『この日々が凪いだら』 番外編@狸小路

 2月25日の封切から約2ヶ月が経過した状態で、まだ1日1回の上映が札幌の狸小路の映画館で行なわれていました。全国単位で調べてみても、この館を入れてたった3ヵ所でしか上映されていません。それでもマイナー映画の中では人気作というべきでしょう。2ヶ月を経てまだ上映が為されていること自体が驚きだと思います。

 この映画は、全く予備知識もなく、それどころか存在にも気づいていない状態から、劇場映画鑑賞ノルマ月二本の達成のために、札幌滞在中に何とか一本を見ようと、たまさか選んだ映画です。過去にも予備知識なし全くという状態での鑑賞はありましたが、予備知識皆無というのはあまりありません。行ってみると、55歳以上がシニア割という設定で1200円でした。有難くはありますが、数年前の私なら、老人をそのように優遇する必要があるのかという微かな憤りを感じたかもしれません。制度があるから使おうとは思いますが、多少釈然としないものがあるにはあります。

 シアターに入ってみると私も含めて9人の観客がいて、そのうち5人は女性でした。男女カップル一組が居て、年齢的にはかなり若く見えました。女性は20代から30代。男性は私も含めて高齢者が半分と言った感じです。残りの二人は先述のカップルの片割れと、40代ぐらいの男性でした。私が観に行く映画では、女性客が過半数を占めることが少なくなっていますが、ギリギリの例外になりました。

 この映画を観に行きたいと思った理由は、先述の通りのナントカノルマ達成をという切実な想いからですが、その中でもこの作品を選んだのは、84分と比較的気軽に観られること、マイナーな映画であること、何か若者の感性を描いた作品として紹介されていること当日4月23日土曜日の午後という空いた時間枠に鑑賞を終えられること…などが挙げられます。

 老人になったので、若者の感性を描く映画はまあまあ観るようにし、商売のネタにしなくてはなりません。仕事をしていなければ、別にそれが若者だろうと何者だろうと、別に関心が湧きませんが、仕事で人を観察し理解する必要があるので、取り分け自分と離れた存在に関しては、普段から情報収集が必要です。

 また、ここ最近、若者映画(と私が勝手に括っただけですが)では、結構、すぐれた作品に出逢っているように思っています。『ボクたちはみんな大人になれなかった』と『子供はわかってあげない』の二本が特に屹立した秀逸さを誇っています。(他に敢えて言うと、『ホテルローヤル』や『空に住む』も含めても良いかもしれません。)これらの作品にはまあまあ共通していることがあります。それは評価が割れていることです。それを懐かしむにせよ、眩しく感じるにせよ、胸を締め付けられるにせよ、価値ある作品と称賛する声がある一方で、「全く分からない」、「特に何も起きない。盛り上がりを欠く」、「退屈」などの評価もかなり存在します。

 青春劇とこの作品を知って調べてみると、評価がガッツリ分かれていました。それも上述の二作どころではありません。否定派の声の方が多いのです。俄然、関心が湧きました。観てみると、建築現場作業員の男が偶然訪れた花屋の店員を好きになり、そのまま同棲するに至ります。この経緯は劇中で全く描かれていません。ただどちらも相手に対して、恋焦がれるといった強烈な感情を抱かないままに、同棲に至ったように感じられます。

 花屋で男が手伝いを買って出る所から、いきなり、二人で一緒に住むアパートのような所に並んで歩きながら帰る…と言った場面に飛びます。そして、二人で暮らしていると、アパートが建て替えられるから、半年以内に立ち退いてくれと言われます。さらに、建築工事現場で働いていた老人が、実質的な退職勧奨にあったようで、仕事を去った後、線路に身を投げ自殺します。

 引っ越すのに必要な金が捻出できないのではないかと(大家側の都合なので補助が出ることを説明を玄関口で受けた男は知っていて、彼女に伝えていますが、完全にすっぽ抜けているようです。)不安になった彼女は、大好きな花屋を辞めなくてはならないかと悩み始めます。その頃、アパートの周りには不審な老人がまた一人うろついていて、彼女は帰宅時に話しかけられます。彼の健康状態を尋ねられるという不審な話でした。

 彼は三浦半島の先端の辺りにある漁村の出身で、DVか何かで父と揉めて、家を捨てて東京暮らしをしていました。その父は改心したようで酒もやめ、食べ物も削って貯金通帳に金をどんどん貯め込んでいました。いつか息子に謝ろうとしていて、息子の様子を調べていたということのようでした。病に蝕まれているのか、単に加齢で健康状態が損なわれつつあるのか分かりませんが、ヨタヨタ東京界隈を歩いているうちに自動車事故で不慮の死を遂げます。

 連絡が入り、男は父の火葬と埋葬を行なうこととし、昔自分が生まれ育ち、そして捨てた街に戻ってきます。そこには懐かしい人がいて、父の遺言に従った海への散骨に協力してくれるのでした。彼女の方は、その多少の手伝いをする中で、彼の心の枷となっていたものが昇華されて行くのを感じ、擦れ違いが増えてきた中で揺れ動いていた彼との関係の継続を改めて決意します。決意すると言っても、これまたそれほど明確な表情や言動がありません。三浦半島からの帰り道の夜のバスの中で、彼が「引っ越しても一緒に暮らそう」というと、涙して頷いただけだったように記憶します。そして、映画は唐突に終わります。

 何も事件が起きません。この二人も含め、登場人物のセックスの気配さえ全く描かれません。激しい愛情どころか、激しい感情の昂りもなかったように記憶します。多少彼が短気な人間なので、それなりに不快感や怒りを露わにする場面がありますが、別に殴り合いや揉み合いになる訳でもありません。淡々と物語とも言えないような物語が淡々と起伏もなく続いていくような内容です。それでは映像は美しいかと言えば、街は街として、花屋は花屋として、建築現場は建築現場として、漁港は漁港として、そして、さびれた夜の商店街はさびれた夜の商店街として、一応それらしい風景がキッチリ揃えられていますが、それが特に美しい訳でもなければ、あっと言わされる光景もありません。

 すべてが普通です。しかし、考えてみると、多くの人の人生はこのようなものかもとも思えます。私は二つも法定伝染病に罹り隔離されたり、自動車に足を踏まれて複雑骨折をしたりした幼少期を過ごし、大人になってからも、初めての海外旅行でソビエト連邦に行けば、モスクワでKGBに逮捕され、米国に留学してセスナ機に初めて乗ればそれが不時着し、義理の両親とは裁判沙汰一歩手前の諍いが続き、会ったこともない自分の父の再婚後の家族からは遺産分割で恐喝まがいの電話が重なってこれまた訴訟一歩手前まで進み…と、酷いこともたくさんあれば、それなりに劇的で、周囲から「本にした方が良い」と言われるような宝物のような出会いも一応ありました。

 だから、私にはこの映画のようななだらかな同棲生活というのが何かとても素敵なものに感じられます。自分を特別視したい訳ではありませんが、インド占星術でナンチャラ(インドの言葉ではありません。日本語の「ナントカ」という意味の言葉です)とかいう非常に珍しい運勢(数百万人に一人ぐらいのオーダーだったように記憶します。)だと、インド占星術師で比較的高名な人、それも全く別の二人から別の時期に言われたことがありますので、多分、普通ではありません。

 悩んでいることも他愛ないと言えば他愛ないです。多少重たいのはずっと訣別したままになっていた親の死だろうと思いますが、それさえも、誰しもいつか親は死にます。比較的少数派の人々は親より先に死んで三途の川で石積みをすることになるのでしょうが、いずれにせよ、人の死に向き合うことに人生の内で何度かはなることがあるのが普通でしょう。その意味でも普通なのです。宮台真司が若者たちへの助言として、「なんやかんやを乗り越えた恋愛関係を築け」的な趣旨を繰り返して言っていますが、ヤマアラシのジレンマ的な、傷つけ合わないために深いのめり込みをしないというのは、豊かな時代だからこそ(二人して支え合うことの必要性が以前に比べて薄れた)の生き方として広く若者に浸透しつつあるように感じられます。とすると、朝のシーンでも狭いベッドで背中合わせにきちんと着衣状態で寝ていていセックスの気配さえ感じられない二人の関係も、そんなものなのかもしれません。

 流行がやや廃れてきたように感じる「ケータイ小説」的な、ヒロインは恋人ができた幸せの絶頂でレイプされ、彼がそれを受け容れてくれて再び幸せになると、今度は彼が交通事故か何かで不慮の死を遂げ、新しい彼ができると今度はヒロインが不治の病に侵されていることがわかる…と言ったイベント盛りだくさんの話は、インド占星術で珍しいと言われるような運勢の人でなくては歩まないのかもしれません。その意味で、この作品は非常にリアルな青春群像劇です。

 カット割りの妙が少々あったのではないかと思いますが、短い尺の中で、ジェットコースターというほどの派手さも違和感もなく、物語はするすると展開していきました。幾つかのレビューにあったような「退屈」さは私は感じないままに、明確に別れようとした訳でもなく、それでも何か疎外感を相互に感じていた二人は、彼の実家と亡き父の想いを受けて、再び共に歩こうと決める。有名俳優が出ている訳でもありませんし、派手なシーンもありません。それでも、それは、私には少なくとも見入る価値のある物語でした。DVDは出るなら買いです。

追記:
 映画館に行くとチラシのラックの中に『ビリーバーズ』と題された映画のチラシが入っていました。手に取って見ると、私が愛して止まない漫画家、山本直樹の名作の一つ『ビリーバーズ』の実写映画化作品でした。一昨年に見た『ファンシー』も(ヒロイン役に不満は残りましたが)なかなかの名作だったと私は思っています。今回も期待できるものだと良いと思いますが、まだ少々先の封切であるためか、チラシの情報は非常に限られていました。(ということは、チラシを再度刷り直す予定ということと解釈できるので、それなりに予算がかかっている作品であるのかもしれません。気になります。)