『ハケンアニメ!』 番外編@札幌

 5月20日の封切から既に2週間ほど。土曜日の夜9時5分の回を観て来ました。私はこの映画を観たいとずっと思っていましたが、優先して観ようと思っている映画を観ているうちに、急激に上映回数と上映劇場数が減少して行って、気づいてみると、劇場鑑賞の機会が非常に限られていました。

 東京では新宿でも1館バルト9でしか上映していず、それも1日4回だったものが翌週からは3回に減らされます。その上、上映時間が早朝や夕方・深夜など、私にとっては、早起きが極端に嫌いでかなり無理がある早朝、仕事に非常にぶつかりやすい夕方、夜型なので一番集中して稼げる時間にぶつかり、おまけに翌日の午前中のアポに差支えが出る深夜のいずれもが非常に行きにくい時間枠です。その他の地域でも事態はそれ以上にお寒くなっており、わざわざ足を伸ばしていくのさえ少々気が重くなるような状態でした。

 北海道でも状況はほぼ同様で、鑑賞した土曜日の前日金曜日の段階で、北海道でよく観に行く映画館である小樽の湾岸エリアのマルチプレックスの映画館では上映が終了してしまいました。札幌市内には現状4館の映画館があり、そのうちマルチプレックスが2館で、上映作品がかなり重なっているのですが、この作品を上映しているのは、そのうちの1館だけで、それも1日1回の上映です。

 平日の上京時にも東京で観にくい状況が続くことが分かったので、敢えて上映回数の少ない不便な中で、普段行くことが殆どない札幌駅の真上にあるマルチプレックス館で観ることにしたものです。この映画館に来たのは 昨年2021年の5月の『騙し絵の牙』の鑑賞時以来ですから、まる1年以上が経っています。

 私がこの作品を観たいと思ったのには主要な理由が一つと、後は幾つかの細かな理由があります。主要な理由の方は、やはり、主人公を演じる吉岡里帆です。先月観た『ホリック xxxHOLiC』のこのブログの感想では、吉岡里帆について以下のように書いています。

「それは妖艶な悪女を演じる吉岡里帆です。彼女は女郎蜘蛛という次元の魔女に並ぶ存在のように言われています。そのコスは黒ベースで露出度が高く、パンフに拠れば、初めての衣装合わせのさいか何かに、「わぁ!なんかイヤらしい~!エロ~い!」、「うわぁ~(衣装が)透けてるぅ!」(以上二台詞原文ママ)と本人がかなり驚愕していたようです。さらに、彼女には「セクシー所作指導」なるあまり聞いたことのない担当係がつけられており、彼女に敵を舐め回すように見る視線や仕草全般をセクシーに加工するよう指導していたという話も書かれています。ちなみにこの「セクシー所作指導担当者」はポールダンスの先生であると神木ナンチャラが出演者の対談で明かしています。

 私は彼女の存在が全く劇中で分からず、あの女郎蜘蛛は誰なのだろうとパンフを見て愕然としました。テレビを殆ど観ない私にはどん兵衛のCMぐらいしか思い浮かばず、映画では比較的好きな『天地明察』のエキストラ役は無論のこと、DVDで観た『幕が上がる』でもほぼ全く記憶に残っていませんでした。ギリギリ記憶しているのは彼女が主演した『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』ぐらいで、これも到底彼女の魅力が打ち出された作品には感じられませんでした。最近ではこれから公開される『ハケンアニメ』をトレーラーで数度観て、かなり期待をしていたものの、私にとっての彼女はこの作品を観るまで、可愛いし観ていて難を感じないものの、あまり観ることのない女優だったのです。そこにいきなり妖艶で実質的にかなりのエロ感全開の悪女です。テレビでの彼女の役柄の遍歴を知らないので分かりませんが、かなりレアな彼女なのではないかと思われます。彼女と認識する前から、元々この作品の中で一番好きなキャラはこの女郎蜘蛛でしたので、一気に吉岡里帆の好感度が上がりました。」

 敢えて、イミフと言って良いぐらいのよく分からない作品『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』を除くと、私が観る初めての吉岡里帆主演作品です。まさに『ホリック xxxHOLiC』で上がった好感度により、どうしても観てみたいと思ったのでした。

 細かな理由は幾つかあります。最近だと京アニが凶悪犯罪の犠牲になりましたが、そのような事件が起きるほどに、アニメは社会に深く根ざし定着したように感じられます。その制作の実態の物語に観てみる価値はあるだろうと思えたことです。私はアニメとコミックならどちらかというとコミック派です。ただ、コミック、アニメ(放映・配信用)、アニメ(劇場用)、実写映画のいずれか一つ(非常にレアですが、いずれか二つの時もあるにはあります)で鑑賞を完結させることが多いように感じています。

 最近ハマっている『アンゴルモア 元寇合戦記』など多くの作品がコミックだけで情熱が収まるのに対して、たとえば、『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』は、大ファンと言えますが、放映アニメのみが好きで、コミックは何度か迷いましたが買わないままになっています。『進撃の巨人』は実写映画のみが好きで、それ以外に何も見たいと思えません。こうしたコンテンツの歴史的に見る社会への浸透度だけで見たら間違いなくコミックの方が大きく、色々な意味で、それによって人生観を変えたり、職業選択を変えたりした人々が多々いるものと思います。

 私も人生観に強い影響を与えたコミックを挙げろと言われたら、『ぼくたちの疾走』、『デビルマン』、『あさってDANCE』、『BE FREE!』、『代打屋トーゴー』、『日出処の天子』、『寄生獣』などなど、簡単に多数挙げられます。それに対して、アニメで人生観に影響が出るような…と考えると『伝説巨神イデオン』ぐらいしか思い当たりません。ギリギリ『魔法少女まどか☆マギカ』ぐらいでしょうか。そのように考える時、私の世代の人間から見ると…ということかと思いますが、漸くアニメも(単純に多くのファンを抱えるというだけではなく)人生を揺さぶる浸透度を持ち始めたというような気がしてなりません。トレーラーで観たこの作品の登場人物の言動には、そうした人々に影響を与える作品作りをしたいという熱意が滲み出ていました。それを観てみたいと思ったというのも、細かな理由の一つです。

 他にも創作の現場に対する関心ということもあります。例えば、私が比較的最近結構実写ドラマと実写映画でハマった『映像研には手を出すな!』という作品があります。そして、リアルなドキュメンタリーでは名作の『ファッションが教えてくれること』もありますし、フィクションなら比較的最近観た前述の『騙し絵の牙』もあります。映像作品作成のドキュメンタリーなら『さよならテレビ』も観ました。これらは集団によるクリエイティブの現場の物語です。

 そこには、実現可能な予算と納期の枠が厳然とあり、一方で届けたい質とメッセージが存在し、多くの分野のプロ達が制作の進行と共に鎬を削りつつ落し所を探らねばならない困難と達成された時のカタルシスが存在しています。日本人の多くが、例えば義務教育の中の文化祭の出し物準備や一部の創作系の部活などで体験していることが多いはずですが、この「困難と引き換えのカタルシス」の経験は、そのプロセスを俯瞰する経験の中で強く人間の記憶の中に刻み込まれるものであるように私は思っています。

 私は中学から高校にかけて部活で演劇をやっていましたが、役割は万年演出助手で、演出である教師の指示を何でも実現する係で、衣装や照明、舞台装置などの裏方仕事も、登場人物の一人ひとりの設定を理解した上での代役も、上演当日までずっとやり続けなければならない立場でした。独立直前の最後のサラリーマン経験3年半はビジネス誌の出版社の仕事でしたが後ろの2年半は編集会議に社長補佐として入る立場で、読み手である中小零細企業のオーナー経営者の考えを日々トレースし続ける作業をしていたように記憶します。

 集団での取り組みではありませんが、自分が構成した創作物が世に出て、不特定多数の人々に買われる経験なら、たくさんあります。有名人や有力者のゴーストライティングは今でも頻繁に手掛ける仕事ですし、自分で企画・脚本・小道具・衣装まで手掛けた映像作品は今もネットで中古で販売されています。電子書籍も実名・芸名合わせて20作近くが世に出たままになっています。そのような中で、「困難と引き換えのカタルシス」は十分分かるつもりでいますし、同時に先述の「人々に影響を与える作品を届ける熱意」にも非常に共感できます。

 そんなこんなが重なって、私はこの作品が観たいと思っていました。映画の評価は5点満点の星の数でよくネット上で表現されていますが、かなり高い数字を各サイトで記録しています。しかし、上映回数や上映劇場数で見ると、お世辞にも人気が高いとは言えない様子に見えました。それはつまり、コアなファンだけが観に行き、高評価を与えるものの、口コミで第三者にも見て欲しいとは思えない作品ということかと思えます。実際に、シアターに入ってみると、まさにそのような想定が妥当と考えられる客層でした。

 元々上映40分以上前に券売機でチケットを買った際に見たモニター上の空き席の様子から、概ね30人ぐらいの観客が居ました。シアターに入ってもそれが大きく変わらず、上映ギリギリになってからシアターに現れる客が多いのは、ネットで予約していた人間が多いということだろうと思います。

 年齢層のボリューム・ゾーンは女性が20~30代、男性が30代と言った感じです。女性が全体の7割近くを占め、殆どが単独客です。約200万都市の札幌で、遠くは時間距離1時間以上の旭川からさえ買い物客が足を運ぶ中心商業地区に来ているはずなのに、着飾った様子の出立の観客は一人もいませんでした。詰まる所、オタクだの腐女子だの、そう言った人々が観客と想定できるように見えました。劇場が暗くなってから、私ぐらいの年齢のおっさん1名とおばさん1名の単独客が現れましたが、それでも私が全観客の年齢順で上からトップ5に入っていたのは間違いないものと思います。

 私は「ハケンアニメ」という表現をこの作品を知るまで知りませんでした。「ハケン」はどう聞いても「覇権」ではなく瞬間的に「派遣(社員)」を今尚連想してしまいます。何かのコンテスト的なものがあるのかと思いましたが、そう言うことでもなく、劇中で見る限り、アニメの放送クール中に記録できる視聴率などの競争で、明らかな勝利を収めたアニメ作品を「ハケンアニメ」と呼称するということのようです。直木賞作家・辻村深月がアニメ業界で奮闘する人々の姿を描いた小説「ハケンアニメ!」…と映画サイトで紹介されている作品ですから、多分辻村の造語でもないことでしょう。

 ただ、本当に視聴率のようなものだけの話かと言えば、そうではないことが劇中の登場人物の口から語られて行きます。主人公の吉岡里帆演じる新人監督は、国立大学を卒業して(多分上級かと思われますが)公務員になったのに、自分が子供の頃に否定したアニメによって世界観が変わる体験をふとテレビで観たアニメで体験し、自分のようなつらい立場の子供達にそう言ったアニメを届けようといきなり転職をした変わり種監督です。その吉岡里帆の監督が、歴戦の辣腕プロデューサーに作りたいのは何か監督として突き詰めるよう迫られ、「今の数字が取れなくても、5年後、10年後に『あのアニメを見て救われた』、『あのアニメで人生が変わった』と言われる作品を作りたい。だから私の絵コンテの通りの制作を」と吐露する場面があります。

 その彼女と彼女の人生を変えたアニメの天才監督が土曜日の5時のテレビ枠で視聴率争いを行なうというのがこの作品の柱の物語ですが、視聴率競争では後塵を拝するものの、彼女が望んだ通りDVD・Blu-Rayの予約数ではダントツになります。そして、彼女が制作終了後の心機一転を図る場面でふと自宅のアパートのベランダから階下を見ると、外で彼女の作った作品のフィギュアを手にした子供達が遊んでいる姿が見えて、彼女はベランダでしゃがみ込み嗚咽を止められなくなります。

『機動戦士ガンダム』も『新世紀エヴァンゲリオン』も初期のテレビシリーズは全く不人気でした。私が好きなアニメのダントツ一番にあげる『伝説巨神イデオン』もフィギュアやダイキャストロボが上手く作れなかったことも相俟って、打ち切りの憂き目に逢っています。それでもこれらの作品が多くの人々の心に刺さり一生抜き放つことのできない物語になったことは間違いありません。それを彼女がやってのけたカタルシスはスクリーン上でも尋常なものではありません。

 彼女はこの「人々の心に刺さること」を実現するために土壇場で最終回の物語を変え、主人公のヒロインがロボットを操縦するためにすべての音の記憶を失い、それが回復することのできない状態に至るというエンディングを用意します。「現実は、何かを得たら何かを失う。失った後の人生にも生きるべき価値があることを伝えたい」と関係スタッフの前で訴えて、制作現場の人々の創作魂を呼び起こし震わせるのでした。それが実を結びます。

 これらの制作現場の人々に待っているのは、所謂「デスマーチ」と呼ばれる不眠不休の怒涛の作業です。これらの人々の雇用形態はどのようになっていて、労務管理上はどのように処理されているのかが気になりますが、一方で、仮にこれがブラック現場であったとしても、その場で自分の奉じる価値のために身を粉にして自分の能力の限界に挑戦することの何が違法であるのか私は疑問に思えます。

 労働時間の上限が法律で設定されてからまだ日が浅い日本ですが、それに根強く反対する人々が存在することを私は知っています。曰く「イチローが毎日バッティングの基礎練習を今でも何時間も続けるのを、法律で違反だという奴がいるか」です。私も全くその通りだと思います。馬鹿げています。ですので、その点を突き詰めて考えるクライアントの経営者に巡り合うと、特に経験豊富な社員から個人事業主化するように推奨することがよくあります。そうすればくだらない労働時間や労働環境の制約に縛られず、思う存分好きに働けます。

 そのようなことを言うと、それは「“好き”を仕事にしているからだ」などという愚劣な意見が出てきます。全く嘘です。人間は脳の構造上、「うまくできるようになったことをその成功体験から好きになる」のです。モチベーションの最大要因は自己効力感であることは随分前から知られています。好きだからできるようになるのではなく、できるから好きになるのです。ならば、どのような仕事も、まずは無心にできるようになれば良いだけのことです。すべての仕事は好きになり得るということになります。

 そう言うことを言うと、最近では中野信子の『努力不要論』にさえ、「そんなことを言うと、ブラック企業のやりがい搾取の罠にハマる」などと真顔で書かれていて、正気を疑いたくなります。馬鹿げたほどに自明の説明を重ねたくないので、私が過去に書いた経営コラムの一片を引用しておきます。

『時の結晶化』

「人材紹介をしている時に感じたことですが、30歳ぐらいで、人生における
仕事の割合が決まるのではないかと思います。毎日残業、徹夜も週に一回はあ
るし、というような経験を続けられた人は、溢れんばかりの仕事を目前に積ま
れても、それを受け容れられるようになり易い。逆に、9時5時でタイムカー
ドを捺して帰る生活をしてきた人は、仕事の都合で自分の時間が奪われること
に抵抗感が強く出易くなると思うのです。この価値観ができあがって、そう簡
単に変わらなくなるのが30歳ぐらいと言うことですね。その二種類の社員が
いた時に、一般論としてどちらが組織から高く評価されるかは、ほぼ明らかで
しょう。選択は自由ですが、働き方の認識も財産になり得ることは知っておく
べきです」。
 CDにも就労観としてまとめたエピソードについて、クライアント先の若手
幹部に説明した。CDの中で、30歳と35歳のキャリアの節目の話は、特に
好評だ。

「戦争の最大の不幸は未来がないことだった。しかしそこには退屈だけはなか
った。一瞬一瞬が生に向かってまっしぐらであり、今生きていること自体が、
純粋な結晶のように輝いている幸福があった」
 辛く苦しいと語られることの多い戦時下の勤労動員体験について、曽野綾子
氏が『悪と不純の楽しさ』に書いている。栄養不足故の各種の症状を患いなが
らの毎日十時間以上の労働体験を、「迷いのない一途な献身を実感した輝くよ
うな一時期」と言い、「あの時初めて互角で社会に参加した」と言う。

 若い時期に結核をやっていて、運動する機会が制限されたこともあり、私の
基礎体力は甚だ怪しい。残業が当り前の職場で、周囲に歩調を合わせて働くの
は殆ど無理だった。それでも自分の都合にはお構いなしに迫り来るハードルを、
がむしゃらに越える経験は幾つかある。高校時代、決勝を前に、三ヶ月間で発
音をネイティブ並に矯正した英語弁論大会。二十歳から二年間の大手電話会社
の幹部養成研修。二年半で学位を二つ取得した私費留学。たった二週間ながら、
今の仕事につながる中小企業の経営観を得た診断士実習。日本全国の銀塩写真
用フィルムの全本数の2%のシェアをほぼ独力で作り上げた、前例のないPB
フィルムの製品化。今役に立っている知見を身につけるに至った背景には、終
わりがないが如くに感じられた厳しい体験が必ずあったように思う。
 
 今の正社員の仕事が辛いと言ったら、アルバイトで幾らでも働けるから、辞
めたら良いと親に勧められたと、クライアント先の新卒二年目になる社員が相
談してきた。本来守備範囲外だが、時間を用意した。一頻り話を聞いてから、
人様の人生の選択を左右するような柄でもないだろうと反省し、「結晶のよう
な時」の話をそのまま聞かせて退散した。

 色々なことに考え至らせる作品です。そして、この作品で描かれる創作のもたらす「困難と引き換えのカタルシス」は、別に芸術系の作品創作の場のみならず、企業の商品開発は当然として、企業の各種の事業活動の中に埋め込まれているように感じられます。多くの人々の人生を変えるような結果を生み出す「結晶のような時」が、それを抉り出すことによって多くの人々に生まれたらよいものと私には思えました。(また、そうでなくては、人類の仕事の多くはAIに食いちぎられて行くことでしょう。)

 必ずしも観客動員数が伸びないのは、私のそう言った考えが世の中の主流ではないということなのかもしれませんが、シアターに来ていた観客を眺める限り、この作品の中の世界観を肯定的に受け止める人々が多いようで、何か嬉しくなりました。あまり発生することのないパンフレット完売状態からも、そのような状況が推量されます。

 お目当ての吉岡里帆は、地味で思いつめた役柄にあまりに馴染み過ぎていて、思ったほど印象に残りません。悪エロ妖怪女をやれば、そのようになって際立ち、元公務員腐女子を演じれば、そのように物語に埋没する…というのは、名演技の証であるのかもしれません。その判断が私にはできませんでしたが、いずれにせよ、作品そのものが表現しようと目指した劇中の人々の人生観や仕事観には、広く認識されるべき価値が間違いなくあります。DVDは勿論買いです。

追記:
 購入できなかったパンフを上京後に数が限られつつある上映館のどこかに赴いて購入すべきか否か、少々悩みどころです。