほどの好演と言う風には見えませんでした。元々彼女を他の映画作品で全く見たことがない(※)という事実も、彼女単体での定点観測ができていない分、印象が残りにくいことも否めませんが。

※正確に言うと、DVDで1、2度繰り返し見た『あさひなぐ』や緊急事態宣言下につくばまで足を運んで映画館で観た『一度死んでみた』にも、ウィキに拠れば彼女は出演していますが、全く認識していませんでした。ウィキで各作品における彼女の役名を見ても全く何の役だったか思い出せません。老害の進行による記憶力減退も一因かもしれません。」

 この『鳩の撃退法』の彼女と今回の彼女には、言葉が少なく、或る種の諦念を抱えた人格という共通点があります。敢えて言うのなら、僅かにヤサグレているという風に言っても良いぐらいです。『鳩の撃退法』の後では、『ホリック xxxHOLiC』に金魚を飲み込む猫娘役で登場しています。登場時間長も非常に限られていたこともあって、これもパンフレットを見て分かったぐらいの認識度でした。基本的に、何かを抑え込み、隠しているキャラを演じることに向いている女優さんなのかもしれません。

 彼女はグラビアで見ると美人風ですが、劇中の普通の女子を演じると、私には殆ど岸井ゆきのに見えます。岸井ゆきのは最近私が認識できるようになった女優です。『二重生活』、『ここは退屈迎えに来て』、『前田建設ファンタジー営業部』ぐらいで大分認識できるようになりましたが、決定打は『空に住む』です。『空に住む』の感想で私はこう書いています。

「多部未華子の後輩編集者です。デキ婚の結婚式直前の妊婦ですが、実は胎児の父は自分が担当している作家のおっさんです。おっさんが妻子のある身と分かっていて、子供を作り、おっさんにそれを告げ、何を求めるでもなく、自分の未来の夫にも職場の多くの同僚にも事実を隠し、医師にまでも産み月を偽った状態で、前に進んで行こうとしていますが、その実、自分のしていることの呵責に押し潰されそうになっています。」

 この妊婦役が岸井ゆきのです。『ホムンクルス』で完全認識できるようになり、現在は封切されている『神は見返りを求める』でムロツヨシの相手役で態度を豹変するキャラを演じ大分一般知名度が上がったのではないかと思えます。そんな岸井ゆきのとまだ区別がつきにくい西野七瀬ですが、今回ははまり役と少なくとも私には思えるぐらいの好演でした。和製ワッツのように感じられます。

 西野七瀬はまさに光っているものの、映画全体では妙に説明チック過ぎて『恋しくて』ほどの大絶賛にはならない程度だと思いました。しかし、良質な映画だと思います。DVDは買いです。