『架空OL日記』

上映館数が非常に偏っていて、関東では20館ありますが、北海道0館、関西8館、九州11館と何か評価に地域のばらつきがあるように感じます。23区内ではたった6館しかなく、当然、新宿でも1館しか観られる映画館がない作品です。

2月末の封切から一週間余りを経た月曜日。1日4回の上映のうち午後7時15分からの回を歌舞伎町のゴジラの生首映画館で観て来ました。余程2次元を超える上映には人気がないのか、2次元を超える効果があるとは全く思えないこの作品の上映は、MX4Dの上映専用のシアターでした。私は3D上映でさえ、たった一度『トイ・ストーリー3』を観てから、「もう十分」と思えたので、全く観る気がしません。当然、風だの水飛沫だの席の揺れだのがリアルだと噂を聞いたことがあるMX4Dの映画は全く観たことがありません。専用シアターに入ったのも初めてでしたが、妙に高い位置にあるごつい椅子は、到底座り心地が良いものではありませんでした。また、揺れる効果を実現するためのものと思いますが、座席がきちんと固定されていないのか、後ろの座席の人の足や、列を移動する人のカラダなどがぶつかるたびに不必要に動くのも、非常に違和感を催す種でした。

私がシアターに入った時点で40人以上は観客がいました。男女構成で言うと、もしかすると、女性が9割近くに及ぶ初めてのケースかもしれないと思いました。上映時間に余裕を持って入っていた女性は概ね平均年齢が高く40代以上でしたが、上映時間にギリギリに入ってきた10人程度は明らかに20代の女性ばかりで、女性の平均年齢を大きく引き下げました。男性の方は見渡す限り数人しかおらず、年齢構成は若い方に比較的シフトしていて、男女のカップル客の片方と言うケースが半分ぐらいはあったように思います。

ウィキに拠ると…

「『架空OL日記』(かくうオーエルにっき)は、バカリズムによる書籍。バカリズムが2006年からOLになりきって架空の日常を綴ったブログ「架空升野日記」を書籍化したものである。2013年に小学館文庫から2巻を発行。 2017年4月13日より読売テレビ制作にてバカリズム原作、脚本、主演で連続ドラマがスタート、2020年に同じくバカリズム原作、脚本、主演で映画化。」

とのことです。私は原作の書籍もテレビ・ドラマも全くその存在を知りませんでした。この作品を観に行くことにして、映画の解説を読んで初めて上述のような事実関係を知りました。架空のキャラを誰かがネット上で演じるのは、それほど珍しい発想ではありません。私も遥か以前に、若い女性を顧客として多数抱えるクライアント企業のSNS方針を具体的に検討するために、それらの若い女性と同年代の女性の架空の人物をFacebook上に設定し、そこに表示される広告のありかたなどを研究したことがあります。古くは“ネカマ”などと言う言葉もある通り、よくあることであろうと思います。

ただ、勿論、その内容が実を伴うもので、高い質を維持し続けるのは至難の業であることも十分知っているつもりです。この作品の原作となっているバカリズムのブログは、その偉業の一例であったが故に、テレビ化の後、数年を経ても映画化されるようなものであったのだろうと思われます。

私がこの映画を観に行こうと思った理由は、このポイントです。マーケティングのプロセスには、自分がターゲットとしている人物像のライフスタイルや価値観をきっちりシミュレーションする過程が必要です。それもその人物像に近い人物達が自覚できないようなニーズを先回りして把握することができるほどに、精緻な理解でなくてはなりません。バカリズムがブログで行なったことは、何かの商品の販売行為を目的としたものではありませんが、原理的にはマーケティングの「ターゲット・カスタマーの理解」を高品質で行なったことであると思えます。その成果物を見てみたいと思ったのが最大の理由でした。

観てみると、特に驚くべきレベルのものではなかったように思います。非常によくトレースされていますが、各種の年齢の若い女性エッセイストなどの日常描写や心象風景などを読めば、特段、この作品の内容が凄いものには見えません。勿論、これを男性が行なっているという点は、言わば“生産工程”の妙として素晴らしいものだとは思っています。ただ、結果として描かれた銀行の支店で働く一般職系OLの日常の視点は、完全に想像の範囲なのです。

花見の季節が近づいてきましたが、この映画はまるで「津軽海峡の北限を越えて、函館でソメイヨシノを咲かせる取り組みが成功しました」というニュースと同じような位置づけです。確かにその実現の努力は大変なモノであったろうと思いますし賞賛に値しますが、結果咲いたのは、普通の美しい桜でしかありません。

日常視点のヒダの細かさで言うと、私には30年を超えるロング・ヒット・コミックである『OL進化論』を超えるものには見えませんでした。単純に、複雑なクリエイター女性視点と言う特化した価値観を楽しむという意味で、私は、本谷有希子の「かみにえともじ」などを愛読していましたが、そこにあったような“特異”感もありません。その他にも、各種のブログや紙媒体で登場する女性のエッセイなどを読むと、優れたものや、たくさんの新たな気づきをもたらすものは、豊富に存在しています。

『OL進化論』を読んでいると、私でさえ、ついクスリと笑ってしまうことがありますが、それと同様の笑いは鑑賞中何度も起きました。そして私がちょっと笑う程度のことで、シアター中のあちこちから私以上の笑いが聞こえて来ましたから、この映画の楽しみ方は、やはり私の想定であっているのだろうと思います。終了後、三々五々シアターを出て行く若い女性達が、口々に「自分を見ているようだった」などと語っていたのも、その証左だと思います。

先述の通り、内容そのものに驚きはありませんでした。ただ、この作品を観て、私が一つ痛感させられたことがあります。それは日本人が形成する高コンテキスト化されたコミュニケーションの実態です。「空気を読む」とか「立場を弁える」とか「慮る」などなど。日本人のコミュニケーションは表面に出ている物事の背景事情や構造を読み取らなければ成立しません。そのコンテキストの読み間違いや読み逃し、さらに、元々コンテキスト読み取り不可などの事象をOLの日常から肌理細かく拾い上げたのが、この作品や『OL進化論』の面白さだと思っています。

それではこのような面白さを多くの非日本人は世界において日常で感じているのかと考えてみると、結構有り得ないように感じます。ボードリヤールも認める高度な記号消費社会の日本だからこそ成り立つ笑いであり愉しみであるように感じられてならないのです。

映画館に足を運ぶ前にこの映画の解説を読んで、微かな鑑賞動機になったことがあります。それは、比較的最近自分的にはそれなりのヒット作だった『ブルーアワーにぶっ飛ばす』の主人公達二人(夏帆とシム・ウンギョン)がこの映画で共演していることです。シム・ウンギョンの方は、安定した優秀外国人枠を安定的に演じて見せてくれています。『ブルーアワーにぶっ飛ばす』では、奔放で破天荒でさえある役柄でしたが、今回はモロに韓国人役なので、より光っているように思えます。

夏帆の方は『ブルーアワーにぶっ飛ばす』の方が今までの彼女が演じた役柄に比べかなり飛躍がある役どころで、ここ最近プロモーションが激しくなっている新作『Red』の背徳に溺れる姿と並んで、少々イメージがあっていないように感じていました。(このイメージ・ギャップは若い頃の黒川芽以を観ようとレンタルした『ケータイ刑事』シリーズのDVDで少女時代の夏帆を観て余計に強まりました)それに比べて、今回の作品でのジムでトレーニングに励むリアリストOLはかなり無難にこなせていて好感が持てたように思えます。元々、私の印象に残っていた夏帆は『予兆 散歩する侵略者 劇場版』や『海街diary』、『箱入り息子の恋』などの彼女であったからだと思います。

面白い作品です。最後にバカリズムが非実在であるとする種明かしは、まるで『ブルーアワーにぶっ飛ばす』のシム・ウンギョンのキャラがラストで消えてしまったように、少々違和感がありました。少なくともこの作品であのラストはあまり必要ではなかったように感じました。それでも尚、“実験的作品”という観点での価値はとても大きな優れた作品です。DVDは買いです。

追記:
 課長職のキャリア系女性を坂井真紀が演じています。少なくとも、つい『ノン子36歳(家事手伝い)』が真っ先にイメージとして思い浮かび、辛うじて『その夜の侍』の亡妻ぐらいしかイメージできない私には、あまり見たことのない坂井真紀の役柄で、エンドロールが流れるまで、これが坂井真紀と認識できませんでした。