『鳩の撃退法』

 8月終盤の封切から1ヶ月弱。今尚続く毎週水曜日の性差別的価格設定の水曜日に観に行きました。新宿のピカデリーです。1日3回の上映でしたが、偶然翌日に映画のサイトを見たら既に1日2回の上映になっていました。衰退傾向は見えてきていますが、新宿では1館。東京都下でも26館の上映なので、まだまだそこそこの人気を誇っているように思えます。

 上映40分前に劇場に着いてチケットを購入しましたが、隔席対応の状況でかなり残席が少なくなっていました。前から4列目のD列のスクリーンに向かって左端の席を取りました。新宿ピカデリーは10あるシアターの中で座席数のばらつきが少ない方だと思います。最小が約110で、最大が約580なので、倍率は5倍以上に見えますが、これらの二つが極端な設定になっていて、残りは120から300の範囲にまあまあ収まっています。今回のシアターは127席で隔席対応で最終的にはほぼ満席になりつつありました。ですので、総観客数は50人以上という感じだと思います。

 性差別的価格設定の効果か女性の観客が6割を超えていたように感じました。単独客も女性同士の二人連れも三人連れもいたように思います。男性客は主に男女カップル客の一方であることが多いように見え、私も含む男性単独客も、男性複数連れも非常に限られていたように思います。年齢はかなり若い方に偏っていて、20代が過半数であるように思えます。男女の性別で見ても年齢の分布はあまり変わらないように感じました。基本的に主演の藤原竜也人気なのかなとは思います。原作は人気小説とのことですが、かなり概括的ではありますが、シアターを前の方の席から見渡してみて、あまり読解力が高そうな人間は居ず、小説を読むのが趣味と言い出しそうな人物も少数派であるように感じられました。この作品のウリが他に何があるのかパンフを読んでさえ分かりませんが、基本は藤原竜也一択なのではないかと思えました。

 土屋太鳳は本作の最大級の脇役で、私はDVDで観たテレビ版の『チア☆ダン』の主役としての認識が強く、映画ではあまり観ることが無く、ぎりぎり『るろ剣』の記憶がある程度です。周辺の10代から30代ぐらいまでの女性数人から聞く限り、あまり評価が高くなく、私も特に好きでも嫌いでもないような状態です。映画評をネットで見る限り、土屋太鳳よりも、西野七瀬の方が「光っていた」・「存在感があった」などの高評価を得ています。確かにそれはそうだと私も思いますが、比較基準の土屋太鳳の“光り加減”や“存在感”が元々対して高くないので、それよりも良かったという西野七瀬の方もまあまあ普通よりちょっと良い…ぐらいの評価かなと思います。少なくとも私には特に印象に残るほどの好演と言う風には見えませんでした。元々彼女を他の映画作品で全く見たことがない(※)という事実も、彼女単体での定点観測ができていない分、印象が残りにくいことも否めませんが。

※正確に言うと、DVDで1、2度繰り返し見た『あさひなぐ』や緊急事態宣言下につくばまで足を運んで映画館で観た『一度死んでみた』にも、ウィキに拠れば彼女は出演していますが、全く認識していませんでした。ウィキで各作品における彼女の役名を見ても全く何の役だったか思い出せません。老害の進行による記憶力減退も一因かもしれません。

 この作品を私が観に行こうと決断したのは、久々に月に二本の映画劇場鑑賞のノルマを超えて三本に挑戦しようかと思ったことと、作家が絡むどんでん返し系のストーリーで、虚構と現実の区別が困難…と言ったことが売りのようだったので、以前の『愛について語るときにイケダの語ること』でコンセプトの主軸に据え付けられて、大破綻していた「虚実皮膜」の事例をこの作品に求めてみるのも良いかなと思ったことがあります。

 また『騙し絵の牙』や『ファッションが教えてくれること』、『空に住む』、『SCOOP!』などの出版の人々の話が、元ビジネス誌編集部員としては、それなりに関心が湧くということもそれなりにはあると思います。

 奇天烈なキャラをやりきったと本人もよく冗談のネタにしている藤原竜也は、やはり安心してみていられる演技で、今回は暴力団系の人々からつかまってはやられまくる格好良さの無い優柔不断の男と言う感じになっていますが、これまたきちんと演じられるという好演ぶりです。土屋太鳳や西野七瀬は配役としてそこそこ登場頻度や登場総時間量が大きいのですが、先述の通りの存在感です。さらに外側の脇役を佐津川愛美、岩松了、坂井真紀、濱田岳、ミッキー・カーチス、リリー・フランキー、豊川悦司など、何をやらせて外さなさげな人々ががっちり固めています。

 特に以前から着目している佐津川愛美は、今回は結構ベタな濡れ場にまで挑戦し、今までに少なかったであろう役どころに挑戦しています。フェラ・イラマが延々続く場面を『はるヲうるひと』で見せていた坂井真紀も今回はけだるいバーのママを好演しています。濱田岳は最近DVDで『インハンド』を見たばかりでしたが、彼の無数の過去作を観ても、芸達者だなぁと感嘆させられます。豊川悦司は感激の『子どもはわかってあげない』の父役ですが、そちらと共通のでっぷり感と言うか肥満感が滲み出ていて、田舎町のフィクサーなのに、何か怖さが足りない微妙に変なおじさんになっていました。しかし、それはそれで、すんなり受け容れられます。

 全くその通りで、すんなり受け容れられるのです。なので、謎解きのプロセスの中に出てくる「え。これ、どうしてこうなるの」とか「うわ。これが起きちゃったら辛いでしょ」的な違和感が殆ど湧かないままに、ガンガン話が進んでいきます。おまけに、話のそこここに、不必要なほどに「3万円」が登場します。この町の地域通貨を作る話が持ち上がったとしたら、3万円を一単位にした通貨にしたら便利そうであるほどに、何かと皆が3万円をやり取りしたがっています。

 当然ですが、そこに偽札が入り込んだら、3万円の地域通貨はそのまま偽札として流れ流れていくことは分かり切っています。ですので、映画の最大の謎とされる「偽札」と「一家失踪」はそれほど問題なく観ているうちにつながってしまうのです。さらに、「鳩」が何を意味するかも、中盤少々で謎解きしてくれますし、虚実皮膜的な話も、土屋太鳳がわざわざ東京から北陸の地方都市にまで行って調べている内容が全部映像で出されてしまうので、ほぼほぼ虚と実の境界が明らかになってしまいます。敢えて言うと、エンディングだけが、虚実ないまぜな感じに終わっていると言えば言える感じです。

 地元の高級バーマネージャーの男が追いつめられたらなぜゆっくりとした拍で手を叩くのかだけが、意味深で謎な感じですが、それもすっきりと最後に謎解きしてくれます。まるで地元ローカルのテレビ局が地元の事件の真相を追っかけたドキュメンタリーのようなつもりで見るのがしっくりと来るような展開の物語で、サスペンスとかミステリーとかそういう物語に対するある種の緊張感が殆ど湧かないままに全編が終了するという感じです。

 これであれば、「これも今はミステリーのジャンルなのだろうな」との感想を持った『彼女がその名を知らない鳥たち』や「これジャンルは何なの。SF?」などと思いつつ久々の志田未来を堪能した『ラプラスの魔女』などの方がよほど手に汗を握らされます。

 物語として楽しめますし、あからさまに何かダメ出しできるような要素も見当たりません。しかし、一方で、先述の地方の事件のニュース解説をすんなり聞いているような、何が愉しみ所なのかが私にはよく分からない作品でもあります。原作本の評価も原作者の評価も高いという話がパンフレットで説明されていますが、それがどのようにこの映画に反映したのかが私には分かりませんでした。

 やはり、私以外の多くの観客が多分そうであるように「推し」の演技を楽しみ、その演技を自分の脳裏にコレクションし、それを仲間と共有したり仲間にひけらかしたりすることが、世の中的には比較的主要な目的である作品なのかなと思い至りました。DVDはギリギリ不要であるように思えます。