『マトリックス レザレクションズ』

 昨年12月17日の封切から約3週間が経ちました。まだまだ多くの映画館で上映されており、新宿では、バルト9、ピカデリー、ゴジラの生首ビルの映画館で上映されています。今回は新宿バルト9で観てきました。封切後3週間を経て尚1日5回の上映は、やはりヒット作と考えて良いものと思います。私が観たのは5回のうちの後ろから2番目の21時35分からの回でした。

 バルト9の中ではあまり大きくない方のシアターでした。終了時間が24時15分で終電時間を過ぎていて、土曜日の晩で、寒波は激しい…という条件などを考えると、20人の観客はまあまあの健闘と言う感じかと思えます。主に20代から30代前半の若いカップル客が多く、単独の男性客もちらほらいたことから、概ね男性6割、女性4割と言った感じの構成比であると思います。男性単独客の一部は私ぐらいの高齢で、オリジナル3部作をきちんと分かってみている人々のように私は想像しました。

 私は結構『マトリックス』3部作が好きです。後に『シュガー・ラッシュ:オンライン』でもポップに再構築されるようなネット空間の世界観を見事に作ったのは『マトリックス』だと思っていますし、その『マトリックス』は『攻殻機動隊』がアイディアの原点にあるというのも、草薙素子(少佐)がネット空間の中の存在として“実態”を捨ててしまう話の展開から十分に頷けます。唯一、主人公のネオの実体の方にも超能力を芽生えさせるのは止めて欲しいなとは思いましたが、それ以外は非常によくできた物語だと思っています。

 そして、催眠の技術を学ぶようになって、無意識が認識する世界は、その個人の脳の勝手なプログラムによって如何様にもなり、現実認識と言うものが如何にアテにならないかを知ってしまうと、より『マトリックス』の世界観が実感に急接近してきたように感じています。

 そのような観点から考えるとき、私はかなり正確に『マトリックス』3部作を理解している人間の方に分類されるのではないかなと思っています。(最近社会での経済格差のピラミッド図を「格差」関係の雑誌記事などでよく目にしますが、保有財産ではなく『マトリックス』理解度のピラミッドを作ったら、私は上位10%のライン上ぐらいに入るのではないかと思えています。)

 そして本作は、公開前からネット上で、「2作目以降の世界を捨てて、1作目から分岐した物語だ」とか「3部作の世界を再構築し直したリブート作品だ」などの話が延々と出続けていました。それも作品を(プレミア的な機会で観たということかと思いますが)観たという前提の意見でも、解釈が割れているような状態でした。

 出る作品にこだわりを持っているというキアヌ・リーブスが出演することになっていて、これまたこだわりが映画製作の最大のカギと認識しているようなウォシャウスキー兄弟が作った作品を、性転換して姉妹になって、そのうちの活躍度合いの高い姉が単独で制作にあたったという今回の作品が、前3部作を一部だけでも否定したり、塗り替えて作り直すようなものである可能性は非常に低いだろうと、私は考えていました。それを自分の目で確かめるために今回の作品を観に行こうと思い立ちました。

 観た結論は、私の想像の通りで、本作は旧3部作の正統後継作で、それほどの無理矢理感もなく、きっちり物語を継続させています。或る意味、(特に本国では『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのように、2作目以降の話が理解できない人が続出…と言った状況宛らに)旧3部作の2作目以降がきちんと理解できていない人々が多かったが故に、おかしな「物語分岐説」や「リブート説」が生まれたのではないかと私は考えています。読解力の低さは呪うべきものです。大学時代、米国の学友でさえ、「未来から来た男が、サラ・コナーという女性にたった一回のセックスで自分自身を生ませる物語だ」と断言している人間が数人いましたので、そういうレベルと理解すべきでしょう。

※同様に『マトリックス』第1作の名場面を尋ねると、私の認識では日本人には最初のブレット・タイムのシーンを挙げる人が多く、米国人では非常に例外が少なく“Guns. Lots of guns.”のシーンを挙げる人が多いように思います。人工知能の反乱にもハイジャック犯の襲撃にもエイリアンの侵略にも基本的にマシンガンで対応しようとする米国映画作品を頻繁に試聴する銃社会の人々の発想は単純です。

 寧ろ、清々しいまでに矛盾なく、物語の世界観は連結しているように感じました。多少の表現上の話で違和感が湧いたのはモーフィアスぐらいで、新しい男優が旧3部作に比べて線が細く、あまり役にフィットしているように感じられないことと、登場時は実態があったように記憶しますが、途中から「エクソモーフィック粒子コーデックス」とか言われるナノマシンの集合体のような存在になっていることの二点が消化不良です。

 逆に、清々しいまでに矛盾がないが故に、予測可能であったとも言えます。モーダルが有線電話から鏡になってもモーダルの原理としては変わりませんし、実態の意識世界に戻るためのカプセルの話に至っては、全く変わっていません。観ていて「まあ、そうだよね」とか「まあ、そうなるよね」は頭の中に何度も浮かび上がった言葉です。そして制作側そのものが、そのような旧作世界観の踏襲を必要以上に意識しているようにさえ思います。端的に見て、旧3部作の映像を継ぎ接ぎして作った映像がこの映画の中には多すぎるように思えます。多分、今回の観客に多かった20代の人々でさえ、旧作は観ているのではないかと思えます。まして、私ぐらいの高齢観客は言わずもがなです。

 であれば、これほどに旧3部作の流れを劇中で復習する必要があったのか私には疑問に思えます。さらにこれらの旧3部作の映像は、同じ役者がやっているキャラの変化を否応なく際立たせます。ネオもトリニティも、ただのだらしない後期中年と言う風に比較すると見えてしまうのです。トリニティ役のキャリー=アン・モスは、旧第1作で32歳、第2作・第3作で36歳だったのが、今作では54歳で、無精髭で顔覆い尽くしたようなネオに比べて、老いが非常に目立ちます。

 勿論、物語的にはポッド内で数十年生かされ続けていた二人なので老いているのは当然ということになっています。この辺もきっちり新たに女性になった脚本・監督が辻褄を合わせてくれています。その意味では、作品を重ねるごとに年老いた旧型ターミネーターの人工皮膚の劣化を説明しなくてはならなくなる『ターミネーター』シリーズの方が、非常に苦しい言い訳の縁に立たされているように思えます。しかし、高齢化社会が全世界的に広まりつつあるとはいえ、この二人にこの物語を再び演じさせることについて、手放しの高評価ばかりであることには多少の違和感を覚えます。

 また、旧3部作の映像を頻用する点と同様に旧3部作の比較的主要なキャラたちがどうなったかも、色々な登場人物たちが色々な場面で、妙に説明的だったり、妙に感傷的だったりしながら、キッチリ説明してくれます。例の宿敵スミスは、瞳の色が変わったのはどうかと思うと、自己紹介してくれますし、思わせぶりの言動とモーフィアスを手玉に取っている感じが私は好きだったオラクルもシステム再構築時に消去されたと説明されます。老女になったナイオビもやたら色々解説してくれます。日本アニメなら『エヴァ』シリーズや、(だいぶテイストが違いますが)海外ドラマなら『Xファイル』や『ツイン・ピークス』が提示した、“解けない謎テンコ盛り”展開の魅力を考え合わせる時、このマトリックス正統後継作は、これほど説明的である必要があったのか、やや疑問に感じられるのです。

 それでも、旧3部作と並べてみる時、全く遜色もないですし、ダレた感じもないですし、よくできている続編と考えて良いと思いました。勿論、『マトリックス』第1作が突き付けた世界観の衝撃は、新しい世界観として構築された本作でさえ望むべくもありませんが、それは旧3部作の第2作・第3作でも同じことです。少々旧3部作セルフ・リスペクトが過ぎるきらいが鬱陶しいものの、DVDは買いだと思います。