『人と仕事』

 10月8日封切の翌日の土曜日に新宿ピカデリーで観て来ました。新宿・渋谷・池袋でも1館ずつ。東京都下では8館で上映していますが、マイナーな映画であることは間違いないでしょう。パンフレットも存在しませんでした。

 新宿ピカデリーでは1日に5回もの上映がされており、最終回の夜9時丁度の回のチケットを上映開始40分前ぐらいに買いました。ロビーは座れる人数の限られている長ソファがギリギリ満タンになって、それ以外にパラパラと立っている観客がいるぐらいの閑散状況でした。緊急事態宣言明けから二回目の週末にしては、随分と人が少ないように感じます。この映画を観にシアターに入っても、やはり閑散状態は変わらず、私も入れて男性6名、女性6名の計12名しかいませんでした。一組の二人連れ女性客を除いて、残りは全員単独客です。年齢はかなり若い方に偏っていて、特に女性は20代がほぼ全員と言う感じでした。全員単独客の男性の方は、私が多分間違いなく最高齢ですが、20代から40代ぐらいに年齢が分散していたように感じます。

 女性は多分に志尊淳とかいう主演級のタレント狙いなのだろうと思われます。役を演じるのではなく、このドキュメンタリー作品のインタビュアーを務める中で素の彼が現れるのが、多分彼女達にとってのこの作品の最大の魅力なのではないかと思えます。

 私がこの作品に抱いた関心の根拠は、前回この映画館に来た際にトレーラーを観てこの作品の存在を知ったこと以上に何もありません。仕事柄、若者の職業観を知っておくことは非常に役に立つので、仕事をする上での素材として見ておこうと思っただけのことです。以前、『シュウカツ 5 就職という名のゲーム』を観て感想をこのブログに書いた際にも延々と言及した通りの、中小零細企業の社員の採用や育成、定着を考える上での素材と言うことです。

 この作品は、元々『保育士T』というテレビドラマが始まる予定だったところ、通称武漢ウイルスが流行し始め、制作が断念されてしまったところから始まります。そのドラマに出演予定だった有村架純と志尊淳を起用して、通称武漢ウイルス禍下の働く人々の働きにくさや生きる上での葛藤や苦悩をインタビューによって描いていくというものです。

 取材される側の職業人はまあまあ多岐にわたっています。『保育士T』のテーマ性から保育や介護から、さらに児童相談所などが比較的比重が大きいですが、当初、保育園や農家などから始まった物語が、世相の「夜の街バッシング」を受けて、デリヘル嬢やホストクラブ経営者にまで中盤で拡大します。また、空き缶集めで生計を立てる歌手志望のホームレスなども登場し、何かコンセプトや制作方針のようなものがブレブレに感じられる展開になってきます。

 映画.comのニュース記事の中では、

「森ガキ監督は「大変な映画を引きうけてしまったなと思った」と異例の企画始動を振り返り、「途中まで(映画として)成立するのかドキドキ。出演するおふたりに何か聞かれても『正直わかりません』としか言えなかった」と告白。それでも「時間はかかったが、どんな人と話してみたいか探りながら、枝葉のように広がっていき、ゴールが見えた」といい、試行錯誤の末にたどり着いた映画の完成に誇らしげだった。」

と書かれていますから、むべなるかなと言う感じです。試行錯誤の末ではなく試行錯誤の真っ只中で歩を止めて、そのまま最低限の編集で作品にしたという中途半端感が最初から最後まで漂い続けます。さらにそれを色濃くしているのはインタビュアーの二人が、聞き出す事柄の方向性さえ、まさに試行錯誤しながら、話をしていますし、少なくとも見える範囲では、インタビュー先の相手の仕事をきちんと予習して質問していない感じです。おまけに本人達も言っているように二人とも社会経験が浅く、仕事とその職に就く人を立体的に描き出すような術を持っていません。学生の社会見学のレポートでももっと深みや気づきのある会話を先方の職業人に仕掛けられたのではないかと思えてなりません。

 特に志尊淳の幼稚さは目を覆わんばかりで、注意深く言葉を選びつつ自分の考えを述べる有村架純と話が噛み合っていないことも何回か発生しています。「緊急事態宣言で情報がサクランして大変なことになった」と言っているのは多分「錯綜」の間違いでしょう。歌舞伎町の閉店した店舗群を観て回り「テナントが目立ちますねぇ」と「テナント募集中の看板がたくさんある」と言うことを指して言っていたりもします。通常ビルのほとんどのフロアはテナントで埋め尽くされていることは認識されていないようです。それでも本人が「言葉を大切にしたい」のような主旨の発言をしているのはご愛嬌です。彼らのブランド性を毀損しないためか、「夜の街」の住人やホームレスのインタビューは監督らしき制作サイド側の人間が機材を抱えて行なっています。

 シングルマザーという職業とも思えない立場の女性を取材して、作品コンセプトにはハマりが悪いものの、家に三歳の息子とこもらなければならなかった際の鬱になりかけた苦悩を引き出すことにも成功していますが、これも制作サイドのインタビューです。モデル業が本職らしいので、業界的に簡単にアクセスできる場所でたまさか選ばれたという人選だったのかもしれません。ただ、たまさか選ばれた人で仮にあったとしても、きちんと聞き出せば、胸を打つ素晴らしい言葉が紡がれるということなのでしょう。

 たった97分の尺ですが、少々時間を持て余し気味のダラダラとした展開が続きます。それでも、多くの職業人たちの真摯に仕事に向き合う姿勢からしか生まれないような珠玉の言葉はこの作品の質を辛うじて支えることに成功しています。不思議なことに、所謂「夜の街」の人々やこれから社会に出て働き始めるであろう児童養護施設の子供達の方が、中身の濃い発言をする傾向があります。それは多分、日々目の当たりにしている現実が過酷であるが故に、その価値観が磨かれて行くのではないかと思えてなりません。

 有村架純と志尊淳の職業人への底の浅いインタビューと、彼ら自身の職業観についてのモノローグや対話に長めに尺が蕩尽されていることを差し引いても、先述のように真摯に働く人々の言葉の重みが連発するが故に、一応考えさせられる点が相応に見つかる佳作の域に踏みとどまっているように思います。特に単に職業に向き合う人々を描くのではなく、通称武漢ウイルス禍下で仕事が失われる寸前になった人々の苦悩を描く機会に恵まれ、仕事をすることを求められなくなった人々の尊厳を見失いかける姿を幾つも並べることに成功している点は評価できます。

 一応面白い作品です。学校での職業教育の重要性が叫ばれ、色々な職業を知ることに資すると言われつつ、その実、ただ何の予備知識もなく職場を眺めるだけのような教育手法も多い中、人気の高いタレント二人が職業について聞き回り、通称武漢ウイルス禍下であるが故に、仕事そのものの存在意義にまで考えを巡らせる構図は、そん所そこらの教材以上に教育効果があるのかもしれません。

 当然ですが、この映画の中から「働いたら負け」とか「親が死んで年金が無くなったらナマポ」のような価値観を持つ人間は丁寧に排除されています。若者も中堅職員も働くこと自体の辛さや理不尽さを声高に言うようなことがありません。全員、今を真剣に生き、仕事を通して「貢献したい」と明確に認識している人々です。インタビュアーの二人は、「コロナ下の人々の現実を伝えることができる作品」と本作について劇中で言っていますが、随分、労働姿勢の優れた人々ばかりを選んだ結果の偏った「現実」であるようにも思えます。そこには道徳の教科書のような息苦しさがありますし、学校給食の停止により壊滅的な打撃を蒙った農家の底知れぬ生活不安からの怨嗟の声などは僅かに片鱗が現れる程度にとどめられています。

 有村架純がいみじくも、「私たちのインタビューで答えた人々はまだきちんと働けている人々で、この作品を観て、『そんなきれいごとばかり言って』と思う人もたくさんいるかもしれない」と撮影終了後の感想として語っています。全くその通りです。職業人たちの美しすぎる珠玉の言葉がぽつぽつと現れる本作は、まるで昨今の「臭いものには蓋、差別発言にはポリコレ」的な清潔な息苦しさが拭いきれないように感じました。

 DVDは不要です。