『地獄の花園』番外編@小樽

5月21日の封切から約3週間。午後2時10分からの回を観て来ました。1日3回の上映の真ん中の回です。

日曜日の午後、小樽築港の駅に接続している商業施設の映画館には、通常武漢ウイルスの関係か、全くと言っていいぐらいに人が見当たりませんでした。今となっては人口12万弱になったこの街に映画館はここしかありません。以前は、私の知っているだけでも、マイナーな映画を上映するマニアックなミニシアターも含め、3館程度はあったように記憶します。

それでも、シアターに入って開演まで時間を過ごしていると、ぞろぞろと人が入って来て、最終的には私も含めて合計8人の客がいました。小学生連れの母親。高齢男性一名と私の4人だったのが、そこへ20代の妙にイチャイチャ感が高く、男の方がミチャミチャした感じの話し方で女に絡みつくカップルが現れて、さらに20代女子の二人連れが加わって、合計8人です。基本的に若者層に比重が偏っている観客層であるのは間違いありません。

私がこの作品を観たいと思った理由は、やや漠然としています。

6月の通称武漢ウイルスの影響下での馬鹿げた上映制限がどう転ぶか見えない中で、早めに、観られる作品でまあまあ好と思えるものを観ておこうという強い動機が背景にありました。そこで改めて考えて、以前観た『架空OL日記』のまあまあの面白さを思い出して、バカリズム新作を観てみるのも悪くないかと思えたこと。UQやヨーグルトやありとあらゆるCMで見るものの、映画での主演作は『君は月夜に光り輝く』をDVDでしか観たことのない永野芽郁の主演作をスクリーンで観るのも悪くないかと思えたこともあります。

あとは、比較的最近DVDでドラマの『Missデビル 人事の悪魔・椿眞子』を観て、気合の入ったクセのある女性をあの人形染みたスタイルで演じる菜々緒がちょっと気に入ったので、これまた映画で観てみたいと思ったこともあります。トレーラーでチラリと見た奇怪極まりない遠藤憲一の女装も『援助交際撲滅運動』シリーズの彼を彷彿とさせ、関心を湧かせたこともあります。

結婚相手の不倫だか婚前の女遊びだかに対してブチ切れたとかで、SNS的評価を下げたと言われる川栄李奈も、『亜人』も『嘘を愛する女』も流石にやり過ぎ感がありましたが、私は『人魚の眠る家』での好演が印象に残っていて、まあまあメジャー脇役クラスの彼女をこれまたスクリーンで観てみたいとは一応思えたこともあります。

そんな漠然とした、或る意味、個々には薄い動機が薄膜のように折り重なって、まあまあ観てみたいと思える動機が形成されました。

パンフレットでも、「今時、理屈抜きのバカらしさでスカッと笑える映画なのでお奨め」と何人もの役者が言っています。それはその通りで、それだけを求めたら、結構スカッと笑える映画であるのは間違いありません。間違いなく『架空OL日記』の延長線上のOL世界観に『クローズ』などのグレた若者グループ間覇権争いの物語構図をそのまま取り込んでみた実験と考えられ、どちらも楽しめる人々は勿論、どちらかが好きという人々も、結構ハマれるし笑える映画だと思います。

会社内で「カタギ」のOL達がコピーを焼いていたりする横で、殴られたOLがいきなり変形させるぐらいの勢いでロッカーに激突してくるような暴力沙汰がOL同士で展開していたり、グループ同士で散々威嚇しあった後に、「この部屋、最後の人は電気消しておいてね」などと突如OL風の口調の事務手続きが顔を出したり、社食で普通に食べているOLの所にいきなり菜々緒が「●●の奴らが攻め込んできたけど、どうする…」とヘッドにお伺いを立てに来たりなど、日常と非日常の無理矢理の組み合わせが連発します。おまけに、「大怪獣」との異名を持つOLなどは、社外の暴力沙汰で服役明けで、会社に復帰する所から登場しています。会社もそのようなOLの復職をどのような理由で受け入れたのかなど、全く合理的な説明は登場しません。大体にして、ハラスメントどころではないぐらいの直接的な暴力沙汰が、社内外で繰り広げられているのに、警察が存在を示すのは、この「大怪獣」のエピソードに登場する一件だけです。

非現実的な展開が、オリジナルの若さを持て余した暴力学生集団の物語展開をきちんと踏襲しつつ、OLの世界で続くのです。しかも、無理やりの継ぎ接ぎ感で、わざとらしく『架空OL日記』の時のまんまの、「ずっと有給とれたらいいよね」ばりに、「人間って本来冬眠する生き物だと思う」などの本当に一般職OLでもそこまで馬鹿げた想像力を発揮した会話をするのかと疑うような会話展開まで登場します。

笑えば十分笑えます。

しかし、よくよく考えてみると、かなり社会現実に逆行しています。殴る蹴るが社内であれば、ハラスメント的な問題どころではなくなり、下手すると株価も暴落し採用も困難になり、経営も危ぶまれるぐらいになることでしょう。さらに一般職OL達に限定されたような、事務・雑務的な典型的なイメージも、大手企業には今尚あちこちに残っているかもしれませんが、かなり前近代的で、それを肯定する姿勢が全編を通して見受けられます。(ちなみに、私はそのような前近代的な人事制度にもメリットはあり、必ずしも無条件に破棄すべきものとは思っていません。)

極め付けは、エンディングです。事務がそこそこでき、テレビ番組で盛り上がり、ショッピングを楽しみ、恋も訪れる「普通のOL」になりたいと、ずっと猫を被ってカタギOLだった永野芽郁が本性を現し、「おめぇら全員ぶっ殺してやる!」と怒声を発し大暴れの限りを尽くします。その後、それまで喧嘩が取り柄と努力してきた広瀬アリスは、敗れて何もかも失って、永野芽郁に対して負けを認めます。

ところが、負けて倒れた広瀬アリスに彼氏が現れ、「ずっと言おうと思っていたんだけど、OLだから仕事で頑張ればいいだけじゃない。喧嘩が強くなくたって、全然かまわないじゃない。仕事すればいいだけだよ。OLなんだから。ただのOLの君を僕は愛している」と抱きしめて告白するのでした。ズタボロになりながら辛勝しその場を去る永野芽郁の後ろ姿の上に、ドーンと効果音付きで「完敗」の文字が登場します。

つまり、女性は喧嘩でもなく増して仕事でもなくまあまあ仕事ができそうなまあまあイケメンの男から求められることにこそしあわせが生まれるという価値観が明確に提示されるのです。それも、負けた広瀬アリスは、そこに至るまでに山中でクマの腹を突き破るパンチを身につけるぐらいの修行を積んでいるのにです。この彼氏は、この映画全体を貫く暴力OLの世界観さえ全否定してしまっています。まるで普通のリーマンです。つまり、最後の最後の瞬間に、それまでの世界観をぶち壊してまで堂々と全力で主張するのが、愛によって得られる女性の幸せなのです。

喧嘩でもなく、仕事でもなく、ただ男に愛されることにこそ存在するという女の幸せと言う価値観です。もし世の中のありとあらゆる男女同権だのジェンダーだのの言われようが本当で、多くの人が賛同しているとするなら、この映画の最終的な主張そのものは、観るだけでも吐き気を催す時代錯誤・人権無視の産物でしょう。これは本当にスカッと笑える映画なのかと考えずにはいられません。

ほぼ主演級の広瀬アリスの妹の広瀬すずが出演した『新解釈・三國志』では、人の美醜を弄るネタが多く、映画評では「ルッキズム全開で不快」というものもかなりありました。あの程度でそのような評価が為されるなら、この映画は世の中の多くの人々の不快をことさら引き出すものになっていると思います。その意味で、色々と考えさせられる映画です。一方でバカリズムの描く一般職OLの価値観や思考のシミュレーションにはそろそろ飽きが来た自覚もできました。

永野芽郁、菜々緒の強烈で非現実的な暴力シーンは一応再見の価値があります。DVDは一応買いです。