『パンケーキを毒見する』

 7月末の封切からほぼ1ヶ月が経過した木曜日。朝7時55分からの新宿ピカデリーの上映に赴きました。私にとってもやたらに早い時間の鑑賞で、午前中はカラダに余剰水分が残って居がちで、映画を観るのは結構つらいのですが、上映時間が104分という短さだったので、まあ良いかと選ぶことにしました。

 東京でも上映館がほとんどない映画です。(鑑賞時点では、東京都内で新宿・渋谷・池袋の各一館しかないようです。)封切1ヶ月の段階でまだ1日2回の上映が為されています。メジャーな大作でもないのに、それなりのヒット作と言うことでしょう。3週間ほど前に一度座席の予約状況を見たら、「残席僅か」になっていて、人気のほどに驚いたことがあります。(当然、その際には、その座席状況が理由で鑑賞をパスしました。)日本国内で政治への関心がこれほどあり、さらにそれが映画の興行状況で感じられるという二重の驚きを抱きました。

 この映画は現在の菅政権の評価をする挑戦を描いたドキュメンタリーです。ところが、映画冒頭でも、その様子が描かれますが、やたらの取材拒否の応酬に遭い、映画制作は難航を極めたという話でした。私がこの作品を観ることにしたのに、特段の強い動機はありません。単に他に観るべき映画があまりなく、本命で昨年からずっとみたかった『子供はわかってあげない』は、漸く封切に漕ぎ付けていましたが、どうもそれなりの好評を博しているようで、(雑誌『SPA!』の表紙にも主演女優が登場するぐらいです。)混雑が予想されたので回避していると、月二作の映画鑑賞ノルマが果たせなくなるリスクが出てきたので、それ以外に観るべき作品を探した結果です。

 無名作品で最近ハズレが連発していて、大作か『子供はわかってあげない』のいずれかを今月後半に観ようと考えていましたが、スケジュール的に叶いませんでした。観ても良いと思えるメジャー作品が二時間超で腰が重くなったという面も否めません。そんな中で、早朝にチャッチャと観て決着がつけられる無名ながらまあまあのヒット作で尺も短いこの作品が選択されたという経緯です。

 マイナー映画のハズレの連発の中、この作品と言うことになりましたが、ハズレ度がかなり少ないものの、やはり僅かにハズレ感が勝っている、及第点をギリギリ割ったような作品でした。本当に最近のマイナー映画の低質化には辟易させられます。だからと言ってメジャー大作が以前以上に面白くなったか否かは定かではありませんが。

 シアターに入ると、私も含めて6人ほどの観客がいました。それなりに大きなシアターなので、かなりのスカスカ感です。この映画館で最も早い上映時間が7時40分ぐらいだったようですから、一番早い訳ではありませんが、ロビーにも人がまばらな時間帯ですから、この人数でも仕方ないかもしれません。(大体、新宿ピカデリーのシアター・サイズにあまりバリエーションがありません。比較的大箱ばかりです。)

 大学生のように見える若い男性二人連れ。高齢男性一人、私。そして30代から40代ぐらいに見える女性の単独客が二人という構成でした。シアター内がかなり暗くなって、上映が始まりかける頃に、さらに2、3人が入ってきたので、合計で8、9人の観客がいたことになります。後から来た2、3人の年齢性別は不詳です。映画のエンドロールの終わりも待たずに出ていった数人もいるため、FIFO、LIFO的な「在庫」把握ができませんでした。

 面白いところや観るべきところもそれなりにある映画です。先述の大学生風の男子二人が出掛けに「やっぱ。政治って普段考えないじゃん。そういう人間には分かり易くていいよね」と口々に言い合っていたのは、一番妥当な感想だと思います。まさにその通りで、先行した安倍政権に比較して何か地味な印象があり、右往左往している感じがかなり強い現政権、そして菅首相について、分かりやすい幾つかの切り口で理解を促す姿勢には好感が持てます。

 幾つかのラベル貼りも功を奏しています。安倍政権を従来の自民党の派閥に入っていず、割を食っていた人々が寄り集まって、今まで自分達を虐げてきた人々に仕返しをすることを方針に据えた「仕返し政権」と呼称し、その方針を菅政権も引き継いでいるという解説も、その特徴的なエピソードを挙げられると、非常に納得感があります。

 同様に、元々の地盤や看板・カバンを持たない政治家で成り上がるスタイルなので、当然、何かを失うことを恐れる必要がなく、その政治家人生の中で他の政治家が打たないような大博打に打って出ては、(まれに勝つこともあるものの)大負けを繰り返しては再挑戦するプロセスがあったこと、そしてそのような「博打打ち」の姿勢が他の政治家からの畏怖や敬遠の原因になっているなども、なるほどと頷けます。

 元々「仕返し政権」なので、常に敵を作る結果になり、安倍首相の選挙演説中の有名な発言(/失言)である「あんな人たちに負けるわけにはいきません」と特定国民グループを指して言った言葉をそのまま言動・態度に顕しているのが菅政権という説明も、「俺に楯突く奴は潰す」任侠道として描かれると、再び「なるほど」とすんなり理解できました。

 概ね海外作品で言うと『インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実』とか『グリーン・ライ ~エコの嘘~』とか、そう言ったドキュメンタリーの面白さを国内の政治劇に持ち込んだという程度ではありますが、学びはそれなりにあり、面白くない訳ではありません。それでも、どうも納得できず、好きになれない大きなポイントが三つあります。

 一つは現政権を嘘吐きとか非倫理とか傲慢と言った感覚論で評している点です。たとえば、機密費を選挙対策に流用したとされる問題を共産党に追求されて、全く論理的に噛み合っていない答弁を重ねてやり過ごしているケースなどが紹介されています。確かに問題は問題ですし、国民の血税が有耶無耶に蕩尽されるのを見過ごす訳にはいかないというのは正論です。しかし、時の権力者が常にこの菅政権よりもまともなことをやり続けてきたのかということは全く問われません。どれも悪いからどうでも良いとは言いませんが、どれも悪い中で、同様に悪いと言わねばフェアではないように思います。古くは「一切記憶にございません」などの答弁が時代の流行語になったこともあったはずです。そのようなことには一切触れられないのでは、ただの情報操作です。

 二つ目の点は、よくよく見てみると必ずしも現政権の問題とは言えないことまで、責任を押し付けようとする暴論が巧妙に混ぜ込まれています。たとえば、共産党の赤旗を権力や既存体制と戦う「文春砲」に並ぶ「赤旗砲」として誉めそやしています。私は総合的な対案の無い批判一辺倒の共産党の姿勢が好きになれませんが、劇中で表現される赤旗の取材に基づいた問題追求の姿勢には好感が持てました。そこから、なぜ他のメディアはそのようなことをしないのかという問いをこの映画は投げかけ、現政権の圧政が悪いという論調で語ります。どんな政権でもメディアに都合の悪いことは書かれたくないでしょうし、大本営発表は大なり小なり行なうことでしょう。それに屈しないようにするのはメディアの姿勢の問題であって、現政権の問題ではありません。根性もプライドもなくしたメディアの人々の状況を現政権の人々の謀略によるものだというような、変な陰謀論が作品中ではまかり通っています。

 通称武漢ウイルス対策もほぼ同様に感じられます。ニュースなどを見ていると、私には医学界とメディアが不安をただただ煽って、「今のニューヨークは一週間後の東京」のような妄言を吐き続けています。PCR陽性者数も増えた増えたと絶対数を報じていますが、検査体制が充実して検査実施数が増えているのですから、陽性者が増えるのは当たり前です。PCR検査実施を歯科医にまで広げようとした動きを妨害したのは誰なのかとか、インフルエンザよりも悪性ではない通称武漢ウイルスをいつまでも第五類扱いにしないように働きかけているのは誰なのかなど、全く語られないだけではなく、すべて政権のせいだと作品は主張しています。

 三つ目の点は、政権のありとあらゆる愚行のせいで、日本は世界で三流国家になったというような話が単純なグラフや表を幾つも挙げて断じられています。おまけに頭のほどが疑われるような発言をするインカレ的な投票を促す活動をしている大学生グループのメンバーに、日本に未来は感じられないと語らせます。バカも休み休み言っていただきたいものです。

 たとえば、日本が滅茶苦茶に安全な国で、通称武漢ウイルスによる死者がメディアの(交通事故で死んでもPCR検査陽性なら感染死とされるような極端な)水増し統計でさえ、諸外国に比べて圧倒的に低いことや、犯罪発生が諸外国に比べて圧倒的に少ないことなどは全く語られません。『格差は心を壊す: 比較という呪縛』というイギリスのベストセラーがありますが、その中の大半のリサーチ結果において、日本は格差が先進国の中で極端に少なく、その結果引き起こされるとされているあらゆる社会的病弊が非常に軽微で済んでいる国です。

 電気自動車生産に後れを取っているなどのデータも挙げられていますが、これなども馬鹿げています。福島原発事故で予言者のように有名になった広瀬隆が渾身の著作『二酸化炭素温暖化説の崩壊』や『地球温暖化説はSF小説だった その驚くべき実態』などで明かしている通り、人類が二酸化炭素濃度増加をどれほど引き起こしているのかも、その二酸化炭素がどれほど地球温暖化に結びついているかも、かなり疑わしく、ゴア副大統領が、『不都合な真実』で散々真顔で警告していた現象は全く発生せず、太平洋上で水没して消えた無くなった国も現状ありません。この「起きる起きる詐欺」状態のあからさまさは最近、私の好きなもう一人の著作者の増田悦佐も『日本人が知らないトランプ後の世界を本当に動かす人たち』で指摘しています。そんなバカげたSF小説に迎合してエネルギー効率が悪い方へ自動車の技術開発の舵を切る方が、狂気の沙汰と考えられなくはありません。

 最近はやりの「読解力」も日本は人口が億越えの国の中でダントツで、先進国でも常に上位にいる国です。半導体製造もほとんどダメダメだと言った話まで紹介されますが、海外で作った方が安いのなら、安いものを買えばよいだけです。その半導体を作るための製造装置のコア部分の殆どは日本でしか製造できないと言われています。一昨年の日本による韓国の「ホワイト国」除外の騒動でも、日本が大きなシェアを持つ高品質の素材が問題となっていたことでも、ことは明らかです。

 そのような話が少し考えれば山ほどあるのに、一方的に海外との表面的な数字競争で、日本はお先真っ暗の三流国であるかのように論い、それを菅政権の失政の結果と無理矢理言い募る終盤の展開には、あまりの愚劣さに開いた口が塞がらないほどでした。インカレの大学生の人々も、少しは本を読んでから映画出演して欲しいものだと思います。

 観るべきものは一応ありますが、あまりに杜撰な論理展開や非常識論が多過ぎて、特に終盤は愚劣な展開に終始したので、DVDは不要です。

追記:
 鑑賞後、何度も折り返すエスカレータでロビー階に降りてくる途中、擦れ違いに上って行く何人もの観客が、『ヒロアカ』のブックレットのようなものを持っていました。かなり流行っているように見えました。