3月12日の封切から一週間経たない木曜日の午前中に久々に行く新宿バルト9で観て来ました。午後から新宿での仕事があり、何とか午前中に片付けられるよう、普段あまり選ばない午前中の(午前10時からの)回を観に行きました。
既に8日に封切られている『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は3時間近い上映時間にも関わらず、空前の大ヒットと噂され、バルト9でも1日10回以上の上映がされているので、さぞかしロビーはエヴァ狙いの客でごった返しているだろうと思っていましたが、予想はあっさり裏切られ、ロビーはかなり閑散としていました。平日の午前中であることを差し引いても、(大学生などは事実上春休み状態のはずですし)あまりにも少ない人入りでした。
ロビーの閑散さに比べて、この作品を上映する小型のシアターに入ると観客は20人ぐらいいました。女性は3人ぐらいしかいず、20代から30代ぐらいの若い層は1人だけでした。多分、ほぼ全員、男性と二人連れだったのではないかと思えます。圧倒的多数派の男性客の方は年齢層がかなり高めで、私がほぼ平均値のように感じられました。
今月は柄にもない繁忙が月初に発生して、中々まるまる空いた時間的余裕が作れないままにいて、観に行きたいと切望している『DAU. ナターシャ』は新宿ではやっていないどころか、行きたくならない渋谷のシアター・イメージフォーラムと上映回数の少ない吉祥寺のミニシアターでしかやっていず、都合が合わずに行けないままになっています。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は3時間近い長編で午前中は(体内に睡眠時の水分が多く残っているため)トイレが近くて鑑賞に支障が出て、おまけに(今回のバルト9ではそうでもありませんでしたが)大混雑が予想されるので、終電後の深夜帯に観に行きたいのに、通称武漢ウイルスに恐れをなした映画館が自粛モードで午後8時以降上映していないので、観ることができず…と、観たい映画を観に行けない状態が続いています。
月の後半にかけては『奥様は、取り扱い注意』、『騙し絵の牙』、『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』、『テスラ エジソンが恐れた天才』など、観たい映画が集中していますが、これらはあまり上映回数が増えそうにないので、先述の空き時間の都合上、どの程度観に行けるかがかなり怪しい状況です。そのような中で、今回の空いた木曜日の午前中にせめてノルマ2本のうちの1本だけでも潰しておかねばと、かなり真剣に物理的な上映場所や内容や時間長などを吟味して、漸く辿り着いた答えがこの『アウトポスト』でした。
映画の魅力として、普段なら観に行くことにならない程度のものしか感じません。たとえば、先日DVDで観てまあまあ面白かった『ハンターキラー 潜航せよ』の制作陣なので多少は期待できそうとか、クリント・イーストウッドの息子とメル・ギブソンの息子とミック・ジャガーの息子が出演しているとかいう話が(どうせ見ても分からないものの)少々面白そうとか、久々に見るオーランド・ブルームは一応顔が分かるよね…とか、その程度の薄い理由が幾つか見当たる程度のことです。それぐらいにノルマ消化のための純粋さの高い動機で観に行きました。
使い勝手が格段に劣化した元MovieWalkerの代わりに観ている映画.comの紹介文に「09年10月3日、アフガニスタン北東部の山奥に置かれた米軍のキーティング前哨基地で、300人以上のタリバン戦闘員に対し、約50人の米兵が立ち向かった「カムデシュの戦い」を映画化した。アフガニスタン北東部に位置するキーティング前哨基地は、米軍の補給経路を維持するための重要な拠点とされていたが、四方を険しい山に囲まれた谷底に位置しており、敵に包囲されれば格好の的になってしまうという弱点があった。」と書かれていますが、そのまんまの映画です。
全く馬鹿げた前線基地の位置取りで、素人が考えてもあり得ないような、周囲360度をほぼすべて切り立った斜面に囲まれたド真ん中の谷の中心に基地が存在し、そこを死守しなくてはならなくなった米兵たちの戦いを描いています。アフガニスタンでの戦いの中で、米軍にとって最悪の戦いだったと述べられ、12時間に及ぶ戦闘だったとされていますが、米軍の死者は一桁です。
もちろん、一桁だから構わないという意味ではありません。人命は大切で尊重されるべきものです。しかし、比較的現代に近い所ではベトナム戦争とか、朝鮮戦争などに較べると、死者数は事実上ものの数ではありません。寧ろ、多大な死者を出しながら果敢に攻めよってくるタリバン側の方が被害甚大で、劇中で見る限り、白兵戦の段階でも、死者数はタリバン側が米軍の20倍は出しているように思えます。その後、ヘリやら戦闘機やらが駆け付け爆撃を開始するので、スクリーンで見る限り解説文にある300人のうち半分以上は絶命していそうです。
この構図は他の欧米国軍主役の戦争映画に共通しています。たとえば、比較的最近観た『デンジャー・クロース 極限着弾』もそうですし、DVDで観た『ブラックホーク・ダウン』でさえ、夥しい数の現地人が射殺されています。このような中で、「米軍最悪の…」のようなことを言われると、「その程度は敵軍にとっては全然最悪にほど遠い」と誰かに言い返して貰いたいものだと思えてきます。
基本的に空からの支援がなければ、非常に守りにくい基地であるのは間違いありません。その点で、確かに悪天候だったかの理由で航空支援が来ない間、基地の米兵達は(先述のように死傷者の被害で見れば余程タリバンの方が甚大ですが)今までにない苦戦を強いられています。劇中では説明されていませんが、パンフには元々この基地が現地人向けの民生支援拠点として設けられていて、戦闘を目的としていなかったことが、この場所の理由であると書かれています。確かに、切り立った山の稜線上に太い移動ルートを作ることはできないでしょうから、普通の移動ルート上の補給基地として考えると問題のない位置です。ところが、米軍を攻撃するタリバン側はこの攻め易い基地に目をつけ、執拗に攻撃を仕掛けてくるようになり、結果的に米軍もここで軍事作戦を展開せざるを得なくなったということのようです。
ならば、この基地を取り囲む山のうちの一つないしは複数に軍事拠点を作れば良さそうなものですが、そのような土木工事をタリバンとの戦闘を展開しながら行う余力が米軍にはなかったという話でもあるようです。
いずれにせよ、タリバンにとって、この基地は恰好の攻撃目標でした。軍事的に優位な火力を持つ米軍に対して、タリバンはかなり周到な準備を重ねています。米軍側は先述の民生支援活動の一環として部族の長老などを招いて会合を行ない、学校建設などを持ちかけています。その会合にはタリバンのメンバーらしき若者が多数参加していることが劇中で描かれています。また基地内部には現地のアフガニスタン国家の正規軍のような人々もいますが、彼らも常にタリバンから買収されやすく、基地内でスパイ行為を働くことが起きているようでした。
さらに威力偵察です。頻繁に少数の人間による基地への攻撃を周囲の山々から仕掛けて、米軍の反撃の射程や範囲などを明らかにしつつ、米軍を疲弊させていく戦術です。(一部例外はいるものの)戦死しては入れ替わっていく基地司令官の一人は、タリバンの威力偵察の場所を米兵部隊にパトロールさせています。そのポイントからは、基地が丸見えで、発電機や武器庫、そして反撃の要となる迫撃砲と二台の戦術車両などへの攻撃が非常に簡単にできることが確認されています。手練れの米兵の一人が「自分が攻撃する立場なら…」と自分の基地の危うさを冷静に分析する、この映画の中で最もシリアスで印象に残る場面です。威力偵察が十分になされた後、タリバンは総攻撃に打って出て来たのでした。
ところがです。タリバン達はあれほど威力偵察を重ねたのに、全く戦略的な動きを見せません。劇中のセリフやパンフの解説に拠れば、部隊の運用に米兵が優れていて、さらに士気が高く維持され、航空支援が到着するまで持ちこたえたことが米軍の勝因と言われています。しかし、劇中で見る限り、米軍勝利と言われる結果をもたらしたのは、タリバンの馬鹿げた突撃戦略が最大の要因に見えます。
わざわざ手練れの米兵の口から解説させているように、最初に武器庫と発電機を叩けば、後は手持ちの武器と弾薬だけで米軍は戦わざるを得ません。おまけに航空支援を呼ぶこともできません。RPGはかなりの数を持ち合わせていたようですから、この二ヵ所に集中的な攻撃を加えれば良かっただけなのです。それをやるだけなら、夜陰に乗じて実行することもできたでしょうし、スパイを送り込んで、徐々に波状的に破壊し尽くしていくこともできたかもしれません。それを全くしていないのです。
おまけに迫撃砲は基地に近寄られると使い物になりませんし、戦術車両二台はちょっとした障害物に乗り上げるだけで簡単に動けなくなっています。特殊なつくりなのかもしれませんが、フロントガラスにひびが細かく入るだけで前が見えなくなり、事実上運転ができなくなっています。なぜタリバンはこういった弱点を突く作戦を実行しようとしないのかが全く理解できません。
迫撃砲の攻撃は山間部から行ないつつ、RPGを携行した者は徐々に迫りつつ、残りの戦闘員は手に手に銃を携えて、四方の山からただワーッと迫り寄るだけなのです。これでは恰好の的です。片っ端から米軍の機関銃の餌食になって行きます。なぜ戦力を十二分に活かす作戦を立てないのかがよく分かりません。
上述のようなことは私が素人ながらに思いついたことではありません。かなり戦略的に練られたストーリーが展開することで知られるコミック『アンゴルモア 元寇合戦記』では主人公が元軍の基地に対して小戦力でもかなりの打撃を波状攻撃で与えています。その戦略は、威力偵察の積み重ねからのピンポイントの攻撃に切り替えていくものです。
入念な作戦立案は『硫黄島からの手紙』は栗林中将を演じた渡辺謙が実演して見せてくれていますし、『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男』でも、僅か47人の部隊で45000人もの米軍を(島民をかくまい保護しつつ)翻弄し続けた、竹野内豊演じる大場大尉が素晴らしい戦略性を見せてくれます。このような戦略性に比べて、タリバンの攻撃は稚戯と言って良いぐらいです。
それでも、この戦闘までに何度も米軍本部では撤収を議論させるまでに至らせ、結果的にこの戦闘の直後に米軍に基地を放棄させたのですから、映画で言われるような米軍の勝利はタリバン軍が最終的に撤収したというだけの事実を指しており、戦局総体で見ると、タリバン軍は十分目的を果たしたといえるように思われます。このような稚拙な作戦を積み重ねても、甚大な人的被害を出しつつ勝利が得られるのなら、最初からもっと効果的な作戦を立てられないものかと本当に疑問で仕方がありません。
ちなみに、『デンジャー・クロース 極限着弾』でも、RPGは構えてから発射するまでにやや時間を要するのか、米兵が敵がRPGで攻撃をしようとすると「RPG!!」と叫んで皆で直撃を躱そうとする様子が何度も描かれています。パンフを見ても何の略か書いていないので、ウィキで見ると…
「ロシア語の「ручной противотанковый гранатомёт(ラテン文字転写:ruchnoy protivotankovyy granatomyot、ルチノーイ・プラチヴァターンカヴィイ・グラナタミョート、「携帯対戦車グレネードランチャー」の意)」のアクロニムである。英語では「rocket-propelled grenade(ロケット推進グレネード)」の略とされるが、これはバクロニムであり、厳密には誤りである。」
とあり、英語ではないことを初めて知りました。(ついでに「バクロニム」という言葉も初めて知りました。どこにでも学びはあるものです。)何度聞いても平和ボケしている日本人なのでロール・プレイング・ゲームが連想されてしまうのですが、漸く意味が分かりました。起源は第二次大戦中のドイツ軍まで遡れるようですから、非常に息の長い優れた武器ということなのだと思いました。
先述の栗林中将や大場大尉の非常に高い戦略性の例外を除いて、あまりに馬鹿げた作戦が多く、祖父をガタルカナルで無駄死にさせた第二次大戦の日本軍の戦記モノを小説でも分析本でも映画でも、私はあまり観ることがありません。この作品も米軍は悪環境下でやれることをやったという印象で、タリバン側は戦略なき特攻で徒に人命を消耗しただけのように見えます。米軍の現地人に対する懐柔策の実際が描かれたのは珍しいように感じますが、タリバン側のあまりに杜撰な戦いを再度観たいとは思えないのでDVDは不要です。