8月初旬の封切翌日の土曜日の夕方午後18時20分からの回を観て来ました。新宿の明治通り沿いのミニシアター的映画館です。信じられないことに、ざっくり映画ポータルサイトで見回して、全国でたった1ヶ所での上映、それもさらにたった1日1回の上映と言うおまけつきです。つまり毎日全世界でここで1日1回しか見られない作品なのです。
たった48分の作品で、そのせいだと思われますが、料金は1600円でした。尺の分数と料金の金額が相関しているのなら。もっと安くても良いものと思われます。
封切翌日で当日も入れて全世界でたった二回目の上映であるはずなのに、観客は6人しかいませんでした。男性4人と女性2人です。男性の方は私以外の3人が3人ともやたらに高齢で、どうしてこういう取り揃えになるのか全く分かりません。映画のテーマに関心がありそうな特別な理由も特に思い当たりません。女性客の方は30代前半1人、後半1人という感じでした。男女共に全員単独客です。
この映画館は先程ミニシアターと書きましたが、シアターのサイズが小さいという意味では、あまり当たっていません。シアターの数が少なく、雑居ビルの複数回にまたがって成立している“雰囲気”がミニシアター然としています。2フロアの構成で各階に1つずつシアターがあります。大きい方は300以上もの席数規模ですが、小さい方は僅か60席余りです。上階の小さい方のシアターに入るとミニシアター感がありますが、大きい方では、一見、昔ながらの大型映画館のような感じがします。
そして、今回の作品はたった6人の観客を大箱の方に入れて上映されているのです。まるで上映終了時期を無理矢理延ばして、上映を続けているような閑散極まりない入りでしたが、信じられないことにこれが封切2日目のことです。マーケティング施策の何かが大きく間違っているように感じられます。勿論、動画配信サイトなどの番組に「映画館で一般公開」の箔付けをするために、単館で短期間上映することがあることを私は知っています。たとえば、根強いファンのコア的なファンの支持を集めるアニメ作品などは、まさにそのようなパターンを結構見ます。しかし、そのような場合でも、席を取るのが困るほどに、コアなファンが集まるというのが成功パターンであって、ここまで映画本来のファンと思えるような層が見当たらず、絶対数も雀の涙(1回の上映でたった9600円の売上)というのは、あまりに酷過ぎます。
私がなぜこんな惨状の映画を観に行ったかと言えば、純粋にシュウカツに対する職業的興味です。私は自分が日本の大学で学んだこともなく、日本独自の優れた労働慣行である新卒一括入社の制度に則って「シュウカツ」をしたこともありません。それなのに、ご縁を戴いて、地方都市の私立大学で6年もの間、非常勤講師として“職業を知る”と題した講義を行なっていました。学生に非常に好評で、学生アンケートは常に学内一位で、最初は法学部だけでしたが、3年目には全学科に講義が拡大されました。おまけに、好評が伝わり、5年目に1年間だけ別の大学でもほぼ同じ内容の講義を行なうことにまでなりました。
授業を行なうにあたって(全く日本の大学生の就活事情に関して無知だったので当然なのですが)事前にリサーチを重ねて分かったのは、日本の就活に向かう大学生の企業組織のあり方や働くことそのものに対する常識の乏しさでした。そこでそれらを10ほどのテーマに分けて、分かりやすく解説する授業を行なうことにしたのでした。そのような経験から、中小零細企業の事業の企画を作る立場になった際に、新卒学生の採用についての各種企画をも請け負うことになって今に至っています。
就活中の学生に迎合して、何かと雇う側の企業のブラックさやら、現在の若者に対する理解不足を論う世論や雑誌記事などが散見されます。しかし、企業側は学生達が社会人となった後に良くも悪くもずっと人生を過ごす場になることが多いでしょう。つまり、社会の場そのものです。学生達はその一部になっていき、入社後は逆に外側の学生達から見て内部の人となって行く訳です。つまり、会社組織や社会の人々は学生達から見て自分たちの将来の姿を顕現している存在です。そのように考えると、会社が学生達を知る必然性に比べて、学生達が会社や社会を知る必然性の方が圧倒的に高いということが分かります。しかし、なぜかそのような事実は無視されて、学生達の不勉強や常識不足は殆ど論われることが無いのがここ最近の風潮のように感じられます。
そうは言うものの、多少なりとも質の高い学生を少しでも多く雇おうとすると、企業側も学生達のことを理解しなくてはなりません。それは単に、魚釣りをする時に、魚の習性を知って釣りに行く場所や時期や道具を選ばねばならないということと同じ理由から、工夫は一応したほうが良いと分かります。そのような新卒学生採用企画を中小零細企業から受注する際に、今時の学生の就活状況を手っ取り早く知るコンテンツがあると便利です。以前は映画の『何者』を企業担当者に薦めることが多かったのですが、ややミスマッチ感が有り過ぎました。
どのようなミスマッチ感かというと、中小零細企業の採用活動は、喧伝されている「就活」に合致しないという点です。就活という概念は実は多くの元祖リクルートを始めとする就活ビジネスの大手企業群によってフォーマット化されています。たとえば、3年生のうちからインターンシップに行って企業を知るとか、自己分析をして適性のある業種や職種を明らかにするとか、ネットで企業群にエントリーして説明会に参加するとか、そういったプロセスが定番として語られています。しかし、このようなフォーマットがきちんと成立するのは、「大都市圏(東名阪ぐらいが限界です)」×「高偏差値大学在籍学生」×「大量採用する大手企業」の三条件がきれいに揃っている場面だけです。どれか一つでも崩れると、多くの就活ビジネス大手の企業群が金科玉条のように唱える就活スタイルは殆ど成立しなくなります。
なぜこのような偏ったセグメントを対象に大手就活ビジネス会社が「就活」をテンプレ化したかと言えば、最も収益につながるから以外の何物でもありません。詰まる所、「売りやすい学生」と「買う気満々の企業」が「大量に集中している立地」ということです。『何者』もそんな感じで、有村架純は中堅どころの印刷会社か何かに最終的に就職しますから、テンプレから外れていますが、まさに劇中でも「コースから外れた就職で妥協した…」といった見方をされています。そういう所で、私のクライアント企業担当者が見ても、ピンと来ない部分が結構あるのです。それでも、就活のあり方も、スマホの登場とか、大学に押し寄せる少子化や、学生達の無業化志向の漸増などによって、変化していきますので、クライアント担当者に薦めるコンテンツは新しいものであることが望まれます。結果として、私は常に就活に関する新たなコンテンツで、取り分け地方都市の中小零細企業が非高偏差値大学の学生を雇う場合に参考になるようなコンテンツを探し続けなければならないことになってしまっているのです。
映画.comの紹介文から抜粋すると、この映画は…
「就職活動中の若者たちが直面する面接での心理戦を描いたオムニバス「シュウカツ」シリーズの第5弾。内定を得た就活生がふたたび会社に呼び出され、内定は出せないと告げられてしまう「自主的辞退者」、学生を使い不正な就活ビジネスおこなう企業との戦いを描いた「就職という名のゲーム3」、事故により企業面接を受けられなくなった学生が特例によって内定を得た裏側を描いた「コネ入社」の3編から構成」
ということになっています。今までに4作も作られていて、私も前述のようなリサーチの過程で存在は知っていましたが、DVD化もされていないようで(少なくともレンタルして観られる状態ではありません。)、観る機会もないままに今に至っていました。(レンタルなどができるとか、DVDなどのメディアで購入できるとかの状態でないと、なかなかクライアント企業担当者に薦めることができません。)
観てみると、内容はこの『脱兎見!…』始まって以来の記録的な「馬鹿げた作品」でした。幾つか思い出せないぐらいのバカな作品もあったようにも思いますから、ワースト1が確定な訳ではありませんが、『脱兎見!…』全作品中現時点でワースト5には確実に入っています。
何がどう酷いかを上げるのは簡単ではありません。なぜかというと、どんな切り口で観ても酷いからです。まず、物語が超非現実的です。勿論理屈上あって不思議ではないギリギリのレベルではあるのですが、三話共に学生達は妙に小ズルくSNSでの情報収集を始めとしてやたらとICTを使いこなし、企業担当者はどこまでも愚鈍で目的も意義も明確ではない言動を繰り返しては、学生達にやり込められ見透かされ恥をかかされるのです。繰り返しになりますが、それぐらい優れた学生も中にはいると思いますし、愚鈍な社会人はいくらでもいます。ですからこれが存在しないぐらいレアな人物像かと言えば、ぎりぎりそうではありません。
しかし、それぐらい小ズルく立ち回れるような学生は就活などしません。独立起業するかもしれませんし、採用されるのだとしても通常の就活ルートの前に青田買いされるので、就活の場に登場することすらないでしょう。愚鈍な採用担当者はいますが、居ても、その人間のみで採用が完結することが無いのが普通で、企業は組織で動いていますから、企業全体でロクでもないか、まあまあまともかという判断をすべきですし、そういうふうに判断されることが一般的でしょう。個人的に究極にダメな担当者なら、企業もそんな人間を学生と接触させないでしょうし、それ以前に就活サイトなどで叩かれるので問題になって、社会制裁を受けるよりは前にそういう担当者を企業の側が下すのが普通です。
さらに少なくとも私から見ると、あまりに設定が凝り過ぎています。「凝っている」というと優れているように聞こえますが、そうではありません。変なミステリー小説のなぞ解きをいきなり短い尺に押し込んだような、あり得ないような設定が多すぎるのです。その設定を観客に理解させ、さらにその展開や謎解きを理解させた上に観客に楽しませるのを、1話平均16分で完結させるには、脚本家のとんでもない構成力と、役者のとんでもない表現力が必要とされるように思います。
田村正和が逝去したのをきっかけに私は最近『古畑任三郎』シリーズをDVDでレンタルしてみていますが、それでさえ、視聴者から葉書が来て「ご都合主義だ」、「古畑はエスパーであるとしか説明できず、不自然だ」などと指摘されると、番組のオープニングで古畑任三郎自身が散々紹介しています。1話みるとギリギリ面白いのですが、数話連続で観ると、確かに葉書を送りつけて来る視聴者の気持ちも分かります。エンターテイナーとして有名な三谷幸喜が脚本を担当して、田村正和を始めとする錚々たる役者陣が演じても尚この程度なのです。それを上回る複雑性を持つ、就活全体の中でもなかなか起り得ないようなシチュエーションを、たった16分でこれ見よがしな心理劇が続く脚本を大根役者にもなっていないようなわざとらしい演技の役者が続けたら、面白くなる訳がありません。
まるで、全くオーディションを通らない素人漫才コンビの三組の自己満足全開のネタ公開を延々と見させられているような気分になります。大根役者のレベルで言うと、私はよくサトエリを「愛すべき永遠の大根役者」と評していますが、サトエリが有名舞台俳優に見えるぐらいの低レベル度合いです。
この映画から私が学ぶところがあるとしたら、「まあ小ズルく立ち回ろうとする学生もいるんだろうから、その中の数人ぐらいでもいいので、ウチのクライアントの所にも来ないかなぁ」とか言うどうでも良いような期待と、「まあ、あんまり聞いたことが無いけど、SNSも駆使すればこれぐらい情報収集ができて、中にはそういうことをそれなりにやる学生もまれに存在するんだろうなぁ」という些末な認識ぐらいでした。
どこまでこのくだらなさ(面白くてくだらないのなら、いくらでも許せるのですが、ただくだらないのは最低です。)を理解できたのか分かりませんが、私以外の男性客3人は、たった48分の上映時間を待つこともできず、シアターが明るくなったら消えていました。余程辛かったのでしょう。シリーズの他作同様DVD化はされないものと思いますが、されても絶対に要りません。
追記:
ここ最近マイナーな映画を観てはやたらに失望させられる体験が続いています。少々大作に鑑賞ターゲットを戻してみるべきかと考えさせられるぐらいに、ハズレの連続です。馬鹿げた通称武漢ウイルスの空騒ぎで年単位で上映が延期され続けた、今年一番観たい映画『子供はわかってあげない』が、もう少々すると封切になりますので、それまでの我慢か、我慢できない場合は大作を見るということにしようかと思い始めています。