『星屑の町』

3月上旬の封切からたった二日後の日曜日。午後2時半からの回を靖国通り沿いの映画館で観て来ました。1日4回の上映。全国でも上映館は、23区内ではたった3館でしかやっていない映画です。

上映25分前にチケットを買ったら、カウンターのモニターには観客数が59人と表示されていました。私がシアターに入ってから、さらに10名ぐらい増えているように見えました。男性客が圧倒的に多く、8割がたに見えました。初老の感じの男性客、それも単独以外にそこそこ二人連れも目立つ感じです。過半数は70代以上と言う高齢層でした。女性客は2割程度で、どちらかというと40代から50代と言う感じでした。

私がこの映画を観に行くことにした理由とは全く別に、一番の人気理由はムード音楽を懐かしむ人々が多かった故のこの観客動員状態なのかと、客層を見る限り考えられます。他には、2014年の『海月姫』以来の映画出演ののん人気である可能性も多少はあるでしょう。(実際には、静かなヒットアニメとして有名な『この世界の片隅に』で声優を務めていて、昨年末に続編でも登場していますが、実写での登場は今回の作品が初めてです。)

東京ではあまり関係のない要因だと思いますが、ロケ地の熱烈なバックアップも多分あったことでしょう。当時「能年玲奈」だったのんが大ブレイクを果たした『あまちゃん』の舞台の岩手県久慈市が再びロケ地になっています。そこでのんが主役の(『あまちゃん』とは大分イメージが異なりますが、)芸能界デビューを目指す少女の物語が改めて創られることの熱狂は間違いなくあったことだろうと思います。エンドロールにも再三久慈市の名称が登場します。また、上映は関東全体で5館に対して、地元東北地区では12館の体制で、全国30館の内訳は非常にアンバランスになっているのが、その証左と考えるべきでしょう。

なぜか関東を上回る8館の上映館が関西にあるのは、メイン・キャラの一人、大平サブロー(旧「太平サブロー」)を擁する吉本興業の何かの影響なのか、もともとの芝居の人気が大きかった立地がその地域だったのかもしれません。

この作品は劇作家・演出家の水谷龍二とラサール石井、小宮孝泰が“笑ってホロリとする作品”を作るために結成したユニット「星屑の会」によって、25年に渡って上演されてきた人気舞台を映画化したものです。25年もの間、7作が連続して発表されて2019年の最終作で完結を見たと言われています。この舞台作品に登場するムード歌謡グループのハローナイツを演じてきた常連の俳優達が、そのまま、映画でも同じ役を演じています。

これは、『サマータイムマシン・ブルース』などと同様に、かなり練り込まれたストーリーと見せ場の妙が既に確立された安定した質を持つ映画作品を実現している要素のように思えます。ただ、舞台と映画の関係性では『サマータイムマシン・ブルース』とは二点異なっています。一つは俳優陣が『サマータイムマシン・ブルース』ではかなり異なっているのに対して、『星屑の町』では主要俳優陣がほぼ共通であることです。二点目は『サマータイムマシン・ブルース』が物語展開が舞台と映画でほぼ同一であるのに対して、『星屑の町』の方は、ハローナイツの外伝やアフター・ストーリーの位置付けの劇場作品になっています。

このように見ると、この『星屑の町』は舞台の名作を映画の形でも残すために、舞台シリーズ完結後に、基本的に同じ制作陣・俳優陣によって創られた、その後の物語と位置付けるのが良さそうです。そのこなれた感じは、作品を観ると非常によく分かります。それほど大きな盛り上がりがある物語ではありませんが、元々演技力が高い名優陣が長年勤めてきた役を、「これが最後」とばかりに渾身の力で演じる姿から滲み出ているように思えます。私がこのような背景にある舞台作品の存在も何も知らない状態で見ましたが、「こなれ感」が明白に感じ取れました。

ただ、私がこの作品を観に行くことにした動機は、この作品が持つ背景の物語や高い練度ではありません。単純にのんを通じた“買い手主導(=マーケット・イン型)のビジネスへの金銭による投票行為”をしたかったということに尽きます。2015年に観た『海月姫』の感想で…

「主役の能年玲奈を私はよく知りません。彼女を一躍“時の人”に仕立て上げた『あまちゃん』も、番組評や文化評論的な文章を幾つか読んだことがあるだけで、なぜか全然関心が湧かず、全く見たことがありません。彼女の出た映画は、最近で言うと『ホットロード』だと思いますが、観ていません。私が大好きな映画『告白』にも出演していたと言う話ですが、誰の役だったかさえ私は分かりません。観てみて、オタク風体でも自然で、かわいく変身しても、頷ける魅力も分かりましたし、パンフで篠原ともえが、「能年ちゃんは、近くに行くと、音がする。“キラキラ”って」と言っているのも宜なるかなとは思います。しかし、私は特に好きになることもありませんでした」

と書いています。ファンである訳でもなく、今でも彼女の今後の活動を追っかけてチェックして行きたいと思ってはいません。ただ、2015年当時上述のような社会的な評価だった若手女優が芸能界の諸事情から、あっという間に一旦姿を消し、『あまちゃん』制作現場での関係性の深さで「(能年玲奈の)芸能界でのお母さん」とまで言われて厳然と且つ公然と能年玲奈を支持していた小泉今日子まで発言を控えるようになり、今では不倫バカ扱いされている状況を見ると、業界の“しきたり”の強さを素人でも感じざるを得ません。

これは、芸能界にかなり疎い私でもパッと思い出せる事務所契約で揉めた鈴木あみ(旧「鈴木亜美」)の問題や、ネットでは秋元康への枕営業拒絶によると言われることが多い裕木奈江の問題などと同様に、私には(私は特にこの二人のファンと言う訳では決してありませんが)これらが、全く馬鹿げたファン不在の議論であるように思えてなりません。勿論、私は芸能事務所側も、芸能人に対して多くの投資をし、興業を行なっていく上での数々のリスク回避を代行していることを知っています。ですので、所属芸能人の不当な行為に対して何らかの賠償請求や制裁を設けることは間違っていないと思っています。ただ、その制裁の際に、ファンの意向が極端に無視された事態は、あるべきではないと思っています。

最近は、ジャニーズ事務所の急激な弱体化などの流れの背景にSNSなどに投影されるファンの意向がありますから、大分、「マーケット・イン」型の思考に変わって来ているようには思っています。しかし、ファンまたは「買い手」無視の商売のあり方は、芸能界にもそこここに散見されます。私は特にB2Cの商売は基本的に「購買=“金銭の支払による人気投票”」だと思っています。支持されるべきビジネスは基本的にその内容と姿勢の両方から顧客の購買を惹起して売上と利益の両方を伸ばし、そうではないビジネスはじわじわと時間と共に淘汰されて行くものと思っています。

私は一連の日本に対する外交的な態度で韓国に嫌悪感を抱きますので、一人不買運動を行なっていて、意識的に韓流映画作品は劇場でもDVDでも避けるようにしていますし(主役以外の韓国人俳優の出演は許容していますが…)、LINEも使いませんし、牛丼屋でキムチを付けたいと思った時にも生産国を確認します。“金銭の支払による人気投票”をしないケースはこのように実現されていますが、当然ながら、逆に“金銭の支払による人気投票”を積極的に行なうことで支持を表現することもします。今回の映画を観に行こうと決断したのも、まだまだ多くの芸能界の機会から締め出されているのんに僅かでも収益をもたらすためです。それは、よく知りもしないのんのファンだからではなく、「買い手」無視の業界慣行に逆らう活動を応援したいという単純な動機でしかありません。

この映画のトレーラーを見て、この映画のオフィシャル・サイトで…

「さらに、本作のキーパーソンともいえるのが、6年ぶりの実写劇場映画出演となるヒロイン・のん。『マイ・フェア・レディ』のイライザの如く、田舎娘がやがて大輪の花を咲かせるまでの変身を見事に演じ、吹替えナシの透き通る歌声で、妖艶さと軽快さを見事に歌い分ける。60年代を意識した衣装の七変化も見逃せない。長年培われた熟練の芝居に、のんの透明感あふれる演技が加わることで、意外性がありつつも、またとない最高のメンバーで、観る人すべてを魅了する!」

と書かれていますが。のんの透明感は際立っています。取り分けとんでもない美人顔でもなく、今はやりのモデル系の容姿でもありませんが、逆に、その「ややフツー感」が田舎娘から歌唱力売りのアイドルに変貌していく各々の場面を的確に表現するパレットとなっているように思えてなりません。その表現できる人格の幅に驚かされます。それはステージ上の衣装によるイメージのバリエーションでも実現されていて、何を着てもそれ風に見えるのは、驚異的です。

おまけに、思い込んだら命懸けのハローナイツ参加への直談判のシーンなども、既に『あまちゃん』で鍛えているためか、方言がやたらに自然で違和感が全く湧きません。

そして、トレーラーでもオフィシャル・サイトでも仄めかされる「鳴かず飛ばずの売れないおじさんコーラスグルーブが、歌手を夢見るヒロインと出会うことで人生が大きく変わり、新たな人生を歩むことになる。そして、成功の中で気づかされる“大切なこととは?」が妙に気になるようになりました。

原作である舞台作品には全く登場しない映画オリジナル・キャラであるのん演じる主人公はただの東北の田舎娘ではありません。母が以前から水商売で生計を立てている母子家庭の娘です。母に拠れば、主人公の父親はマグロ漁船に乗る漁師で、インド洋で海に落ちて死んだということになっています。ところが、田舎の口さがの無いおっさんがたの間では、母が札幌の薄野で働いていた折、巡業に来ていたハローナイツのメンバーと愛し合うようになり、その結果、主人公が生まれることになったのだとされていて、そのメンバーがはっきり分からないままの噂になっています。

主人公がハローナイツに参加したいと執着した背景にはこうした理由があったのです。主人公は最初上京して歌手になる夢を叶えようとしますが、枕営業を要求されたりと、不本意なままに帰郷していました。そこへハローナイツが公演で訪れ、物語は始まります。しかし、現地でハローナイツはボーカルを務める(そして、主人公の父と目される)大平サブロー演じる男が揉めて脱退に至ります。その穴を埋める形でボーカルに主人公は入ることが決定するのでした。

ただのオッサンの寄り集まりのムード歌謡グループに少女のようなボーカルが加わったことで注目を浴びるようになり、グループはレコーディングやPV撮影までできるようになりました。売れて行く中で、オッサンがたは微妙に今までの自分達の生活との乖離を感じ始め、主人公も他の若手グループからの誘いのビッグチャンスを逃すこともできず、また、故郷にそのままに居て働く、自分を思ってくれる青年との関係もすべて考え直して、若手グループへの移籍を果たすところで物語は終わります。また、主人公が短い在籍を終えたハローナイツには、元々のボーカルがソロ・デビューの夢破れて復帰しますが、その復帰もメンバー達は自然に受け容れて、まるで何事もなかったかのように、元の巡業生活が始まるのでした。

大人の世界の身の丈の生活の枠や箍を見事に描いた素晴らしい出来栄えの物語です。幾つかのウディ・アレン映画で描かれる恋愛に通じるような「情熱」が生まれ、冷めて行く過程が丁寧に、そして簡潔に描かれて行きます。好感の持てる物語です。DVDは買いです。

追記:
 封切日の3月6日にのんも参加する初日舞台挨拶が予定されていましたが、2日付で中止がアナウンスされてました。「新型コロナウイルスの感染拡大に伴い諸般の事情を考慮し、この度、開催を見送らせて頂くことに致しました。」とのことでした。

追記2:
 思いの外、のんの「七変化」が(歌っている際の無表情ぶりが少々気になるものの)トレーラー以上に凄かったので、DVD付ののんの新譜を購入しました。