『騙し絵の牙』番外編@札幌駅

 3月末の封切から大分時間が経過しています。大ウケしている様子もないように感じていましたが、5月下旬に入ってまだ上映館はぽつぽつと存在しています。

 昨年春、緊急事態宣言が初めて発令され、東京中の映画館が休館した際、私は清水にまで赴いて映画鑑賞をしました。その際の感想で通称「武漢ウイルス」による映画館休館の動きについて以下のように書いています。

「緊急事態宣言が全国に拡大され、自分達の事業の補償も満足にする気もない政府の法的根拠に乏しい「要請」に従って、自分達のサービスは不要不急のものであると、自虐思考に全員右習えで陥って、一斉に営業を見合わせた上で、やれ「クラウド・ファンディングで何とかしよう」とか「映画文化の灯を消してはいけない」などと本末転倒の愚論を展開している映画館業界は全く恥を知らない輩だと思っています。

 補償もせず、自主休業を迫るという政府の非道なやり口に屈せず、名前の公開も「悪名も有名のうち」と引き受ける覚悟の多くのパチンコ店を見習えばよいものと思えてなりません。

 そういうと、小池劇場に踊らされている人々は「挙国一致でStayHomeなのに、何を言うか、この人殺し!」とヒステリックに叫ぶという話を聞きます。通称「武漢ウイルス」は勿論なめてかかるべき病気ではありません。一方で、ワクチン、検査薬、専用治療薬まできっちり全国津々浦々の医療機関に揃っているインフルエンザでさえ、毎年数千人の死者を防ぐことができません。その通称「武漢ウイルス」は感染しても9割の人が無症状でそのまま過ごせると言います。実際の大本営発表の感染者数は検査を抑制しているので圧倒的に少ないのは本当でしょう。おまけに発症前にも感染するという感染力を持っているのですから、事実上、誰もが少なくとも感染したことがあるが、免疫力によって何事もなく過ごし、その結果、不完全でも免疫を得つつある…と言った状態にあると考えるのが普通の理解です。

「感染する!」、「感染者が出た!」とニュースも連呼していますが、感染して発症する1割の中でも重篤者はほんの僅かで、その中でも死者は、70歳以上の高齢者や免疫力が弱っている人や、三密状態に浸って大量のウイルスを取りこんで免疫では防ぎきれなくなった人かのいずれかに集中しています。それ以外の人々は、「呼吸が大変だ」とか「高熱が出た」などとSNSに投稿したりしていますが、『風立ちぬ』などに出てくる、いつ死んでもおかしくない不安と恐怖に苛まれる中でサナトリウムで過ごす結核患者などに比べると、アビガンが投与されるようになって、相対的に楽でいられることでしょう。本当に瀕死であればSNSにもなかなか投稿できないものと思います。

 私も幼少時に二つも法定伝染病で長く隔離されたことがあるので、その辛さはトラウマ級に知っています。だから、何でもないと高を括って通称「武漢ウイルス」を気にしない訳ではありません。勿論、罹らないに越したことはありませんし、うつさないに越したことはありません。ただ、それは毎冬流行するインフルエンザだって同じことです。ならば、通常のインフルエンザ以上に騒ぐ意味が事実上ないと考えてよいものと思っています。ですので、選挙対策にガンガン都税を蕩尽して、毎日のように殆ど無意味な内容のテレビ出演を重ねる都知事の話に耳を貸す気もありません。基本的によく食べよく寝て免疫力を維持して、あとは、知らない人に会う機会・話す機会をまあまあ減らし、三密状態は避け、嗽手洗いをバリバリ励行するという例年のインフル対策以上のことは一切する気がありません。もともと出不精ですし、病弱な一人っ子でしたので、家で一人でいることにストレスを全く感じません。」

 今でも基本的に考えは変わりません。今回の緊急事態宣言は関東圏では東京都でしか発令されていません。多摩川を超えて川崎や横浜に行けばバンバン映画は観られます。しかし、本当に東京では再び休館ラッシュになっているのだろうかと調べてみたら、事態は変化していました。新宿を例にとると、ミニシアター系がすべて上映を続けていました。休館中なのは、バルト9とピカデリー、そして歌舞伎町のゴジラ生首ビルです。他は例えば既に観た『SNS 少女たちの10日間』などマイナーな映画の上映を行なっていました。

 素晴らしい進歩です。国やら都やらの言い分によると、映画館でクラスターが発生するとは説明されていません。現実に発生していません。単に人が外出する目的を減らすために、感染予防上何らの直接的支障を生んでいるのでもないのに、休館せよと迫っているのです。馬鹿げています。人々もかなりこの馬鹿げた緊急事態宣言の現実に気づいている様子で、新宿でも渋谷でもそれほど人は減っていません。詰まる所、映画館が休館しようと営業しようと、通称「武漢ウイルス」に対する緊急事態宣言は人流の抑制にあまり成功していないことは明らかです。それであれば余計のこと、映画館休館に意義は殆どありません。そんな状況でも休館する映画館群は余程やる気がないのでしょう。

 そんなことを言うと、
1)「今は以前と違って変異株が広まりつつある」とか
2)「変異株は若者でも重症化しやすい」とか
3)「重症者が増えると医療崩壊が起こる」とか
4)「毎日の感染者数はどんどん増えていて、昨年の第一波を大きく上回っている」など
の主張が為されることでしょう。

 けれども、変異株の通称「武漢ウイルス」でさえ、インフルエンザに較べれば全然大したことはありません。おまけに国内では従前の株の方には実質的に自然免疫が広範に広まっています。ならば、罹ってもそれほど悪化しないことでしょう。もちろん、変異株が従前の株よりも悪性であることは本当ですが、それでもインフルエンザを超える悪性の度合いではありません。特に若い人に後遺症が残ると騒ぐ人もいますが、インフルエンザでも子供が罹って脳に重い障害が残ることがあります。それに比べれば統計的に見て全く問題にならない程度の後遺症の発生率です。

 医療崩壊が起こるというのも殆どデマのレベルです。日本は病院の病床数が世界有数です。一方で海外に比べて通称「武漢ウイルス」の感染は微々たるものです。それでも入院者が溢れ返ってしまうのは、全然重大な病気でもないのに、そのような危険な伝染病扱いをしていて、特別な病床にしか収容しないからです。そう言った隔離体制の整った病院では間違いなくリソースが逼迫し、街でマスクをしている人の割合が低いと言われる関西圏での、そのような医療施設の修羅場は毎度ニューズで見かけます。

 しかし、その他多数の街のクリニックや通常病院群は暇で暇でしようがないような状態です。単に通称「武漢ウイルス」をインフルエンザ並みの扱いに変更すれば、医療崩壊寸前と言う話は全く起きるはずもありません。詰まる所、新型コロナの「指定感染症」扱いを止めて、インフルエンザ並みの「5類感染症」に扱いを変えれば何も問題ないのです。医療関係者からも、この「第五類への変更説」はかなり言われていますが、ニュースで報道されることはほぼありません。馬鹿げています。

 毎日報道されている感染者数も馬鹿げた数字です。第一波の時に比べて検査体制が整い、商店街の一角でさえ検査所がある状態になっているので、検査数が比較になりません。仮に検査に対して陽性者が出る割合が同じなら、当然、発見される陽性者は爆発的に増えているのが道理です。大体にして、陽性者イコール感染者でさえありません。殆どデマです。

 と言うことで、殆どデマや都市伝説的な通称「武漢ウイルス」騒ぎの本質を今や多くの映画館さえ理解したことは、非常に健全な情報リテラシーを持ち合わせた日本人がそれなりに存在するということだと思え、非常に嬉しく思います。それで、そのような映画館を応援すべく、都内の映画館で何かを観ようと思ったのですが、如何せんマイナー作品が多くて観たいものが極端に少なく、あっても上映回数が少ないなどで都合が合わず、敢無く東京(の新宿)での映画鑑賞は取り敢えず断念せざるを得ませんでした。

 そこで、札幌に移動してから映画を鑑賞することにしました。札幌の映画館は緊急事態宣言下でも全部やっているという拍手喝采の状態です。新宿では悉く休館している大型マルチプレックス系の市内二館さえバリバリ上映中なのです。素晴らしいことです。そこで、上映終了が迫りかけているのに、東京ではどうしても都合が合わず観ることができないままでいた『奥様は、取り扱い注意』(3月中旬封切)と本作の二本にまず絞り込みました。

 この二本はどちらも観たいのですが、『奥様は、取り扱い注意』は、私の好きなテレビシリーズの方では、本田翼と広末涼子、そこに綾瀬はるかの組み合わせが楽しかったのですが、映画ではそうではないので、DVDを待つことにしました。と言うことで、『騙し絵の牙』です。豪華キャストが評判になっていたり、原作者が大泉洋のイメージ合わせて作った物語であることが話題となっていたりしていて、確かにその通りなのですが、私にはそれらが殆ど関心事になりませんでした。

 主役級で言うと、大泉洋と松岡茉優ですが、大泉洋は特に嫌いでもありませんが好きでもなく関心も湧きません。松岡茉優に至っては、おっさんで、おまけに画像記憶ができない私には、どうも(ショートカットの髪型の場合は特に)黒島結菜と区別がつかないことが多く、そのせいで、どちらがどの作品の何の役であるのかが記憶上で把握できないのです。唯一個々に認識できたのは、二人ともが出演した『ストレイヤーズ・クロニクル』だけです。

 私がこの作品を観ることにしたのは、端的に物語の舞台が出版業界、それも雑誌の出版を行なう編集部だからです。出版社を舞台にした物語はそれなりに多数あるはずなのですが、私は映画でそれを観た記憶があまりありません。パッと思い出せるのは名作の『ファッションが教えてくれること』ぐらいです。どちらかと言うとカメラマンの話に偏っている『SCOOP!』もありました。私もビジネス誌の編集部に籍を置いていたことがあるので、トレーラーで観た大泉洋演じる編集長の幾つもの発言に関心を持つところが多かったのです。

 また、私の現在のクライアント企業には出版社も存在します。索引事典専門のエッジの効いた専門出版社なので、この作品の中の出版社とは大分趣が異なりますが、そこで描かれる出版不況の状況と、そこに蠢く人々の状況打開の試みについては、非常に関心が湧きました。

 赴いたのは札幌駅の上に存在するマルチプレックス・シアター。5月下旬の土曜日の午後2時50分からの回を観に行きました。この週が最後となっていて、1日1回しか上映していません。小型のシアターに入ると、自分も含めて9人しか観客がいませんでした。1組の若い男女カップルを除いて、4人の男性も3人の女性も全員単独客でした。単独客は、性別を問わず、年齢が比較的高く、平均を取れば私よりやや若いぐらいの年齢層に見えました。

 非常に面白い内容でした。万能的な処方箋ではありませんが、市場規模も業界のほとんどのプレーヤーの業績も縮小の一途を辿っている出版業界の中の新たな生き残り策の幾つかのサンプルを観ることができるのが、まず最初の面白さです。そして、もう一つが、雑誌という媒体の生き残りのアプローチも見られることです。

 前者では、ウェブ記事との連動や出版企画と小売販売を両立させる店舗業態開発、自社コンテンツ・センター(+多目的ホール)の立上げなど、従来の紙媒体の出版スタイルからの逸脱が模索され続けます。

 それに対して、後者の方は、或る意味で正攻法の積み重ねと緊張感を持った“面白さの追求”という記事企画活動そのものでした。スキャンダルを二重三重に仕掛けて話題を作ったり、異才異能の人々を発掘しては記事化したり、老齢でマンネリを重ねている有名作家にはアニメ原作を書かせてメディア展開を推進したりするなど、非常に頷かされます。

 過去の成功体験やマンネリを排して、読者と言うお客様を飽きさせないコンテンツを用意し続けること。文字でそのように書けば、単純ですが、そのように行動することの難しさも、大泉洋が新任編集長として進める編集部内会議の場の参加者の発言や姿勢にもよく現れています。差別化、機動性、セレンディピティ、マーケット・インのアプローチなど、中小零細企業の経営を考える上でもよく使われる概念がとてもよく当てはまります。

 また、この物語には、説得のシーンがかなりあります。大泉洋は編集長役ですから、編集部員には指示命令ができますが、それ以外の、彼の直属上司である社長にも、大作家や発掘した作家などにも、指示命令ができない以上、説得するしかありません。経営で言う所の「インフォーマル・パワー」の行使です。彼の部下の松岡茉優に至っては、下っ端ですから、どこを見ても皆目上の人物ばかりです。そうすると、彼女の企画を通そうとすると、理解や共感、納得を得るために、説得するしかなくなっていくのです。「説得」と言うのは不自然かもしれません。寧ろディベートのようにも見えることがあります。

 理論・理屈で相手を納得させたり翻意させたりする場面があります。弱みを握って相手にこちらの主張を飲ませることもあります。熱量の大きい“情熱”を語って見せたりすることもあります。このような実質的に言葉で相手を動かす場面が、この作品には高い頻度で登場します。そこがまた同業にいた者として、とても共感できるのです。おまけにパンフに書かれている内輪話や解説にさえ、雑誌出版の活動の難しさと面白さが共存しています。非常に学びの多い映画でした。DVDは買いです。

追記:
 劇中で色々な形で「キバ」や「牙」の言葉を意味ありげにつなげて見せることだけは、妙にわざとらしくて少々残念でした。パンフレットにも「大泉洋演じる編集長は、牙を隠している感じがよく出ている」などと書かれています。作品を観ていて、私にはアイディア出しそのもののプロセスには微かな荒唐無稽さを伴った“妙”を感じますが、それを編集長としてぐいぐい推し進めて行くのは結構当然であるように思えます。私が中小零細企業の何たるかを学ばせてもらったビジネス誌の天才編集長も、かなり大胆な企画立案を常に回そうとしていた人でしたから、私の編集長評価の目が少々肥えているということが大きな原因であるのかもしれません。