10月23日公開の作品です。多分、テレビの『王様のブランチ』で何かを見たような気がしますが、定かではありません。見に行ける映画の日程を調べて都合が合う作品群の中にあって、多部未華子を観たくて選びました。
封切から約3週間の金曜日、新宿ピカデリーで11時45分からの回です。1日2回上映されていますが、上映館数も少なく、あまりメジャーな映画とは言えないように思います。シアターに入ると、30人ぐらいの観客の7割近くが女性でした。単独客も二人連れもいました。年齢層は20代後半ぐらいからそれなりに高齢な層までの広がりがあります。少数派の男性客の方は高齢な方に偏っていて、私もかなり下の方に位置していたと思います。
色々な解釈の成立する余地がふんだんに残された作品ですが、女性の生き方を繊細に描いた映画であるというのは間違いないと思います。それを観たいと思える女性がこれだけの数存在するのか、EXILE系のグループメンバーらしい脇役の男優を観たいが故の女性客なのか私には分かりませんでした。
多部未華子は年齢の割に映画作品の出演が少なく、あまり劇場で観掛けることがありません。それでも印象にそれなりに強く残っていたのは、先日二度も劇場で観た『日日是好日』だと思います。『日日是好日』の感想では多部未華子についてこんな風に書いています。
「元々、以前AVメーカーのクライアントさんがいた当時、そこの制作部長と制作方針などについてよく議論をしましたが、彼が好きな女優が多部未華子で、AV女優の容姿や(非濡れ場の)演技のスタイルなどを語る際に多部未華子が言及されていました。その主旨をくみ取るために、当時私は多部未華子の画像や発言などをネットでリサーチした覚えがあります。私もPCのWiMAXの関係で契約があるUQのCMでの彼女がメディア上で長く印象に残っていましたが、偶然DVDで観た『源氏物語 千年の謎』で少々好感を抱き、『あやしい彼女』でその好感が増しました。」
私にはUQモバイルのCMと『日日是好日』の印象がやはり非常に強いのですが、もう一つ、彼女を観てみたいと思ったきっかけがあります。それは最近読んだ『高畑充希が演じる役はなぜ忖度できない若者ばかりなのか』という書籍が多くの若手女優と数人の男優の出演テレビ番組での役柄を分析している内容なのですが、その中に多部未華子が記述されていたことです。
私は殆どテレビを観ないので、この書籍の内容は非常に新鮮でした。多部未華子については、『鹿男あをによし』、『デカワンコ』、『ジウ 警視庁特殊犯捜査係』、『ドS刑事』、『これは経費で落ちません!』、『私の家政夫ナギサさん』などにおける彼女の役柄が紹介されていました。曰く「真面目にみられる女子の苦悩を一手に引き受けてる」のだそうです。確かにそうであるかもしれません。ただ、映画で観る限り、『日日是好日』では、習っていたお茶もある日ポンと辞めてしまい、キャリアに走ったかと思えば退職して田舎で結婚をすぐ決める要領の良い女子でしたし、『あやしい彼女』では若返ったちゃきちゃきの老婆でしたから、どうも違う感じがしていました。それを確かめてみたい気がしたのです。
先述のAV制作会社の制作部長や世間の評価と違うかもしれませんが、私はあまり多部未華子が美人顔だと思っていません。特に「凄く観たい」と思える女優でもありません。私にとっては演じる役のイメージも自分の中で確定していないほどの存在です。しかし、この「真面目にみられる女子の…」のイメージは存分にこの映画で発揮されていたようには思いました。
この映画をもう一つ観に行ってみたいと思えた理由は、タワマンの生活を描いた映画であったことです。一時期のブームから近年、武蔵小杉の浸水事件などをきっかけに、一気に海外オーナーも引き上げつつあり、価値が暴落しているなどと聞くタワマンの生活が時々テレビ番組で紹介されているのを(TV自体あまり観ないので、年に数回あるかないかぐらいですが)観掛けます。有名人のお宅訪問とか、社長さんのお宅訪問と言った感じの番組です。
貧乏人の僻みも無意識のうちに多分に混じり込んでいるのかもしれませんが、どうも私はタワマンの生活が素晴らしいものに見えません。何か不自然なものを感じるのです。元々マンション暮らしも高い階に住んだことがありませんが、何かあった時に地上に出るまでに時間がかかる状態が不自然に感じられたり、無機的に羅列された箱の中に多数の知らない人間が寝泊まりしている状態が(各階を横断して断面的に上から覗いたらどんな風景になるんだろうかなどと考えては)不自然に感じられるのです。
そのような生活の虚しさや空虚さ、疎外感と言ったものを、私がまだ見ぬ「真面目にみられる女子の苦悩」を以て多部未華子が表現するのを観てみたかったというべきかもしれません。なるほどと頷ける結果でした。多部未華子のアンニュイなことアンニュイなこと。古民家のようなオフィスに数人の業界人臭い若手編集者が集まって仕事を進める零細出版社の編集者なのですが、両親が事故で同時に亡くなってしまい、実家を引き払って、叔父夫婦が持っているタワマンの一室を管理人として住むという建前で家賃ゼロ生活を始めるのでした。
非日常的な日常がじわじわと彼女を蝕んで行くのが分かります。同じタワマンに住む若手スター俳優と知り合い、初対面で「オムライスを作ってくれるか」と聞かれて自分の部屋に招き、二度目に彼が訪れた際にはセックスをします。本来夢のような展開ですが、現実感の無さに、実質セフレ状態で密会を重ねます。そのうち、環境変化のストレスや慣れない人間の出入りによる極度のストレスから愛猫が突如死にます。「不自然さ」を誤魔化すことなく受け止めた「象徴的な死」であるように感じられました。時を同じくして、色々な人間関係が創り上げられているように見えて、すぐにその脆さを露呈していくような展開が続きます。
この映画には主役級で多部未華子の他に二人の女性が登場します。一人は多部未華子演じる女性の叔母に当たる女性で、多部未華子の叔父に比べてかなり若い妻です。夫が出張か何かで出かけている間にタワマンで空虚な生活に苛まれています。子供が欲しいと夫からは望まれていますが、それに応えられないままに、年を取って行き、いつか諦めることを受け容れなくてはならない未来から目を背け、酒に逃げることもよくある生活です。
もう一人は、多部未華子の後輩編集者です。デキ婚の結婚式直前の妊婦ですが、実は胎児の父は自分が担当している作家のおっさんです。おっさんが妻子のある身と分かっていて、子供を作り、おっさんにそれを告げ、何を求めるでもなく、自分の未来の夫にも職場の多くの同僚にも事実を隠し、医師にまでも産み月を偽った状態で、前に進んで行こうとしていますが、その実、自分のしていることの呵責に押し潰されそうになっています。
猫が死ぬのと後輩編集者が路上で破水して病院で緊急出産に至ることしか大きなイベントが起きません。ハラハラドキドキする場面もありません。口論になるような場面も一応あるにはありますが、ほんのわずかでしかありません。多部未華子の濡れ場らしきものも殆ど描かれません。
タワマンに暮らして押し寄せてくる日常の空虚さと向き合わざるを得なくなる二人と、人生を賭けた嘘の重圧に耐え続ける一人。そんな彼女達のうち、二人は結局タワマンから出るようなことにもなりませんし、後輩編集者も新生児をベッド脇に見つめて腹を括って生きていく決意をします。つまり、三人が三人とも状況として何も変わらない人生を歩んで行く所で映画は終わるのです。大団円もありませんし、盛り上がりも救いもほぼありません。けれども、その三人の日常のささやかな抵抗や足掻き、藻掻きが丁寧に繊細に描かれた作品だと思いました。その物語の中心にいる多部未華子は間違いなく、「真面目にみられる女子の苦悩を一手に引き受けて」いました。DVDは買いです。