『ランボー ラスト・ブラッド』

 6月下旬の封切からだいぶ時間が経ちました。クライアントさんから「観てみてくださいよ」と頼まれて、「じゃあ、2008年に『ランボー 最後の戦場』も観ているし、観てみるか」と考え至った結果です。勿論、背景には通称「武漢ウイルス」の脅威を声高に叫ぶオカミの圧力に屈した、蒙昧な映画業界の自粛政策によって、上映スケジュールがぐちゃぐちゃになり、その結果、観るべき映画の計画が非常に立てにくくなっていることがあります。

 よほどの人気作であったようで、7月・8月を経て未だにそれなりに上映館の数があります。しかし、上映回数にはかなり翳りが出てきており、新宿では既にゴジラ生首映画館一館で上映回数が限られ、予定が全く合わない状態だったので、神田から南東に少々歩く映画館に行くこととなりました。そこでも1日2回の上映回数でした。

 映画『ランボー』の原題は『First Blood』で、これでは意味が通らないとされて、邦題で『ランボー』とつけたら大ヒット映画となったと言われています。その第一作が first で、今回が正真正銘 last だということになっているのだと思います。スタローンもパンフで見ると今年で74歳で、流石にこれが最後かもしれませんが、直近の前作も2008年の『最後の戦場』で「最終作」感を漂わせていたのですから、この後また作られても不思議ではありません。

 8月上旬の木曜日、午前中には『MOTHER』を観て、再びTOHO系列の映画館におカネを落とすことになりました。午後2時半からの回にギリギリ滑り込みました。実は、久々に行ったら、場所がよく分からず、さらに、エスカレータでの折り返しの踊り場での案内が非常に分かりにくいため、劇場に到達できず、さらに道を尋ねたスタッフの案内も分かりにくさを補っていず、現地付近に到着してから貴重な時間を5分以上ロスしました。

 シアターに入ると、約20人の観客がいました。私が気付けた範囲で女性はたった2人で、他は全員男性です。女性二人もそれほど若くはありませんでしたが、少なくとも男性のパッと見の平均年齢の60代ぐらいに比べれば、かなり年齢が下回って居そうに思えました。往年のランボー・ファンとか往年のスタローン・ファンということなのかもしれません。

 いつも思うことですが、私はスタローンが非常に好きと言うほどのことはありません。好きでも嫌いでもないぐらいの所で、ボソボソ話す英語の発音がほとんど聞き取れないことから、少々イラッとくるというぐらいの印象です。今回もほとんど何を言っているのか分かりませんでした。『ランボー』シリーズは結局全部観ていますが、他はほとんど観ていません。彼の代表作とは到底思われていない『デモリションマン』や『ジャッジ・ドレッド』ぐらいしか観ていません。あとは、カメオ出演している『ステイン・アライブ』と『メン・イン・ブラック』で、「あ。出ている」と思ったぐらいのことかと思います。

 おまけに、子供の頃、週刊誌ではなくコミックで、それもどこかの床屋や病院の待合で読んだと思われる『ハイスクール!奇面組』で「シルベ・スタスタロン」とかいうキャラが出てきたのをなぜか鮮烈に覚えていて、どうしても、スタローンの名を頭に浮かべると、「シルベ・スタスタロン」がセットで浮かんできてしまいます。その程度の認識です。

 ですので、今回はメキシコが劇中半分以上の舞台で、そこではほとんど英語が話されていず、アリゾナのランチ(牧場)に戻っても、ランボーの同居人は普段はスペイン語を話す老婆で、おまけにランボーの英語はほとんど聞き取れませんし、口数も少ないので、実質、字幕だけで理解するスペイン語映画とあまり変わりませんでした。

 シリーズ最終作と目されているこの作品では、初めて戦いが戦争絡みではありません。PTSDには苛まれていて薬瓶を手放さない状態ですが、戦う相手はメキシコのたかだか10台にも満たないSUVに乗り切る人数の麻薬売人組織ですし、戦うきっかけは、家族同然にしている高校生(卒業してもうすぐ大学に行く状態)の女子が、その組織に拉致され人身売買に投じられることになったからでした。単なる(リーアム・ニーソンの『96時間』シリーズのような)家族を守り取り返す男の戦闘劇と言う位置付けになっています。

 確か第二作である『ランボー 怒りの脱出』は、彼が作戦行動中に交流を持った少女が殺されたことから、彼の暴走が始まったような気がするので、或る意味、復讐劇系であるのは今作も同じです。ただ、(血縁ではないようですが)家族を守るオッサンとしての戦いであることが、シリーズの中で異色であると思います。映画の前半、止めたのに聞かず、わざわざ犯罪者の巣窟のような所に住む実の父親を訪ねてみたいと、JK卒業娘が言い張り始めます。実の父親はクズ男でしたが、訪問したところまでは取り敢えず無事に済みます。ところが現地に住む昔の友人である同年代の女子がただのチンピラに成り果てていて、人身売買組織の罠にJK卒業娘を引きずり込むのでした。

 ランボーの最初の目的は彼女の救出でしたが、時すでに遅く、JK卒業娘は現地の汚職警察官の集団らなどに散々犯された後でした。救出に行ってみたら、多勢に無勢で(それなのに、不思議なことに、全くイミフな根拠で)命だけは奪われない状態でボッコボコにされます。おまけに、彼が救いに行ったことでJK卒業娘は、イカレた軍人上がりのオッサンが救出に来る特別な存在と認識されてしまい、他の監禁された娘達とは異なり、シャブ漬けにされた上で客を取らせられることとなります。つまり、ランボーは不用意に突撃して、状況をイタズラに悪化させたことになります。

 麻薬組織を調べ上げている現地の女性ジャーナリストに救出され、4日後に目を覚まし、売春宿からJK卒業娘を救出しますが、彼女は既にシャブの打たれ過ぎで米国への帰途の夜のハイウェイ上で絶命します。最初の一発目できちんと調査の上、いつもの本領を発揮していれば、彼女を死なすことはなかったでしょう。

 それで、『ランボー 怒りの脱出』よろしく、復讐劇が始まります。1対SUV10台弱に乗り切る人数との戦いが始まります。と言っても、シリーズの他の作品に比べて、敵が圧倒的な軍備を持つプロ組織ではありません。どうも戦いのスケールがこじんまりしています。おまけに、わざわざSUV集団をアリゾナのランチの彼が散々ブービー・トラップを仕掛けた地下迷宮に引きずり込んでの話なので、何か盛り上がりに欠けます。

 勿論、事前にランボーが妙にレベルの高いDIYみたいなことを地下の洞窟状のスペースで熱心にやっているシーンがそれなりの尺で描かれているので、「ああ、あれはやっぱり落とし穴の中に上向きに並べられた杭と言うことだったんだ」とか、ブービー・トラップが炸裂するごとに、多少のカタルシスがありますが、たかだか機関銃を持った20~30人程度の人間を倒すだけなので、面白くないのです。歳をとってしまっているとは言え、弓矢で戦車を爆破して回るイカレ退役軍人の話から、いきなりこれでは、拍子抜けします。

 前作の『ランボー 最後の戦場』の際は、最終的に敵の武器を奪ったりして、ミャンマーの軍と激戦をジャングルのような所で展開しますが、その際も、結構激しい人体破壊シーンが話題となっていました。私はこのブログで…

「スプラッタ的とは聞いていて、どれほど酷いかと思っていましたが、瞬間瞬間ではかなりそう言ったシーンが続出しているのですが、動体視力の弱い私には、何やら、「あ、首が飛んじゃっている」とか、「ん、今の爆発で吹っ飛んできたのは、腕?」とか、「なになに、ナタで四肢を切っちゃうのを大量虐殺の傍らやっているような奴が居たような」とか、思っているうちに、どんどんシーンが進むので、殆ど気になりませんでした。」

と書いています。

 今回R15+指定であるのは、どうもやはり、この人体破壊系の描写によるもののようで、前作に比べてスピード感もなく、破壊力も今一なトラップが多いので、あっという間に流れ去るような勢いでは人が死んでいきません。それなりにじっくり人体破壊シーンを見せます。ですので、往年のスプラッタ映画などを彷彿とさせるような場面もありますが、特に不意を衝いて驚かしてくるような人体破壊シーンではないので、「ハイハイ。さっき先を削ってとがらせていた奴ね。敵の頭、ふっ飛ばしちゃうんだね」と辻褄合わせをしながら観るぐらいの心の余裕を持てます。

 家庭人ランボーも本当に求められていることなのか怪しいですし、米国の敵がいなくなって、メキシコとの国境に壁を築かなくてはというご時世ですから、メキシコの悪役、つまりは麻薬集団と戦わざるを得ないのかもしれませんが、どうも、「これが、ランボーかい?」という印象は拭えません。どうせ世界の敵と戦うのなら、今時、東シナ海か南シナ海に行って、中国軍と一人で戦いを繰り広げるとか、その過程で通称「武漢ウイルス」に感染するものの、74歳にして尚回復してウイルスとの戦いにさえ勝って見せるとか、そういう話であっても良かったのではないかと思えないではありません。

(大体にして南沙諸島の問題では、ランボーの因縁の地、ベトナムも紛争国の一つですから、話が何か成立させやすそうに感じます。ベトナムに乗り込んだら、『ランボー 怒りの脱出』の時の少女の母も姉妹も実は韓国軍に強姦の上惨殺されていたのを知り、逆上して韓国に渡って、韓国軍基地を壊滅させるとかでも、面白そうです。)

 私なら、止めても一人で国境を超えるバカ娘と、一緒に捕まったクラブで遊び呆ける女子達が、輪姦されシャブ漬けにされてボロボロになって行くプロセスにそれなりの尺を割いたVシネチックな映画に仕上げた方が、R15+の指定がより効果的に使いまわせたのではないかと思えます。しかし、どうもその手の女性差別的・性的な描写はハリウッド映画で出すと、文化的に不評であるのみでなく、性の文化が未熟な欧米なので、どうも陳腐な「あーあー。わーわー」騒ぐだけのセックス・シーンの連続になって見栄えがしないという問題も出そうです。往年のヒットVシネ・シリーズの『監禁逃亡』のような悲哀が滲み出る展開の方が余程ドラマチックになりそうです。

 大分、ポリコレが普及浸透していることが背景なのか、(メキシコ人やヒスパニック系米国人からどのように見えるのか分かりませんが)少なくとも、前作に比べれば、人種の差別感はほとんど気にならない状態に仕上がっていました。だからと言って、それで面白さが(減る訳でもありませんが)増える訳でもありません。

 何か中途半端な位置づけの映画になってしまったのは、時代の流れに無理矢理にランボーを合わせてしまったからなのかもしれません。何か…

「ボケて小用さえ自分で覚束なくなってきていて、癲癇の症状で全三次元方向数十メートルに渡って人間を麻痺させる迷惑なだけのエグゼビアや、足腰もおぼつかなくなり、ケンカも弱くなり、傷の治りもどんどん悪くなる一方の老眼のローガン(=ウルヴァリン)」

を延々描いた超駄作の『LOGAN/ローガン』の“残念さ”と同質のものをこの作品も僅かに持っているように思えるのでした。DVDは当然不要です。